変な夢を見た。  
 なんともやりきれなくて、でも甘い、全体的にはとてもよい夢だった。  
 
「雹!」  
 ぼーっとしながら朝食をとりに食堂へ向かうと、盆を手にしたところで名前を呼ばれた。  
「おやおや、チーフも僕もなしでくりくり同盟の集会か?」  
 あかざと草矢と鵜飼が揃っている。  
 同盟は主に小瑠璃人脈で集まった面々でクラスもばらばらなので、これだけ集まることはそうはない。  
「偶然、集まってさー」  
「眠そうだね、雹。早い割に」  
 起床時間よりもまだ少し早い。食堂には人もまばらだ。  
「夢見が悪かったんだよね」  
 本日のメニューは定番、卵焼きに味噌汁、おひたしと漬物だ。  
「すっごい好みな子が、僕の腕の中にいるのね。腕枕みたいな感じで」  
 あかざが熱心に、草矢が無言で、隣の鵜飼が興味ないというポーズをとって耳を傾ける。  
「なんだけどさ、下半身がどうやっても動かないんだな」  
 三人が一様に笑いをもらす。  
 僕には笑い事ではなく、なんだかやけに切実で切迫した気分が胸の辺りに残っていたけれど、それも皆の笑いに紛れる。  
 
「抱きしめようにも抱きしめられず、離れようにも離れられず」  
「で、どうしたのさ」  
「夢精しちゃった」  
 鵜飼が盛大に牛乳を噴き出し、草矢とあかざがため息をつく。   
「そういうことこういうところでさらりと言うから雹はもてないんだよ」  
「ツラはいいらしいのにな。せめて食事中は止めとけ」  
「今、後ろの女子二人が遠ざかったぞ」  
 言われて後ろを振り向くと、こちらを窺っている女子と目が合ってすっごく汚いものでも見たかのようにそっぽを向かれた。  
 ちょっと傷ついた。   
「三人ともほとんど食べ終わりじゃないか。それに別にもてなくてもいいよ。好きな子もいないし」  
「えー、好きとか関係なしにえっちしたいとか思わない?」  
 後ろの子たちが席を立つ。あかざも大概だ。  
 僕は少し、声を小さくした。  
「別に思わないなあ。最近、サカってる奴らが多いな。お前も含めて」  
「だってさー」  
 あかざが口元のほくろのあたりをかく。  
「俺、涼の部屋の隣なんだよ」  
 鵜飼がぴくりと肩を震わせた。涼と安居に対して、鵜飼のライバル意識は強い。  
「時々、彼女が出入りしてるの見かける」  
「ああ、虹子、だっけ」  
 
「そうそう。ほら、前の蛙騒ぎのときも朝っぱらから一緒にいたけど、最近出入りが頻繁でベッドがきしむのとか聞こえるし、気になるっったら」  
「先生に通報しろよ」  
「そういうならお前がしろよ、鵜飼」  
「嫌だね。女にかまけてる奴なんかに構いたくない」  
「あ、噂をすれば、だね」  
 草矢の視線を追うと、涼と噂の彼女が入ってきたところだった。  
 涼はいつもながらの崩れた着方にぼさぼさ頭で、虹子はジャージをしっかり着こんでいる。  
 虹子が小さく欠伸をしたので、僕らは話の流れからなんとなく照れてしまう。  
 どちらとも僕はクラスが被っていない。  
 が、涼はクラスの垣を超えた有名人だし、この二人が付き合い始めたというのは、皆に衝撃を持って受け止められたニュースだった。  
 いわゆるラブラブな雰囲気はまったくないが、授業以外は常に一緒にいるんじゃなかろうか、というくらいの密着振りだ。  
 涼はずっと一匹狼だったからこの関係は周りを煽って、一時期、カップルが乱立した。  
 全員で注目してしまっただろうか、涼に睨まれて食事に戻る。  
「安居くんとは正反対だね。彼はストイックみたいだけど……」  
「あいつは女にも構えない野郎だからな」  
 ふんと鼻を鳴らす、鵜飼以外の三人で顔を見合わせた。  
 鵜飼は安居や涼が気になって仕方がないのだ。そういう上を気にしすぎるところがある。  
 安居には多分気にもしてもらえていないだろうに。  
「そういう鵜飼はどうなんだ?」  
 
「何が」  
「彼女とか」  
 鵜飼はまた、鼻息荒く箸を置いた。  
「そんなもん、作ってどうするんだよ。未来に行けることになったら離れ離れだろ」  
 それもそうだけど、出来の差がはっきり出てきた今では、未来に真剣に行きたい奴ばかりでもないので、つい恋愛に走ってしまうのもわかる。  
 未来に行けなくても、滅亡のその日まで好きな子と一緒に生きて死ねるなら、それでいいじゃないか?  
「でもそのものでなくてもさあ、エロ本とかAVとかほしい! 外に出てった奴ら、送ってくれればいいのによー」  
「実物しかないから、皆ぎらぎらしちゃうんだね」  
「深夜テレビじゃ足りないのか?]  
「あんまエロくないし、見つかると懲罰房だし」  
「永遠の禁欲か、卯浪の嫌味と懲罰房に耐えての一時の快楽か、それが問題だ」  
 生きるか死ぬか、それが問題だ。昔の文豪まで持ち出してくる問題か、草矢。  
「まあ、右手が恋人じゃ悲しいってのはわからないでもないけどね」  
 言った先から、皆が凍り付いているので僕は彼らの顔を順繰りに見渡した末に真後ろを向いた。   
「おっはよーん、皆!」  
「や、やあおはよう、小瑠璃」  
 慌てて、皆自分の隣に小瑠璃のスペースを作る。  
 小瑠璃はここにいる面子にはそういう対象じゃない。妹のようなものだ。  
 ただし、くりくり同盟には約一名、小瑠璃に恋しているのがいたりもする。  
 
「右手がどしたって?」   
「な、なんでもないない」  
「そう、ないから!」  
「小瑠璃は気にしなくていい!」  
「ちょっとね、僕の夢見の話をしてただけだから」  
「夢? 雹くん、夢とかよく見るの?」  
 小瑠璃が自分から話をそらして、僕の隣にすとんと腰を下ろしたので、皆でほっとした。  
「うん、見るよ」  
「そっかー。あたしも見るよ! よく変な寝言言って、繭ちゃんに心配されちゃう」  
 いつもの名前が出てきた。   
「あれ、今日は『繭ちゃん』は?」  
「レポート書いてるよ。書き上げてから思いついたことがあるんだって。先にご飯行って、って言われちゃった」  
「なかなか会えないね、小瑠璃の『繭ちゃん』とは」  
 小瑠璃の親友の繭ちゃんは、僕とは縁が薄いみたいだ。  
 選択クラスが違うし、当初100人はいたし皆ライバルだから、知り合えない子がいてもおかしくないのだけど、  
小瑠璃と親しくなってもその親友とはなぜかすれ違う。  
「残念だなあ」  
 小瑠璃は笑って、ご飯を飲み込んで、お箸をテーブルに刺す勢いで立てた。  
「繭ちゃんに会いたくば、あたしを倒していくのだ! なーんちゃって」  
 小瑠璃も結構失礼だなあ。僕は純情なのに。  
 
   
 繭ちゃんと会えたのは、最終テストが始まってからだった。  
 小瑠璃の話を聞きながら薄々思っていたけど、やっぱり好みだったので、ラッキーだ、なんて思った。  
 そのときは。  
 僕の腕の中には繭ちゃんがいる。  
 もう、瞼が開くことはない。三日にも満たない、とても短いお付き合いだった。  
 僕は結局、童貞のまま死ぬんだなあ、なんていつか見た夢と、一足先に死んでいる下半身のことを思う。  
 小瑠璃のことを好きだったやつは風車の事故で死んだ。草矢も、あかざも死んだ。多分、鵜飼も。青葉も。僕もこれから逝く。  
 だとすれば、死後の世界は結構楽しいんじゃないだろうか。そんなものがあるとすればだけど。  
 指先が痺れ、感覚が遠のいていく。  
 左手でなんとか繭ちゃんの手に握られたライトを探り当て、小瑠璃にモールスを送る。  
 遺していく小瑠璃に繭ちゃんの言葉を一言でも多く伝えなければいけない。  
 繭ちゃんの顔を拭う。  
 視界が霞んでもう、よく見えない。  
 かえって汚しているのではないことを願う。  
 早く来てくれ、小瑠璃。  
 僕が繭ちゃんを追って夢の世界へ滑り込む前に。  
 この現実に存在していられる間に。  
 早く来ないと、僕は向こうで、繭ちゃんを僕のものにしてしまうよ。  
 
 完  
 

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