子の刻と一口に言っても二時間の幅がある。  
 雨の中待つのも嫌になって、回避できたのかと思い始めた頃だった。  
 吐き出された小瑠璃を見つけ、複雑な気分になる。  
 小瑠璃も三馬鹿も優秀なはずだが、やはり駄目だったのか。  
 徒労に終わらなかったことに複雑な思いを抱きつつ、川に入って小瑠璃を引き上げる。  
 動かない風車が気になって、見に行った中には木彫りがあった。  
 修理が小瑠璃たちに回されて、気になって来てみたら案の定だ。  
 岸に下ろし、脈と息を確認する。  
 小瑠璃の身体は虹子よりも小さく、虹子よりも少しばかり全体的な肉付きがよく、  
くるくるの髪は虹子のようには指を通さずにすぐに止まり、ペンライトをとるために、  
わずかに触れた胸は布越しにでもわかるが、虹子よりも体積が少ない。  
 束の間の自嘲が手を止めた。  
 女に関する全ての基準は虹子にならざるをえない。俺が部屋を出てくるとき、俺の教本を枕に寝入っていた、虹子もそうだろう。  
 それを悲しいなどと思うのを、自分に許すわけにはいかない。  
 なんのためにここにいるのか。生きているのか。馬鹿馬鹿しい。  
「安居……」  
 触れた布の奥の生命が無事だと示すように、小瑠璃が甘えたような声を上げる。  
 俺はほとんど拍子抜けして笑い出しそうになった。  
 どんな夢見てんだ、小瑠璃。  
 俺は安居の部屋に向けてモールスを送り、電気が消えるのを待って、ペンライトを小瑠璃の手に握らせその場を立ち去った。  
 
    *******  
 
 戸口の物音で、わたしは覚醒した。時刻は零時過ぎ。  
 隣のベッドを見れば、涼がいない。いつの間に出て行ったのだろう。   
 涼の部屋に引っ越してからしばらく経つが、涼の気配に慣れすぎている気がする。これでは困るのではないだろうか。  
 多少反省しつつ、警戒しつつ、わたしは明かりをつけて戸口へ近寄った。テストはもう始まっている。罠ということもありえた。  
「涼?」  
 声をかけると、ゆっくりと扉が内側に開く。  
 ずぶぬれで涼が立っていた。  
「……何してるの」  
 テストが始まっていることに、まだ他の誰も気づいた様子はない。  
 火事が起きる日まで、わたしたちはせっせと準備をする。  
 防寒具にテント、バックパック、手斧など武器類、保存食、食器類、着替えや布、その他諸々を2人分。  
 その日がいつになるかわからない以上急ぎたいが、皆に気取られるわけにもいかず、動くのは授業中や夜中、人目がないときだ。  
 今夜は、2人で職員室に忍び込んだときのような大雨で、ろくなことはできなくて互いのクラスの教本を交換して読んでいた。  
 その後わたしは寝入り涼は出て行ったのだろうが、この大雨の中に、いったい何の用があったのだろう。涼の手は空だ。  
「……涼?」  
 涼の手元から顔まで目線をあげる前に、わたしの視界は涼の髪で埋まる。  
 抱き締められたのだ。本当におかしい。  
「涼?」  
 髪を掻き分け、顔を確認しようとすれば、強引に唇を重ねられた。  
 身体を持ち上げられて、運ばれていく。身長差があるのでいかんともしがたく、涼の後ろで扉が閉まる。  
 そのまま、涼のベッドに運ばれ、投げ出され、すぐに涼が覆いかぶさってくる。背中が少々痛い。  
 最初の木彫りが置かれてから寝食を共にしているけれど、こういうことはなかった。  
 いつ何があるかわからなくて、それどころではない。  
 ようやく視界が開けたと思ったら、もう涼の指は服の下で動いていて、鎖骨の辺りを這い回る唇に背中にぞくっと震えが走る。  
 
 
「先生! 要先輩!」  
 人の声がする。夜中にうるさいことだ。  
 あれは安居くんだろう。要さんを先輩と呼ぶ人は彼くらいだ。安居くんが感情的になる事態が何かあったのだ。  
「涼……」  
 制止しようと、涼の肩にかけた私の左手を彼の右頬が抑える。  
「構うな」  
 空いた片手を彼のもう片頬に滑らせると、指先が濡れた。  
「今日はもう、何も起こらない」  
 涼がそういうからにはそうなのだろうけれど。  
 やがて物音が一通り走り去るまで涼はじっとしていて、最後の足音が消えたところでまた動き始める。  
「りょ……」  
 濡れてて気持ち悪いから、脱ぐか止めるかどちらかにして。  
 そう言おうとしたのに、また口を塞がれた。  
 もうこれは止めてくれる気はなさそうだ。わたしの身体はほとんど露出させられている。  
 諦めて、涼の服を脱がせることにした。服は濡れて凍りそうに冷たいのに、その下の肌は熱い。  
 涼の体温は高い。夏は一緒に寝たくない。冬でよかった。  
 これだけは脱げない、涼の長髪の水分を、脱がした服で拭き取る。  
 その間に涼は勝手に進み、いつのまにやら下をいじられて、わたしが涼がもうその気でいるのを悟ったときには遅かった。   
 今度は息を吸い込んで声にする前に、唇を重ねられた。  
 
 そのまま片手で肩を、もう片手で足を押さえられて、涼が入ってきた。  
 お互いほかに相手などいず、装うには親しすぎて、これはいつも恋人じみた行為にはならないけれど、睦言などないけれど、  
本能で接しているけれど、今日は異常だ。  
 わたしはまだ、準備ができていない。   
 痛みで反射的に動いても逃げ場がない。  
 応える形になるだけだ。自由になる手で引き離そうにも力負けし、脚の動きは涼を悦ばせるだけ。  
 背中に爪を立ててもこたえる様子がない。  
 口の中に入ったままの舌を噛むとそれにも構わずに更に深く進めてきて、噛み切ってしまいそうで結局わたしが諦めた。  
 遠慮のかけらもない動き方にも、抵抗する気をなくせば気持ちがよい。  
 頭の芯がしびれてくる。  
 唇と舌が離れていって、代わりに指を押し込まれる。  
 腰の動きの乱暴さは少し緩くなっても変わらないのに、涼の指先は丁寧になった。  
 口の中の指にわたしが歯を立てても、もう片手はわたしの髪を梳き、身体を撫でる。  
 わたしは、少し離れた涼の顔に手を伸ばした。  
 肌の前に、水分に触れたような気がしたとき、また突きたてるように動きが激しくなる。  
 安らぎかけたところをまた揺らされて、今度はどう反応してもやめてくれず――  
 やがてわたしは気を失った。  
 
 
   
 目覚めたのは今度は、寝苦しいからだった。  
 あれからどれだけやられたんだろう、股がべたつく。  
「涼。重い」  
 わたしに覆いかぶさったままで、涼は熟睡している。耳元で喋ったのに、起きる様子もない。  
 おぼろげな記憶を反芻する。  
 記憶の隅々をチェックするのは癖になっているが、気をつけるまでもなく最初から最後まで、らしくない行為の数々。  
 いつになく、髪を梳いたのは何故。  
 何度も合わせたこの身体を確かめるようだったのは何故。  
 わたしに何も、喋らせなかったのは何故。  
 吐き出すだけ吐き出して勝手に眠り、軽くいびきすらかいている涼に腹が立った。  
 この時期に子どもでもできたらどうしてくれる。  
 わたしに話さないことを、わたしが飲み込んでやる道理はない。  
 飲み込んでやれる、そんな場合でもない。  
 2人で未来に行くのか、2人で落ちるか、それとも――  
 どちらかが落ちてどちらかが残る、それだって十分ありうる。  
 だからわたしたちは、これ以上を共有してはならないのだ。  
 どうにか身体を移動して眠る涼に口付けを落とす。  
 次に起きたら、涼は何もなかったかのような顔で振舞うだろうからその前に。  
 唇を噛み、歯を舐め、歯列を割ってその奥に、わたしは涼がわたしに含ませた毒を返した。  
   
   
 翌朝わたしは、風車の事故で三人が死に、小瑠璃ちゃんが助かったことを、知った。  
 
 
 完  
 

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