最終テストが終わって一週間後、オレの独房の戸が開いた。  
 独房というのは比喩だが、灰色の壁にバスルームとベッドだけ、窓はない部屋だ。  
 検査が終わってすぐに放り込まれて、時折検査と奴らがやってくる。ここがどこかはわからない。  
「涼、客だ」  
 教官の後ろから、見慣れた顔が覗く。  
「虹子」  
 手を軽く広げるだけの挨拶をした虹子を残して、奴は去る。一般教養の気弱そうなメガネだ。  
「怪我は平気そうね」   
 虹子はベッドに腰掛けているオレの隣に座る。  
「来られるんならもっと早く来いよ」  
 一人一人引き離されてろくに口も利いていない。  
 互いの無事を確認して、生きてたかと思って、それで終わりだった。  
「生理が昨日終わったの」  
「火事の直前に来なくてよかったな」  
 虹子はあまり重い方でもないし期間も短いが(その期間死にそうだった女は早いうちに脱落していった)、さすがに多少はつらいと言う。  
 テスト中にあたったらどうしようかとは思っていた。  
「無傷だろ。オレは検査だったが、今までどうしてた」  
 すると虹子はまたするりと立って、バスルームに入った。  
 オレも後を追う。  
 虹子は蛇口をいっぱいにひねり、シャワーの側に回す。  
 人為的な豪雨が、オレたちを濡らした。  
 瞬く間に、オレたちの囚人のような白い服は互いの肌の色を写す。服が邪魔だった。  
 虹子に両腕を挙げさせて、脱がせる。布が口元を通る間に、虹子が早口で呟いた。  
「わたしも検査だったわ。精神面のだと思う」  
 
 マイクが超高性能でないことを祈り、オレは虹子を抱き寄せ、髪に口元を埋めた。  
 一応、服や差し入れられる食器、洗面道具なんかに仕込まれていないのは確認してある。  
「冷凍されるのが遅れてるのは、安居や小瑠璃の治療待ちかと思ってたぜ」  
「わたしたちは一緒に冷凍されても、一度に眠らせられるわけじゃないと思うけどね。この件は前に話したでしょ」  
 眠らせられるのと冷凍されるのは一時になのか。  
 他チームが一般人ならほとんど誘拐なんだろうからその2つは別々のはずだと虹子が主張し、  
7人の冷凍装置は共通のはずだから冷凍時の肉体条件は出来る限り同じにするに越したことはないはずだとオレが一度に説を主張して、  
朝まで結論は出なかった。  
 今も自説を曲げる気はないが、それは今は問題ではない。  
 虹子の検査がそういう性質のものなら、つまり冷凍される以前の問題だということだ。  
「まとめて、様子見か」  
「不安論が出てるんでしょうね、きっと」  
「あれだけやってか。バカか」  
 後悔するなら、もっと早く気付け。  
 最終テストは、オレたちに宗教色がなかったのがわかる気がするものだった。  
 死後の世界に夢なんて抱いてはいけなかったんだろう。  
 オレですら思うのだ。  
 皆に置いてかれたのは、オレたちの方かもしれない、と。  
 皆、向こうで幸せにやってるのかもしれない、と。  
「だからね、きっと」  
 虹子からキスしてくるのは珍しいな、とぼんやり思った。  
「わたしがここに来てもいいと言われた」  
 意図を測りかねてぼんやりしていると、虹子が残った下着を自分で脱ぎ捨てる。  
 本気で、テスト前と変わったところが一つもない。傷の一つすら見当たらない。  
 オレがつけた爪の痕だけだ。  
「一回するだけで七人済むなら、安いと思わない?」  
 
 そういう、ことか。証明してみせろと。   
 あいつらにしてみても、17年間の努力をまったく無にするのは嫌なんだろう。  
 小瑠璃も源五郎も、鷭も行きたくないと言った。  
 安居とあゆは口すら利かなかった。  
 オレたちだけでも大丈夫そうならば、全員大丈夫だということにしようと、そういうことか。  
 オレの喉から笑いがこみ上げてくる。惨めも過ぎると笑うしかない。  
「しっ」  
 虹子がオレの唇に指を当て、シャワーから浴槽に湯を切り替えた。  
 まだ少ないけれど、オレも服を脱ぎ捨て2人で浸かる。2人入ってぎりぎりの狭さだ。  
 手当てされ直すのもしゃくだったので、包帯が取れるまではタオルで拭いて済ませていたと言うと、  
虹子が嫌な顔をしてオレの腕の辺りを強くこする。  
「汚くはないぞ。ここ3日くらいは風呂ばっかり入ってたしな」  
 まだ目が疑っている。   
「することもない上に、珍しいだろ。狭い風呂」  
 個室には風呂はない。共同浴場やシャワーにはカメラつきだ。  
 夏は夜中にこっそり湖で水浴びしてたこともあった。冬はどうしようもなかった。  
「そうね。清潔みたい」   
 腕のあたりを行き来していた指にぐっと力がこもり、下ってきた。珍しい。  
 何度か指でこすって手を添えて、口の位置を下げる。  
 虹子は口でするのは好かない。手でするのもあまり好きではないとかで、以前ねだったら自分でしろと言われたことがある。  
「大サービスだな、虹子」  
 湯が上がってくる感覚と口内でいじられる感覚が混ざり合って、かなりクる。  
「もうちょっと舌使えよ」  
 虹子が珍しく感情の見える恨めしげな目線で、湯から顔をあげた。  
「噛むわよ」  
 顔をぬぐいながらそのあたりに、爪を立てる振りをする。  
 それは勘弁。   
「なんならオレも舐めてやるか?」  
 浴槽の淵に座らせて足を広げさせる。  
「あら、大サービスね、涼」  
 
 こんなふうに最中にぺらぺら喋るのは、初めてだ。  
 前戯に時間をかけるのも。  
 虹子が俺の頭を抱えて、抑えながらも確かな、喘ぎ声を上げる。浴室の空気が震えて響く。  
 しっかり見て聞いてるか? 覗き魔。  
 まだ抱き合えます。子どもも作れます。生きていく気があります。  
 これで満足なんだろう、サディスト先公どもめ。  
 オレらの一番最初は実験感覚、その後はいつも最小限、どうしようもない欲望を満たすためだけにしか抱き合ってこなかった。  
 時にはレイプ紛いもその逆もあった。  
 まともに想い合い、抱き合ってた奴らは皆死んだ。どっちか、どっちも死んだ。  
 愛情も友情も、全てお前らに殺された。  
「せいぜい見せ付けてやろうぜ」  
 虹子が小さく頷き、風呂を上がる。  
 おぼつかない足取りを支えて、ベッドに倒れこむ。  
虹子のすぐに冷えていく肌がオレの火照りを醒ます。  
 冷たい体のあたたかい場所に後ろからぶち込みながら、背中に唇を這わせると身体が波打ってオレを高める。  
 虹子は口でシーツを噛んで耐えている。  
「声出せよ」  
 喉から指を這わせて力任せにシーツを奪い取る。  
 オレたちは予定通りに来ている。常に先を読み、常に情報収集と交換を怠らず、結果2人で残った。安居も小瑠璃も残った。  
 それなのにオレは、傷ついている。  
 半ば泣きそうな虹子の顔に、火事の前最後に抱いた風車の事故の夜がだぶった。  
 なあ、虹子。  
 貴士の野郎がオレと安居の前で言ったんだ。  
――これから生まれてくる子どもたちは、せいぜい君たちの年までしか生きられない。  
 これから生まれてくる子どもたちも、オレらの年あたりまで生きられるんだとさ。  
 てことは、オレらの年の外の奴らは、三十越えられるんだな。  
 なあ。   
 オレらの世界は、地球でも日本でもなかったな。  
 あいつらに作られた虫籠みたいな世界の、終わりの日はあの火事の日だった。  
 オレらの世界のXDAYには隕石なんて大物は必要なかった。  
 
   
 一旦ベッドの上で抱き合うと、お互いに止まらなくなった。  
 お互い溜まっていたらしい。  
 あれだけいろいろあっても傷ついても、やることはやれるものだ。  
 それとも、あいつらに見られてるから燃えるんだろうか。  
 今までもどうせ部屋の中も見られてるだろうとは思っていたけれど。  
 いつも1ラウンドで音を上げる虹子がやめようとしない。  
 四十八手極められそうだ。オレも閉じ込められた状態で運動ができなかったせいで、なかなか尽きない。  
 監視されている部屋で一人でやる気にもならない上に、やる気力もなかったせいもあるか。  
「取り上げられなくて、よかったね」  
 虹子が腰を動かしながら、オレが首にかけたままの十字架をいじった。  
 入ったままで、膝座りしたオレの上に座った状態で、肌の間で揺れるそれを弾くその手をつかんでなんとなく指先を絡める。  
 4本の手のうち2本をとっさに使えない状態にするのはもったいないと、一緒に歩いているときも肩は組んでも手は握らなかった。  
 やってる最中はもちろんで、一番無防備になるだけにサイドに置いた武器を取れるように大抵手は空けていた。  
 こんなことは、最初で最後だろう。  
 そのまま、下から突き上げるようにすると虹子が空いた手をオレの首に巻きつけた。  
 耳元で声を聞きながら動かすごとに強くなる手を感じながらいっそこのまま絞め殺せ、と思う。  
 だけど、そうはいかないこともわかっている。  
 オレたちは7人でただ一つの罪の塊として、未来へ行く。  
 今まで虹子と、わいわいやってるやつらを横目に2人で歩いてきたけど、もう辿るべき家路はどこにもなく、馬鹿にする灯りはない。  
 これからはただ暗闇の中を、7人で歩いていくのだろう。  
 手を繋ぐ必要はない。見なくてもわかる。臭いがする。  
 オレたちは、きっと同じように、血にまみれた手をしているのだ。  
   
 その日、オレたちは多分初めて、同時に絶頂に達した。  
 繋いだ手は離れ、虹子の片腕はオレの肩を通り過ぎた背後に伸び、なにもない空間を掴んだ。  
 
 完  
 
 

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