「きっくっねー!」
市松の来訪を予想していた菊音は、その声を聞いてすぐさま振り返った。
これまた予想していた通り、市松は抱きつくべく両腕を広げて迫ってきている。
が、予想していたので、菊音はそれを難なくかわした。
市松の腕が目の前で勢いよく宙を切り、腕はその勢いで市松本人を抱きしめそうになった。
「なんだよ、マイハニー菊音。つれないじゃーん。今日は俺の」
「ハイハイ、誕生日ね」
菊音はため息混じりに応じる。
本当はそんな態度を取りたい訳でもないのだが、ちょっとでも油断するとすぐに話が大きくなるから、
ついつい態度がぞんざいになってしまう。
「おっ。覚えててくれたとは」
「そりゃぁ、一週間も前から毎日言われてれば、嫌でも覚えますー」
「と言うことは、ちゃんと希望通りのプレゼント」
「用意してあるわけないでしょっ!」
「えー。いいじゃーん。菊音とのひ・と・」
「だーかーらー、用意してないってば」
何度言えば分かってもらえるのだろう。
というか、何故ここまで拒否しているのに、一向にめげないのだろうか。
あきれる反面、ここまで来ると尊敬してしまう。
そして、ここまで意固地になって拒否している自分にも、菊音は若干の疑問を感じるようになりつつあった。
けれど、慢性的にこういうやり取りをしていると、きっかけが見つからない。
どういうタイミングで市松の申し出を受け入れればいいのか分からなくなってしまっているのだ。
最近、いつも考えてしまうことを考えていると、珍しく市松が本当に拗ねたような顔を見せた。
「なー。ホントに何もないのか?」
つい、『あーりーまーせーんー』とやりそうになったが、それはさすがにぐっと堪えた。
ちゃんと用意してあるのだから、ここでそんな事を言ったら渡すタイミングを逃してしまう。
「……あるよ」
市松の顔がぱっと明るくなって、また両腕が広げられた。
その腕をするりと逃れてしゃがみこみ、菊音は足元に置いてあった大きな工具箱の蓋を開けた。
「言っとくけど、お市さんのリクエストとは違いますからね」
頭の上から市松が覗き込んでいる気配がする。
それだけでドキドキする。
それなのに、どうして素直に市松を受け入れられないのか。
菊音はまた最近よくする自問自答を繰り返しながら、工具箱の中から一升瓶を取り出した。
立ち上がって市松の方を向くと、市松はとても嬉しそうな顔をした。
市松が時々見せる優しい笑顔だ。
一瞬見惚れてしまっていたことに気づいて、菊音は慌てて一升瓶を差し出した。
「はい。お誕生日おめでとうっ」
市松の大きな手がそれを受け取る。
自分が持っているととても大きく感じるのに、市松が持つと小さく感じるから不思議だ。
「さんきゅー。菊音。
もちろん、菊音も一緒に飲むんだろ?」
「当たり前でしょー。じゃなかったら、そんな高価なもの……」
そこまで言って、市松の顔がにんまりしたことに気がついた。
「やっぱり、ちゃんと用意してくれてたんじゃーん。菊音とのひ・と・よ」
やられた、と思ったが、まあ、飲み始めたら変なことにはならないだろう。
また何か反論しそうになったけれど、出そうになった言葉の代わりに菊音はびしりと市松の顔を指差した。
「その代わり。……おつまみはお市さんの担当だからね!」