彼女の判断力や冷静さを認めたから、同士になりたいと思い、  
共に頑張ろう、というつもりで手を差し出し、握手しただけのつもりだった。  
それなのに、彼女の手の感触がなぜか消えない。  
普段表情を作らない彼女が、ほんの一瞬見せた笑顔がまだ目に焼きついている。  
安居は毛布に包まり直して、大きなため息をついた。  
今はこんな事に頭を悩ませている場合ではない。  
最終テストがもうすぐ行われるというのに。  
「くそっ……」  
安居は毛布を跳ね除け、起き上がった。  
みぞおちの辺りがむかむかする。  
ストレスがある証拠だ。  
それだけならまだしも、頭の中に何かよく分からないもやもやとしたものがある。  
あゆの、マドンナとあだ名される彼女の顔がまたちらついた。  
こんなに誰か特定の女を意識したのは初めてな気がする。  
考えろ。  
いつものように自分に言い聞かせる。  
彼女とは前から知り合いだったけれど、たまにちょっとした会話をする程度の仲だった。  
けれど、あれだけある食材の中から、他の植物との判別が難しい毒ゼリを見つけだし、  
間抜けな食事当番がそれを使ってしまわないよう、食事当番より先に食材をチェックしに来る、  
そんな彼女を見たから、彼女とはただの知り合いでは終わらず、  
同志としてやっていきたいと思い、手を差し出したのだ。  
 
綺麗な顔とは違って、手はかさついていた。  
普段から、他人の分も料理をして、植物を学んでいるせいだ。  
そんなのは分かりきっていたことなのに、手を通して、それを実感した。  
彼女も七人の中に入れたらいいのに。  
そう思った。  
共に未来へと行く七人に選ばれ、一緒に未来へ行くのだ。  
そこで、そこで……。  
「……ああ、なんだ」  
下らない。  
安居は自分の中にあった正体不明の不快な感情の正体に気づいて、思わず苦笑した。  
溜まっていた、というだけのことだ。  
そういえば、このところ最終テストの事ばかり気にして、まったく抜いていなかった。  
どちらかといえば淡白な方だという自覚はあったけれど、  
生理的に溜まってくるものを放置できるほど枯れてもいない。  
生活に支障が出ない程度のペースで処理をしてはいたが、それすらも忘れるほど、  
最終テストに神経が向かっていたのだ。  
それだけ集中しているといえば聞こえはいいが、裏を返せば余裕がないということだ。  
おかげで、女と握手をしただけでこの有様とは……。  
我ながら情けない。  
「久しぶりだな……」  
前回、処理したのはいつだっただろう。  
茂が部屋を移ってくれたことに感謝しながら、安居はティッシュの箱を手元に引き寄せた。  
 
ジャージとトランクスを下ろして、ベッドに腰掛け、まだ熱を帯びる前のものを軽く掴んだ。  
自慰を覚えたばかりの頃は、こうしただけで、いや、下手をすると時と場合を選ばず、  
何もしなくても簡単に立ち上がり、処理に困ったものだが、この三、四年そんな事もなくなった。  
そうはいっても、放っておけば腹の中の不快感は溜まってしまう。  
生殖のために必要なものとは言え、厄介なことだ。  
目を瞑り、いつだったか何かで見た女の裸を想像して、軽くしごくとそれは簡単に立ち上がった。  
が、その瞬間、頭に浮かべた女の顔が、あゆに変わった。  
「っ!?」  
思わず目を開けると、彼女の顔は目の前から消えた。  
もう一度目を瞑って、”女”を想像して、手を使おうとすると、やはり彼女が姿を現した。  
こんなことは初めてだった。  
いつも、誰だか分からないぼんやりとした”女”をただ思い浮かべるだけで、  
具体的な誰かを思い浮かべた事などなかったのに。  
間の抜けた格好のまま、安居はため息をついた。  
もう勃起してしまっているから、後日改めて、という訳にもいかない。  
マドンナ、申し訳ない……。  
心の中で彼女に謝罪してから、安居は再び目を瞑り、右手を動かし始めたが、  
昔からよく思い浮かべる女の身体に彼女の顔は不釣り合いで、何かどこかスッキリしない。  
「はあっ」  
安居は大きく息を吐くと、ホントにごめん、と呟いてから、開き直ってあゆの顔をしっかりと思い浮かべた。  
 
頭に浮かんだ彼女は表情に乏しい顔で、こちらを見ている。  
ジャージを来て、三角巾を頭につけて、片手にはお玉を持っている。  
どう考えても、色事を想像するには苦しい格好だが、  
脱いだところを想像しようにも、まったく思い浮かばない。  
その時、自分自身を掴んでいる手が、彼女の手の感触を思い出し、次の瞬間、腰に微弱な電流が走った。  
その痺れがやけに心地いい。  
安居は深呼吸すると、もう一度彼女の手の感触を思い浮かべてみた。  
やはり今までに感じたことのない、快感が腰に走り、ペニスに走る。  
安居は自分でも気がつかないうちに生唾をごくりと飲み込むと、  
今度は自分の手の感触を彼女の手の感触に置き換えた。  
今、自分を包んでいるのは彼女の手だ。  
自分に言い聞かせる。  
あゆは相変わらず無表情だが、それでもそんな彼女の手にあるのはお玉ではなく、自分だった。  
身体中がぞくぞくしてきた。  
足の指が床を掻く。  
膝が震える。  
あゆが、みんなにマドンナと呼ばれ、ある者は妬み、多くの者は距離をおく彼女が、  
自分の猛りを掴んでいる。  
 
「あ……ゆっ」  
無意識に彼女の名前を呟き、手を動かす。  
荒れた手が輪郭を辿り、細い指が弱い部分をくすぐってくる。  
「くっ……」  
少しだけ彼女の口元が笑った。  
限界が近いことを悟られたのだろうか。  
ここに居る訳ではない相手の感情を推し量っている自分に気づかないまま、安居は手の動きを強めた。  
奥から熱がこみ上げ、先端からは早くもそれが滲み出してきている。  
「あ……ぅ……ッ」  
早く出したい。  
あゆの手の中に放ってしまいたい。  
手の動きがどんどん強くなる。  
手のひらで、自分がびくびくと脈打つのが感じられ、安居は思わず、  
「ご、ごめんッ……ん、…くッ!!」  
と口走り、あゆの、正しくは自分の手のひらに熱を放った。  
 
後始末は空しさに加え、あゆに対する気まずさがたっぷりと残るものだった。  
手を洗い、再び毛布にもぐりこんで、安居はため息をついた。  
腹の中にもやもやと溜まっていたものは消えてくれたが、  
代わりに胸の方にそれとは別のもやがかかってしまった。  
あゆに後ろめたさが出来てしまったのだ。  
しかし、それと同時に、今まで得た事のない充実感があるのも事実だった。  
次回こういう事をする時は、おそらくまた彼女を想像してしまうだろう。  
安居はまたため息をついて、明日は彼女に合わなくてすむことを祈りながら、目を瞑った。  
 
(了)  
 

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