今も記憶の底に巣食うは、あの日のこと。彼女の笑み、白いドレス、暖かな空気。  
細い腕を繋ぎとめる彼の手。自分はそれを遠巻きに  
眺めるしか出来なかった。あんなに愛していたのに、彼女の心を手に入れる  
ことが出来なかった。  
―――愛した者は、いつも、この腕からすり抜けていく。―――  
 
ふと目覚めれば、もうあたりは暗かった。自堕落な生活に身をおいて、もう  
何年もたつ。まぁ、幸いにして魔王が滅んでからも魔力は奪われていない。  
そのおかげで『紫界堂聖』と生きていくための辻褄あわせが出来て楽だ。  
多少の矛盾なら疑われもしない。  
「ノイン様、今お目覚めですか?」  
シルクがけだるげに問い掛けてきた。何があるわけでもない世界に身を置くのは  
相当の負担になるらしい。確かに、自分の求めるものが手に入らないと  
決め付けられたあの日が過ぎた時から、もう日本にいる理由などなくなった。  
なのに、まだここに居るのは、未だに自分がそのことを悲観しないのは彼女が  
もしかしたら自分を愛す日が来るかも知れない、という未練からに過ぎない。  
「シルク、私は愚かだと思うか…?」  
「いいえ、あなたは素晴らしいご主人様ですよ」  
シルクが眠たげに目を伏せた。嘘を言うな。忠誠などとうに捨てたくせに。  
どうせ失望しているのだろう?落ちぶれた主人に。  
「出掛けてくる」  
いってらっしゃいませ、と言ったきり、シルクは眠り込んでしまった。  
孤独よりも、自分に対する情けなさの方が先決した。何をしているんだ、私は。  
 
ぶらぶら夜の街を徘徊する。年若い男女がはしゃぎながら歩いている。  
目で追っても落胆するだけだった。別にやつらには彼女が少女だった頃の  
面影は見出せない。  
足取りもおぼつかぬまま住宅街の方に入り込む。最近の日課はこの道を歩き、  
一際目立つ白い家の前を通る事。その家に彼女が住んでいるのは知っていた。  
だから、ただ姿を見れるだけでよかった。それだけで幸せだった。  
だが、大きな窓に明かりは灯っていなかった。留守だろうか。  
「ねぇ、家に何かよう?」  
食い入るように見入っていると、いきなり高い声がした。驚きを悟られぬように  
落ち着き払って振りかえると、彼女が立っていた。  
「ま……」  
「は?」  
否、立っていたのは彼女ではなかった。暗闇に紛れていたため間違えそうになったが、  
立っていたのは彼女の娘だ。  
「ねぇ、お客さんでしょ?お母さんの知り合い?それともお父さん?」  
少女が微笑んだ。若い力、みたいなものが放出されている眩しいほどの笑みだった。  
「……お母さまと、昔。でも留守のようですから、いいです」  
「なんで?ねぇ、ちょっとあがっていったら?お母さんね、お父さんのところに今  
いってるけど、すぐに帰ってくると思うから!」  
少女が私の腕を引っ張り、門の中へ連れ込んだ。しかし、ふと悪戯心が首をもたげたので、  
少女に従う事にした。もし彼女が家に帰ってきたなら、堂々と会えるではないか。  
「いいですよ。じゃあ、待たせていただきます」  
 
「ねー、コーヒーでいいの?」  
案内されたリビングはきちんと片付いていて、居心地が良かった。  
娘は楽しげに客である自分をかいがいしく持てなしている。  
「はい、どうぞ。ミルクとお砂糖は?」  
いらない、と微笑むと娘は自分のカップにも何も入れずに片付けてしまった。  
「いいんですか?コーヒー。ブラックでも」  
「うん、ぜんぜん」  
彼女はそう言って微笑んだが、飲み方はいかにも辛そうだった。  
「ね、あなたお名前は?私ね、魚月っていうのよ」  
魚月がにっこり笑った。あぁ、確かそういう名前だったな、とふと思い出す。  
「聖……いえ、ノイン・クロードといいます」  
「のいん?日本人じゃないんだ?」  
なぜだか口をついたのは自分の本当の名だった。この子には出来うる限り  
本当を教えたい、と本能が語りかけてくる。  
「そうよね、そんなに綺麗な紫色だもんね。いい色、その目」  
そう言うと魚月が腕を伸ばし、前髪をそっと触ってきた。楽しげに輝く瞳に  
愛した少女のの面影がぴたりと重なった。  
魚月は本当に彼女の母親によく似ている。大きな瞳や、陽気な気性もその  
凄烈な視線も、母親譲りなのだろう。だが、さらりとなびく癖のない髪や  
すっと通った鼻筋、そしてふとした瞬間に覗く大人びた冷めた表情には  
父親の血を色濃く感じた。  
「なに?私の顔に何かついてる?」  
「いえ、美しいなと思って」  
魚月が照れたように相好を崩した。その顔にも力を感じる。話してみた感じ  
賢そうだし気さくで人懐こい感じもする。そのうえ容姿も平均よりはずっと整っている。  
いろんな意味でよく出来た娘、という印象を受けた。  
 
「ねぇ、ノインはお母さんのなんなの?」  
え、とノインが魚月を見ると魚月は視線を下げて呟くように言った。  
「いくら興味があるからって、知らない人を家に入れるのは軽はずみだったと思う。  
でも、ノインは悪い人じゃないでしょう……ねぇ、本当は何なの?」  
彼女の瞳に宿る大人びた色にノインは狼狽した。魚月はあの少年と、彼女の父親と全く同じ  
目をしている。それなのにどこか魅力的に映るのは、彼女の美貌のなせる技だろうか。  
「お母さまの……古い、友人ですよ」  
「恋人じゃないの?」  
魚月が片眉をひそめた。明らかに不満そうな表情である。  
「どうして?」  
「だったら面白いと思って。違うの?」  
「……憧れてはいましたが、届かぬ思いでした。それより、あなたはお父様と  
上手くいっていないのですか?」  
はぁ?と魚月が眉をひそめた。そしてため息をつき、柔らかな笑みを浮かべる。  
「ううん。お父さんのことは大好き。私のこと大切にしてくれる人は皆好き。  
あ、でもお母さんは違うな」  
「どうして?」  
「だってノインのこと振ったんだもの。酷いと思うわ」  
魚月が憎々しげに天井を睨んだ。その様子にノインが苦笑する。  
「そうすれば、あなたの父親は私になってしまいますよ」  
「あ、そうか。ならいいわ、お母さんも好きよ」  
そういうと魚月が満面の笑みを顔中に浮かべた。胸の奥が甘く痺れる。  
「それにね、あなたの事も好き」  
魚月がノインの目をまっすぐ見ていった。鼓動が速くなる。好き、という言葉が  
頭の中でこだまする。彼女の、まろんの面影が魚月に重なりたまらなくなって顔を  
伏せた。  
「あなたは、どう思っているのかな。聞かせて?」  
そんなノインの様子を見た魚月がもう一度甘く微笑んだ。胸が痛む。  
 
 
アナタノコトモスキ。  
たかだか二十分前に知り合ったばかりの男に吐き捨てる台詞じゃないだろう、と  
魚月の軽軽しい言動には怒りに近い感情を覚えた。  
「なんかねー、初めて会った気がしないの」  
魚月が楽しげに微笑んだ。彼女そっくりの顔で、彼女そっくりの声で。  
「魚月、あまり軽軽しくそのようなことを」  
言うものではない、と続く台詞を遮って、柔らかい声が降ってきた。  
「ただいまー。魚月、お客さんならちゃんと連絡しなさいっていったでしょ」  
振りかえると、彼女が立っていた。  
「ノイン……?」  
「……お久しぶりです、まろん」  
異様な空気が漂った。気まずい、と形容するのが一番いいのだろう。  
「家の前にいたのよ。入りにくそうにしてたから上げちゃった」  
淀んだ空気の中、魚月だけが得意げに微笑んでいる。  
「……魚月、悪いんだけどちょっと席外してくれる?」  
「やだ。私もノインと喋りたい」  
魚月、とまろんが悲しげに囁いた。その声に胸が苦しくなる。  
どうしてこの男と一緒にいるの、という彼女の怒りと悲しみが透けて見えている。  
 
「わかった。でも後で私も来て喋るからね。ノインも帰っちゃやだよ」  
それだけ言うと魚月はそっとリビングから出て行った。階段を上がる足音が  
遠のくと、まろんはかすかに微笑み、でもすぐに俯いた。  
「久しぶりね……最後に会ったのは魚月が生まれた時だったかしらね」  
「はい。なにもお変わりなさそうで」  
ノインの台詞に、まろんは自虐的な笑みを浮かべて呟いた。  
「あなたはね。でも私はもうおばさんだし魚月は中学生よ。変わらないはずないじゃない」  
「……迷惑でしたか」  
ノインの問いにまろんが柔らかく苦笑し、首を横に振る。  
「いいえ。会えて嬉しいわ。手放しで喜べなくてごめんなさい」  
そう言った唇や頬にはあの頃の輝くばかりの若さはなかった。その代わりに落ち着いた、  
やわらかな色気に満ちて正直戸惑ってしまう。  
求めるものの違い、だろうか。聖女の面影を求め続けていたならば、確かに今の彼女に  
魅力を感じなくなっても仕方がない。しかしあの頃は彼女自身を愛していると  
自負していたのに。自分の現金さや軽薄さに泣きたくなった。  
「魚月は……いい子ですね。素直で、明るくて」  
ノインの一言に、まろんの顔がぱっと輝いた。娘を褒められて嬉しくなったのだろう。  
「ありがとう。でも、変わった子でしょう?」  
「ええ、あ、いえそうじゃなくて」  
思わず本音が出てしまい焦っていると、まろんが声を上げて笑った。  
「いいのよ、遠慮しないで。ほら、私も稚空も家族らしい家族の姿を知らないでしょ。  
だからどうしていいものか分からなくて。でも、いい子なのよ。愛される事が  
どれだけ尊いのか、ちゃんと分かっているから」  
そういうとまろんが笑みを浮かべた。今まで見た中で一番綺麗な笑みだった。  
 
おわった?と魚月がドアを細く開けて声を掛けてきた。  
「えぇ。魚月、送っていってあげたら?」  
まろんが一方的に話を切り上げ、ノインを振り返った。少し残念な気がした。  
「ノイン、いい?」  
まろんが子供のお守りを頼むような気軽さで訊ねてきた。彼女にいい格好が  
見せたくて思わず頷いてしまう。  
「いいですよ。魚月、頼んでもいいですか?」  
魚月が嬉しそうに頷いた。細い腕でノインの腕を取り、席から追い立てる。  
「ねぇ、それじゃあ行こうよ!」  
「あ、じゃあ、失礼します」  
ノインが頭を下げると、まろんが目元をやっと緩め、さようならと呟いた。  
 
「ねぇね、何はなしてたの?」  
魚月が腕にすがりながら、訊ねていた。  
「いえ、これといっては……気になりますか?」  
確かに自分の母親が見知らぬ男と二人きりで話しているなんて思春期の少女に  
してみれば気持ちいいものではないのだろう。  
「だって」  
そこで言葉を遮ると、魚月はノインの首に腕を廻し、伸び上がって自分の唇を  
ノインのそれに押し付けた。  
「私、ノインのこと好きになったから。さっきも言ったでしょ?」  
驚きに目を見開いてるノインを横目に、魚月は誇らしげに笑った。  
 
 
それから一週間ほどの後の夜。ノインが目を覚ましたのは日がどっぷりと暮れて  
からだった。魚月にキスされて以来行っていなかった散歩を、その夜はなんとなく  
ひかれる思いで、ノインはいそいそと家を出た。  
「あぁ!ノインいい所にきた!」  
あの白い家の前には真夜中にもかかわらず魚月が一人で立っていた。  
「な、つき……?」  
「そうよ。誰だと思って?」  
魚月が少女にしては艶っぽい笑みを湛えてすがり付いてきた。驚いて手をひっこめても、  
細い腕をノインの体中に廻して、離れない。  
「ねぇね、面白いもの見せてあげるわ。入って!」  
「面白いもの?」  
そうよ、と魚月は得意げに胸を反らし門の中に駆けて行った。  
「魚月!」  
「あん、もう早くしないと終わっちゃう!急いで!」  
魚月はためらっているノインの元へひらりと舞い戻ると腕を引いて家の中に招き入れた。  
 
連れて来られたのは何の変哲もないドアの前だった。  
「これは?」  
「シッ、見つかったら困るの」  
魚月は物音を絶対に立てないようにと囁くと、音を立てずにドアを細く開けた。  
覗いてみて、と魚月は声に出さずに言うと、頬を紅潮させながら隙間から室内を  
熱心に見ている。ノインも戸惑っていたが、魚月がそこまで夢中になるものなら、と  
付き合い程度の軽さで中を眺め、絶句した。  
 
室内は薄暗く、小さな灯りが中にいる人物の影をかすかに揺らす。  
中からは女の高い声と、男の低いうめき声が聞こえた。  
位置の関係でちょうど見える女の背中は白く滑らかで、背にかかる長い髪が  
静かに踊っていた。  
「魚月……」  
「へへ、綺麗でしょ?私のお父さんとお母さん」  
魚月は得意げに口の端を持ち上げ、愛しそうに中の光景に見入った。  
父母のこのような行為を何かのイベントの一環のように思っているこの娘の  
魂の無邪気さや歪みにはどこか恐ろしさと逆説的な色気に満ちていた。  
「魚月、こんな事をしてはだめです。行きましょう」  
かすれた声のノインが魚月の袖を引くも、彼女は断固として動こうとしない。  
「魚月」  
魚月が振り返った。睨むように眉間と鼻に皺を寄せ、低く囁く。  
「ノインのせいで気分が萎えた。最低」  
後ろ手でドアをしめ、魚月はノインの腕を引き新たな部屋に押し込んだ。  
 
そこは魚月の部屋と思しき洋室だった。品のいい調度品でまとめられていて、  
両親の愛をどれほど受けているかが容易に伺えた。  
「魚月、あのような事をいつも誰かに見せびらかせているのですか?」  
「……だったら?」  
魚月が上目遣いに訊ねてきた。反射的に手が伸び、彼女の白い頬を張る。  
「……っ!」  
魚月が大きな目を眇め、今度は完全に睨みつけてきた。  
「なにするの?」  
「あ、その、すいません」  
魚月はつかつかとノインに近寄ると、ぎゅっと抱きついてきた。  
「冗談よ。いつも一人で見てる。だってあれは私の宝物の光景だもの。  
でもね、ノインは特別。大好きよ、ノイン」  
魚月は赤く腫れた頬をノインの胸に擦りつけ、廻した腕に力をこめる。  
その仕草が急に愛しくなり、思わず抱きしめ返してしまう。  
「ノイン、はお母さんの事。好きだったのよね?」  
魚月がノインの目を覗き込んで訊ねて来た。どう答えていいか解らず、かすかに  
頷いてみせる。  
「お母さんと……セックスしたことあった?」  
「え?」  
「教えて。あったの?」  
視線の鮮烈さに負け、目をそらした。が、魚月はそれを許さず、  
小さな掌でノインの頬を包み、自分に視線を向ける。  
「……未遂、は一度だけ。けれども最後までは一度も」  
それを聞いた魚月はノインの胸を押し、体を離した。それから泣きそうに顔を歪めて  
囁いた。  
「お母さんは、受け入れたの?」  
「いえ、その、強引な形の……気持ちの通じないものでしたから」  
そういうと魚月は急に顔を輝かせ、にっこり微笑んだ。花が開くような、  
美しい笑顔で、きっぱりといった。  
「ならその罪滅ぼしの意も含めて、私のことを抱いてください」  
 
「あ、言い方が悪かった?だったら『お母さんへの断ち切れない思いを昇華させる  
ためにも、私のこと抱いてもいいわよ』にしてあげる」  
魚月が幼さの残る笑顔で、さらりと言った。驚きに目を瞠るノインに伸び  
上がってキスし、腕を廻す。  
「私はノインが好きよ。ノインは私が嫌い?」  
「嫌い、などではなくて……」  
ノインが戸惑ったように視線をそらした。明らかに動揺しているノインの弱みに付け込み、  
甘い声で言う。  
「私、お母さんによく似てるから顔だって好みでしょ?胸だってね、みんなよりも  
おっきいんだよぉ。それに……」  
そこで言葉を切ると、魚月が悪戯っぽく微笑んだ。それからノインの腰や胸、そして  
先ほど見た光景の名残で固くなった自身をそっとなぞり上げながら熱っぽく囁く。  
「……さっきの見てから、おへその下のほうがむずむずするの。  
ノインだってそうじゃないの?あんなの見て、平気でいられるの……?」  
魚月の赤い、赤い唇がノインの頬や首を辿り、滑り落ちていった。  
まだ男を知らない少女の稚拙な愛撫も、まろんに操を立てたために女の体に  
久しく触れていなかったノインにとっては相当の刺激だった。  
 
ワタシハ、ドウシタライイダロウカ。  
自分に縋りついている魚月の体の魅力は計り知れない。  
自分の最愛の人と同じ顔で、自分の成し得なかった『純潔を奪う』という行為が  
そのままにできる体をもっている娘。  
穢れのない白さはまろんの、もっといえばジャンヌの面影にも重なっている  
ようにもみえる。  
なにより、この娘を抱けば自分の長年の呪縛から逃れられるのだ。  
彼女を奪った男への憎しみと、自分からの気持ちを無視した女への。  
ふと脳裏に幸せそうに微笑む彼女の姿と傍らに立つ彼の姿が浮かんできた。  
途端に気分がささくれ立ち、腕に力がこもる。  
 
いつまでも沈黙しているノインに焦れたのか、魚月がするりと衣服を脱いだ。  
「何を!……っやめなさい!これ以上すると本当に何をするか……!!」  
魚月の行為にノインが驚いていると、彼女は何のためらいもなく  
自分の身を包んでいた下着を落とした。たわわな両胸は宙で震え、  
すべすべとした下腹や脚は青白く光って見えた。  
「……っ!!」  
 
 
そこから先はもう夢中だった。切れた理性の糸を結びなおすのは容易なことではない。  
どうにかやり過ごそうとしても、彼女の体や表情に煽られ、止まらなくなる。  
「ノイン」  
魚月が瞳を潤ませ、細く囁いた。  
「……きて……」  
 
 

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