正門をくぐったところで、本鈴が鳴り出した。  
「「「おはようございます!!!」」」バタバタと足音高く、3人は教室に駆け込んだ。  
「3人とも、遅いザマスよ。何やってたザマスか?」  
「す・・・すみません・・・」息を切らせてまろんが教師に軽く頭を下げる。  
同じく息を切らせた都は、教室の一点を見ると、声を張り上げた。  
「アンタ・・・!どうして先に来てるのよ!!」  
「東大寺、うるさいザマスよ!」  
都には、教師の声なんてろくに聞こえていなかった。  
視線の先には、顔の前で両手を合わせた水無月がいた。  
 
休み時間。  
「もー!3人で時間ギリギリまで待ってたのよ!」  
「本当にすみません・・・。僕も時間ぎりぎりだったんですよう・・・」  
仁王立ちで怒っているのは勿論都で、ひたすら謝ってるのが水無月。  
水無月曰く、寝坊して支度に手間取ったため、直接学校に行ったとの事。  
マンションに寄ろうかとも思ったが、恐らく都たちは先に学校に向かっただろう・・・と。  
「もう!ホントに心配したんだからね!途中で事故にあったんじゃないかとか!」  
「でも、水無月くんが遅刻ぎりぎり・・・って、ものすごく珍しいよね」  
都の怒りの矛先を向けようと、まろんがやんわりと話を変えた。  
「夜更かしでもしてたのか?模試対策とか?」  
「うぅ・・・。そういえば、模試近いよねぇ・・・」あちゃー、という表情で都が苦い顔をした。  
「でも、ま、明日は皆で・・・」  
「その事ですが・・・」まろんの言葉を遮り、水無月は俯きがちに言った。  
 
「僕、明日から直接学校に行こうと思います」  
 
「都ちゃーん。電話使ってもいーい?」  
「あ、ゴメンお母さん」  
その日の夜、都は自宅の電話機の前でぐるぐる回っていた。  
あの後チャイムが鳴り、話は途中で終わってしまった。だったら放課後・・・と思っていたが、  
当の水無月が委員会に出てしまい、真意を聞き出せないまま今に至っているのだ。  
受話器を握り締めては、ため息混じりに元に戻す。  
もう何回繰り返しただろうか。  
部屋に戻っても、気分がすっきりしないのは、水無月の真意が分からないからだ。  
「まろんや稚空はもちろん、私・・・も、嫌われるようなことしてないよね・・・?勉強が忙しいから?  
それとも何か理由があって・・・?」何度も同じ事を考えながら、その日は眠りについた。  
 
次の日の朝、3人で並んで歩いてみたが、どうにも違和感がぬぐえない。  
いないはずの隣が気になって仕方がない。待ち合わせ場所に姿がないのも落ちつかない。  
休み時間や放課後に水無月を捕まえようとしても、上手いことはぐらかされてしまい、真意を  
聞き出せない日々が続いている。  
「私、避けられてる・・・?」と最初は戸惑っていた都だったが、1週間も経てば、  
「冗談じゃないわよ!今日こそとっ捕まえてやるわ!」に変わるのは自明の理と言った所だろう。  
そして、10日目。  
「捕まえた!」  
「東大寺さ・・・」  
「ちょっと、こっちに来なさい!」放課後、足早に教室を出ようとした水無月の腕を掴み、有無を言わさずに  
都は後者の裏手へと引きずっていった。  
 
「さぁ!ちゃんと言いなさい!ここなら誰も邪魔しないわよ!」  
水無月をコンクリートの壁に押し付けて、都は一気にまくし立てた。  
「東大寺さん・・・。男女の立ち居地が逆ですよ・・・」  
「うるさいわね!今日こそはぐらかされないわよ!」水無月の両手首も壁に押し付けて、顔を寄せた都に、  
水無月は顔を背けた。  
「委員長!ちゃんと私の目を見なさいよ!失礼でしょ!」  
「・・・・・」  
「さあ!」  
「・・・・・」  
諦めた水無月は、一つため息をつくと、まっすぐに都を見た。  
 
「・・・僕は、ずるい人間なんです」  
「はぁ?全然わかんない。何が言いたい訳?」  
水無月の両手首を掴む手にも、力が入る。  
「東大寺さん、痛いですよ。ちゃんと話しますから・・・」  
半分鳴きそうな声で言われたので、都は掴んでいた手を慌てて離した。  
 
「僕、国立の大学を目指すんです」  
「国立?」  
「そうです。だから来月からは始業前と放課後は図書館に詰めて勉強することにしました。  
だから、登校も下校も、東大寺さんとは別になります。3年生になったら、国公立系のクラスに入るから、  
来年はクラスも別になりますね」  
「・・・・・・」  
「逃げるつもりはなかったんですが、東大寺さんが一生懸命追いかけてくれるのが、嬉しくて、つい・・・。  
すみませんでした」  
「・・・・・・どうしてそんなに淡々と話すの?」都の目にだんだんと怒りの色が現れてくる。  
「え?」  
驚いた水無月に、都は一気にまくし立てた。  
「『え?』じゃないわよ!何よそれ!『私とはもう全然会えませんよ』って事?」  
「東大寺さ・・・」  
「クラス編成の事は仕方ないわよ!でも何でそんなにあっさりしてるのよ!」  
(私、何言ってるの?)  
「私、すごく悩んだんだから!嫌われるような事したんじゃないか、とか!」  
(ちょっと待って、これじゃ・・・)  
「委員長にとって、私と離れることは、そんなに大したことじゃな・・・」  
言い終わらないうちに、片腕を引っ張られた。体勢を急に崩された都の言葉が途切れた。  
「東大寺さん・・・。僕が離れるのが、寂しいんですか?」  
違う、と言おうとして顔を上げると、すぐ間近に水無月の顔があった。  
水無月に壁際に追い詰められた都は、互いの立ち位置が逆転したことに激しく動揺した。  
 
「委員長、何するのよ!どいてよ!」都は水無月の胸元を両手で押した。  
だが、びくともしない。こんな風に迫って来られた事など勿論ないので、恥ずかしさで都の  
顔は真っ赤になってしまった。そして、頭の中では自分の言った言葉で混乱していた。  
(委員長がこんな行動に出るなんて・・・!やっぱりさっきの言い方じゃ・・・)  
「・・・東大寺さんが怒ったのは、僕が隠し事をしていたからですか?その内容ですか?」  
(やば・・・)  
「委員長、あのね・・・」  
「東大寺さんは、僕が離れるのを、嫌だと思ってくれるんですか?」  
(・・・ああ、やっぱり・・・)  
誤解された。今の都の言い方だと『離れたくない』と水無月が解釈するのは当然の事だ。  
「東大寺さんと名古屋君の間に何かがあった事は、察しがついてました。そして東大寺さんが  
傷に触れないようにする為に僕を利用していた事も、気づいていました」  
「!」都の顔から一気に血の気が引いた。水無月をどかそうと一生懸命だった両手が、力を  
失ってダラリと下がった。目を合わせる事も出来ず、足元を見ながら弱々しく声を出す。  
「・・・委員長、それは・・・」  
「僕は、東大寺さんの傷が少しでも軽くなればと傍にいました。利用されるのも嬉しかった。  
そして、あわよくば自分の方を向いてくれないかと思った。『ずるい人間』と言ったのは、そういう事です」  
やっぱり水無月は気づいていたのだ。都の失恋も、立ち直るために利用されていた事も。  
「ごめんなさい・・・」小さく、小さくつぶやく声。真下を向いた都の両頬に手を沿え、水無月はゆっくりと  
都の顔を上げた。目をそらす都に、優しく告げる。  
「言ったでしょう。相手が貴方だから、利用されても嬉しかった。それに、弱みに付け込もうとしたんですから、  
ずるい人間なんですよ、僕は」  
「委員長・・・」  
「僕は、貴方が好きです。強気なくせに、ちゃんと人の気持ちを考えてくれる貴方が」  
そこまで言って、水無月は都の頬から手を離した。きびすを返して校舎へ向かう。  
2、3歩踏み出して、笑顔で都を振り返った。  
「明日からは学校内ではいつもどおり、傍にいさせてくださいね。進級まで弱みに付け込ませてもらいますから」  
その笑顔に、都は安心と、何かほんの少し、違和感を感じた。  
「・・・返事、聞かないの?」  
「聞かなくても分かっていますから」  
 
少し先を行く水無月の後を追って、都はとぼとぼと校舎に向かって歩いた。  
頭の中水無月と、そして自分に対する疑問で一杯だった。  
  (どうして『嫌だと思っているかどうか』はっきりさせないの?)  
 (どうして途中で会話を打ち切るの?)  
 (どうして返事を聞かないの?)  
 (どうして・・・)そこで都は足を止めた。  
「どうして・・・」  
「どうかしましたか?」  
「ううん、なんでもないわ。私、先に教室に戻るね。さよなら」  
振り返る水無月と目をあわさずに、都は一気に教室へ戻ると、鞄を掴んで学校を後にした。  
駆け出して弾む息。跳ねる鼓動。それは走っているからだけじゃない。  
マンションが見える位置まで一気に走り、そこで足を止め、息を切らせながら思うことは。  
「・・・どうして・・・私・・・。あの時、何を言おうとしたの・・・?」  
 (私・・・は、委員長が傍にいないと・・・さびしい・・・の?)  
鼓動が早いのは。  
「好きだと言わ・・・れた・・・から?」口に出すと、顔が熱くなる。以前に告白された時とは、  
明らかに体の反応が違う。  
「まさか、ね。そんな訳ないじゃない」エレベータの中で一人、壁にもたれて、都はひとりごちた。  
 
それから季節は少し流れ、春まだ遠い2月初め。  
「東大寺・・・これじゃ春休みは全部補習でつぶれちゃうザマスよ?」  
「ええっ!そんなぁ・・・」  
職員室に呼び出された都は、担任より成績についての叱責を受けていた。  
どうやら今までの成績が芳しくないらしい。  
「ふぅ・・・。学年末のテストで、英数は最低60点台は必要ね。それ以外は、ま、何とかなるでしょう」  
「60点!?そんなのムリです!」  
「馬鹿言わないの。春休みなくなってもいいの?」  
「うう・・・」  
春休みにはまろんたちと小旅行へ行く約束もある。  
今回ばかりは落とせない。そう思い、都は普段訪れることのない図書館へ足を運んだ。  
家に帰っても気が散って勉強が出来ないからである。  
 
図書室は土足厳禁の為、下駄箱で靴を脱ぎ、空いている席を探す。  
学年末が近いせいか、席はそれなりに埋まっている。  
窓際の日当たりのいい場所に目をやって・・・。  
 (委員長・・・)視線がとまった。  
無意識に、都はそっと、彼の傍へ歩きはじめる。  
 
窓から差し込む優しい光に当たる、淡い髪色。  
教科書とノートを交互に見やる、真剣な眼差し。  
 (こんな表情もするんだ・・・)  
とくん。  
胸が少し弾んだ気がする。  
 
傍によると、視線に気づいたのか水無月が顔を上げた。  
小声で、隣に座るよう促してくれる。  
「どうしたんですか、図書室に来るなんて珍しいですね」  
「うん。今度ばかりはしっかり勉強しないと、春休み返上だって先生が」  
「だったら頑張らないといけませんね」柔らかく微笑む表情。  
とくん。  
さっきより確かに、胸が弾む音がした。  
 
それから毎日2人は図書室で顔を合わせた。  
水無月はもともと放課後は殆ど図書室に詰めていたらしい。  
都はまったく寄り付かない場所だったので、今まで授業後は会えなかったのだ。  
「ここはこの公式を使って・・・」  
「なるほどね」  
自分の勉強もあるはずなのに、都の勉強まで嫌がらずに見てくれる水無月。  
「よくできました」  
彼が笑ってくれると嬉しい。勉強そのものよりも、笑顔が見たいから、都は  
真面目に問題に取り組んだ。  
 
結果、学年末の都の成績は、担任を満足させるものとなり、春休みは補習なし。  
晴れて、自由の身となった。  
そして明日は終業式。都は春休みの小旅行に水無月も誘おうと、いつもの図書館へ足を運んだ。  
 
教室を出て図書館へ向かう足取りは軽い。  
本をめくる音、ペンを走らせる音。暖かいガラス越しの日差し。  
今となっては都お気に入りの場所だ。  
ドアを開け、女性司書に軽く会釈をして入ると、  
「水無月君なら今日はまだ来ていないわよ」と教えてくれた。行き違いになるとかわいそう、と気を  
遣ってくれたらしい。  
「そうですか・・・」いつも一緒だと思われているのが照れくさいなぁ・・・と思っていた都は、次の言葉で  
凍りついた。  
「たぶん職員室じゃないかしら?福岡の大学のことで先生と話をしているんだと思うわよ」  
 
「・・・何のこと?」  
「え?聞いてないの?」司書は明らかに"しまった"といった表情で都に尋ねる。  
「何のこと、って聞いているんです!」  
「ちょっと・・・落ち着いて」  
「落ち着いてなんていられないわ!職員室ですね!」  
うろたえた司書に見向きもせずに、都は職員室に向かって駆け出した。  
 
図書室と職員室の中ほどにある渡り廊下に差し掛かったときに、向こうから来る人影に気づき、  
都は足を止めた。  
「東大寺さん。そんなに急いでどこへ行くんですか?」  
「・・・・・・」  
「忘れ物ですか?先に行って席を取っておきますね」  
「・・・・・・」  
「今日は先に出されてる春休みの課題を片付けますか?・・・って、どうかしたんですか?」  
「・・・い・・・」  
「い?」  
俯いたままの都の態度がおかしいことに気づき、水無月が背をかがめて、都の顔を覗き込もうとした瞬間、  
渡り廊下に乾いた音が響いた。  
 
そこには、驚きの表情の水無月と、相変わらず俯いたままの都がいた。  
水無月をぶった右手を左手で押さえ込み、一気に感情を叩きつけた。  
「酷いじゃない!・・・どうして大事な事は後から知らされるの!?」  
「ちょ、ちょっと東大寺さ・・・」  
「私、委員長の決めたことにあれこれ言える関係じゃないのは分かってるわ!でも、どうして先に  
教えてくれなかったの?教えてくれてたら、私、ちゃんと理解できたし、応援も出来たわ!」  
その言葉に水無月の表情が『ぎくり』と、強張った。  
「東大寺さん・・・」  
「福岡でもどこでも行っちゃえば?委員長の馬鹿ぁっ!」  
それだけ言い放つと、都は水無月と目を合わせることなく走り去った。  
 
都は教室に置いてあった鞄を引っ掴み、足音高く校門まで一気に走った。  
校門脇の電柱に手をつき、息を大急ぎで整える。  
多少咳き込みながら、ぜえはあと肩で息をしている都の目からは透明な雫が零れ落ちる。  
「どう・・・して、私、泣いてる・・・の?」  
 
 (どうしてこんなに胸が痛いの?)  
委員長がいなくなる、只それだけなのに。それはまだ1年以上も先のことなのに。  
でも、卒業したら委員長とは会えなくなる。福岡なんて遠すぎる。  
 (行っちゃ嫌だよ)  
・・・行かないで。  
胸が痛い。  
そして、都はようやく自分の心に気がついたのだ。  
 
 (私は、わたしは・・・)  
自分が、水無月を好きになっている事に。  
 
自宅へ向けてとぼとぼと歩くうちに、雲行きがだんだん怪しくなった。  
今にも大粒の雨が落ちてきそうで、街行く人は降られまいと少し急ぎ足になっている。  
「こんな気分の時に、天気まで怪しくなるなんて、上手く出来てるわね」  
『人を好きになった』事に気づいた時は、もっと幸せな気分になれると思っていた。  
なのに。  
 (離れ離れになることが分かって、やっと気づくなんてね・・・)  
初めて好きだと言ってくれた人。自分をずっと優しく包んでくれた人。  
自分も相手を好きだと気づいたのに、1年後には別れの時が来る。  
 
マンションの下で、まろんと稚空に会った。  
「あれ?都今帰り?遅かったな」  
稚空がにこりと笑いかける。そして、もう一つ気づいた。  
(あんなに好きだった人なのに・・・)  
ここしばらくは、委員長との時間を優先する為に、殆ど稚空へ寄って行かなくなっていた事。  
登下校時に稚空とまろんとじゃれていても、ヤキモチを焼くこともなく、2人をほほえましく見ていた事。  
(自分が気づかなかっただけで、もうとっくに、吹っ切ることが出来ていたんだね)  
「・・・都?気分でも悪い?」様子のおかしい都に気づき、まろんがこちらに歩み寄ってきた。  
「え?全然平気よ?」力なく笑うが、幼馴染には通用しなかったらしい。  
「ウソおっしゃい!顔に書いてあるわよ」強い調子で言った後、  
「ねぇ、私で聞けることなら聞くよ?悩みごとでもあるの?」と、気遣ってくれる。  
 
だが、  
「やぁねぇ。何にもないってば!そんなヤワな都さんじゃありません〜」  
笑顔で意地を張ってしまう。どうしてもまろん相手だと、素直になれない自分がいる。  
まろんも心得ているようで、すこし寂しく笑いながらも  
「もう。ほんっとうに、何かあったらちゃんと相談してよね!」と会話を切り上げてくれた。  
「うん」  
「あ、そうだ。水無月くんに旅行の話、してくれた?」  
「・・・あ」忘れてた。  
「だったら、夜にでも俺が電話しておくよ。明日には旅館に予約入れたいしな」  
「稚空。委員長には私がちゃんと話しておくから心配しないで?」  
「そうか?」稚空が少し怪訝そうに聞き返す。  
自分の声のトーンがいつもと違うからだろう。明るい声を作っているのが、稚空にもバレているに違いない。  
「そうよ。・・・それに、他に伝えなきゃいけないこともあるから」  
ムリに笑顔を作って、そのまま二人と別れた。  
 
そのまま夕方になった。都は自室でぼんやりと外を眺めていた。  
「そろそろ自宅に戻ってるかな」時計は午後5時を指している。図書室は4時半閉館だ。  
 (ちゃんと言わなきゃ)  
いきなり殴ってごめんなさい。  
旅行の計画があるんだけど、委員長も一緒にどう?  
・・・それと。  
 
「行かないで、って言っても許されるのかな・・・」  
両思いになった途端、1年というリミットが設定される恋愛。  
行かないで、って言うのは簡単。でも言うのは我侭。  
そんなことを悶々と考えていたが。  
「せめて、ちゃんと伝えなきゃ。自分の気持ち」  
電話じゃきっと、上手く言えないし、このまま明日顔をあわせるのも気まずい。  
外を眺めると、ぱらぱらと、雨粒が落ちてきている。  
「雨、かぁ・・・。でも、行かなきゃ」  
オレンジの傘を手に、都は水無月の家へ向かうことにした。  
好きだと伝える為に。  
 
雨はしとしとと降り、都の体を少しずつ冷やしていく。  
「ちょっと寒いかな。でも頭が冷えて丁度いいかもね」少し笑って、水無月の家へ急ぐ。  
電話で在宅を確認すればよかったのだが、電話では上手く話せないと思い、  
直接家へ向かうことにしたのだが・・・。  
「会ったらなんて言おう・・・。どれから言えばいいのかな」  
考えれば考えるほど混乱してしまう。  
そうこうしている内に、水無月の家が見えてきた。  
「相変わらず大きな家ね〜。・・・ん?」  
以前遊びに来たときよりも、家の様子がしん・・・としすぎている。玄関周りに置かれていた小物も  
1つも見当たらない。まるで誰も住んでいないかのように、寂しく見えるのだ。  
そして、ガレージ内に置かれている多数のダンボール箱。  
「まさか・・・」  
 
嫌な予感がする。  
この家には誰もいないのではないか。水無月も、その家族も別のところにいるのではないか。  
そういった静けさが、ここにはある。  
迷ったが、とりあえずインターホンを押してみた。  
・・・1回。  
しばらく待って、もう1回。しかしインターホンを押しても反応がない。  
「本当に誰もいないの?」只の不在ならともかく、空き家にも見えるその殺風景さに、都はかなり動揺している。  
少し待ったが、家の中に人の気配はない。明日事情を聞いてみようと思い、諦めて自宅に戻ろうとした時、  
「東大寺さん?」後ろから声が聞こえた。少し高めの、優しい声がした。  
「・・・委員長・・・」  
 
「急に来てごめんなさい、あの・・・っくしゅん!」3月に入っているとはいえ、雨の日はまだまだ肌を刺す寒さだ。  
雨の中、傘一つでずっと外にいたので都の体は冷え切っている。  
「とりあえず、家へ入りませんか?体を温めないと風邪を引いてしまいますよ」と、促され、都はそれに従った。  
水無月がポケットから鍵を出す。都が旅行に行った時のお土産にと以前渡したキーホルダーを見て、  
少し嬉しくなった。・・・が。  
「あの、お家の人はお留守なの?」  
玄関に入り、靴を脱ぎながら都は恐る恐る聞いてみる。  
「ああ、この家、誰も住んでいないんですよ。殺風景でしょ?」さらりと言う水無月に、  
「どういう事?」都は思わず詰め寄った。  
「ちゃんと全部お話しますから、とりあえず僕の部屋へ行きましょう」そんな都に苦笑いしながら、  
水無月は『2回の自室で待つように』告げ、そのままキッチンへと向かった。  
 
「やっぱり荷物がない・・・・」以前、まろんたちと水無月の家に遊びに来た事があるのだが、その時と部屋の中の  
様子が様変わりしていた。誰も住んでいない、という言葉の通りだ。ベッドと学習机はかろうじてあるが、本や  
こまごました一切のものが消えていた。  
 (まさか、高3から福岡に引っ越す・・・とか言わないわよね・・・)一人で待っていると不安がつのる。  
水無月に気持ちを伝えるつもりで来たはずなのだが、その事よりも『無人の家』にいる状況の方が気になって  
仕方がない。  
 
「お待たせしました」ノックの後、水無月は手にマグカップを持ち、部屋に入ってきた。  
手渡されたコーヒーで、ひとまず体を暖める。  
「すみません。ベッドしか座るところがなくて」そう言って、水無月は都の座るベッドではなく、学習机用の椅子に  
腰掛けた。  
「もう少ししたら、エアコンも効いてくると思いますから、それまではすみませんがひざ掛けで我慢してくださいね」  
すこし困ったように笑う。水無月も、突然の来訪者に少し戸惑っている。  
「・・・さて」その言葉に都も俯いていた顔をぱっと上げた。  
「何からお話しましょうか」  
 
何から聞いたらいいのだろう。  
何から言えばいいのだろう。  
福岡行きのこと?この殺風景な家のこと?それとも自分の気持ちのこと・・・?  
今更、答えを返して、受け入れて貰えるかどうかということ?  
いざ、という時になって、都は何も言えなかった。  
言えば、一気にいろんな事が、いろんな気持ちがあふれそうだった。  
 
沈黙が続く。外の雨の音と、エアコンの空調の音だけが部屋を支配している。  
結局何も言えなくて、都は、水無月の顔をただじっと見つめるしかできなかった。  
都の視線をしばらく受けていた水無月だが、つぃ・・・と立ち上がって、窓際へ向かった。  
「この部屋、本当に殺風景でしょう?びっくりさせてすみません」  
都の肩が、びくっと震える。  
 
「実は、僕の両親は、今年から福岡で生活しています。年明けからずっと、僕はここで、一人で住んでいました。  
ですが、一人で住むには広い家なので、アパートを借りる事になったんです。もう殆どの荷物を運び終えて、  
ここでは寝るためだけに戻ってるんですよ。今週末にベッド等を運んだら、引越しも終わりです」  
水無月は、都の視線を背中で受けながら、話を続ける。  
「本当は4月から福岡の高校へ転入する予定だったんです。でも、卒業までここにいる猶予を貰いました。  
もう少し、ここにいたくて」  
「・・・・・・何故?」都の声が震える。寒さではなく、緊張で。  
「傍にいたい人がいるから」その言葉は冷えた部屋に静かに響いた。  
「東大寺さんの傍にいたいから。傍で、一緒に笑ったり怒ったりしたいから。悲しい時には少しでもその悲しみを  
和らげてあげたいから・・・好きだから」  
「・・・!」マグカップを包む両手も、緊張で震える。  
「以前、ぼくはずるい男だと言いましたよね。あれは本当なんですよ。そうやって、優しい人のフリをして、実は  
東大寺さんの心変わりを待っている。答えを求めないのも、断られるのが怖いから。断られさえしなければ、  
僕はまだ傍にいられる・・・。そういう計算ずくの行動なんですよ」  
 
「なっ・・・!」思わぬ話の展開に、都は水無月の背中を凝視した。彼の表情が見えないことに唇を噛みしめる。  
「でも、全部話しちゃったから、この関係も終わりですね。・・・こんな奴ですみませ・・・」  
「ちょっと待ってよ!」  
「え・・・?あ痛っ!」  
「どうしてそうやって自分ひとりで完結しちゃうのよ!」  
立ち上がった都は水無月の後ろに立ち両こぶしを背中に叩きつける。何度も、何度も。  
「言い切った自分はさぞかし気持ちがいいでしょうよ!でもそんなの逃げてるだけじゃない!言いたいことも  
言わせて貰えないままの私はどうすればいいのよぉ!」  
「ちょ・・・東大寺さ・・・ホントに痛・・・」  
水無月の背中を叩いていた手が止まり、言葉が途切れた。  
「・・・・?東大寺さん・・・?」  
「ちょっとこっち向きなさい!」  
左手を思いっきり引っ張られ、体勢を崩しながら水無月は都の方に向き直る。  
「あの・・・」  
「目ぇつぶって、歯を食いしばりなさい!」  
「えぇっ!」  
「早く!」  
「はいっ」  
ぎゅっと硬く目を閉じた水無月の頬を、都は両手で思いっきりひっぱたいた。  
先日叩いた時よりも、手加減無しで。  
「痛いですよっ!」  
「当然の報いよ!いい?ちゃんとこっちを見て」  
言うと、都はかかとを少し浮かせる。  
震えた掌をそっと、水無月の頬にあて、唇に、自らの唇をそっと寄せた。  
触れたか触れないかくらいの、優しい口付けだった。  
「私・・・委員長の事好きだよ?私こそ、委員長の優しさに甘えてばかりで、ずるい女だって思ってた。でも、  
委員長のことが好きだって気づいたから、今日、ちゃんと言おうと思ってここに来たのに、返事させて  
貰えないんだもん・・・。ついひっぱたいちゃったじゃない・・・」  
火が出そうなくらい真っ赤な顔のまま、都は水無月にそっと寄りかかる。  
やや迷うそぶりを見せたのち、都の背中に恐る恐る、水無月の両手がまわされた。  
 
お互いの体温が、近くに感じる。  
布越しに、心も、体も暖かくしてくれる存在がいる。  
「長い間、ごめんね。ずっと傍にいてくれて、ありがとう」  
水無月の胸に顔をうずめて、都がひそかな声で話す。  
少し強く頭を押しつけると、思ったより大きな掌が、よしよしと優しく撫でてくれた。  
「僕の方こそ、逃げることばかりですみませんでした。いつまでも意気地なしで・・・」  
「そんな事ないよ。自分で自分を貶めちゃダメよ」  
「東大寺さんて、普段は本当に強気なのに、実は誰よりも人のことを考えてる。そんな人だから、僕は  
あなたを好きになったんですね」クスリ、と笑って、水無月はまわした腕に少し力を込めた。  
「・・・もう1回、言って?」  
「え?」  
「好きだ、って。言って?」俯いたまま、ひそかな声で話すと、  
「何度でも、言いますよ」頭の上から優しい声が降ってきた。  
 
どきどきする。自分の心臓の音が、聞こえそう。  
顔も多分、どうしようもないくらい真っ赤に違いない。  
・・・でも。  
「東大寺さん、顔を上げてください」  
その声に、都は俯いていた顔をあげた。  
「・・・東大寺さん。ずっと、これからもあなたが好きです」  
自分を見る水無月の、優しい声。そして優しい表情。  
涙が出そうなくらい、嬉しい。  
 
ゆっくりと都は瞳を閉じる。  
唇に、優しい感触が訪れたのは、それから少し後だった。  
 
優しいキス。  
ゆっくりと、目の前の愛しい人の存在を確かめるような。  
そっと触れては離れ、互いに見詰め合ってからもう一度口づける。  
 
「大好き。委員長・・・」都の目から、透明な雫が零れ落ちる。  
「東大寺さん・・・」水無月は、こぼれた涙を唇でついばむ。  
目元に、頬に、そして唇に戻って、また頬に。  
都を仰向かせ、顎から首筋を伝う涙に唇を寄せる。  
「ん・・・っ」都の体がぴくん、と跳ねた。  
 
好きだから。  
嬉しいから。  
そして、離れたくないから。  
「泣かないで下さい・・・」  
「だって、私・・・」悲しいから泣くのではないことは、勿論水無月も承知している。  
目の前の人に、もっと自分の気持ちを伝えたい。感情も体温も、自分を全部伝えたい。  
そして、相手の全部を自分に伝えて欲しい。  
互いを抱く腕の力が強くなり、言葉もなく行為は深くなる。  
愛しているから。  
 
 

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