「ぁう…や、ぁ…」  
休日の夕方、マンションの一室――日下部まろんの部屋では  
精一杯の理性で自分の欲望を押さえ、割れ物を扱う様に恋人の身体に触れる青年と、  
今にも泣き出してしまいそうな表情で唇を噛み締める――唇が切れてしまうから、  
そんな風に我慢なんてするな、と優しい恋人は言ってくれたが――少女がベッドに横たわっていた。  
柔らかく胸を愛撫していた青年の手が、スカートの裾から入り込み  
少女の白く華奢な足をマッサージしつつ徐々に上へと上がってくる。  
はぁ、と緊張のほぐれか又は心地よさからか、少女の口からため息が漏れた。  
青年が行為を先に進めること無く、そのまましばらく太腿を揉みほぐしていたのは  
躊躇いと不安のせいであるという事がその表情から読み取れた。  
しかし少女はうつ伏せになっており――かろうじて顔は横を向いているが――  
恋人の表情には気付いていないと思われた。  
やがて青年は意を決したように、その手をそっとショーツの上に滑らせた。  
その動きにピク、と少女の身体が跳ね、目がきつく瞑られた。  
「…まろん」  
柔らかく名前を呼んだあとの、大丈夫か、と言う言葉はすんでのところで飲み込んだ。  
大丈夫な訳がないから。  
今だってまろんはこうして必死に堪えている。  
辛くて怖くて、彼女は今にも壊れてしまいそうなんだ。  
「稚空……どうしたの?」  
彼の心の内を読み取ったかのように、泣きそうな目でまろんが微笑んだ。  
その目を見ると辛くなる。  
「…何でも、ない」  
その声は絞り出したような、呟きに近かった。  
 
駄目だ。俺が不安になっちゃいけない。  
そう思うと同時に、じんわりと熱いまろんのそこに添えられた手を動かす。  
上下に往復し、触れるか触れないか程度だった指に少しだけ力を入れる。  
まろんの呼吸が先程までよりも早くなった。  
「ん、ぁ…はぁ、ぁ、…ぁんっ」  
特に敏感な場所を指で柔らかく転がしてやると高い声を上げ、まろんの身体が跳ねた。  
少し赤く色付く耳も、唇で、舌で、愛撫してやる。  
まろんが気持ち良さそうにとろけた表情をするから、少しだけ余裕が出て来て  
ベッドとまろんの身体の間に手を割り込ませスカートを脱がせようとした時。  
「ゃ…やだぁあっ」  
水分を含んだまろんの拒絶の声に、一瞬何もかもが止まったようだった。  
もちろん稚空も例外では無く、まろんのすすり泣くような声が耳に入るまでぼんやりとしていた。  
「ぅ、っ…ごめ、ん…ごめん、ね・…」  
その言葉に応えず、泣きじゃくるまろんの上から身を起こし、座ったまま彼女の着衣の乱れを手早く直す。  
いいよ。気にするな。まろんが悪いんじゃない。また次頑張ろう。こんなことなんでもないよ。  
俺は平気だよ。焦らなくたっていいじゃないか。  
まろんを慰める言葉はたくさんあった。  
でも、それのどれ一つとして稚空のまったくの本心を表すものではなかった。  
何も応えない稚空に、まろんが不安そうに口を開く。  
「き、嫌いに、ならないで…次は、がんばる、から…」  
泣いているから途切れ途切れに聞こえるまろんの言葉に、胸が痛くなる。  
「…嫌いになんてならないよ。大丈夫だから」  
「ち、稚空が、怖いんじゃない、の…怖くなんか、ない、の、に…」  
それなのに――――  
 
「もうわかったから。いいよ、怒ってなんかない」  
怒る事なんて出来るわけない。  
「とりあえず、今日は帰るよ。鍵閉めるの忘れるなよ」  
今の自分に出来る、精一杯の笑顔でまろんにそう伝える事が出来て良かった。  
本当は帰りたくなんて無かった。一秒だってまろんの傍にいて、その傷を癒してやりたい。  
でも、俺が傍に入ることはまろんの為にはならない。  
以前はごめんなさい、私が悪いの、と泣きじゃくるまろんを置いていく事なんて出来なくて一晩中そばにいた。  
触れるだけでまろんが怯えるから、抱きしめて安心させてやることも出来ずに。  
そんなもどかしい思いをする俺を見て、まろんは更に頑張ろうとした。  
抱きしめてくれる?  
キスなら大丈夫かもしれない。  
そんな言葉を無理して口にするまろんを見ている方が辛かったから。  
その俺よりまろんはずっとずっと辛い思いでそう口にしているだろうから。  
 
 
まろんがこうなったのは、ノインに犯されそうになってからだった。  
しばらくはショックで食事もとれず、可哀想なくらい泣いて、吐いて、痩せた。  
それでもしばらく経つと少しずつだけど、元のまろんに戻っていった。  
そして数ヶ月前のある日。  
もう大丈夫だと思うの。だから、私、稚空に抱いてほしい。  
まろんはそう口にした。  
今だったらわかるけど、それもきっとまろんの本心ではなかったんだろう。  
俺がまろんにキスしたり、迫ったりしなくなったから不安だったんだと思う。  
でも、その日のまろんは抱きしめて、キスするだけで限界だった。  
それさえも震えていて、それから先は顔を真っ白にして泣いていた。今日のように。  
それからも何回かこういう事があって、少しずつだけど前に進めている。まろんの気持ちを犠牲にして。  
 
名古屋稚空が自分の部屋に戻ったとき、まだ日は沈んでいなかった。  
はあ、と大きくため息を吐き自己嫌悪に落ちいってしまう。  
もちろんノインのことは憎い。前世の恋人だからと言ってまろんはあいつの物ではない。  
嫌がるまろんの声が聞こえなかった訳ではないだろう?まろんが受け入れていた訳ではないはずだ。  
ただ、それと同じ位自分がこういうときに焦らずにまろんを包んでやれない事も腹立たしい。  
表面上は優しい言葉をかけてやれても、心の底では早く抱きたくて堪らない。  
だから無理しているまろんに気付いているくせに誘いを断らずに、結果的に泣かせてしまうんだ。何度も何度も。  
それともう一つ―――  
そのときインターホンの音がなり、はっと顔を上げる。  
のろのろと立ち上がりドアを開けると、そこにはまろんの親友でもあり  
将来は婦警を目指すだけあって、正義感の強い少女――都がたっていた。  
「あ、ごめん、寝てた?これ、お母さんが作ったんだけど、良かったら夕ご飯に食べて?」  
見ると、手には温かそうなシチューが抱えられている。  
「いや、起きてたよ。いつも悪いな。ありがとう」  
そういって受け取ると、都はいいえ、それじゃあね、といって笑って帰ろうとした。  
「……都」  
呼びかけに、彼女の肩がびくりと震えた。  
「上がるか?」  
ゆっくりと振りかえった都の目には困惑と、ほんの少しの喜びが感じられた。  
そしてゆっくり首を縦に振り稚空の後について寝室へと入っていく。  
これが彼女の、そして彼のもう一つの罪。  
 
初めてこうなったのは、まろんとの2回目の行為も未遂に終わったときだった。  
あの時はもう少し遅い時間で、都は数学の課題を聞きにきた。  
都が玄関先で数学を教えて欲しいと言った時、稚空は酔っているようだった。。  
別に、未成年が飲むんじゃないわよとか、そういうことを言おうとしたわけではないけど  
稚空の目が悲しげに沈んでいるのを見た時、何とも言えない気持ちになった。  
無理に上がり込み、何とか稚空から訳を聞き出したとき、彼女の口は無意識のうちに言葉を発していた。  
身体だけでも、まろんの替わりにならない?と。  
稚空は目を白黒させ、そんなのはいけない、都が辛いだけだ、と彼女を説得した。  
それでも良かった。都は稚空が好きだったから。  
すごくすごく好きなのに、稚空が見ているのはいつもまろんだったから。  
何言ってるの、あんたは最低な女よ。まろんが哀しむわよ、と言う声が自分の中から聞こえた気もした。  
でも、都が稚空に抱きつき、酔い任せの稚空がそれに応えた瞬間その声は消えた。  
 
都をリビングに通し、何か飲むか?と聞くと、都はなんでもいいわ、と言って笑ってみせた。  
その顔付きがどことなくまろんに似ていて‥ 稚空はおもわず胸が苦しくなる。  
まろん‥今頃‥泣いてんのかな‥  
稚空がそう思ったとき、彼は入れかけていたコーヒーをこぼしてしまった。  
「あっつっっ!」  
幸い火傷はたいしたことはなかったが、心配そうに都が近づく。  
「大丈夫?」  
下から覗き上げる都に「‥入れなおさなきゃな。」と苦笑してみたが、都には「もういらない‥」と言われてしまった。  
「もう‥無理しないでよ‥私の前では強がらなくていいの‥」  
都はそのまま稚空にめいっぱい抱きついたが、稚空は抱き返せずにいた。  
「‥ねぇ、抱いて‥」  
都のその言葉に稚空はとまどったが、ふいに都が彼の頭をくい、と寄せ舌を割り込ませ、彼を求める。  
そんな都の強引な仕草に、稚空は、流されてしまおう、と思った。 というより、都の大胆な行動にそう思わされた。  
「都っ‥」  
都にとって稚空の腕は、とても心地良いものではなかったが、彼のその胸の隙間を埋めてあげたかった。  
「ベッド‥行こうか。」  
稚空に手をひかれ、二人は今日も、罪に溺れる。  
 
寝室のベッドに都を横たえ、その上に稚空が覆い被さる。  
それまでは二人とも、互いにどちらかが拒み、この関係が今日かぎりで終わるのを心の奥底で期待する。  
玄関先で帰ろうとするとき呼び止められないことを。  
上がるか?と尋ねても都が断ることを。  
「抱いて」という自分を稚空が拒むことを。  
そして二人にとって大切な人を裏切る行為に、自分自身の心が歯止めをかける事を。  
もうこれ以上の罪を重ねないために。  
しかしベッドに倒れ込んだ瞬間に、その甘く他人任せな期待は砂のようにサラサラと二人の中で崩れ落ちる。  
身体と罪を重ねる度、それは例外なくそうであった。  
 
都の細い身体を貪欲なまでに掻き抱き、首筋に舌を這わす。  
応えるように背中にまわされる手や、髪を撫でてくれる指が不安や焦りを和らげてくれるようで心地良かった。  
こんな風に性急な行為にまろんはひどく怯えるから。  
彼女自身の中のよみがえる嫌悪感や恐怖を、歯を食いしばって耐えるのに精一杯で  
稚空が、抱き返してくれる腕を求めている事に気付ける余裕を持ち合わせていないから。  
舌を這わせたまま、都の上着を捲り上げ、下着越しに柔らかな胸を揉みしだく。  
はぁっ…、と都の吐く荒い息にまた身体が熱を増した。  
「ゃ…あっ」  
稚空によって下着が外され、直に胸の突起に触れられたとき、思わず声が喉をつく。  
膨らみかけたそこを指の腹で転がされ、ときに爪で引っ掻かれる。  
熱くなった自分の身体と対照的に、ややひんやりとした稚空の指。  
耳を噛まれると無意識のうちに稚空のシャツに掴まっていた。  
 
その時、ベッドサイドに置いてある稚空の携帯から、電話の着信を知らせる音が鳴り響いた。  
思わず二人の身体がびくりと震える。  
稚空が都の上から退き、ベッドに座りなおして携帯を手にすると  
その液晶画面には恋人の名前が表示されていた。  
それを確認した彼は、少しだけ都に視線をやると、まろんだ、と呟き通話ボタンを押した。  
都が口の動きだけで、帰るわ、と伝え衣服を整える。静かに寝室のドアが締まる音が聞こえた。  
「…はい」  
『ぁ…もしもし、稚空…?』  
どちらかと言えば予想外な、稚空の低く沈んだような声に電話の向こうで  
まろんが自信なさげに声をひそめるのがわかった。  
「どうした?何かあったのか」  
そんなこと聞かなくても、理由なんてわかりきっているけれど。  
今日みたいに俺に拒絶の声をあげてしまった彼女は、しばらくするといつもこうして電話をかけてくるから。  
『あの…さっきは、ごめんね。今日は大丈夫かなって思ってたんだけど…』  
嘘だ。ベッドに組み敷いたときからまろんの顔色は悪くて、髪や額にキスするたびに身体を強張らせていたくせに。  
『……明日、会える?あの、私、頑張るから…』  
最後の方は声が掠れていて、やっぱりあの後も一人で泣いていたんだろうという事が伺えた。  
「…なぁ、そんなに思い詰めるなよ。俺はゆっくりでいいんだから」  
稚空の頭の中で、白々しい、と吐き捨てるような声がした。  
 
全くそのとおりだった。  
まろんが俺をも怖がる理由。  
それは、理性の届かない俺の心の奥底にもあの男――ノインと同じ欲望が渦巻いているからだ。  
まろんが欲しい。繊細でこわれやすい彼女の心も、柔らかで華奢なその身体も。  
誰にも渡さずに自分だけのものにしてしまえたら。  
彼女の全てをこの腕に閉じ込めてしまえたら。  
俺以外のものを見えなくしてしまえたら。  
 
いっそ傷つけてでも抱いてしまえたら――  
 
いつだって俺のそんな歪んだ独占欲があの男と重なるから、彼女を怯えさせてしまう。  
あの男と同じである俺の存在を、まろんが受け入れる日なんて永遠にこないんじゃないか?  
『でもね、前よりずっと平気になったよ。稚空が傍にいてくれたから』  
まろんの作ったような明るい声に心が黒く渦巻く。  
本当にそうなのか?あんな言葉、全部嘘なのに?お前の傍にいた俺は偽物なのに?  
本物はこんなにも醜くて最低な心を持っているのに?  
 
それでもまろんが平気になったと言うなら、それはまろんの心が恐怖に少しずつ慣れてきたからだ。  
前に進まなきゃ、と焦る気持ちが、彼女の心を削り取っていくから。  
『…もしもし?稚空…?』  
「…ごめん、疲れてるんだ」  
精一杯抑えたつもりだったが、突きはなしたような声色はきっとまろんに伝わってしまっただろう。  
でも、もう今夜はまろんの声を聞きたくなかった。  
まろんを傷つける言葉を言わずにいられる自信がないから。  
まろんに拒絶されるのが怖いから。  
『あ…ごめんなさい……』  
稚空はいや、と小さく呟いたあと、努めて明るい声を出した。  
「こっちこそごめん。明日、また連絡するよ。おやすみ」  
『…うん、おやすみ』  
まろんの沈んだ返事を聞いてから電話を切る。  
あの日から俺たちはギクシャクしつづけている気がする。  
お互いに相手を傷つけないように、自分が傷つかないように、過剰に気を使いすぎているせいで。  
こんな風になる前は幸せだった…  
そう考えながら、稚空の意識は深い眠りに落ちていった。  
 

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル