―14―  
夜が明け、すっかり明るくなった窓際に寄せられたベッドの上で  
稚空の意識が、夢の中から現実へと引き戻された。  
ブラインドの隙間から差し込むかすかな日の光に  
重かった瞼からは眠気は完全に出て行った。  
ベッドサイドのテーブルに手を伸ばして水の入ったペットボトルを取ると  
からからに渇いた喉にぬるくなったそれを流し込む。  
それから傍らで小さくなって、丸まるように眠る恋人へと視線を向ける。  
シーツのかかっていない、空気にさらされた肩や胸元には  
昨夜の名残の真新しい鬱血や、幾日か前に付けたであろう薄くなった  
それが所々に散っている。  
普段はいくらか押さえているものの、ベッドの上ではまろんを自分のものにしたいという思いが  
次から次へとあふれ出し、こうしてたくさんの所有の痕を付けてしまう。  
時折、まろんの思考が快楽によって曖昧になってしまうときなどには  
意識を自分のほうへ向けさせるために、歯を立ててしまうこともあったが  
こうして理性を取り戻したときに彼女に身体に残る痛々しい傷を見たときには  
さすがに居たたまれない気分になるので、控えている。  
稚空が静かに手を伸ばして、柔らかなまろんの髪に触れる。  
指を少し広げ、手ぐしで髪を梳いてみると緩く曲線を描く長い髪が  
さらさらと指の間から零れ落ちた。  
幾度かそれを繰り返し、まろんの顔にかかる髪を少しづつ退けていく。  
露になったまろんの眦には涙のあとが乾いていて、  
目元も少し赤く腫れている。  
 
まろんとこのような関係になってからというもの、最初は穏やかだった寝顔も  
日に日に疲れきって憔悴していくように見えた。  
――幸せそうなまろんが見たいのにな。  
ぽつりとそう考えた自分の矛盾に、稚空は少しだけ胸が痛んだ。  
 
自分がまろんを追い詰めていることは知っている。  
知っていてそうしているのだし、そうまでしてもまろんが欲しかったんだから、  
今の自分にそんな矛盾じみた我侭を言うことなど許されるはずがない。  
たしかに、まろんが好きだったし、花のように笑うまろんのことを、  
少しづつ信頼を育んでいくことを、とても愛おしく思っていたけど、それでも。  
これではいけないと頭では分かっていても、力で押さえつけてしまうのは楽だった。  
こころを少しずつ、少しずつ通い合わせていくのと違って  
身体はすぐに手に入った。簡単だった。  
そのこころさえ、まろんは「誰にも愛されてない」けれど、自分だけはまろんのことを  
「あいしてる」とベッドの中で囁けば手に入ると、思っていた。  
けれど、まろんは稚空がその言葉を口にするときにはいつも瞳を閉じていた。  
確かに効果は抜群だった。  
あいしてると囁けば、まろんは例え直前までセックスを拒んでいても大人しく受け入れたし、  
囁きに嬉しそうな様子を見せることもあった。  
最初はまろんの様子の意味がわからなかったけど、幾度も繰り返されればわからないはずがなかった。  
そうか、まろんが受け入れたいのは「あいしてる」の言葉だけ。  
欲しいのは愛情だけ。自分のものでなくても良いのだ。  
だから俺を見ないんだ。きつく眼を閉じて、言葉だけを待っている。  
 
「…稚空?」  
不意に名前を呼ばれ、稚空は驚いたように  
眠っているとばかり思っていた恋人のもとへ視線を走らせる。  
「……起きてたのか?」  
ん、と気だるそうに返事をしてまろんは続ける。  
「ちょっと前から起きてたんだけど、稚空が髪を梳いてくれるのが気持ちよくて…寝たふり、しちゃった」  
そう、と稚空は返事をして自分の手がまろんの髪に触れたままだったことを自覚した。  
「あの、何度も言ってごめんね、だけど」  
そこで区切って、まろんは掠れた声を元に戻そうと一度咳払いをしてから先を続ける。  
「ちあき――話が、」  
「まろん、声が嗄れてるよ。水を飲むか?」  
まろんの話を遮って、稚空がペットボトルを手にしてたずねた。  
まろんは僅かに首をふり、もう一度咳払いをしてから遮られてしまった言葉を続けようとするが  
稚空はかまわずペットボトルの蓋を開けた。  
「駄目だ。少し飲んだほうがいい」  
そう言って稚空はおもむろにペットボトルを傾け、自らの口に含むと  
横たわるまろんの背中を抱き起こしてに口付けた。  
まろんが稚空が何をする気かわかったのは、皮肉にも口付けられた後で  
抵抗を忘れていた身体は、口移しで流れ込んでくる水をこくりと  
飲み下したが、受け切れなかったぶんは顎を伝ってシーツに小さな染みを作った。  
2、3度それが繰り返され、稚空は気が済んだのか  
まろんの背中を同じようにシーツへ降ろした。  
「ちあき、わたし…」  
「うん」  
呼吸を整え、幾分落ち着いたまろんがしつこく話をしようとしてくるのを  
稚空は冷ややかな眼で見下ろす。  
「はなし、が――」  
「聞きたくないよ?」  
稚空の言い放った言葉と同時に、まろんの眉が歪む。  
肩をつかまれ、組み敷かれてしまったせいで。  
 
 
―15―  
身体を隠すシーツを乱暴に剥ぎ取られ  
稚空の下に何も纏わない身体を暴かれる。  
「――いや、だ…っ」  
稚空がもがこうとするまろんの細い手首をつかみ  
ぎり、と少しだけ締め上げてやると彼女の白い喉がひくりと震えた。  
唇にキスを落とすと、顔を背けて逃れようとするので  
今度は片手でまろんの両手首を頭上に纏め上げ  
もう片方の手で頭を固定する。  
「…ぅ」  
逃げ場は失われたものの、しかしまろんは歯をきつく食いしばり、稚空の舌の侵入を拒む。  
――全く、可愛がってやろうと思ったのに。  
まろんの頭に添えていた手を離し、わき腹から胸へと指を滑らせて  
膨らみの頂にある突起を執拗に弄くってやれば、白い肢体が震えた。  
「ぁっ」  
声が漏れた隙を突いて、稚空が舌をまろんの口内に滑り込ませる。  
抵抗の止まないまろんの様子に、噛まれるかなと考えていたが  
どうやらその気配はないらしい。  
まろんの舌を吸い、口内を余すところなく蹂躙する。  
その片手間で、硬く立ち上がった胸の突起を可愛がってやることも忘れない。  
「ぅ、いぁっ……んっ!」  
重ね合わせた唇の隙間からまろんが受け切れなかった唾液が漏れ  
白い顎を伝ってシーツへとこぼれていく。  
身勝手でいささか長すぎるキスに呼吸が上手くできないのか  
まろんの顔が苦しそうに歪むので  
唇を離してやると彼女は2、3度咳き込んでぜえぜえと荒く呼吸を繰り返した。  
 
「はっ、はぁっ、……や、――あぁっ」  
まろんの呼吸の合間に高い声が上がったのは  
稚空の離れていった唇が、赤く色づいた胸の突起をついばんだせいだ。  
硬く尖ったそれを、舌で円を描くようにねぶられ  
思わず気が遠くなる。  
「あ、あ、あっ、」  
胸への刺激は下半身への欲情を煽り、思わずまろんの太腿に力が入る。  
無意識でやったそれに、あざとく気付いた稚空は何の遠慮もなくまろんの奥に触れた。  
「ひっ、や、あぁ」  
熱く溶ける自分のそことは正反対に  
全く熱を持たないかのように冷たい稚空の手に腰がびくりと震えた。  
「まろん、すごいね、こんなになって。――ここには触ってないのに」  
くすくすと笑う稚空に、まろんは全身がかぁっと熱くなるのを感じた。  
「奥までとろとろだよ。そんなにいいの?」  
言葉と同時に、稚空の長い指が中に突き立てられて  
濡れ具合を確かめるかのようにゆっくりと動かされる。  
「いやっ、あ、あぁ、や、おねが…!」  
しかしそのまままろんの身体の奥を煽ると思われていた指は  
すぐに抜かれ、稚空がまろんの足を両腕に抱えあげる。  
「や、め―――」  
ぐちゅり、と耳を塞ぎたくなるような音がして  
稚空が自身をまろんの中に一気に埋め込んだ。  
「ぅ、あぁ、あ!あ、ああぁ」  
異物感と、それをはるかに上回る快楽にまろんは  
ただ揺さぶられるがままに声を漏らした。  
 
指先が白くなるほどにきつくシーツを握り締め、  
声をあげて身悶えするまろんに、稚空はぞくりと熱が這い上がってくるのを感じる。  
「こんな風にされても気持ちいいの?信じられないな…淫乱だよ、まろんは」  
「ち…がっ」  
ふふ、と笑いを含んで言う稚空に  
違う、と言いかけたその言葉は新たなる刺激に途中で喘ぎに変わった。  
「違わないよ。じゃあ、どうしてまろんのここはこんなになってるんだ?ねぇ、こんなに無理矢理にされて、さ」  
言いながら、稚空がまろんの中に埋め込んだ自身をぎりぎりまで引き抜き、再び最奥まで貫く。  
「――ぁ、ああっ」  
急激な快楽に、まろんは身体をびくびくと痙攣させた。  
「質問に答えろ」  
それまでからかうような調子だった稚空の声のトーンが急に落ちたと同時に  
達してしまったまろんの顔を自分のほうへ向かせ、  
稚空は一度動きを止めてまろんを見下ろした。  
「ちがう…」  
「なにが」  
そう問いかけても、まろんは苦しそうに胸を上下させるだけで何も答えない。  
「ほら、言えよ。わたしは淫乱です。あいしてるって言って貰えれば誰でも感じます…って」  
稚空のその言葉に、虚ろだったまろんの眼が光を取り戻し稚空の眼を捉えた。  
その視線に含まれる強さに稚空は思わず息を呑んだ。  
「ちが、う…信じて、おねがい……」  
 
なにを。  
何を信じろという。  
どうして今更そんな眼で俺を見るんだ。今まで俺を見なかったのはお前じゃないか。  
どうしてそんな強い眼を見せるんだ。  
フィンがいなくなってからのお前はただただ弱かったじゃないか。  
強くなんかなるな。お前はずっと弱いままで俺のもとにいればいい。  
強くなって、俺のもとからいなくなるなんて許さない。  
 
ちがう、ちがうの、と涙声で繰り返すまろんに  
稚空は再び腰を打ち付けるように動かしながら話し出す。  
「ちがわない、だろ。…こんなに感じてるくせに」  
もうまろんの声を聞きたくなくて、その言葉を最後にまろんが呼吸できないくらいに早く動く。  
「うぁあっ、いぁ、あ、あぁ、あん、はっ」  
まろんの弱いところを重点的に突いていくと、抱えあげた白い足がびくびくと痙攣した。  
ぐちゅ、ぐちゅ、と絶え間ない水音が部屋を包んで二人の耳をその音が満たす。  
先ほどまでシーツをつかんでいたまろんの手が  
宙をさまよい、縋り付くために稚空の身体を探す。  
それに気付いた稚空は細い手首を引き、自分の首に回るよう導いてやれば  
まろんが安心したようにぎゅうっと稚空の首を引き寄せる。  
必然的に稚空はまろんの耳のあたりに顔を埋める形となり、  
先ほどよりも近くなった距離にまろんの息遣いが時折身体にかかる。  
 
「はぁっ、あぁ、――…き―、ん、ん」  
まろんの喘ぎと自分の息遣い、それから繋がったところから漏れる水音しか  
聞こえなかった稚空の耳に、ふいにまろんの囁くような声が聞こえた。  
少し顔をあげてまろんを盗み見たが、熱に浮かされたように喘ぐばかりで  
先ほどの囁きは気のせいだったのだろうかと思い直す。  
細い腰を掴み、より奥まで届くように突いてやれば、稚空に抱きつくまろんの腕により力がこもった。  
「感じてるんだ。どうして?覚えてないのか?さっきまであんなに抵抗してただろう」  
「だ、って…ぁっ、すき…だもん……」  
「…………」  
「すき、なひと、にされたら――ぁっ、あ…かんじ、ちゃう、よ」  
「……まろん?」  
そうつぶやいた稚空の声はベッドの軋む音に掻き消されるかと思うほど、小さかった。  
 
 
―16―  
頭が痛い。眼が眩む。気持ちが悪い。  
先ほどのまろんの言葉が稚空の心の中を占め、掻き乱す。  
好き?まろんが?俺を?  
どうして?  
だってお前は俺を見なかったじゃないか。  
俺がいくらあいしてると言っても、見なかったじゃないか。  
だから俺はお前に愛されることを諦めたんだ。  
愛されなくても、お前が傍にいてくれさえすればいいって思って、  
そう思えるように心を殺してきたのに。  
そうすれば楽だったのに。  
なぜ今更そんなことを言うんだ。  
苦しいんだ、まろん。  
もう俺はぐちゃぐちゃなんだよ、自分でもどうしたらいいのかわからないんだ  
これ以上掻き乱さないでくれよ。  
 
「す、き…稚空、が…稚空だけが……すき、」  
しゃくりあげながらも、まろんの瞳がしっかりと稚空をとらえた。  
そんな眼で見るな。諦められなくなる。  
また愛されたいと願ってしまうから。せっかく心を殺すことに痛みを感じなくなったのに。  
わからない、もうわからないなにも。  
 
俺はまろんをどうしたいんだ?まろんにどうしてほしかった?  
 
とうに諦めたとばかり思っていたその答えが浮かんだ瞬間、眼が熱くなり視界が滲んだ。  
まろんを見据えたまま瞬きをすると、熱い雫が頬を伝って流れ、  
ぱたりと小さな音を立ててシーツに落ちた。  
 
――――ああ、そうか。俺はまろんに愛されたかった。  
愛をくれる人じゃなくて、名古屋稚空として。  
まろんの目で、ちゃんと自分を見てほしかったんだ。  
他人の気持ちを信じるのは怖かった。不確かだから。  
それでも俺は、まろんに。  
 
「稚空、なかないで…」  
何も言うことなく、ただ涙を流し続ける稚空の頬をまろんの手が包み込む。  
温かくて優しいその手にまた涙が溢れたが、稚空は震える喉を叱咤し唇を開いた。  
「…まろん」  
今度こそまろんに伝えたい。あんな歪んだ形ではなくて、心からの言葉を。  
大丈夫だ。きっとまろんは受け入れてくれる。  
ちゃんと俺を見ていてくれるはずだから。  
稚空は一度息を吐くと、もてる限りの気持ちをこめて囁いた。  
「あいしてるよ、まろん」  
 
立ち込めていた雲は消え、今宵はきっと二人を月の光が照らす。  
 
 

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