天宮君は自分を許してあげられない
僕も…………
自分を許してあげることが、出来ないまま
アルコール臭い保健室には、人なんて滅多に来ない。保健医が僕だからってのもあるんだけどね。
それでも天宮君は来てくれる。真っ白いパリパリのシーツ、柔らかな枕。いつも最高の状態にしてある保健室に舞い降りた天使に、生まれて初めての恋心を抱くようになった。
強いフリして、本当は抱きしめただけで壊れそうな自分を閉じこめたままの天宮君を、人は「紫陽花の君」と呼ぶ。
紫陽花の君のカナリアは、保健室の回転式椅子に、浅く腰掛けていた
「相談って?」
千里はアルコール綿を作りながら、灰音に問いかけた。
「千里先生、潮が……最近学校に来てないんです」
《潮》という言葉で、思わず体がピクリと動く。
「知ってる。ここ3日ほど、天宮君、保健室に来てないから」
灰音の目から、一滴の涙がこぼれた。千里は慌てて灰音に向き直る
「潮が……笑わなくなったんです」
千里は潮が笑った顔を、一度も見たことがなかった。
「天宮君が笑わないのは、いつもじゃないか」
スッとハンカチを差し出した。灰音はそれをゆっくりと受け取った
「そう…なんですけど……。いつも《ありがとう》って言ったら、優しく微笑んで
くれるんです。私だけにだったけど……その私にも、もう笑ってくれないんです」
「そうか……」
感情が顔に表れないように、またアルコール綿に視線を戻した。
「潮……あんまし、閑雅様の事……好きくないみたいで……」
「天宮君は君の事を、本当に好きみたいだった。きみが香宮の家に連れて行かれた
次の日、天宮君の家に泊まっただろう。そのとき……彼女、泣いてた」
灰音の体がビクッとなり、目から大粒の涙がこぼれた。
「どうしよう……!それ……私のせいです…!!私……あのとき潮に、『灰音だけ
がいればいいなんて、いつか消えちゃう思いだ』って……言ったんです……!」
アルコール綿を持つピンセットが、震えだす。
「緑香さんは……思春期の女の子が、女の子に恋するのはよくあること……って、
言ってたけど、潮がそう言う気持ちで私を見てたって、知らなかったから……、
あんな酷いこと言っちゃったんですっ……!」
そうだ、天宮君が狂ったのは君のせいだよ、乙宮君。
君に対してだけでも、天使には笑っていて欲しかったのに
「私……自分を変える勇気がない、弱い人間なんですっ!昔から、昔から……!香
宮の家から出されるときも、父様にこれ以上嫌われたくなかったから、何も言えな
かった!そしたら……私、壊れたんです……。」
そうか、乙宮君。君は僕と同じなんだ。勇気って言葉を、知らないんだ
「髪染めて、家を抜け出して、途方もない夜を彷徨いました。私が変われば潮も戻
るかもしれない……けど、保証なんてどこにもない。閑雅様との関係さえ、壊れて
しまうかもしれないと思うと……動けないんですっ」
「僕が変わったとしたら……天宮君は変わるかい?」
灰音は涙を拭くハンカチの手を止めた。
「え……それは、そうかもしれませんけどっ………」
「君は何も心配しなくていいから、天宮君は僕に任せて」
そうか、僕が動けばいいんだ。
壊れるのは僕だけ。天使のためなら、何が壊れたっていい
見つけた、紫陽花の君の救い方。