壁際に離れて置かれた安普請のベッドの片方は空だった。  
何故ならその主は、壊れそうに悲鳴を上げているもう一つのベッドの上にいるからである。  
否、悲鳴を上げているのはベッドばかりではない。  
「夕姫……ゆうき……ッ」  
「あんっ、あぅ、も、もうダメぇっ、イっちゃうよ、おにいちゃ……おにいちゃんっ!!!」  
大きく喘いだ檜山夕姫は、びくびくと全身を引き攣らせた後、瞼を閉じて  
シーツに沈んだ。  
興奮に合わせてのたうっていた艶やかな黒髪も動きを止める。  
夕姫とはシンメトリーの白銀の髪を持つ古雅銀嶺は、組み敷いた柔らかな身体を押し潰さないよう  
気を付けながら力を抜いた。  
特例措置として入居を許された教員用宿舎の一室で、兄と妹は夜毎こうして睦み合う仲だった。  
 
枕元のスタンドが人や家具の輪郭を滲ませる。部屋の中には再び静寂が戻っていた。  
くすんだオレンジ色に照らされたカーテンの外は、まだ夜の底にあった。  
折り重なっていた身体を離すと、冬の寒さが二人の肌に凍みた。銀嶺は毛布の中に妹を抱え直す。  
温もりを求めて、男にしては白過ぎる胸に擦り寄った夕姫は、兄の背後の壁に悩ましい視線を  
向けて独りごちた。  
「どうしよう。声、聞こえなかったかなあ」  
耳聡く聞き付けた銀嶺が、欠伸混じりに答える。  
「ん? 平気だろ、他の学校ならいざ知らず、ウチはこーゆーとこだしさ。  
建物くらいしっかり作ってなきゃ、学園内どこもかしこもしょっちゅう『修繕中』の貼紙だらけだよ」  
「う、うん、そうだよね」  
未だ余韻の冷め遣らぬ頬を両手で包んで、夕姫はこくこくと頷いた。  
その反応を見た兄は、ふと真面目な妹をおちょくってみたくなった。  
「心配するのももっともだ。毎度の事ながらすごいもんなぁ、ヒメの声。  
先に猿轡しといたほうがいいのかな」  
「ええ!? や、やだっ! 私、そんなに……」  
慌てて口を押さえた夕姫の表情の移ろいを、銀嶺は薄笑いを浮かべて見守っている。  
「うー、ううぅっ、おにいちゃんのバカぁ、どエッチ!!」  
怒声に応えて対岸のベッドから矢の勢いで飛来した枕が、銀嶺の顔面に正確にヒットした。  
が、枕には夕姫自身も、他の誰も触れていない。テレキネシス――それが夕姫の綾である。  
そして妹と同種の綾を使う銀嶺は、敢えて避けずにその攻撃を受け、快活に笑った。  
「嘘だよ、アレが聞けると聞けないじゃ、すごい違いだし。  
けどさ、イク時くらいは名前で呼んで欲しいな、おにいちゃんも」  
もっと恥ずかしい要求を口にする兄に、夕姫の大事な場所が再びじわりと熱くなる。  
(もういちど、っておねだりしたら、きっとおにいちゃんなら聞き入れてくれる)  
けれど夕姫はその衝動を、きゅっと唇を噛む事で耐えた。  
(そうよ、おにいちゃんの身体に必要以上の負担を掛けちゃいけないんだもの。  
そうじゃなきゃ、何の為の特例なのよ!)  
 
「ごめんな、ヒメ」  
妹の葛藤を正しく見抜いた兄は、うなだれたその肩を抱いた。  
「ううん、いいの。幸せだよ、私」  
夕姫はかぶりを振り、自分以上にうなだれている銀嶺に急いでキスをした。  
そして未練を気取られないように、温かい場所から抜け出した。  
「おにいちゃん、明日も授業あるんだから、先に寝てて」  
夕姫は長い黒髪を纏めると、剥き出しのうなじの寒さに震えながらバスルームへ向かった。  
その背に銀嶺から密やかな声が掛かった。  
「また明日、な」  
兄と妹は今宵も秘密の約束を重ねる。  
「……うん。また、明日ね」  
 
(終)  
 

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