「おい、姫。」
俺は天井裏から、姫のいる部屋にストンと着地した。
簡素な部屋の片隅には小さな机があって、姫は俺に背を向ける形で、机のそばに座っている。灯りは机の傍のろうそく一本のみで薄暗い。
「おい、姫ったら!聞こえてんのか?」
机の上には裁縫道具が散らばっている。
姫の膝には、男物の着物。
信長に祖国を滅ぼされた俺と姫は、ここ、越後は上杉の国に身を寄せることを余儀なくされた。
『殿様を誘惑して、信長を討たせる』という目標を持った俺達が目を付けたのは、越後の龍、上杉謙信。
匿われてからとんとん拍子に事は進み、謙信と姫は、只今絶賛恋愛中だ。
姫の膝の上の着物だって、どうせあいつの着物だぜ。大方、謙信の着物に綻びを見つけた姫が、縫い直してやってるって感じなんだろう。
「すごい情報が手に入ったぜ!!」
そう言って姫の肩にぽんと手を置く。
「………すぅ。」
近寄ってみて聞こえてきたのは小さな寝息。
「?」
もしやと思ってそっと姫の顔を覗いてみると、
「……すぅ、すぅ」
…なんだ、姫、寝てんのかよ。
「…ったく、暢気なもんだぜ。」
俺が体張って情報取ってきてるってのにさ…なんて小さくため息をつくと、押入れから布団を取り出して広げる。
「よっと。」
姫を抱き上げ、布団の上に寝かせると、姫は幸せそうにむにゃむにゃと口を動かした。
その寝顔があまりにも可愛らしくて、俺は思わず見入ってしまう。
真っ白な肌に、大きな瞳。まつげなんかはばっさばさで、頬はほんのり桃色。まるで人形みたいだぜ。
「………。」
…幸せそうな顔して眠りやがって。
俺は、しゃがみ込んで、姫の顔をじっと見つめる。
昔から、俺と姫はいつも一緒だった。
姫が泣いた時には俺が慰め、俺が凹んでいるときは、姫が俺を元気付けてくれた。
笑うのも、泣くのも、いつも一緒。
可愛い、可愛い、お姫様。
…俺は姫が好きだ。
そりゃ、身分違いも甚だしいことは分かってるさ。
だから、出すぎたことはしねぇ。
姫が泣いてても、抱きしめてやるのは俺じゃないし、愛するなんてもってのほかだ。
俺は、こいつが幸せであってくれたらそれで良い。
強い殿様に愛されて、大事にされて、いっつも笑っててくれたら、それで俺も幸せなんだ。
…だけど。
「ん…」
小さく声を出して寝返りを打った姫の上に、俺はそっとかがみ込む。
顔と顔の距離が近づいて、姫の寝息が俺の顔にふわりとかかる。
…綺麗な顔。俺の姫様。
俺はゆっくりと顔を近づけると、そっと姫の唇に自分の唇を重ねた。
「………。」
一寸して、唇を離す。
相変わらず、姫は寝たままだ。
「…柔らけぇ。」
俺は、自分の唇を指で軽く触る。
少しの罪悪感と、幸福な気持ちが入り混じって胸がちくちくする。
このまま、姫の服を脱がせて、口吸いをして、その白い肌を汚して。
…俺は目を瞑ってそんなことを思ったが、途中でその妄想も止まってしまった。
本当に好きな娘では助平な妄想はできないって、本当だな。
小さくため息をつき、体を起こす。
掛け布団を姫にかけると、
「ごえもん…?」
姫がいきなり俺の名前を呼ぶものだから、俺は驚いて体を強張らせた。
「…ありがとぉ……むにゃむにゃ」
…なんだ、寝ぼけてるのか。
「…おやすみ、姫。」
姫の頭をくしゃくしゃと撫でると、俺はとん、と床を踏んで屋根裏に飛び上がる。
姫の寝顔をもう少し見ていたかったけど、贅沢ってもんだよな。
俺は姫が好きだ。
たとえ、一生結ばれることがなくても、これからも姫の事を想い続けることだろう。
俺が姫を守る。一生日の目を見ることがなくたって、影からあいつを支えるさ。
だから姫。
絶対、幸せになってくれよな。
お前の笑顔を見ている時が、俺の一番の幸せなんだから。
そんな事を考えながら、俺はゆっくり、深い眠りの中に落ちていく。
今日も夢で姫に会えるだろうか…そんな期待を、胸に抱いて。