「先生の事が…好きです」
突然の教え子の告白に、教師―山吹夏子は困惑したように相手を見つめた。
夕暮れの執行部室だった。生徒のほとんどが帰宅し、校舎に残る人影もまばらである。
部活動のかけ声は遠くから聞こえてくるものの、最奥に位置する此処には関係の無い出来事。
執行部の顧問である彼女は、学校の生徒であり執行部員の伊波飛鳥と共に書類の整理をしていた。
「伊波くん、私と貴方は教師と生徒の関係でしかないわ」
我ながら月並みな台詞だと思ったが、混乱している頭ではそのような言葉しか思い浮かばない。
思わず視線を逸らし、うつむいた夏子に、飛鳥は静かに言葉を重ねる。
「先生は、俺の事は嫌いですか?」
「嫌いなわけないじゃないっ。大切な教え子だもの」
言い終わらない内に、強く抱きすくめられた。
「じゃあ、これからは生徒じゃなく男として見てください」
「…っ…駄目!伊波君、ここは学校よっ…!?」
「大丈夫です。あらかじめ扉の鍵をかけておきました」
それに、こんな所にやって来る人なんていませんし。
両腕の中で暴れる女教師の耳元でそう囁くと、飛鳥は更に力を篭めた。
――どうすべきか。
夏子だとて以前は鎮守人としての活動をしていたのだ、武術の心得はある。
教師としての姿しか知らない飛鳥を振りほどくくらい、わけはない。
しかし、普段とは異なる生徒の様子を見ると、きつく拒絶する事にためらいを感じる。
言葉で止めようと顔を上げる。自分を抱きしめる少年と視線が合わさり、思わず息をのんだ。
その鳶色の目の奥にあったのは、深い渇望。唐突に、彼を駆り立てていた物を理解する。
伊波飛鳥という目の前の少年は、九条の死と力の発現をきっかけに
突然神子の役割を課せられただけで、それまでは家柄も力も無いごく普通の一生徒に過ぎなかったのだ。
頼る者も手を差し伸べる者も無く、ただ一人孤独に戦う中で何かに縋りたくなるのは人として当然だ。
かつて救いきれなかった友の姿が頭をよぎった。今まで抵抗していた力を抜くと、そっと抱きしめ返す。
相手の思いがけない行動に驚いている少年に微笑みかけると、優しく問いかけた。
「先生で本当に……良いのね?」
その胸に有ったのは女としての欲ではなく、迷い子を包み込もうとする母性だったけれど。