「仏門に入るか」
「はい」
謙信は月明かりの中、俯いてそう答えるお悠を見つめていた。
美しい、と素直にそう思う。顔立ちだけではなくその心の美しさも、謙信はよく知っていた。
彼女の自分への想いを知っているからこそ、謙信はいままでお悠と必要以上に慣れ親しまないようにしていたのである。
そうでもしないと、あの澄んだ瞳に吸い込まれてしまう気がしたから・・・
「仏の教えを乞うのは素晴らしいことだ」
そう言って、謙信は己を見守る毘沙門天を見上げた。
神に、仏になりたい、そう思ってここまでやってきた。毘沙門天にすこしでも近づけるように、ただひたすら。
そのために傷つけたものもある。お悠もそのうちのひとつな気がしてならなかった。
最後に何かしてやりたい。それは義の心から出たものか、それとも俗世の感情から出たものか、謙信にもわからなかった。
すっ、と謙信はお悠に己の数珠を差し出した。
「これを持っていくが良い。そなたに毘沙門天の加護があるように祈っている」
お悠は驚いて謙信の顔を見つめた。
「これは・・・お屋形さまがお母上からいただいたもの。そのような大事なものをわたくしごときになど・・・なりません!」
「よいのだ。そなたに持っていてもらいたい」
お悠はさらにじっと謙信を見つめ・・やがてはらはらと涙をこぼした。
謙信はその涙をそっと指でぬぐった。無意識だった。思えばお悠に触れたのは、後にも先にもこの時だけだ。
(温かいものよの・・・)
謙信は名残を惜しむかのように、泣き続けるお悠の涙をずっとぬぐっていた。
<終>