薄汚れた寝着を羽織った凛が、牢の片隅で膝を抱えるようにして横たわっていた。  
まだ日も高い時分だというのに、牢に中はひどく薄暗く、おまけに湿気っている。  
一間半四方の広さの中に、北向きの窓が一つ付いているだけという造りのせいである。  
おまけに窓といってもほんの三寸四方の、窓と呼ぶには小さすぎる代物で、わずかに通気口の役割を  
果たしているに過ぎない。  
先程から凛はぴくりとも動かないが、眠っているわけではない。  
襲撃者達の屯に連行されてきて以来、まともに眠りにつけたことは一度も無かった。  
自分で自分を抱きしめるように、膝を抱えて時が過ぎていくのを只管待っているだけである。  
屯に設置されているこの牢に入ってはや三ヶ月。  
その間、屯の男達から陵辱の限りを尽くされてきた。  
彼らは毎日のように、己の変態的な欲望を満たすためだけの人形として、  
彼女を未発達な肉体を徹底低に簒奪し、それでもまだ足りないとばかりに骨の髄までしゃぶり尽した。  
筆舌にし難い辱めを受けてなお、凛が自害しなかったのは、復讐の機会を覗っていたわけでも  
大事な人を人質に取られていたからでもない。  
ただ死ぬのが怖かった―それだけである。  
 
死を恐れず、また厭わないのが忍びの本分であると、里の人間から教えられてきた。  
だが死を恐れ、死を厭っている自分は最早忍びではない。それどころか人間ですらない。  
男達の欲望のはけ口である、ただの肉人形に過ぎないのである。  
度重なる陵辱を受け、紅顔の美少年、いや美少女と言っても差し支えない彼女の顔色は  
土気色に黒ずみ、疲労と睡眠不足のため目の下には隈が出来ている。  
いつも明るく朗らかだった彼女はもはやそこには存在せず、今は表情も消え失せ、涙さえ枯れ果てた  
哀れな人形が一つ転がっているだけである。  
すでに凛は思考することすら放棄してしまっていた。  
何かを頭の中に思い浮かべるたびに、それは男達の下卑た笑い声と、陵辱の屈辱と、  
生臭い精臭に取って代わられ、彼女の心を怒涛のごとく侵略し、破壊してしまうからである。  
最早彼女は、懐かしい古里を思い出す事も無かった。いや、思い出すことが出来ないのだ。  
陵辱者達は凛の肉体だけでなく、思い出までも徹底的に奪い去り、穢し尽くしてしまったのである。  
 
四人の男達が、凛の入っている牢屋に近づいてきた。  
朝から酒でも飲んでいたのか、皆顔が赤らんでいる。  
酔い覚ましにちょっとばかり肉の玩具でも嬲ってやろうか、という風であることは  
容易に知れた。  
彼らは牢の鍵を開けると、ずかずかと牢内に侵入した。  
男達の気配に凛の体がぎくりと震え、身体が鉄のように硬直する。  
しかしこの男達の魔の手から逃れることなど出来ない事は、これまでの経験からよくわかっていた。  
男達は凛の髪の毛を無造作に掴み、彼女の身体を引き起こすと、薄汚れた寝着を引き千切るように剥ぎ取り、  
その姿態を露にさせた。  
そして己の思い思いの方法で、凛の未成熟な身体を弄び、嬲り始めた。  
男達にとって、これは退屈な日常におけるささやかな慰みにすぎないのであろう。  
彼らは明日も、明後日も同じ事を繰り返すつもりでいる。  
だが彼らは知らなかった。自分たちの命を狙う、黒い死神の影に。  
この慰みが、彼らの冥土の土産になるということに。  
 
黒い影が男の背後に音も無く忍び寄り、冷たく輝く刃で彼の喉を撫でた。  
声を上げる暇さえ無かった。  
正確には声を上げるよりも早く、喉笛を切り裂かれてしまったと言ったほうがいいかもしれない。  
男は喉から大量の血飛沫を上げながらどうと前のめりに倒れた。  
それを見て、凛の口の感触を愉しんでいた太った男が、あわてて彼女の口から飛んで離れた。  
しかし、それしきでその影から逃れることなど出来ない。  
疾風のごとき一閃で、凛の唾液でぬらぬらと輝く一物ごと腹を真一文字に切り裂かれ、臓腑を撒き散らして即死した。  
影の動きは止まる事は無い。  
髭面の男が、壁に立てかけていた太刀を取るために背を向けた瞬間、影の刃が正確に男の心臓を貫いた。  
髭の男は般若の形相で、太刀の束に手を掛けたまま息絶えた。  
残る男はただ一人。  
仰向けになり凛を己の上に乗せ、その青い果実を存分に味わっていた男だけである。  
あまりの出来事に、男は堰として声も出ない。  
凛を上に乗せ、淡い膨らみを握り締めたまま、硬直している。  
これほど鮮やかに、そして冷酷に殺戮を行う存在を男は今まで見たことがなかった。  
仲間の命を奪った下手人が、男なのか女なのかさえわからない。いや、それ以前に人間かどうかさえ判別できない。  
まさしく黒い影という言葉以外にそれを表現するすべが見つからなかった。黒い影が、一瞬にして三人の男の命を奪ったのであると。  
その影が、仰向けのまま凛と繋がっている男の喉に、血に濡れた刃を突き付けて言った。  
「その娘から離れな。」  
暴君に手打ちにされる時の家臣のような体で、男は影の言葉に従った。  
その目は恐怖に血走り、全身から脂汗が溢れ出して来ている。  
凛の胎内に納まっていた一物が抜け、彼女の体液が糸を引いて垂れ落ちた。  
男の一物は先程のような勢いを失い、今は萎びた柿のように情けなく縮み上がっている。  
男は恐怖に掠れた声で言った。  
「こ、殺すのか?」  
「ああ。」  
影の声にはまったく躊躇いが無い。  
直後、男の喉は垂直に刃を突き立てられ、口から大量の血液を吐き出した後、彼は絶命した。  
 
黒い影、いや彩女が屯に侵入し、凛を救出してから五刻(十時間)の後、彼女と凛はようやく宮坂峠まで到達していた。  
ここまでくれば国境は目と鼻の先であり、最早安全圏内であると言えた。  
廃人のようになった凛を連れての脱出行は、今まで経験したあらゆる役目より過酷であったが  
彩女は文字通り凛を引きずるようにして、死力を振り絞って己の役目を全うしようとしていた。  
二人は彩女が予め下見をし、目をつけておいた洞穴に潜り込み、そこで一夜を明かすことにした。  
このまま峠を越えてもよいのであるが、今や日も暮れかかってきている。  
彩女一人ならば夜半の峠越えも可能であると思われるが、今は歩くことさえおぼつかない凛を連れてきている。  
おまけに彼女を担ぐようにして山道を急いできた彩女の体力も限界に達していた。  
その為無理に峠を越えるのではなく、ここで一晩明かすのが最良の策であると彩女は判断した。  
「ここまで来ればもう大丈夫だ。よく頑張ったね。」  
そう言って、彩女は残り少なくなった自分の水筒の水を惜しみなく凛に与えた。  
洞穴の中には彩女が予め食料と水、それに夜露をしのぐための厚手の布を数枚用意していたが、  
今は水以外何も口にする気にはなれない。彼女は空になった水筒に、桶に溜めていた水を移すとそれをまず凛に与え、  
自分は桶の中に顔を突っ込むようにして水を胃袋に流し込んだ。  
 
山の夜は冷え込みが激しい。  
彩女はまず厚手の布で凛を包むと彼女の隣に腰を下ろし、今度は二人を包み込むように大き目の布を巻きつけた。  
凛は人形のように押し黙ったまま何も言わない。  
寒さのせいであるのか、それとも暗闇の恐怖によるものなのか、小さく小刻みに震えている。  
彩女は黙って凛を抱きしめた。  
こんな時、男ならばつまらない慰めの言葉の一つでも掛けていたかもしれない。  
しかしそんな言葉など、全てを失った少女の前では何の役にも立たない事を彩女は知っている。  
凛を胸に抱き、その髪を優しく撫でた。少女らしからぬ、艶を失ったぼさぼさの髪である。  
その髪を手櫛ですくように、彩女はただ撫で続けた。  
―これからどうするのか?などと彩女は聞かない。  
そんなことはこの少女にもわからないに決まっている。  
彼女には帰る場所も、頼る人間もいないのだ。  
髪を撫でながら、一言こう言った。  
「あたしの庵においで。」  
この少女を引き取る義理は無いが、情けはある。  
このまま棄て置くこと等、彩女には出来ない。  
 
―この娘は、孕んでいるかもしれない。  
それが彩女の心配事であった。  
そうであるならば、早急に然るべき処置を施さなければならない。  
幸い彼女の知り合いに、腕のいい産医がいる。彼は出産だけではなく、同時に堕胎の専門家でもある。  
かつて彩女も二度ほど世話になったことがあり、彼の腕のよさを自らの身体で実感していた。  
万が一凛が妊娠していても、彼に任せておけばすべて上手くいくに決まっていた。  
「あたしの庵は小さいけど、あんたならきっと気に入ってくれると思うんだ。」  
彩女が優しく語り掛けた。  
「そこにはあたし一人がいるだけだから、何も心配は要らないよ。怖い奴なんかいないんだ。  
 だから安心していいよ。だからあたしの庵においで。」  
彩女の表情は、娘を思う母親のように慈愛に満ちていた。  
先程、一瞬のうちに四人の男を屠った女と同一人物とはとても思えない。  
「あたしの庵にはね、鶏と猫がいるんだ。とても可愛い子達でねぇ…きっとあんたならすぐに友達になれるよ。  
 庵の近くには川が流れていて、そこで採れる川海老が美味しいんだ。新鮮なのを油でさっと揚げて、塩を  
 少し振って食べるんだよ。あんたにも食べさせてあげるからね。それから…」  
 
                             〜続く〜  
 

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