双葉は重蔵に惚れている。  
弟と二人酒を酌み交わしながら、重蔵がいかにいい男なのであるか、  
自分がどれだけ彼に惚れているかを、大げさな身振り手振りと、稚拙な語呂を駆使して熱弁を振るう。  
姉が怒らない程度の相槌を打ちながら、単葉はそれを聞き流している。  
正直、双葉が誰に惚れていようと彼にはどうでもいい話だ。  
このふしだらな姉の持ちかける話題は、そのどれもが低俗で下らないものであるが、  
取り分けこの手の話題が最も唾棄すべきものであった。  
双葉には貞操観念というものがまるで無い。流行の簪を買い替えるがごとく、男を替える。  
今度もそれであろうと、単葉もいい加減うんざりしている。  
大体において、惚れた男がいるというのに、この阿婆擦れは平気で他の男に抱かれるのだ。  
この地に移り住んでから、彼が知っているだけで三人男を替えた。  
一晩限りの男など、一々数えるのも面倒である。  
 
弟がいるにもかかわらず、彼女は男を家に引っ張り込んで来る。  
連れてくる男の種類も様々である。  
浪人の時もあるし、ばくち打ちの時もある。  
乞食のような雲水や、年端もいかない少年の時もあった。  
大体においてこの女の好みは大変に変わっている。  
美貌の男や、金持ちの旦那を好むといった事が無い。  
いや、どちらかと言うと一風変わった奇妙な男を好む。  
姉が男を連れ込むたびに、単葉は密かに彼らにあだ名をつける。  
すぐにあだ名が思いつくほど、変てこな連中ばかりなのだ。  
無精髭を生やし、体中傷だらけの汚い浪人は「髭田傷の守」。  
極度の肥満で、一年中引っ切り無しに汗をかいている男は「湯気太郎」。  
年老いた盲目の按摩は「メクラ爺」。  
彼女が筆下ろししてやった、鼻が猪のように天に向って反り返っている少年は「猪若丸」。  
ちなみにこの少年は、顔面中に無数の痘痕があったので「痘痕童子」にしようかとも思ったが  
結局語呂のいい前者に落ち着いた。  
このふしだらな姉が、今度は一体どんな奇妙な男を引っ張り込んでくるのか、  
密かな楽しみにすらなっている。  
仏頂面の単葉の姿を見ると、大抵の遊び男は困惑する。  
だがその時もこの阿婆擦れは、  
「あれはあたしの弟だよ。道端に立ってるお地蔵様みたいなもんだから気にする事は無いよ。」  
と気にも留めない。  
姉がこの弟につけたあだ名は「お地蔵様」であった。  
そして双葉は襖一枚隔てた隣室で、あられもない声を上げて睦みあいを始める。  
いくらお地蔵様でも、これではたまったものではない。  
 
「ああ、お腹が空いた。何か作っておくれ。」  
男が帰ると、双葉は決まってこう言う。  
今日の男は頭がつるつるに禿げ上がった中年の男であった。  
単葉が彼につけたあだ名は「鶴念」である。  
彼女は薄い襦袢一枚を羽織ったままの姿で、胡坐をかいて座っている。  
袖に腕も通さず、帯も締めていない。  
白い肌が僅かに桜色に染まり、睦みあいの余韻を感じさせる。  
「湯漬けでいいか?」  
「いいよ。でも焼いておくれ。」  
双葉は焼いた握り飯を湯漬けにして食べるのが大好きである。  
単葉は早速仕事に取り掛かった。冷や飯で手早く握り飯を握り、囲炉裏で炙った。  
この自堕落な姉は、何も出来ない。料理も洗濯も裁縫もまるで駄目だ。  
そして彼女に忠実なこの弟は、何でもそつなくこなす。料理も洗濯も裁縫もお手の物だ。  
米の焼ける香ばしい香りが狭い部屋の中に充満する。  
「もういいんじゃないかい?早くお湯をかけておくれ。」  
子供のように催促する姉に呆れつつも、彼女の言うとおりにしてやる。  
焼いた握り飯を椀に移し、並々と湯をかけてやった。  
「箸が無いよ。」  
「わかってる。」  
「ついでに瓜の香の物もね。」  
「それもわかってる。」  
 
弟特製の湯漬けを掻きこみながら、双葉は今日睦んだ男の具合をあれこれ語る。  
あの男は早いとか、下手だとか、萎びたキュウリだとか、大抵いい評価は得られない。  
「あたしはあんたの皮被りのほうが好きだよ。可愛くてさ。」  
そうしみじみと漏らした後に見せる、弟の憮然とした表情が何とも可愛らしい。  
それから男からの貢物を引っ張り出してきて、やはりあれこれ批評する。  
彼女の採点はこれまた厳しすぎるほどに厳しい。  
「あたしこんなの要らないや。あんたどこかで売ってきてよ。」  
先ほどの男からの貢物は、黒漆の塗られた櫛であった。  
様式化された二羽の鶴の蒔き絵が施されている。  
「これさあ、二重塗りなんだよねぇ。貧乏ったらしいったりゃありゃしない。」  
この時代の漆器で最も高価なのは、七重、八重にも漆を塗り重ねた多重塗りのものである。  
漆を塗る手間隙が、恐ろしく掛かるからだ。その為漆の層が多ければ多いほど上等とされた。  
だが単葉には漆器のことなどわからないし、興味も無い。  
「自分で売って来い。」  
「面倒だから嫌だよ。どうせあんた街に買出しに行くだろ。その時でいいからさ。」  
男からの貢物を、双葉は大抵全て換金してしまう。その金は大抵酒か装飾品か男に消える。  
だがそんな彼女にも、換金しなかった品物がたった一つだけある。  
何年も前に弟にねだって買ってもらった、紅色の櫛である。  
一重塗りの安物なので、所々漆が剥げ、地が顔を覗かせている。  
それでも双葉は、今でもこの櫛を大切に使い続けている。  
もっともそんな事を単葉は知る由も無いし、櫛を買ってやったことなどとうに忘れていた。  
 
「よく飽きないな。」  
男を変える度に、単葉は皮肉交じりに言う。  
「五月蝿いよ。」  
だがどんな男に抱かれても、彼女が満たされる事は決して無い。  
この阿婆擦れは、男達に身体は開いても、その心まで開いた事はただの一度も無かった。  
彼女が心を開く男はこの世でたった一人しかいない。そして未来永劫、死ぬまで一人きりだ。  
 
単葉の顔が浮かない。  
この男は多分に憂鬱持ちである。  
だからこんな表情を見せるのは大して珍しいことではない。  
だがこんな時に限って、お節介にも姉が顔を覗き込んでくる。  
「あんた、誰かに虐められたのかい?」  
―まさか。  
彼は心のうちで苦笑する。  
―この歳で、虐められるなど。  
そんな事在るわけが無い。  
彼を虐める者がいるとすればそれはたった一人、目の前にいる実の姉以外にはいない筈である。  
「虐められたら、あたしにお言い。」  
今度は口に出して笑った。  
双葉は憮然とする。せっかく人が心配してやっていると言うのに、その人を喰った態度は何だ。  
彼女は怒って、奥に引っ込んでしまった。単葉が視線が、寂しげにその後姿を追った。  
 
幼い頃の単葉は皆に虐められた。  
姉以外の人間と殆ど口を利こうとしない不気味な少年を、好く者はいない。  
里の悪童供に散々虐められて、姉の待つ家に帰り着く。  
生傷だらけの身体に、泥だらけの顔。涙をボロボロ零して帰り着く。  
ボロ雑巾のような弟の姿を見た姉は、虐めっ子よりも恐ろしい形相で彼を詰問し、悪餓鬼供の名前を聞き出した。  
それからはもう火花そのものだ。用心棒を引っ掴んで、巴御前よろしく駆け出していく。  
悪童供は、この幼い巴御前に嫌と言うほど打ちのめされ、泣きながら両親の元へと敗走する。  
悪餓鬼供の親もまた、彼ら同様邪悪である。  
たかが子供の喧嘩ごときに徒党を組み、姉弟を糾弾する。  
この姉弟に親はいない。彼らは棄て子であった。  
一時の嵐が過ぎ去るまで、ただ只管強く抱き合って、決して涙を見せる事は無い。  
その頑なな態度がさらに大人達の怒りを買ってしまう。  
彼らは一方的に悪者にされ、疎外され、憎悪される。  
そんな訳であるから、弟同様双葉も里人に愛されず、友達もまったくいない。  
単葉の友達はたった一人、実の姉ただ一人であった。  
双葉の友達もたった一人、実の弟ただ一人であった。  
彼らは互いに唯一の肉親であると同時に、親友であり、また戦友でもあった。  
「虐められたら、姉ちゃんにお言い。」  
双葉はそう言って、孤独な弟を抱きしめてやる。  
彼女は必ず報復を行う。泣き寝入りと言う言葉を知らない。  
独りぼっちになると知りながら、この勇敢な巴御前は必ず弟の仇をとる。  
弟の屈辱を打ち払い、彼の名誉を取り戻す。  
だから単葉も孤独な姉を抱きしめた。  
薄汚れた布団の中、二人は毎晩のように抱き合いながら眠りについた。  
抱き合いながら、大人になった。  
 
双葉は歩き巫女として育成された。  
歩き巫女とは、特定の神社に所属しないフリーの巫女の事を言う。  
彼女達はそれぞれ諸国を遍歴し、その土地その土地で謡や舞を神に奉納する。  
そしてまた、その土地の神と対話し、その言葉を聴き、理解し、  
土地の民に伝える役割を持つ。  
と同時に、彼女達はまた遊女でもある。  
謡や舞を見物に来ている男に金で身体を開くのだ。  
歩き巫女の歴史は古く、日の本を様々な神々たちが闊歩していた時代から存在するという。  
記紀神話にあるアメノウズメノミコトも、この系統にあると聞く。  
 
時代が下るにつれ、諸国を遍歴する歩き巫女の性質に目をつける者たちが現れ始めた。  
土地の豪族たちである。  
彼らは巫女達を金銭で雇いいれ、間諜として諸国へと放った。  
神に仕える彼女達は、関に留められる事も吟味される事も無く、易々と目的の場所へと潜入した。  
彼女達は巫女であると同時に遊女でもあり、また忍びでもあった。  
 
その内、この歩き巫女を端から忍びとして教練する大名家も現れた。  
「間諜もこなす巫女」ではなく「巫女の姿をした忍び」として彼女達は育成され、諸国へと散っていった。  
双葉はその後者のほうである。  
巫女になりきるため、その立ち居振る舞いから芸事に至るまで徹底して叩き込まれている。  
その為か、彼女の謡と舞はそれこそ本物以上に様になっている。まさに玄人はだしである。  
それにもともとこの手の芸事に対する天賦の才が在ったのだろう。  
彼女もまた己の芸を愛していた。  
酒に酔った双葉は、度々声を張り上げて謡を唄う。美声である。  
芸事に興味が無い単葉さえ、思わず聞き惚れてしまう程だ。  
彼女が紡ぐのは大抵故郷の歌だ。  
彼らに故郷は無い。自らの手でそれを永遠に消し去ってしまっていた。  
しかしその喉はまだ故郷を忘れてはいない。  
 
芸事を愛しすぎたためであろうか。その一方で、彼女はこと「始末」においてはからっきし駄目であった。  
一応飛び道具を使うが、大して鍛錬をしていないので全くと言っていいほど役に立たない。  
始末するべき人間に掠りもしない。味方である単葉に命中してしまった事も一度や二度ではない。  
だから始末の最中は、成るべく弟の邪魔をしないよう遠間で事の成り行きを見守っているか、  
精々色香で相手を誘き出すかのいずれかである。  
 
だが弟は全く違う。彼は元々殺人鬼としての教練を受けている。  
人間を殺す為のありとあらゆる技術を叩き込まれ、またそれを何度も実践している。  
彼の実力は、里の悪餓鬼供の遠く及ばない所まで辿り着いた。  
彼が虐められる事は、もう無い。  
 

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