姉弟は濡れ縁に寄り添う。  
涼しい日も続いたというのに、夏はまだしぶとくも居座り続けているようだ。  
水を張った一つ盥の中で、二人仲良く素足を絡ませあいながら涼をとっている。  
一輪の野菊が残暑の風を孕んで揺れている。  
「あんなに咲き急がなくてもいいだろうに。」  
ぽつりと漏らす姉の言葉が印象的だ。  
「採ってきてやろうか。」  
単葉の言葉にも頸を振る。  
「採ったら気の毒だ。それに庭に居るほうが可愛くていいじゃないか。」  
心も身体も薄汚れているというのに、この阿婆擦れの姉には妙な情けと美意識が在る。  
それは弟には無いものであった。花も草も、彼には単なる風景に過ぎない。  
 
「重蔵は何で凛が好きなのかねぇ。」  
独り言のように問いかけてみる。  
この朴念仁に大した答えなど求めていない。  
彼もまた、その通りの返答をする。  
「さあな。俺にはわからん。」  
「あんたは凛が好きかい?」  
「嫌いだ。」  
「どうしてだい。」  
弟は少し考える素振りを見せた。  
「嫌いだ。」と答えたのは姉に対する配慮の為であった。  
彼はこれまでにただの一度も他人を好いた事も嫌った事も無い。  
庭で揺れる野菊同様人間もまた、単なる風景に過ぎなかった。  
それは双葉にもよくわかっている。  
だがそんな弟の朴訥な優しさが今は何よりも嬉しい。  
「餓鬼だから。」  
それが単葉の導き出した答えであった。  
餓鬼と言えば、この双葉も相当な餓鬼であろう。  
肉体は成熟した大人の女のそれだが、精神は何処までも幼い。  
自身の欲望に忠実で、それが満たされないと激怒し、時には泣き喚き暴れ狂う。  
単葉も彼女には相当泣かされている筈だが、だからと言って彼が双葉に愛想をつかす事は無い。  
彼は双葉の唯一の肉親にして、最も忠実な家来であった。楠正成以来の大忠臣であった。  
「餓鬼は嫌いかい?」  
「ああ嫌いだ。」  
双葉が苦笑した。これは己に対する皮肉のつもりなのであろうと勘ぐった。  
もちろん弟にそんな意図は全く無い。  
 
少し、涼んできたか。  
風の色が変わった。  
「もう上がろう。」  
双葉の言葉を合図にして、弟は予め用意していた手ぬぐいで彼女の脚を拭ってやった。  
それから自分の足を拭い、桶の水を庭に撒いた。  
双葉は奥に引っ込み、乱れた裾を直していた。  
至極当然のように、弟はその隣に納まる。  
 
姉の掌が、単葉の大腿を撫でた。  
無言のまま弟の着物の裾をはだけると、褌の横から一物を取り出した。  
「あんたの皮被りはいつ見ても可愛いよ。」  
この言葉が弟に対する最大の賛辞である。  
双葉がたびたび弟の肉の玩具を取り出して遊ぶようになったのは、十を少し過ぎた頃であったろうか。  
自分には存在しないこの不可思議な物体は、姉の好奇心と興味を大いに刺激した。  
弟の中心に付着するこの物体が一体何物であるか、見定めたかった。  
あの頃から何も変わっていない。姉は何時までも餓鬼のままである。  
「餓鬼は嫌いだ。」と言う弟の言葉は嘘である。  
彼はこの餓鬼が嫌いではない。  
 
遊びやすいように、双葉は弟の帯を解き、褌もすっかり取り去ってしまった。  
双葉と肉の玩具だけがそこに残った。  
彼女はまずそれを手の内でたっぷりと弄び、その感触を十分に愉しんでから  
鼻を近づけて鼻腔一杯に香りを確かめ、舌と口腔で味を確認した。  
弟はもう何処までも姉に従順であり、玩具と戯れる彼女の邪魔をしないように唯の肉塊になりきった。  
頬を赤く染めながら、夢中に遊ぶこの姉が、彼の全てであった。  
玩具が爆ぜても、双葉は気にしない。いや、それこそがこの玩具のもっとも不思議で、愉快な瞬間でもある。  
内容物が何処に付着しようとも、最終的にそれはすべて双葉の内に吸収され血肉へと姿を変える。  
彼女の肉体の幾分かは、この弟の猛りによって形成されていたと言っていい。  
 
半刻(一時間)程たっぷり遊んで、双葉は漸くこの玩具に飽きた。  
唾液を散々塗り込められた玩具はふやけきり、気の毒なほど萎びている。  
そろそろこれを元の持ち主に返却しなければならない。  
名残を惜しむかのように、潤んだ瞳のまま言った。  
「やっぱりあんたの皮被りが一番いいねぇ。」  
 
単葉が一人、濡れ縁で思い出と睦みあっている。  
 
幼い姉弟は、素っ裸のまま水と遊ぶ。  
彼らだけがその存在を知る秘密の水辺で、二人は戯れている。  
双葉は肉体は、今でこそあらゆる男を蕩かすものであるが、  
あの日の彼女の肢体は、幼い少年である単葉と殆ど変わらない。  
唯一の違いは、体の中心部に肉の突起物が付いているかいないかぐらいでしかない。  
遊び疲れた姉弟は、岸辺の岩に腰を掛けて、太陽の熱で身体を乾かしている。  
 
こんな時に限って、姉は議論を吹っかけてくる。  
「おちんちんを女の股に入れると、赤ん坊が出来る。」  
それが、彼女の自慢の知識であった。  
双葉が一体何処でそんな知識を仕入れてきたのかはわからない。  
ただ、この知識を披露する時の彼女は、まるで全世界の出来事を全て知り尽くした  
大賢者よろしく鼻を鳴らして弟を見下す。  
「そんなのは嘘だ。」  
―そんな恐ろしい事があってたまるか。  
幼い弟は、姉が誰かに誤った知識を植え付けられているものと信じて疑わない。  
こんなに繊細で、柔らかなモノを女の股座に入れるなどと。  
いや、第一入るわけが無い。コレはこんなにふにゃふにゃで柔らかいのだ。  
それに双葉の股にだって、コレを受け入れるだけの余裕が無いではないか。  
これほど恐ろしく、陰険で、背徳に満ちた行為で子供が生まれるわけは無いのだ。  
 
里の者が「噛み付き岩」と呼ぶ奇岩が、葉隠れにはあった。  
鎮守の森のそのまた奥。  
殆ど誰も立ち寄らない「秘境」にその巨大な石灰岩は鎮座している。  
長い年月を掛け侵食されたその岩には、深い筒状の穴が開いている。  
その穴に手足を突っ込むと、忽ちの内に食い千切られてしまうという伝承から、この名が付いた。  
単葉はこの伝説を殆ど狂信的なまでに信じきっている。  
それをよく知っている双葉は、竹の切れ端や、魚籠や、花瓶など兎に角ありとあらゆる  
筒状の物体を彼の目の前に掲げ、  
「この中には、噛み付き岩の物の怪が入っている。」と脅して、逃げ惑う弟を追い掛け回してくるのだ。  
 
「赤ん坊は、神様が連れてくる。」  
弟も負けじと持論を展開する。  
「祝言を挙げて、夫婦(めおと)になると神様が赤ん坊を連れてくる。」  
それが彼の言い分であった。  
姉がにやりと笑う。  
―では、その神様が居るという証拠を見せてみろ。  
弟は、その問いに答えることが出来ない。  
―お前は神様を見たのか?  
この幼い論客は、口を尖らせたまま顔を伏せる。  
双葉はもうすっかり勝ち誇って、  
―その神様を見たのか?それはどんな姿をしている?何故答えない?早く答えてくれ。  
  神様はいつ、どうやって子供を連れてやってくるのだ?大体連れてくる子供自体どのように生まれたのか?  
弟に反論の隙を与えないほど早口でまくし立てる。  
両の眦に一杯の涙をためたまま、幼い論客が真っ赤な顔をして押し黙る。  
こうなっては勝負あったも同然だ。敵軍は総崩れ。我先にと逃亡している最中だ。  
だがそれでも追撃の手を休めないのが双葉である。  
―隣の郷に住んでいる、兵五さんとお松さんは夫婦でも無いのに子供がいる。  
  これはどういう訳だ。辻褄が合わないではないか?早く答えてくれ?これは一体どういうわけなんだ?  
最早敵の大将頸は目前。双葉は得意の絶頂にいる。  
 
窮鼠猫を噛む。  
弟も最後の反撃に出る。  
―ではそのコレをアレに入れると子供が出来る証拠を見せてみろ。    
  お前は見たのか。早く答えてくれ。コレをアレに入れると、どうやってどのようにして子供が出来るのか。  
  それを詳しく教えてくれ。  
先ほどの姉と全く同じ手法で、やり返す。彼の周囲を固めている馬廻り衆が、決死の覚悟で牙を剥く。  
だが、それでもこの姉のほうが一枚上手であった。  
「それならば、実際にあんたのソレをあたしの股に入れて、確かめてみればいい。」  
弟は仰天した。そして大いに恐怖した。この姉は、さても恐ろしい事を平気で口にする。  
―山に住む山姥が、姉に化けて自分を取って食おうとやってきたのではないか。  
本気でそう思った。  
「嫌だ!!」  
一言そう喚くと、着物を引っ掴んで、まだ水滴に濡れている身体におっ被せ、帯も締めぬうちに逃げ出していた。  
 
逃げ出しても彼がいく所は一つしかない。  
山姥の姉と二人きりで暮す、襤褸の住処である。  
彼は風のように走りに走り、襤褸に逃げ込むと慌てて用心棒をかけ、布団に潜って息を潜める。  
 
 
姉弟は、一つの布団で抱き合って眠る。  
今日の姉は格別に恐ろしいが、それでも暗闇にたった一人眠る恐ろしさに比べれば、まだ我慢できる。  
単葉は「噛み付き岩」の物の怪と同じくらい、夜の暗闇に恐怖した。  
「大きくなったら、あんたの赤ん坊を産んでやる。」  
ぼそりと姉が呟いた。  
―やはりこの姉は山姥なのでは無いか?  
弟は心底肝を冷やした。  
しかし彼はそれでも布団を出ることが出来ない。  
「姉ちゃんの事、嫌い?」  
山姥の癖に、悲しいことを言う。  
―とんでもない!  
慌てて頭を振った。  
「じゃああんたの赤ん坊を産む。姉ちゃんの言っている事のほうが正しいって、あんたに教えてやる。」  
山姥が、弟の頭を優しく撫でながら宣言した。  
 
この時の事を思い出すと、単葉は今でも可笑しくなる。  
果たしてこの時の姉は、本気で弟の子供を産もうと思ったのか。  
あるいはただこの怖がりの泣き虫を、怖がらせたかっただけなのか。  
今でもその評価に迷うぐらいだ。  
 
―ちょっとあんた、またそんな顔をして!  
姉の一言で、彼は思い出と別れることになった。  
見ると、双葉が庭に立っている。  
手には酒瓶がぶら下っていた。  
いつもは弟に行かせるくせに、今日の彼女は珍しくその脚で好きな酒を買いに出かけていた。  
「一人でにやにやするのはお止めって言ったろう?気味が悪いったらありゃしない。」  
この様子だと、一部始終を見られたか。単葉の顔に若干赤みが増した。  
「しょうのない子だねぇ。」  
姉が微笑して、ぶら下げていた酒瓶を掲げた。  
「飲るかい?」  
断る理由は何処にも無い。  
「ああ。」  
彼はいつもの通りの仏頂面で返事をする。  
それが双葉には堪らなく可笑しい。  
 

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