双葉が珍しい客を連れてきた。  
何と蛭吉である。勿論本名ではない。  
彼には「佐吉」と言う立派な名前が在るが、誰もその名で呼ぶ者はいない。  
生まれながらの足萎えで、まともに歩くどころか立つ事すらままならない。  
おまけに発する言語も不明瞭だ。  
その為彼は村の外れの海辺の近くで乞食をして何とか生存している。  
元の素材が何で在るかも判らないほどボロボロになった布切れを身に纏い、  
千切れかけた荒縄の帯を締めている。  
そこからのぞく素肌には垢がこびり付いていて、これが酷く臭う。  
彼の萎えた足は、体に比べてまるで幼児のように小さく、生気の無い土気色に萎びている。  
蛭吉の前を通り過ぎるたびに、村人たちはこの男を嘲笑し、時には石を投げる。  
それでも蛭吉が怒ることは無い。  
彼はいつも不気味な程朗らかな笑顔を浮かべ、  
ただ大人しく座っているだけであり、それが彼に出来る唯一の仕事であった。  
 
「蛭吉か。」  
単葉は糸のように細長い眼を、皿のように丸くした。  
「佐吉さんさ。」  
双葉はこの男を決して蛭吉とは呼ばない。  
蛭吉は彼の住処でもある車台の上に載り、にたにたと意味も無く笑っていた。  
この車台を、双葉が乳母車よろしく「えいこら」と押して二人は此処に辿り着いた。  
「何故?」  
「何故?」  
姉は弟の質問の意味がわからない。  
鸚鵡返しに聞き返した。  
「いや、何故蛭吉を?」  
ああ、と双葉が頷いた。  
「この人、あたしのことが好きなんだってさ。」  
ほう、と感心して単葉が蛭吉を見た。  
彼は相変わらず戎様のような、ひょっとこのような笑いを浮かべてそこにいる。  
一体この男はこの阿婆擦れの何処が気に入ったのか。  
 
「こいつが、お前を?」  
「ああ。そうさ。」  
「そう言ったのか?」  
返事をしたのは何と蛭吉本人である。  
「俺は好きだ。」  
彼は他にも言語らしきものを発したが、  
単葉が聞き取る事が出来たのはその部分だけであった。  
「寝るのか?」  
弟の問いに、さも当然と言うように双葉は頷く。  
大体彼女が男を引っ張りこんで来る理由はそれ以外に無い。  
どこか合点の行かない様子の弟に、彼女は至極明快な答えを出した。  
「この人、お女郎にも逃げられちまうんだって。だから、気の毒だろ。」  
気の毒だから、抱かれてやると言うのだ。  
単葉は呆れた。一体何処の世界にそんな女がいるのか。  
だが同時にこの女ならそうかもしれないと思っていた。  
この阿婆擦れには不思議な情けが在ることを、彼は知っている。  
「…そうか。じゃあそうしろ。」  
「ああ、そうするよ。」  
「頑張れよ。」  
「ああ、頑張るさ。」  
 
まったく奇妙やり取りである。  
双葉とは随分長い付き合いになるが、こんなにも奇妙なやり取りをしたのはこれが初めてであった。  
姉に命じられるまま、単葉は蛭吉を抱え上げ、座敷に上げてやった。  
彼は酷い悪臭がしたが、双葉はまったく気にならないようだ。  
彼を寝室にまで運んでやると、布団の上に降ろしてやった。  
「悪いね。」  
双葉が弟の労をねぎらう。  
このとき蛭吉も何か言葉を発したようであったが、単葉にはそれを理解する事が出来なかった。  
 
二人を残して、単葉は部屋を後にした。  
そのまま庭に出ると、草の上に横になり雲を眺めた。  
もう秋の空である。夏は、去ったようだ。  
奥から、姉の戯れ歌が聞こえてくる。  
 
 
群れからはぐれた蟻の子や    
お前は何処に辿り着く  
踏みつけられて潰されて  
お足が二つも欠けている  
 
群れからはぐれた蟻の子や  
あたしと一緒に遊ぼじゃないか  
あたしもお前と似たもの通し  
夢に睦んで遊ぼじゃないか  
 
群れからはぐれた蟻の子や  
あたしも一緒に連れとくれ  
遠いあの日の夢の国  
いつかの契りのあの場所へ  
 
 
一刻ほど経ったであろうか。姉が弟を呼んだ。  
「佐吉さんを、元いたところに返してきておくれ。」  
そう命じられたため、単葉はそれに従った。  
この足萎えの乞食は、双葉とどのような睦事に興じたのであろうか。  
車台をごろごろと押しながら、単葉はぼんやりとそんな事を考えていた。  
蛭吉の顔を盗み見ても、彼は相変わらず戎様とひょっとこのあいのこのような顔をして笑っているだけだ。  
彼の住処は、村の西の一番外れ、海へと通じる小道に在る。  
家から、ゆうに半刻はかかった。  
何故彼がこんな所を住処にしているのか、彼にはわからない。  
それにしてあの面倒臭がりの姉が、よく半刻もかけてこの男を連れてきたものだ。  
単葉はそれが何とも不思議で、愉快であった。  
去り際に、小銭を恵んでやった。  
蛭吉は礼を述べたようであるが、やはり単葉にはその言葉を理解できない。  
早足でその場を去った。  
ふと振り返ってみる。  
蛭吉は相変わらず戎様とひょっとこの笑顔を浮かべたまま、  
もう何百年も前からそこに住んでいる土地神のような佇まいで、風景と混ざり合っていた。  
 
「佐吉さんはね、変な事を言うのさ。」  
「どんな事だ?」  
その晩、姉弟は酒を酌み交わした。  
「この日の本の御國はね、あの人のおっ父とおっ母が造ったんだってさ。」  
「ははは、蛭吉はそんなことを言うのか。」  
久しぶりに酒に酔い、単葉はさも愉快と言う風に笑った。  
存分に睦みあい、寝物語での話だろうか。  
一体あの乞食はどのような面をして、双葉にそんな戯れ言を語ったのか。  
それを思うと笑いが止まらない。  
成る程、この姉があの乞食を連れてきた理由が、少しわかった様な気がした。  
彼女は酔狂な女である。だからこそ酔狂な人間を好む。  
そう言えば、この姉にはあの意味不明な言語を発する乞食の言葉が理解出来る様である。  
なぜそうなのかは単葉にはわからないし、姉に尋ねようともしない。  
ただ、  
―酔狂者通し、何か通じ合うものが在るんだろう。  
そう思って一人納得していた。  
「佐吉さんはね、生まれついての足萎えだから棄てられちまったんだって。」  
「そうか。俺たちと一緒だな。」  
この姉弟の両親も、彼らを棄てた。彼らは葉隠れの里に拾われたのである。  
「妹と弟がいるんだってさ。佐吉さん。」  
「そうか。妹と弟がいるのか。」  
 
二人はそれから、酔い潰れるまで酒を煽る。  
 

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