寂れた安宿の一間半四方の薄暗い部屋の中は、  
二人はお互い対面した壁を背にして座ったまま、沈黙を守っている。  
 
「あんた、ちょっとこっちへ来ておくれよ。」  
その沈黙を破ったのは彩女であった。  
手持ち無沙汰に自身の髪を弄んでいた彼女は、対面している男に声をかけた。  
この夜の暗闇の中、暇を持て余している馴染みの男女がする事と言えば、一つしかない。  
「お前が来い。俺は疲れている。」  
「あたいだって疲れてるんだ。」  
 
力丸は幽かに苦笑し、彼女の言うとおりにしてやった。  
「あたいも疲れている。」と言う彼女の言葉は嘘であった。  
彩女は力丸が向こう岸に辿り着くや否や、彼に覆い被さるようにして唇を奪い、  
その後は自身の思うとおりにした。  
彼女の汗の臭いが力丸の鼻を突いた。  
無論、彼女にも自身の不快な体臭が届いている筈だ。  
 
「あんたは良い匂いがするよ。」  
 
下になった力丸は、一個の肉の塊に成りきり、彼女の好きなようにさせている。  
何故ならば彼は本当に疲れており、自ら動く気力が無かった。  
 
「あんたの子供が欲しかったよ。」  
 
―それは言わないでくれ。  
 
彼女に為すがままにされながらも、力丸は悲しく呻いた。  
 
彩女には息子がいた。  
忍びとして育てられた彼女は、子供を一人生んだ直後にその子宮を破壊され、  
最早二度と己の血を後世に残す事が出来ない身体となった。  
そしてその最愛の我が子も、三つになるかならぬかという内に、流行り病でこの世を去っている。  
 
「あんたの子供が産みたかった。」  
 
力丸と違い、彩女は別段この相棒を愛していると言うわけではない。  
ただ、彼女が信用出来る男はこの世で力丸たった一人だけであったし、  
所帯を持ち、子を為しても良いと思える男もこの世でただ一人、彼だけであった。  
 
 
上になった彩女が、まるで熱に浮かされたかのように繰り返し呻き立てる。  
 
「あんたの子供が欲しい。あんたの子供が産みたい。」  
 
 
 
―赦してくれ。俺にはどうする事も出来ない。  
 これ以上俺を虐めないでくれ。  
 
 
 
目の前で、彩女の乳房が揺れている。  
 
 
 
翌朝目を覚ますと、隣で寝ている筈の力丸の姿が見えなかった。  
しかし彩女は驚きもしない。彼はどこかへ遁げ出すような男ではないし、  
また遁げる場所も無い。  
その証拠に、彼の荷物が失われていない。路銀も残らずそこにある。  
 
 
 
暫く部屋の中で待っていると、巳の下刻(御前十一時頃)頃、彼が帰ってきた。  
 
相棒が何の託も無く姿を消した事には驚かなかった彩女も、  
彼が抱えて来た物体を目にした途端、驚愕した。  
 
「それ、どうしたんだい?」  
 
何と彼が抱えて来たのは、一人の乳幼児であった。  
薄汚れた麻布で包まれているものの、血色は良く元気そうだ。  
 
「寺の門前に捨てられていたのを、拾って来た。」  
彩女は眉を顰めた後、薄く笑った。  
「拾ってきた。」と言われても、犬や猫ではない。  
人間の赤ん坊なのである。  
 
赤ん坊は男の子であった。  
「おや、可愛い。」  
彩女は無意識の内にその証に手を伸ばし、そっと指で触れた。  
 
「この子をどうするつもりなんだい?」  
彼女がそう尋ねようとした矢先、力丸は唐突に  
「手を出せ。」  
「え?」  
「いいから手を出せ。」  
彩女は彼の言う通りに、利き腕とは逆の左手をすらと出した。  
「何だい?ほうか師(手品師)の真似事でもするのかい?」  
 
その瞬間、彼女の左手首に違和感が走った。  
見ると、力丸の右手には小柄(小型のナイフ)が握られている。  
 
その研ぎ澄まされた刃が、彩女の左手首を真一文字に切り裂いたのだ。  
「何をするんだい!」  
咄嗟に右手で手首を抑えたものの、動脈を正確に切り裂かれた為  
後から後から鮮血が溢れ出し、雫となって薄汚れた床板に零れ落ちた。  
 
これはもうほうか芸(手品)どころの話しではない。  
悪戯にしても、度が越えている。  
 
しかしその力丸は、全く悪びれる様子も、言い訳する様子も無く  
何と今度は自身の左手首に、同じように小柄で傷を付けたではないか。  
 
―この男は物狂いか。  
 
彩女にはそうとしか思えない。  
一言文句を言ってやろうと意気込んだ彼女も、相棒の狂気の沙汰に恐れ戦き、  
沈黙せざるを得ない。  
 
そうしていると、その狂気の男が鮮血で濡れた自身の左の人差し指を  
赤ん坊の口に含ませ始めたではないか。  
腹が空いていたのであろうか。赤ん坊は力丸の血液を音を立てて啜りたてた。  
 
「お前もやれ。」  
「え?」  
「いいからお前もやれ。」  
 
彩女は彼の意図をはっきりと悟った。  
力丸が赤ん坊の口許から指を引く抜くや否や、  
今度は彼女がその口許に、鮮血の滴る左の人差し指を差し出した。  
 
彩女の赤い乳を、赤ん坊は旨そうに吸った。  
 
 
「俺と、お前の子だ。」  
 
 
力丸が幽かに微笑んだような気がした。  
 
 
                           〜終わり〜  
 

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