夫の気配を、彩女は殆ど動物的な勘で感じ取った。
慌てふためきながら表に出ると、力丸がこちらに向って
歩いてくる姿が目に飛び込んで来た。
夫の帰還は、五日ぶりの事である。
居ても立っても居られなくなった彩女は、
「あんたっ!」
小走りで駆け寄ったかと思うと、我が夫の胸に飛び込んだ。
「あんた、良く無事で帰って来てくれた…。
中々帰って来ないから心配しちまったよ…。」
「…ああ、心配させてすまなかった。」
「寂しかったよ…ずっとあんたの事ばかり考えていた…。」
「…ああ、俺もだ。」
「ああ、力さん…。」
五日ぶりの再会をその口腔で味わう為、彩女は何度も力丸の口を吸った。
かつて女乱破であった彼女の姿はそこには無い。
彩女の過去は既に忘却の彼方へと消え去り、
今は夫の帰還を待ちわびる一個の女として、そして新妻としてそこに存在している。
「さ、さ、早く家の中に入っておくれ。」
力丸の腕を取った彩女が、盛んに急かした。
「ああ。わかった。」
その瞬間、力丸の手が彩女の尻をぺろりと撫でた。
思わず「あっ。」と身を竦ませると、今度は間髪居れず、胸を掴まれる。
「こ、こらっ…ふふ、いけない人だ。」
この手の夫の悪戯が、彩女は嬉しくて堪らない。
力丸を咎める事も無く、彼女はまるで少女のようにはしゃぎ立てた。
この夫婦は、山の麓に立つ小さな庵で二人きりで暮らしていた。
周囲にはいくつか村落が存在するものの、
その何れの箇所に辿り着くにも、徒歩で半刻以上は掛かる。
正に人里離れた辺鄙に居を構えていると言って良い。
この二人が所帯を持ったのは、今から三月ほど前の事であろうか。
世間的な祝言も挙げず、二人きり、酒を酌み交わしただけで夫婦となった。
ただ、女である彩女としては祝言を挙げたかったのであろう。
その証拠に、今尚彼女の言葉の端々には、残心が顔を覗かせる時がある。
しかし、残念ながら当初は先立つものが無かった。
力丸のほうも「銭が出来たら、いつか何処かで祝言を挙げよう。」と言ったきり
現在ではその言葉すら忘れているようなのである。
また、彩女がそれとなく切り出しても、
「わかっている。とやかく言うな。」
その手の話は聞くのも嫌だ、とばかりに臍を曲げた力丸が露骨な苛立ちを見せ始める為、
我が夫の機嫌を損ねたく無い彼女は、沈黙を守るしかなかった。
力丸はこの手の祝い事には全く興味が無く、
ただただ煩わしい雑事の一つとしか考えていなかったのだ。
さて、その力丸であるが、彼は現在猟師をして生計を立てていた。
帰還した際のいでたちもその生業に即したものだ。
そのいでたちに付いて、少々筆を加えておこう。
力丸は紺色の小袖の上に、熊革の袖無し羽織を着込んでいた。
この羽織は、山犬や狼の襲撃を抑止する効果がある。
同時に昼尚暗い山中に身を潜めるに当って、迷彩の役割も果たしていた。
裾絞りにした濃鼠の袴の腰には、あの二尺二寸。
腰周りにはその他にも、数種類の小袋や竹水筒がぶら下がっている。
その背には、一丁の鉄砲と一張りの弓、
そして十本ほどの矢が納められたウツボを括りつけ、左肩には
鉄砲用の火縄が二重三重に巻き付けられていた。
「俺と所帯を持ってくれ。俺は心を入れ替えて、まっとうな人間になる。
お前と二人で、もう一度人生をやり直したい。」
その言葉を信じた彩女が、自らが女を売って稼いだ金で、
上記の道具の大半を我が夫に買い与えてやったのだ。
仕事の際に用いる鉄砲や弓は中古品ではあるが、別にいくさに使用するわけで無し、
狩猟程度なら何ら問題は無く機能した。
力丸はこれらの道具を自在に使いこなし、獲物を正確に仕留める事が出来た。
流石は元乱破者である。
暫く乱破家業から離れていたとは言え、一度得物を手にすると、
かつての本能が甦り、凄腕の「狩人」として部類の働きを見せた。
ただ「狩人」とは言ったものの、
彼の狩る獲物は鹿や猪の類では無い。山鳩や雉でも無い。
彼の狩猟の対象は「人間」であった。
いや、正確に言えば、人間の所持している懐の物、
と言い換えた方が良いかもしれない。
「心を入れ替え、まっとうな人間になる。」と言う力丸の言葉は嘘であった。
彼は最も安易で、そして危険な道へと足を踏み入れてしまったのである。
妻に腕を取られながら土間に入った力丸は、
「まず、水を一杯くれ。」
彩女は彼の所望通り水瓶から柄杓で水を掬い、飲ませてやった。
「美味い。」一息付いた力丸は、土間縁に腰を下ろした。
その足元では、土間に膝を付いた彩女が、夫の脚拵えの脱着に取り掛かっている。
猟師の脚拵えは百姓のそれよりも厳重に装着されている為、脱着には少々手間が掛かる。
力丸が手を貸そうとすると、
「いいや、あたいがやるよ。」
彩女は頭を振りながら、柔らかく微笑んだ。
やがて両脚がすっかり解放されると、力丸はそのまま居間に上がった。
彩女は休む事無く、今度は夫の脱衣を手伝ってやる。
既に彼の足元には着替えの小袖が用意されていた。
熊革の羽織を取り、袴、小袖の順に脱がせていくと、
忽ち力丸は褌一つの赤裸となった。
彩女は濡れた手拭を用い、甲斐甲斐しくその体の隅々までを拭ってやる事で
妻の役目の一端を果たしていたが、やがて想いが募ったのだろう。
「あんた…。良く帰ってきてくれた…。」
手拭をその場に捨て、彩女が再び力丸に抱擁した。
夫の胸に頬を寄せ、その鼻で彼の体臭を嗅ぎ取り、その舌で肌味を味わった。
更に時折、褌の上から夫の中心部分に触れ、そこでも彼の息災を存分に堪能する。
彼女は夫が帰還するとこのようにして、その無事を確認する事を常としていた。
「お仕事大変だったろ?」
「…いや、そうでもない。」
彩女は我が夫の本性を知らない。
純粋に、鳥獣相手の猟師であると信じている。
この仕事を始めた頃、彼女は
「山で獲れた獲物をどのような経路で、何処に卸しているのか。」
と言ったような事を、二、三力丸に尋ねた事があった。
その時力丸は、
「色々だ。別に何処という所は無い。行き擦りの商人にも売る事がある。」
顔色一つ変えずに、嘯いて見せた。
この辺りは元乱破者であり、その言い様に澱みも無ければ動揺も面に出る事は無い。
彩女の方も彼の話を信用したのか、それきり追求してこなくなった。
「本当に、寂しかったよ…。」
彩女はこの五日間、独り寝の寂しさに耐え切れず、
夫の姿を夢想しては何度も自慰に耽り、孤独を紛らわせて来た。
力丸が「今日の稼ぎだ。」と銭を渡しても、そのような事は二の次である。
彼女の頭の中には、今夜、褥での夫との一時以外思う所は無い。
「…今晩はあたいをたっぷり可愛がっておくれ…。」
「…ああ、五日分、たっぷり可愛がってやる…。」
「…ふふ、嬉しい…。じゃああたいもあんたの事、たっぷり可愛がってやるからね…。」
「…ああ、たっぷり可愛がってくれ。…」
暫く睦言を囁きあいながら抱擁を交わしていた二人であったが、
やがて力丸が「腹が減った。」と空腹を訴え始めた。
聞くと、彼は昨日から何も食べていないらしい。
勿論、食事の支度は出来ていた。
「ああ、そうだね。じゃあ、お飯(まんま)にしようか。」
「…ああ。そうしてくれ。」
名残惜しそうに抱擁を解いた彩女は、床の男小袖を手に取り、
慣れた手つきで力丸の裸身に着せ付けてやった。
上座に着座した力丸の前に、膳が運ばれてきた。
二菜一汁に雑穀飯が付いた質素なものであるが、
今日は特別に一献まで付いている。
妻の酌を受けながらのささやかな酒宴が、力丸の愉しみであった。
一方、彩女の膳は無い。
どうやら彼女は自身の事よりもまず、
力丸の食事の世話を優先させようという腹積もりのようだ。
「ささ、力さん、たんとお上がり。」
力丸の隣に侍った彩女は、わざわざ小袖の帯を軽く解き、
胸元の合わせを緩め、裾から太腿を露見させた格好で、
彼の給仕や酌の相手を甲斐甲斐しくこなし始めた。
そうしながらも、たまにその手を夫の胸元から差し入れてみたり、
裾から入って太腿を撫で回してみたりと、彼を悦ばせようと工夫を凝らしている。
また力丸の方も時々箸を置いては、彩女の緩んだ合わせの中にそっと手を差し入れて
柔らかな感触を愉しんでみたり、或いはその手を今度は太腿や尻に這わせてみたりで、
なかなか食事が進まない。
この睦み合いに、より積極的であったのは、彩女のほうであった。
彼女の愛撫の手は夫の太腿を通り過ぎ、褌の横からその内部に進入し始めた。
目当てのものを探り出した彼女は、あくまでも力丸の食事の邪魔にならない程度の
手練手管を持ってこれを弄び、二、三男が悦びそうな睦言を彼の耳元で囁いて見せた。
その内、悪戯程度では気が済まなくなって来たのであろう。
彩女が褌の前袋を少し脇に逸らしてやると、その中身がひょこりと顔を覗かせた。
既に十分屹立しているものの、先端の中ほどまでは今だ包皮に覆われている。
―これが欲しかったのだ。
彩女の喉がぐびりと鳴った。
五日間、これを待ち望んでいたのである。
―ああ…可愛い。これだ。この可愛いのが、あたいの欲しかったものなんだ。
少年を残したままの力丸の中心部分。
彩女が欲して止まない、彼の肉体の内で最も愛しい箇所である。
―ああ、可愛い。ああ、可愛い。
暫くは指先を巧みに駆使しながら弄んでいた彼女であったが、
やがてそれだけでは満足出来なくなった。
気が付くと、無意識の内に我が口腔内に夫の屹立を含んでいた。
直後、自身の後頭部で力丸の吐息を聞いた。
その力丸も興が乗ってきたようだ。
椀の上に箸を乗せた彼は、空いた右手で妻の背中を扇情的に撫で回し始めた。
下腹部に顔を埋めている彩女にも、一層の熱が籠る。
―我が妻は、何と愛しいのだ。
頃合を見計らって、彼女の小袖の腰帯をするりと解いた。
彩女がわざわざ腰帯を緩めておいたのは、この為である。
さらに行きがけの駄賃とばかり小袖の裾を捲り上げてやると、
彼女の太腿から臀部までが夕刻の冷気に晒された。
力丸の手は、そのまま吸い込まれるように彼女の中心へと滑り込んでいく。
妻の中心部は既に露に濡れていた。
溜まらず口腔から屹立を解放した彩女が、濡れた瞳で情けを乞うた。
赦されると、最早着衣など邪魔だとばかりに即座に脱ぎ捨て、
そのまま自身の唾液で濡れた夫の屹立に手を添えながら、
彼と対面する格好で、ついに自らの胎内に屹立を迎え入れた。
―ああ、これだ…!これが欲しかったのだ…!
途端に彩女が蕩けた。
自らの体重の助けを借りている為、より深い位置での交合が実現している。
この体勢を、彼女は最も好んだ。
―この時を待っていた…!ああ…この時の為に、生きているのだ…!
胎内の奥深くに、力丸を感じる。
熱い。
熱に浮かされたかのように、彩女は盛んに夫の口を吸い唾液を交換し合った。
力丸の唾液は汁物の味がした。
そう言えば、夫はまだ食事の最中であったのだ。
名残惜しそうに口を離した彩女は、
「…御免よ。お飯の邪魔をして…。つい我慢出来なくなっちまってねぇ…。
お詫びにあたいが食べさせてやるから、堪忍しておくれ。」
力丸の耳元で艶めいた言葉を囁いたかと思うと、
詫びの印、とばかりに夫の両の掌取って自身の両乳房に触れさせ、
「…あんたはこれで遊んでいておくれ。ね、好きだろ?これ。」
「…ああ…俺は彩のこれが大好きだ…。」
力丸の方も何とも熱っぽく囁き返して来る。
既に彼は目の前で揺れる柔肉を弄ぶ事に夢中になっていた。
「ふふ、可愛い人…。」
彩女が目を細めた。
この力丸は、我が妻以外の女を知らない。
それ以外の女とは交合に及んだ事は勿論、
手を触れた事すら殆ど皆無と言って差し支えなかった。
この夫の純情が彩女にとってどれ程の愉悦であるか、口舌に尽くし難いものがある。
何しろ「あたい以上に慶(い)い仲の女が出来たらどうする?」と聞いて見ても、
「お前以上の女は居ない。お前以外は女ではない。」と返答が帰って来るのだ。
この世に、これほど愛しい存在など他にある筈が無いではないか。
彩女は我が夫を悦ばせる為なら、どのような事でもした。
彼の下知に忠実に従い、あらゆる要求に答え、またその所望を語らせずに見抜き、
ありとあらゆる技巧と工夫を凝らし、そして情熱と情愛を持って夫の忠誠に報いようとした。
「…ほら、じゃあ食べさせてやる。」
二つの肉の玩具で我が夫を遊ばせつつ、
繋がったままの体勢から器用に半身を捻った彼女は、
椀の上に放置されていた力丸の箸を取った。
「…何が良いんだい?」
力丸の所望を一々聞き出しては箸で摘み、その口許に運んでやる。
「…美味しいかい?」
「…ああ、最高だ。」
夫が咀嚼を始めると、彩女もその動きに合わせて腰を振り、
飲み込むと、再び半身を捻って所望のものを与えてやった。
力丸は何もしなくて良かった。
彼はただ妻の乳房や臀部の感触をその手で味わっていれば良く、
後は全て彼女が万事上手くやってくれた。
「…彩、今度は酒が飲みたい。」
力丸が酒を所望すると、彼女はまず自らの口腔一杯に酒を含み、
口移しで夫に与えてやった。
飲み干しきれず、胸元に零れ落ちた酒を拭う手拭など、必要としない。
彼の妻が責任を持って舌で拭い取ってくれた。
やがて膳の上の物は、綺麗さっぱりと力丸の胃袋の中へと納まった。
それでも二人は、今だ繋がったままでいる。
彩女が夫を咥え込んだきり、離そうとしないのだ。
その彼女が蟲惑的に囁いた。
「…お口直しにあたいの点珍(菓子)をお上がり。」
彼女の言う点珍とは、夫の掌の下で柔らかく潰れている二つの肉の事である。
これは、力丸の大好物であった。
妻に促されるまま、彼はその先端の突起を口に含んだ。
―ああ、可愛い。この人はあたいのやや子だ。
可愛い可愛いあたいだけのやや子だ。
彩女の表情は蕩け切っている。
「…あたいの点珍は美味しいかい?」
「…ああ、う、美味い。」
「…あたいの作ったお飯と、どっちが美味しいんだい?」
「…こっち、こっちだ…。
俺は今までこんな美味い物を食った事が無い…。」
彼はその後も、
「これ以上美味いものは、この世に存在しない。」
「天下一の点珍だ。」等など、実(げ)にも悩ましげな言葉を述べ、
妻を大いに悦ばせた。
「…あたい、もうずっとこうしてあんたと繋がっていたい。」
「…あ、ああ、俺もだ。俺もお前と繋がっていたい…。」
力丸は今だ妻の点珍から口を離そうとしない。
それ所か、ますます強く吸い付いてくる。
普段は無粋者を気取っている力丸も、
事、妻と二人きりになると、途端に幼児還りする所があった。
「彩…彩…。」
幼児言葉で我が妻の名を呼びながら、盛んに乳房を貪るその姿は
とても一家の主のものとは思えない。しかし彩女にはそれが何とも心地良いのである。
―あたいのやや子だ。あたいのやや子だ。
可愛い可愛いあたいのやや子だ。
彩女は、この大きいやや子が愛しくて堪らない。
愛しげに力丸の頭を撫でながら、彼女もまた乳飲み子を抱える母親同様の言葉で、
二、三睦言を我が夫に囁きかけた。
―もう一生涯、この人と二人繋がったまま、交合したまま暮らす事が出来たら…。
そう夢想した時には口に出していた。
「…ねえ、あんた、あたい、もうずっとこのままでいたいよ…。」
「…俺も…俺も…。」
力丸は今だ幼児のまま、乳房から離れようとしない。
「彩…俺も…彩…俺も…。彩…彩…俺もそうしていたい…。」
彼自身、我が中心部分を妻の胎内に納めたまま、
その乳房を糧として一生涯過ごしたいと夢想した事は、一度や二度では無かった。
しかし、それはあくまでも夢想に過ぎなかった。
これから数日の後には、再び「狩猟」に赴かなければならい。
だがその「狩猟」も何時まで継続する事が出来るであろうか。
最近では、身の危険も感じ始めている。
正体不明の野伏せりの襲撃が相次いだ為、
周辺の村落では若い衆が中心となって自警団を結成し、警戒に当り始めていた。
「ねぇ…。」再び彩女が囁いた。
「…明日はお休みなんだろ?」
「…あ、ああ、休みだ。」
「…じゃあさ、明日一日、ずっとこのままで居ておくれ。
あたい、あんたと離れたくないんだ。」
何と彼女は、明日一日交合の体勢のまま過ごして欲しいと言い出した。
しかし流石に途方も無い所望である。
力丸は思わず乳房から口を離し、
「あ、明日一日、このままでか…?」
「…ああ。このままさ…。ね…?いいだろ…?」
「いや…このままと言われても…。」
驚愕した事で、かえって興が冷めてしまった。
彼は幼児である事を一端休止し、極めて現実的な事柄について問い質し始めた。
「…しかし飯の支度はどうする…。あと洗濯や掃除は…。」
このままでは日常生活を送る事が困難になるのでは、
懸念した力丸がその事を尋ねてみても、
「そんなの平気さ…繋がったまますりゃあいい…。
繋がったまま、あんたがあたしを後ろから抱いていておくれ…。
そうすりゃあ、お飯の支度も、洗濯も掃除も出来る。」
「全く問題無し。」とでも言うかのように、彩女は艶かしく鼻を鳴らしながら返事を返す。
「だ、だが、もし誰かが来たりしたら、どうする…?」
「…別に誰が来たって構いやしないよ…。
寧ろ繋がっている所を見せてやりゃあ良いのさ…。」
「い、いや、しかし…。」
「…あたいねぇ。」
彩女は空いた乳房を夫の鼻面に押し付けるようにして、彼を抱き締めた。
「世間様にあたいとあんたが繋がっている所を見て貰いたいんだ…。
世の中の人間皆に繋がっている所を見て貰いたいんだ…。」
すっかり夢心地と言った物言いである。
自身が一体何を口走っているのか、理解出来ているのだろうか。
「ば、馬鹿、何を言っている…。そんな事…。」
「…あたいは本気だよ。あたい達が繋がっている所を、皆に見て貰いたい…。
そうだ、明日誰かに見て貰おう、ね、いいだろ…?見て貰っても…。
そうすりゃあ、あたい達がどれだけ仲睦まじい夫婦であるか、皆にわかって貰える…。」
これは、彩女の密やかな願望であった。
―.一度で良い。衆人環視の元、愛する夫と交合に及ぶ事が出来れば…。
これ以上の幸福はこの世に存在しないであろう。
そしてその時初めて、二人の結び付きはより高次のもの、更に完全なものとなる筈である。
彩女はそう信じて疑わない。
「…ね、いいだろ?一度で良いんだ…。ね、お願いだよ…。
恥ずかしかったら、力さんは頭巾を被っていてもいいから…。」
うわ言の様に囁きかける彩女に対し、一方の夫は動揺を隠し切れない。
実の所、彼自身にも同様の願望が無いわけでは無かった。
いや、多分に存在していると言って良いかもしれない。
しかしそれ以上に力丸は臆病であり、実際に行動に移す所か
その願望を口に出す事すら躊躇われていた。
「ねぇ…駄目かい?駄目じゃないだろ…?ねぇ…ねぇ…力さん…。」
「だ、駄目に決まっているだろ…。
俺は獲った獲物を村の連中に卸さなければならない…。」
―村の連中に顔向け出来なくなるから駄目だ。
力丸は咄嗟に嘯(うそぶ)いてこのやり取りをかわそうとした。
実は彼自身も、前々から我が妻の秘願に気が付いていた。
それでも「まさか、幾らなんでもそのような事は。」と内心本気にしてはいなかったが、
今の彩女の呆け具合を見るに付け、どうであろう。
彼女は本当に麓の村人を呼び寄せて、夫婦の交合の様を見せ付けかねない様相を呈しているではないか。
或いは二人して村まで出かけ、広場の中心で交合に及びかねなかった。
慌てた彼は、話題を変えることした。
「…そ、それよりもこのままでは、
しょ、小便や糞はどうするのだ…こっちの方が重要だろう…。」
彩女の答えは単純明快であった。
「…それも繋がったまますりゃあいい…。し終わったら水でも掛けておきゃあ心配ないよ…。」
「…いや、しかし…、」力丸は困惑した。「お前はともかく、俺は…。」
確かに、彼の屹立は妻の胎内に納まったままだ。これでは大便はともかく、小便が出来ない。
しかしそれに対しても彩女は、
「…そんなのあたいの胎(なか)でおし…。あたいは構いやしないんだから…。」
何と小便も我が胎(はら)の中でせよ、と言い始める始末である。
「あ、彩女…流石にそれは…。」
「いいから。」
突如、強い口調と供に力丸は後方に押し倒された。
直後彼の身体の上に、繋がったままの妻の肉体が覆い被さって来た。
「あたい…あんたに危ない事をさせたくない…。
ずっとこのままで居て欲しい…。 ずっと繋がったままで暮らしたい…。」
―何…!?
力丸は絶句した。
我が妻には、全て露見していたのである。乱破者は自身だけではなかった。
現在ではその片鱗さえ伺う事が出来ないものの、彼女もまた、確かに乱破者の端くれであった。
「ねえ…力さん…危ない事はもう止めて遅れ…。お願いだよ…。」
懇願しながらも、彩女は腰を使い始める。
「ね、ね、お願いだから。…あたい、力さんにもしもの事があったら…。」
「い、いや、俺は…。」
―そんな事はしてはおらぬ。
嘯こうとした力丸の口を、彩女が我が唇で塞いだ。
「ね、止めるって言っておくれ…。ねぇ、言っておくれ…。
危ない事はしないって、言っておくれ…。」
「あ、彩…お、俺は…。」
―本当に、俺は危ない事などしておらぬ。
力丸は再度嘯こうとした。
しかし今更何を言っても無駄であろう。
真実無き言葉が説得力を持った験しなど、古今一度たりとも無い。
しかも相手は明敏な彩女である。
如何な嘯きであっても、たちどころに見破してしまうに決まっていた。
それに、既に我が身も快楽の渦に飲み込まれ始めている。
これには力丸も抗い切る事が出来ず、ただ妻の動きに身を任せるしかなかった。
「あたい、貧乏でも良い…。お飯なんて、二、三日食べなくっても良い…。
もしそれで暮らしていけないんだったら、
あたいがまた女郎でも何でもして、銭を稼ぐから…。
だからもう止めるって言っておくれ…。ねえ、あんた…力さん…お願いだよ…。」
彩女には夫の背信と虚偽を咎める気など、毛頭無かった。
彼の身の上の懸念だけが、その心中に在るばかりである。
「ねえ、あんた…ねえ、力さん…お願いだから、
もう危ない事はしないって約束しておくれ…。
あたい、あんたの事が心配なんだ…。ねぇ…何とか言っておくれよ…。」
力丸は無言のまま返事をしない。
苛立った彩女の声が一段上がった。
「ねぇ…!何とか言っておくれ…!ねぇったら…!
もしもの事があったら、どうするのさ…!あたいを独りにしないでおくれ…!」
彩女の動きが一層激しくなる。
彼女は我が胎内で夫の屹立が融解し、そのまま自身と融合する事を望んだ。
それこそが力丸の身の安全を保障し、同時に我が孤独を永遠に消却する事の出来る
唯一の手段であると、彼女は半ば本気で信じていた。
「離れたくない…!離れたくない…!ずっとこのままでいたい…!
ずっと力さんと繋がったままで暮らしたい…!」
何時の間にか、彼女の発する言葉は絶叫に変わっている。
その動きも、まるで狐にでも憑かれたかのように一段と激しさを増した。
「だから危ない事は止めておくれ…!止めておくれ…!
力さんにもしもの事があったら、あたい、生きていけない…!」
―さあ、屹立よ融けよ…!我が胎の中で融けよ…!
融けて融けて…そして我が身と一つに…!
耐え切れなくなった力丸が爆ぜても、彼女の動きは止まらなかった。
―まだ、まだだ…!この人を融かして一つになるにはまだ足りない…!
まだ、まだ…明日一日かかっても、まだ足りない…!
「見て貰おう…!世間様にあたい達が繋がっている所を見て貰おう…!
ね、明日見て貰おう…!明日二人で村に出かけて、皆に見て貰おう…!
村の広場の真ん中で、繋がっている所を朝から晩まで見て貰おう…!
そうすりゃあ、力さんも危ない事をしなくなる…!
きっとそうだ…!そうに違いないんだ…!」
夫の屹立が融解するまで、
後どれくらい繋がり続けていれば良いのであろうか。
容赦を乞う力丸の声も、最早彩女の耳には届かなかった。
「さあ、見ておくれ!」
彩女は存在しない筈の衆人に向って叫びかけた。
世界中の人間が環視するその中心で、何ら恥らう事無く交合に耽る二人の姿が、
彼女の脳裏に何度も浮かんでは消えた。
ある者は「これは新手の見世物か?」そう言って幾ばくかの銭を投げた。
又ある者は「それとも色狂いの男女か。」露骨に嫌悪の表情を作り、侮蔑の言葉を投げ付けた。
或いは「いやはや、これは何と言う行幸。」好色の眼差しで二人を見つめ、自慰に耽る者もいた。
しかしそうすればそうする程、彩女の興奮は昂ぶるばかりである。
「ほら、見ておくれ…!さあ、見て行っておくれ…!遠慮なんて要らないからさ…!
これは見世物じゃないよ…!だから銭なんて取らないよ…!銭なんて要らないよ…!
これは祝言なんだ…!あたい達の祝言なんだ…!」
そう、これは祝言であった。
彩女には、今尚祝言に対する残心が色濃く存在していたのだ。
―あたいも、力さんとの祝言を皆に見て貰いたかった。
あたい達が夫婦になる所を、皆に見て貰いたかった。
彩女の肉体が歓喜に戦慄いた。彼女は既に我が幻想の住人と化している。
―意味不明な祝詞を挙げられるより、契りの杯を交わすより、
夫婦が繋がっている様を見て貰った方が、どれほど良いか。
そっちの方が、夫婦の結び付きの場にはよっぽど相応しい。
これが彩女の夢想する祝言の在るべき姿であった。
この晴れの日、交合の様を白日の下に晒す事で、
初めて男女は完全な夫婦となる事が出来るのである。
「皆見ておくれ…!さあ、ほら、皆見ていておくれ…!
あたいとこの人が繋がっている所を、よぉく見ていておくれ…!
ほら、ほら、繋がっている…!繋がっている…!
わかるだろ…!?あたい達は繋がっているんだ…!」
そしてその日を境に、力丸もきっと真人間へと変じてくれる筈なのだ。
暗鬱の世界から日の当る場所へと出頭する事で、
漸く世間様に顔向け出来る人間へと、生まれ変ってくれる筈なのだ。
「あたいと繋がっていれば、この人はもう危ない事なんてしない…!
あたいと一つになれば、もう悪い事なんてしない…!
あたい達には包み隠す事なんて何も無いんだ…!
こうやって繋がってさえいれば、お天道様の元にだって出られるんだ…!」
彩女の胎内で、力丸が融解し始めた。
始めに中心部分が融け、続いて腹が融け大腿が融け、やがて融解部分は胸部から脛へと拡がった。
灼熱に融解した力丸はそのまま妻の胎内から取り込まれ、彼女と一つになるべく融合を開始した。
彩女が絶叫する。
「そうさ…!もうじきこの人とあたいは一つになる…!
一つになれば、この人は全部あたいのものになる…!
あたいを置いて何処かに逝かなくなる…!あたいは独りにならなくて済む…!
そうだ…!あたい達は一つになる…!一つになるんだ…!
だからお願いだよ…!あたい達が一つになるまで見ていておくれ…!
あたい達が一つになるまで…!あたい達が一つになるその時まで…!」
〜終わり〜