はらり、と彩女が夜着の袖を落とした。  
闇の中に青白い女の肌が浮かび上がった。  
小柄ではあるが、肉付きは良い。  
 
それはいつか見た雌鹿のように、  
力丸の男性を高揚させるのに十分な魅力を秘めていた。  
 
「ああ…。」力丸が息を呑み、次の瞬間には目を伏せる。  
 
「さあ、力さんもお脱ぎ。」彩女が夫の隣にふわりと侍った。  
そのまま腰帯に手を掛けて、するすると結び目を解いた。  
力丸は抵抗をしない。彩女の成すがままとなっている。  
彼女はそのまま夫の夜着の袖を落とした。  
現れたものは真っ黒に日に焼けた、戦士の肉体であった。  
 
「ふふ。」彩女は目を細めた。  
そのまま力丸の胸に手を添えると、彼の額に唇を這わした。  
力丸は固まったまま、動かない。  
彩女の唇はそのまま額から瞼、鼻頭、頬へと移行し、  
ついにはその唇に到達した。  
 
「触ってご覧。」  
彩女に誘われて、力丸は恐る恐る彼女の乳房に手を伸ばした。  
しかし触れるまでには至らない。掌が細かく震えている。  
「遠慮しないで、触ってご覧。」  
彩女は力丸の手を取ると、我が乳房へと導いた。  
「…ああ…。」彼は若干の感動と驚愕を伴った溜息を漏らした。  
肉刺だらけの掌の下で、彩女の豊かな乳房が柔らかく形を変えた。  
「どうだい?柔らかいだろう。」  
 
力丸は言葉を失った。  
かつてこれほどまでに柔和な物体に触れた事があっただろうか。  
柔毛に覆われた雌鹿の腹よりも、彩女の肉は更に彼を魅了した。  
「ほら、こっちも。」  
彩女は力丸のもう片方の手を、空いた乳房に触れさせる。  
 
まるで新しい玩具を与えられた子供のように、  
力丸は新妻の乳房に夢中となった。  
彩女が彼の下腹部に目をやると、  
その中心部分は既に十分に屹立していた。  
しかしそれでも屹立の先端部分だけは、今だ包皮に覆われている。  
 
―おや、可愛い。  
 
思わず彩女が手を伸ばそうとした瞬間、  
突如愛しい屹立を奪われた。  
奪ったのは力丸である。  
何と彼は妻の目の前で、事もあろうに自慰を始めだしたのだ。  
 
「あ、こ、こら…そんな事しちゃ駄目だろ。」  
彩女は慌てて力丸の腕にしがみ付いた。  
妻が目の前にいるというのに、  
独り遊びに耽られては立場が無くなる。  
 
「どれ。あたいがやってやる。」  
力丸を制しつつ、軽く触れてみた。熱い。  
さらに握ってみると、肉の内から熱く脈を打っているのが判る。  
半分ほど包皮に覆われた先端部分は、既に露に濡れていた。  
 
「おやま、立派だ。」  
彩女は淫蕩な笑みを零した。  
軽く扱いてやると、力丸の口から歓喜の吐息が漏れた。  
 
「皮を剥いてやるから、少しの間大人しくしてるんだよ。」  
言いながら付け根を握り締め、徐々に皮を後退させてやると  
やがて「ううっ」と言う力丸の呻き声と供に、包皮が完全に剥けた。  
完全に露出した先端部分に、彩女の鼻息が掛かった。  
 
「はは、垢が付いているねぇ。」  
鼻を寄せながら、彩女は言った。  
痴垢特有の据えた臭いが彼女の鼻腔を突いた。  
「どれ、綺麗にしてやる。」  
言うや否や、彼女は力丸の屹立に舌を伸ばした。  
「わっ…!な、何をする…!」  
先端に舌が触れた途端、力丸がびくりと震えた。  
「き、汚いぞ…!」  
「汚くないさ。いいから大人しくしてな。  
 直ぐに良くしてやる。」  
 
彩女は屹立にしゃぶりついた。  
そのまま痴垢を舐め落とすように舌を這わせてやると、  
力丸の背中が恍惚に反った。  
「あ、彩女…。」  
 
更に深く咥え込み、頸を上下に振りながら、  
口腔内で舌を暴れさせてやる。  
彩女の唾液と力丸の先走りが口内で混ざり合い、  
彼女の口許から糸を引いて床に零れ落ちた。  
そして口舌の妙技と供に、  
力丸の睾丸に手を沿え、柔らかく揉んでやる。  
 
「あ…あ…っ。」  
たったのそれだけで、力丸は呆気無く果てた。  
彼の熱く滾った迸りは、彩女の喉の奥まで達した。  
彼女は驚きもせず、力丸の精液を残らず呑み込んだ。  
 
今だ快楽の余韻覚めやらぬ力丸の顔を抱き寄せた彼女は  
「どうだい?自分でするより良かったろ?」  
彼の耳元で甘く囁いた。  
 
力丸はまるで幼児を思わせる素振りで、こくりと頷いた。  
頬が上気している。  
彼は「彩…。」一声鳴くと、彩女に強くしがみ付いてきた。  
 
―おやまあ、可愛い人だ。  
 
思わず彩女が微笑んだ。  
閨に置いては、力丸は冷酷な殺人鬼ではなかった。  
彼は産まれ立ての小鹿よりも更に柔弱な生き物として、  
今は彩女に縋っている。  
 
そして「じゃあ、これからは独りでしたら駄目だよ。  
したくなったらあたいにお言い。」  
力丸の頭を撫でながら優しく囁くと、  
やはり彼は幼児のように頷いて、彩女をますます悦ばせた。  
 
「それじゃあ、少し休もうか。」  
一度果てた所で、少々の休憩を取る事にした。  
胸に抱いていた力丸が「もう一度触っても良いか。」と恐る恐る聞いてきた。  
どうやら乳房を弄びたいらしい。勿論可である。  
彩女に赦されると、力丸は夢中になってこの柔らかい玩具で遊び始めた。  
「あたいのお乳が好きかい?」  
彩女が聞くと、力丸は「ああ…好きだ…。」  
既に夢見ごこち、と言った風に返事を返した。  
 
「おや、嬉しい。」彩女はくすりと笑い、  
「ふふふ、よしよし。…力さんは本当に可愛い子だねぇ。」  
今度は彼の頭や背中を扇情的に撫で回してやる。  
 
「どれ、こっちの具合はどうなったかねぇ。」  
やがて、その手は一度果てた力丸の一物にまで伸びた。  
彼の耳元で睦言を囁きながら、指先で睾丸を転がしてやると、  
ややもしない内に力丸の屹立はすっかり回復した。  
 
「ささ、あたいと交わろ。ね。  
 これであたい達は夫婦になれるんだ。」  
 
言いながら、彩女は力丸を仰向けになるよう促した。  
力丸は今だ彩女の乳房に未練があったようであるが、  
それでも彼女に指し示されるまま、その下知に素直に従った。  
 
「じゃあ、行くよ。」  
彩女は彼の屹立を自らの中心部分に宛がい、  
ゆっくりと腰を沈めていった。  
彼女の最も深き部分は、既に十分に露に濡れていた。  
そのまま力丸の屹立は彩女の胎内にぬるりと収まった。  
「ああ…。」力丸が呻いた。  
 
力丸にすっかり胎内を満たされた彩女は、彼の頬をひたと一撫でして、  
「…ほら、あたい達は一つになったよ。これで夫婦になったんだ。  
 …ねえ、どんなあたいの胎は感じだい?」  
「わ、わからぬ…。だが、暖かい…。」  
 
皮を剥いだ後の、鹿の肉の感触に似ている、と力丸は思った。  
 
すっかり皮を剥ぎ取られ、一個の桜色の肉の塊と化した鹿に触れ時、  
その余りの暖かさに、彼は感動を覚えたものである。  
それは母が彼に決して与えようとはしなかった、血肉の温もりであった。  
筋肉を剥き出しにした鹿の骸が熱を失い、  
土くれのように硬化するその時まで、幼少の力丸はそれを抱き続けた。  
 
しかし彩女の胎内は、熱を失う事も無ければ、硬化する事も無かった。  
それ所か、ますますの熱を帯び、淫靡な胎動を持って力丸を包み込んで来る。  
 
「あんたはそのまま寝ていて良いよ。  
 あたいが動いてやるから。」  
 
欲情に上擦った彩女の声を、  
力丸は遥か天上の彼方で聞いたような気がした。  
 
彩女は力丸の屹立を胎内深くに呑み込んだまま、  
ゆっくりと動き始めた。  
「ああ…。」思わず悦びの吐息が漏れる。  
「ああ…力さん…力さん…。」  
盛んに腰を振りながらも、  
無意識の内に甘い嬌声を紡ぎ出していた。  
 
これまで彩女が知ったあらゆる男のそれよりも、  
力丸の屹立は彼女を蕩かした。  
力丸と結合したのは、何も肉体的な部分だけでは無い。  
孤独と自嘲のみで形成された彩女の半生をも融かし出し、  
力丸の過去と混ざり合った。  
 
仰向けになっている力丸の目の前で、  
彩女の豊かな乳房が上下に波打っている。  
彼は誘われるように、二つの肉の塊を鷲づかみにしていた。  
「ああ、力さん…力さん…。」  
途端、彩女の表情に新たな悦びの色が浮かんだ。  
 
力丸の方も、既に未知の快楽に支配されている。  
「彩…彩…。」  
彼は無意識の内に彩女の身体を引き寄せていた。  
口許に迫った彩女の乳首にしゃぶりつくと、  
彼女は更に熱の籠った嬌声を上げて悦びを露にした。  
 
彩女の動きが速まった。  
粘液の擦れる音と肉を打つ音、そして男女の吐息が、  
この暗闇の中で匂い立つような色を放っている。  
 
「ああ、ああ、ああ、ああ…。」  
今宵、彩女は乱れに乱れていた。  
今だかつて、彼女がこれ程までに我を忘れ、  
情交に及んだ事は無かった。  
肉の傀儡は命ある道具として、ただ主人を悦ばせていれば良く、  
自らの悦楽に浸る必要など無かったのである。  
 
しかし今宵、この時の何とも愉快な悦びよ。  
かつての肉の傀儡はこの瞬間、一個の人間として再生したのであろう。  
まるで水面に踊る一羽の白鷺のように、  
彩女は力丸の上で無我夢中に舞った。  
 
堪らずに力丸が爆ぜた。  
同時に、彩女も絶頂を迎えた。  
 
その瞬間、突如として二人の視界が開けた。  
肉の悦びが永遠の闇に閉ざされた世界を切り裂いて、  
そこから溢れ出た無限の光明が二人を包み込んだ。  
 
力丸の熱い迸りが、彩女の胎内に充満した。  
やがてそれはその内心までをも満たし、  
今だかつて知り得なかった真の充足と満足を齎した。  
 
がくり、と彩女が力丸の胸に崩れ落ちた。  
彼女の乳房が、力丸の胸板の上で柔らかく潰れた。  
呼吸も整わないまま、彩女は無意識の内に力丸の口を強く吸った。  
力丸の唾液こそが、真の固めの杯であった。  
彼女はこの美酒に酔った。  
 
力丸の唾液を存分に吸い尽くすと、  
彩女は自らが絶頂を迎えた事を彼に告げ、次に力丸を賞賛する言葉を述べた。  
そして「…初めての女の味は良かったかい?鹿より良いかい?」  
「…鹿より良い。」  
今だ興奮冷めやらぬ力丸は、  
少年のように頬を上気させながら返事をした。  
 
「これで、あたい達は本当の夫婦になったんだよ。わかるかい?」  
「…ああ、ああ、わかる…。」  
「これから毎日いい事しよう。ね、力さん。」  
「…ま、毎日して良いのか?」  
 
ふふ、と彩女が淫靡な笑みを漏らした。  
「当たり前だろう。あたい達はもう夫婦なんだから。  
 毎日しよう。これからあたいがもっと淫らな事を教えてやるから。」  
言いながら、今度は彼の頬といい、鼻頭といい、瞼といい、額といい、  
顔中に唇を這わせ始める。  
その度に彼女は淫猥な睦言を囁き、力丸を悦ばせた。  
 
「少し休もうか。」と彩女が告げた。  
力丸は既に二回、立て続けに爆ぜている。  
二人の夜はまだまだ始まったばかりであるが、  
三度となると、暫しの休憩が必要であろう。  
 
彩女は身体を起こすと、  
胎内に埋没していた力丸の一物をぬるりと引き抜いた。  
その直後、胎内に充満していた彼の迸りが、  
彩女の内腿を伝って垂れ落ちてきた。  
 
彼女はそれをぬるりと指で掬うと、  
当然のように口に含み、二人の愛の証を存分に味わった。  
 
彩女は力丸を胸に抱くと、遠い故郷の唄を唄って聞かせた。  
美声であった。哀切な曲調が、力丸の胸を深く打った。  
彼はもうすっかりお気に入りとなった彩女の乳房を弄びながら、  
黙ってそれを聞いている。  
 
唄を聴き終わると、力丸が再度の交合をねだってきた。  
「おや、もう出来るのかい?存外強い子だねぇ。」  
目を丸くしつつも、彩女は快く了解した。  
 
彼女は力丸の下半身に顔を埋め、  
一物を口に含むと、再び溺愛し始めた。  
そして十分に屹立した頃を見計らい、  
「ほら、元気になった。じゃあ、もう一度交わおう。」  
力丸の上に跨って、今夜二度目の情交を開始した。  
 
やがて力丸が果てると、  
彩女はやはり彼を胸に抱きながら唄を唄ってやり、  
休息を兼ねてお互いの昔話などを物語した。  
暫くして、再び力丸が求め始めると、彩女もそれに答えてやる。  
 
このように彼らは一晩中交わっては休み、  
休んでは交わうといった行為を繰り返した。  
交わう度に愛の言葉を叫び、休む度に睦言を囁き合った。  
 
互いの肉体は、これ以上無い程の愉快な玩具であった。  
蕩けるような愉悦に耽り、飽くなき欲望を満たし、  
生きながらにして、彼らに浄土の土を踏ましめた。  
取り分け、この玩具で初めて遊ぶ力丸には、  
格別の思いがあっただろう。  
空想上の雌鹿などでは到底得られない快楽と充足に、彼は耽溺した。  
 
闇の中の華燭は、夜が明けるまで続いた。  
遥か東方の空に姿を現した暁を、  
二人は繋がったままの姿で仰ぎ見た。  
 
その日から二人は、時と場所も選ばずに  
僅かな暇さえあればお互いを求め合った。  
二人には朝も昼も夜も無かった。  
閨は勿論の事、裏庭も、森も、河原も、  
この世の全てが彼等の為の褥であった。  
力丸はまさに一個の畜生と化して、妻の全てを貪らんとした。  
しかしその彩女もまた、同様である。  
彼女は彼女で、やはり肉の傀儡になりきって  
夫の求める全てを受容し、そして彼を溺愛した。  
 
 
それから幾日が過ぎたであろうか。  
二人が筆記に使用する竹炭を製作した日の事である。  
 
炭化した竹片を手に取った彩女は、  
「試しに字を書いてみよう。」  
そう言いながら、備え付けの小さな納戸を開け、  
筆硯と薄汚れた美濃紙を取り出した。  
 
「文字が書けるのか。」力丸は瞠目した。  
彼は分盲である。いろはすら解読する事が出来ない。  
それをこいつは女の分際で、と感嘆の溜息を付いた。  
 
「ああ、まあね。」  
言いつつ彩女は、美濃紙に何言かをさらさらと書き付けた。  
 
「何と書いてある。」  
彩女の筆止を待って、力丸は尋ねた。  
彼女は「教えない。」少々意地の悪い言葉を述べた後、  
まるで乙女のように頬を赤く染めた。  
 
美濃紙にはこう記されてあった。  
 
 
 
独り寝の 寂しに袖を 濡らし夜も  
今では夫(せ)なの 情に濡れつつ  
 
 
 
力丸への想いを綴った恋歌であった。  
 
 
                          終わり  
 

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