「蝉が五月蝿くて、仕方ないや。」  
「啼かせてやれ。どうせ一夏の命だ。」  
「そりゃそうかもしれないけどさ…でもこう五月蝿くちゃ…。」  
「それぐらい赦してやれ。  
 お前は知っておるか分からぬが、蝉と言う虫はな、  
 それはもう何年もの間、暗い土の中で暮すのだそうだから。」  
「へえ、そんなのかい?」  
「ああ、そうだ。何年も何年も土に塗れて暮らし、  
 それである夏の日に、漸く土の上に顔を出す。  
 その一夏の間、散々啼いて、啼いて、啼き喚いて、そして、死ぬ。」  
 
 
 
 
                 蝉しぐれ  
 
 
                      作 ぽぽ者  
 
 
 
 
 
流れ流れて、辿り着いた先は閑散とした漁村であった。  
そこにたった一軒だけある小さな宿が、二人の終着地点であった。  
一体如何なる道を辿り、或いは山を越え川を渡りこの地に辿り着いたのか、  
それすらも今のこの二人には、思い返す事が出来ない。  
 
宿の主人である老婆は、この男女の姿を見た時、あからさまに怪訝な顔をした。  
このような辺境の閑村を訪れるにはまだ若すぎる。人生を諦観するほどの年齢ではない。  
しかしすぐに「いくさに破れて、落ちてきた夫婦であろう。」  
或いは「駆け落ちの男女であろう。」などと思い直し、とやかく詮索する事は無かった。  
今までにもそういう客は、稀にだが来たことがあった。  
「こんな所じゃ大したおもてなしは出来ないよ。」  
女主人はぶっきら棒にそう言ったが、  
今の二人にとっては何も聞かずに宿の部屋に通してくれた  
老婆の心遣いが何よりの馳走である。  
 
「ここでお終いだね。」  
通された部屋の中から一望出来る海原を、ぼんやりと眺めながら、  
独り言のように呟いた彩女の言葉が身に沁みた。  
「…ああ。」  
二人は互いに顔を見合わせて、ただ疲れたような笑顔を浮かべ小さな溜息を付いた。  
「あたいの隣にお座りよ。」  
「…ああ。」  
彩女は力丸を隣に呼び寄せると、  
彼の手を取って握り締め、やはり黙ったまま視線を海に戻した。  
 
久々にやって来た二人の宿泊客の存在が余程嬉しかったのか、  
宿の手代はしきりに世話を焼きたがった。(彼は老婆の孫で、普段は漁業で生計を立てている。)  
しかしその度に力丸に睨まれ、  
「ここには立ち入るな。用があればこちらから出向く。」  
と襖をぴしゃりと閉められてしまうので、  
不満げな表情を見せつつも、引き下がらざるを得なかった。  
 
何故力丸と彩女の二人が、この地を終着地点に選んだのか。  
答えは極めて単純である。  
「ここから先には道が無かったから。」  
たったそれだけの理由であった。  
確かにこの漁村を最後にすっかり道が途切れていた。  
その先には、波に洗われ丸くなった玉砂利の砂浜と、  
暗く沈んだ海がただただ拡がっているだけである。  
 
或いは荒涼とした殺風景の向こう側に、ただ無限に海が広がるだけのこの土地が、  
何となくこの世の果てのような気がして、この場所こそ我ら漂流者の最期の地に  
相応しいと感じ取っていたからかも知れない。  
 
「この世の果て。」  
 
正にそう呼ぶに相応しかった。  
何しろこの土地には、「色」と呼べるものが無いのだ。  
ただ土気色と灰色の風景が見渡す限り拡がっている。それ以外には何も無い。  
 
まず土地が驚くほど痩せている。  
石灰質の硬い大地の上に植生しているものと言えば、  
痩せた刈萱か、枯れ果てたススキ位しかない。  
おまけに終始肌寒い北風が吹き荒び、  
天は日夜、途切れる事の無い分厚い雲に覆われ、  
海は錆付いたような暗灰色に沈んでいる。  
 
それだけではない。ここには碌な「音」すら無かった。  
いつも耳にするものといえば、鋭い寒風が大地を引き裂く音と、  
苛立たしげにさざめく波の音ばかり。  
それ以外では、村人の発する  
「何処そこの誰かが死んだ。」  
「魚が取れなくなった。」  
「またいくさがあるらしい。」  
等という不吉な叫びだけであった。  
 
しかし力丸はその渇き切った風景の向こう側に、  
ふと、得も言われぬ郷愁を覚えていた。  
だがそれにしても、「郷愁」とは奇妙な話である。  
力丸の故郷は暗鬱な天険によって鎧われた辺境の山国であり、  
彼は十代の前半まで、その土地から一歩も外界に出た事は無い。  
この男が初めて海というものを目にしたのは、  
十代も終わりに近づいたある嵐の日の事である。  
 
しかし、それは確かに郷愁であった。  
もしかすると、この何もかもが錆付いた世界こそ、  
力丸の心象風景そのものであったのかもしれない。  
 
「良い天気だ。」  
無意識の内に、思わず口を付いて出ていた。  
分厚い暗雲に閉ざされた鬱屈した空気。  
折れた刃から顔を除かせた地金のような、鈍い鉛色の沈殿を固着させた海原。  
ひょうひょうと言う、まるで亡母を乞い求める幼子のように啼き荒ぶ乾いた寒風。  
湿り気を帯びた玉砂利の砂浜に放置された、白骨を思わせる流木の群。  
この世界に果てがあるのだとしたら、  
それは正にこのような光景なのだろうと、彼は思った。  
 
その力丸の歪な美意識に彩られた感動が、  
僅かに面に零れたのを、彩女は見逃さなかった。  
「…何だかこの世に、二人だけになっちまったみたいだね。」  
 
―読まれたか。  
 
力丸は一瞬表情を硬くしたが、即座に  
 
―読まれても、どうと言う事は無い。  
 
と思い直した。  
 
そう、どうと言う事は無いのである。  
この世界の果ての地で、今更つまらぬ内心を看破されようと、  
一体何の不都合があろう。  
 
「…俺を恨んでいるか。」  
「恨んじゃあ、いないよ。」  
「本当か。」  
「ああ、本当さ。」  
「嘘を言え。」  
「嘘じゃあ、無いよ。」  
「………………。」  
「…愉しかったよ。有難うね。」  
「…いや。良いのだ。」  
 
これまで幾度と無く繰り返してきた、半ば儀式化されたやり取りを演じてみた。  
その虚しい言葉の数々さえ、この灰色の世界には相応しいものであった。  
 
ふたりの宿泊している部屋は、宿にたった二つしかない客間の内の、  
西側に位置する部屋である。  
広さは六畳ほど。埃が薄く積った板葺きの間で、  
隅に二人分のかび臭い布団がおかれていた。  
 
ここから南西方向一帯に弧を描くように灰色の海が広がっており、  
部屋の南側の障子戸と、西側の板戸から遠望する事が出来る。  
南側の障子戸から五間と離れていない場所に、村を東西に貫く小道が走っており、  
この道を三百歩ほど西に降れば、玉砂利の敷き詰められた海岸に辿り着いた。  
 
部屋は、常に薄暗かった。  
もともとの暗天に加え、灯も無く、採光の為に戸を開け放つ事もしない。  
唯一の光源は、所々破れた障子戸から零れてくる薄明かりのみであるが、  
それでさえ、互いの表情と肉体をどうにか識別出来るほどの光量しかない。  
二人はこの昼とも夜ともわからぬ澱んだ空間で、  
ただただ深い溜息を付く生活を送っていた。  
 
その為であろうか。  
兎に角何をする気も起きなかった。  
二人は日がな一日狭い部屋の中でごろごろし、朝から安酒を飲み、煙草をふかし、  
一刻も二刻も双六に興じ、聞くに堪えない猥談を交わし、  
破れた障子紙の隙間から、暗雲に閉ざされた海をぼんやりと眺め、  
何度も大欠伸をし、嫌になるほど深い溜息を付き、  
寂しくなると情事に耽り、それはもう退廃極まる生活を送っていた。  
 
最早着替えるのも面倒臭いとばかり、  
薄い夜着を何日も着たっきり、小袖の袖に腕も通さなくなった。  
彩女などは帯も碌に締めず、肩や乳房がだらしなく零れ、  
太腿が露となっていても、気にも留めない。  
力丸も同様だ。  
褌一丁に夜着を羽織っただけの格好で壁に寄りかかり、  
向こう岸で揺れる連れの女の乳房を目で追っているうちに一日が終わる。  
 
飯なども寝たまま食う。箸も使わない。  
欠けた椀に盛られた雑穀飯の湯漬けを啜り、  
小さな目刺しの干物は手掴みで貪り食う。  
その内自分自身で飯を喰うことすら嫌になったのだろうか。  
「面倒だからあんたが食わせておくれよ。」と彩女が横になったまま言うと、  
やはり力丸も横になったまま、手掴みで小さな里芋を彼女の口の中に押し込んでやり、  
その反対側の手で薄い汁物に浮かんでいる海草を摘んで食べる、という具合である。  
 
それはもう人間の生活等ではなかった。  
いや、野の獣ですらここまで怠惰と退廃を貪っては居ないであろう。  
この宿においては、二人は人間である事を止め、  
訳のわからぬ奇怪な物の怪として生きていたのであろうか。  
そうとしか、表現出来ない。  
 
まったく酷い有様だが、一方の排泄のほうも惨々たるものだ。  
この時代の厠は大抵表にあり、それはこの宿も同様である。  
朝から酒を飲んでいる彼らは、頻繁に尿意を催してしまう。  
その為一々表の厠へ出向くのも面倒になり、考えた末、盥を部屋の中に引き込んで、  
何時の間にかそこに用を足すようになっていた。  
 
彩女が夜着の裾を巻くって盥の上にしゃがみ込んで排泄すると、  
続いて力丸が盥を片手に持ち立ったまま用を足す。  
用が済んだら杉の板を蓋にして被せ、部屋の隅に押しやって  
何事も無かったかのように再び酒を煽る。  
これを一日に何度も繰り返し、二人の尿で盥の嵩が一杯になると、  
手代が見ていないことを確認してから、力丸が庭に向って盛大にぶちまけるのだ。  
 
その為、じきに庭から異様な臭気が立ち込めるようになったが、  
二人はそ知らぬ顔をして部屋を締め切り臭気を遮断した。  
 
しかし液体はそれでよくても、固体のほうはそうもいかなかった。  
以前、彩女が試しに一度、盥にそれを排泄した事があったが、  
忽ちの内に息も出来ないほどの臭気が部屋の中に充満し、力丸が慌てて盥の中身を  
厠まで棄てに行ったことがあった。  
それをいい事に「これからはあんたがそうやって棄てに行っておくれよ。」  
と彩女が極めて図々しい指図をしてきたが、  
流石の力丸も、連れの排泄物を処理出来るほどお人好しではない。  
大体放尿ならともかく、若い女が目の前で何の恥じらいも無く脱糞している様など、  
見ていて余り気持ちの良い物ではない。  
 
―何故俺があいつの糞の始末までしなきゃならんのだ。  
 
盥に入った二人の小便の海にぷかぷかと浮かぶ彩女の排泄物を見ながら  
力丸は思わず泣けてきた。  
「お前の糞の始末など、二度とするものか。」  
処理を終えた彼は一言そう吐き捨てると、  
安酒をがぶ飲みして、後はどかりと不貞寝をするばかりである。  
 
 
それからどれだけの日数が経過したであろうか。  
最近では何をするのも嫌になり、対面した壁に寄りかかり、  
お互いぼんやりと見つめあったまま、朝から晩までそうしている事もある。  
 
ただ、男である力丸には、  
それでも若干の生理的欲求と言うものが存在していたらしい。  
彼は決まって一日二回、朝と晩に、最早生き人形に成り果てた彩女を抱き、  
その迸りを彼女の胎内に撒き散らす事を日課としていた。  
 
ある日、彩女が呟いた。  
「何だか交わいにも飽きちまったよ…。」  
彼女の股座の間には、まるで機械の様に  
単調な前後運動を繰り返しているだけの力丸の姿がある。  
しかし中空にぼんやりと投げ出された彼女の瞳は、  
その男の姿を捉えていない。  
 
「あんたは良く飽きないねぇ。」  
ここで漸く、彩女は力丸の姿を己の視界に入れた。  
彼女と視線が交錯した瞬間、力丸は動きをぴたりと止め、  
気まずそうに目を逸らした。  
 
彩女の能面にも似た端正な面には、  
嫌悪とも、侮蔑とも、そして憐憫や慈愛とも取れるような  
複雑にして奇妙な色が浮かんでいた。  
 
―俺を、嬲っているのか。  
 
力丸はそのように邪推し、やや立腹した。  
しかし、それでも決して交接を止めようとはしない。  
そして子供のように口を尖らせながら、  
「…別に飽きはせぬ。」  
無造作に彩女の豊かな乳房を鷲掴みにすると、  
苛立ちを紛らわせるようにして乱暴に揉みしだいた。  
 
「…あたいとの交わいは面白いかい?」  
「…別に面白くもつまらなくもない。」  
「…それなのに交わうのかい?」  
「…飯を食ったり糞をするのと同じだ。  
 それをせぬと、何だか落ち着かぬ。」  
 
力丸の発した、まるで彩女を侮蔑するかのような言葉は、決して嘘ではない。  
元々彼には、やや神経症的な潔癖がある。  
一度生活の型が完成すると、是が非でもそれを日々踏襲しなければ気が済まないのだ。  
事実、乱破時代の彼は、毎日決まった時刻に定められた修行を開始し、  
やはり決まった時刻に終了するという日々を送っていた。  
雨の日も風の日も関係が無い。  
いや、それ所か病の日ですら、朦朧とした意識を引き摺って修行に赴き、  
同僚に呆れられた事が何度もある。  
 
無論、彩女も連れの男の性癖を良く知っている。  
「ふうん…ははは、御飯を食うのと糞をするのと同じかい。  
 知ってるよ。あんたは昔から融通が利かない所があるからねぇ。」  
彼女は口許に薄く笑みを浮かべた。  
「…でも毎日同じ女とばかりじゃあ飽きるだろう。」  
 
いや、別に、と言い掛けて、力丸は閉口した。  
今となっては、最早彼が、  
彩女の肉体に性的な魅力を感じる事は、殆ど無くなっていた。  
余りにも長期間、幾度と無く肌を合わせ続けてきたため、  
我が身に馴染み過ぎてしまっていたのである。  
従って、今、彼の為している行為は、男女の営みと言うよりは  
自慰行為の延長線上にあるものと言えた。  
 
しかし、力丸は決してそれが苦痛と言う訳では無い。  
彩女には余計な気遣いは無用であるし、愛の言葉を囁く必要も無かった。  
何より、気楽なのである。  
他所の女のように、銭も手間も掛からない。  
 
「…ここには他に女が居ないので仕方が無い。」  
「宿の婆様が居るよ。」  
彩女はケラケラと挑発的に笑ってみせた。  
彼女のこの態度が、力丸の矜持を軽く抉った。  
彼は半ばその挑発に乗るような形で、  
「…お前は交わうには便利な女だからな。」  
やや強い口調でそう言ってのけ、  
「売女のように銭は掛からぬし、  
 俺を拒まぬし、如何様に扱っても怒らぬし、何より子を孕まぬ。」  
 
その時、これまで口許に笑みを漏らしていた彩女の表情に一瞬陰りが差した。  
力丸の指摘通り、彼女はこれまでに一度も彼の子を胎内に宿した事が無い。  
妊娠能力が無いのである。  
当時の女としては致命的な欠陥と呼べるものであったが、  
それでも彼女の場合、常に気丈に振る舞い、  
決して己の哀れな身上を語る事は無かった。  
 
「…ははは、そうかい。確かにあんたの言う通りだ。」  
彩女の声には、不自然な快活が入り混じっていた。  
しかし、人間の機微を察するに鈍する力丸の前では、  
その言葉は虚しく通り過ぎるだけである。  
彼は相変わらず彩女と繋がったまま、乳房を乱暴に弄んでいた。  
「じゃあ、早い所済ませておくれ。  
 あたい、尿(ゆばり)がしたいんだ。」  
「…お前に言われなくとも分かっている。  
 お前が余計な事を言わなければ、もう済んでいた。」  
「そうだったね。御免よ。じゃあもう黙ってるからさ。」  
「…ああ、そうしていてくれ。直ぐに済ませる。」  
そう言って、力丸は再び単調な前後運動に戻っていった。  
 
暫くして、彼は小さく短い溜息を二、三吐くと動きを停止した。  
どうやら事が済んだようである。  
「…おい、終わったぞ。」  
言いながら力丸は彩女の乳首を一つ指で弾いた。  
「…ああ、そうかい。ご苦労さん。  
 じゃあもう離れておくれ。尿が漏れそうだ。」  
「…ああ。」  
言われるまま、力丸は彩女の胎内から屹立を引き抜いた。  
そして交合の残滓が布団に零れ落ちないように注意を払いながら、  
彩女の夜着の裾を使って屹立を丁寧に拭う。  
 
すると、忽ち彼女から抗議の口矢が飛んできた。  
「ちょいと。あたいのべべで拭かないでおくれって何度も言ってるだろ。」  
彩女の夜着の裾は、これまで何度と無く力丸が拭き取った残滓が乾燥して、  
薄茶色に変色していた。  
 
「他に拭くものが無い。」  
しか、当の力丸には全く悪びれる様子が見られない。  
流石に彩女も立腹する。  
「手前のべべで拭いてろ。」  
彼女は力丸の手から裾を引っ手繰るようにして奪い返すと、  
大きく一つ溜息をついて上半身を起こした。  
 
「厠を取っておくれ。」  
「厠」とは彼らが便所代わりに使用している桶の事である。  
「俺が?」  
「良いだろ。それぐらい。取ってくれないともう交わらせてやらないよ。」  
「…………。」  
やれやれ、と言う表情で、力丸は部屋の片隅に置かれていた桶を手にとると、  
彩女の眼前に置いてやった。  
 
「ああ、漏れそう。」  
彩女は早速桶の上にしゃがみ込み、恥らう様子も無く用を足し始めた。  
一方の力丸は部屋の片隅に腰を下ろし、その光景をぼんやりと眺めている。  
 
―俺が間違っていたのか。  
 
そう呟きかけて、慌てて言葉を呑み込んだ。  
 
―今更何を言っても仕方があるまい。最早あの日には戻れぬ。  
 
「七道の俺達が、一生に一度の夢を見て何が悪い。」  
 
仏法によれば、成仏しきれない人間は、死ぬと生前の行いに照合して、  
天道、人道、修羅道、餓鬼道、畜生道、地獄道の六道の内、何れかの世界に転生し、  
再びそこで終わる事の無い生死を繰り返し続けるのだという。  
 
しかし彼ら「七道の者」は生前は元より、死後もその何れの世界にも、  
それは最下層の地獄道にすら転生する事が赦されず、  
寄る辺無き永遠の闇を彷徨う漂流者と化すのだそうだ。  
それは六道の何れの道からも外れた、正に「外道の者」。  
此岸と彼岸の間を蠢く者達の事である。  
 
その「七道の者」力丸には、一個の「夢」が存在した。  
いや、それは「夢」などと言う茫洋とした表現によって語られるものではなく、  
より生々しい「野心」とでも呼称されるべきものであろう。  
 
―俺は何時か必ず、惨めな「七道」の身上から脱し、人として生きるのだ。  
 
そしてその念願は、多額の「金銭」によって成就出来る筈であると、信じて疑わなかった。  
力丸は「仏」を信じない。  
何故なら、「仏」の救済範囲はあくまでも六道の内側に生きる者達のみに限定され、  
その道から外れた者達には、  
「仏」は決して救いの手を差し伸べようとはしないからだ。  
 
しかし「金銭」は違うだろう。  
金銭は全ての者を平等に救済する。  
例え「七道の者」であっても、その「金銭」さえ入手出来るならば、  
陰惨とした人生から解脱し、この世の内で救済される筈であると、  
半ば宗教的な信仰心にも似た情熱を内心に滾らせていた。  
 
それは事実そうであったのだろう。  
彩女は力丸に「金平糖」をねだった。  
当時としては極めて貴重な、南蛮渡来の高級菓子である。  
 
その乳白色に輝く小さな砂糖塊を口に含んだ瞬間、  
まるで年端も行かない少女のように無邪気に微笑んだ彩女の姿は、  
決して幻ではない。  
 
力丸は名刀の類を我が物とした。  
武具屋の主人は最初、みすぼらしい風体をして目の前に現れた男に対し、  
砂を噛み潰したかのような嫌悪の視線を送った。  
しかし、「銭ならある。」  
その男が懐から幾枚かの金子を取り出して突きつけた所、忽ち態度が一変した。  
力丸はこれまでの半生において、決して体験した事が無いような、いや、生涯体験する筈も無かった  
武具屋の慇懃な所作を前にして、見る見るうちに自尊心が満たされていく快感を覚えた。  
 
「京(みやこ)に行ってみたい。」  
彩女に乞われるまま、彼女の願いを叶えてやった。  
初夏の太陽に彩られた京に到着するや否や、  
早速仕立て上げた流行の帷子に身を包んだ幼馴染の女は、  
京女の艶やかさも霞むほどに美しかった。  
 
「やや子踊り」も見た。「猿楽」も見た。「虎」も「孔雀」も見た。  
珍しい「放下芸(手品)」を始め、様々な雑芸軽業の類も全て見た。  
「蒔絵造りの櫛」も買った。「螺鈿細工の手鏡」も買った。  
「白粉」も「紅」も「香」も、彩女の望むものは何でも買ってやった。  
「山海の珍味」を鱈腹食い、「美酒」を浴びるほど飲み、「風呂屋」にも入り浸った。  
 
毎日のように「京女」を抱いた。  
櫛やら簪やら、その他力丸の知らない装飾品の数々を、  
宿の畳の上に並べて、一人悦に入っている彩女の直ぐその隣で、  
汗と体液に塗れながら、複数の裸体の美女を相手に丸一日、  
阿呆のように戯れた事も一度や二度ではない。  
 
濃厚に戯れ、疲れ果てた女が寝息を立てているその横で、  
何故か中々寝付く事が出来ないでいる力丸は、  
しばしば少年時代の記憶を手繰り寄せた。  
 
―まさかこの俺が、畳のある部屋で、  
 こうして大の字になる事が出来ようとは。  
 
少年時代の力丸の寝床は、集落の高台に建つ、神社の社の軒下であった。  
今は昔、彼は夜毎この神社の敷地内に忍び込み、  
軒下の冷たい土の上で、寒さに身を縮みこませながら、  
やはり眠れぬ夜を明かしていた。  
 
彼が神社を我がねぐらと定めた理由は、そこが神域であった為である。  
ここであるならば、浮世に蔓延するありとあらゆる無法と理不尽から、  
幾分かは我が身を守る事が出来るだろうと考えたのだ。  
少なくとも、武辺の侍が購入した  
新しい刀鑓の試しとなるような「日常」には遭遇し難い筈である。  
 
彩女ともここで出会った。  
あれは何時の日の事であっただろうか。  
霧雨の降りしきる晩、山猫に追われる野鼠のように、するりと軒下に潜り込み、  
そこで初めて予想外の先客の存在に気が付き、脅え、戸惑う彼女に向って、  
力丸は極めて温和な口調で、  
「ここなら安心だ。夜露にも濡れない。神様も守ってくれる。  
 誰にも見付からぬうちに、俺の隣に来い。」  
この時分の彼は、まだ無邪気に神仏の存在を信じていた。  
姿も見えぬ先客の言葉に導かれるように、彩女は力丸の隣に侍って寝た。  
その日から、彼女は毎晩のように力丸の元へとやって来るようになった。  
供に親無し仔であった為、二人は直ぐに打ち解けあい、意気投合した。  
 
「孤独な二つの魂の揺り籠」  
 
冷たく暗い、軒下の土の床は、正にそう呼ぶに相応しかった。  
一寸先も見渡せぬ暗闇が、二人を守り続けた。  
その揺り籠に揺られながら、夜な夜な他愛も無い夢を語り合った。  
「あたいはコンペイトウと言うものを食べてみたい。」  
彩女は自ら口にした金平糖なる舶来菓子が、  
一体如何なるものなのであるか、知らない。  
 
ただ、幼い日、この世には「コン・ペイ・トウ」と言う、軽妙な語感を持って語られる  
得も言われぬほどの甘美な菓子が存在する事を、小耳に挟んだ事がある。  
 
「よし、何時の日か、俺がお前にそれを買ってやる。」  
 
一文無しの浮浪少年は、まるでそれが生涯を賭して  
遂行されるべき誓約(うけい)であるかのように、凛然として言った。  
 
「それからミヤコと言う所にも行ってみたい。」  
 
「ミヤコ」。  
コンペイトウ同様、彩女はミヤコなる土地の詳細についても、無知同然であった。  
しかしそれでも、辻の往来人の噂話や、「ミヤコ」という如何にも雅やかな響きと相まって、  
未だ見ぬその地が、まるで御伽噺に登場する極楽浄土か桃源郷のような  
この世ならぬ楽園であるのだと、無邪気に信じていた。  
 
軒下の暗闇の中に、憐れな程透き通った瞳が二つ、まるで蛍火のように浮かび上がった。  
「よし、何時の日か、俺がお前をそこに連れて行ってやる。」  
「…力さん、本当かい?」  
「ああ、本当だ。俺はお前にだけは嘘は付かぬ。」  
 
その二人が、初めて情を交わしあったのも、この軒下であった。  
あれは何時の事であっただろうか。  
確か、茹だるような夏の日の午後の事だったと記憶している。  
狂ったように啼き喚く蝉しぐれが、  
今でも錆のように耳の奥底にこびり付いている。  
 
その日、焼け付くような酷暑を避ける為に、陽炎の沸き立つ境内を抜け、  
例の軒下へと転がり込んだ。  
そして近所の畑から盗んだ瓜を、二人で分かち合って食っている時、  
「暑い。暑い。」  
徐に、彩女が汗で濡れたツギハギだらけの小袖の帯を解き、袷をばさりと開いた。  
暗闇の中にぼんやりと浮かび上がった、僅かな膨らみを帯びた少女の可憐な乳房。  
力丸の視線が釘付けになった。  
しかし彩女は、粘りつく様な少年の視線も全く意に介さずに、  
黙々と瓜を食い続けている。  
 
やがて力丸の手から、瓜が零れ落ちた。  
その後の事は、彼も良く覚えていない。  
ただ、それでも彩女の押し殺したようなくぐもった呻き声と、  
彼女の塩辛い汗の味だけは、今でも記憶の中にある。  
 
暗闇の中で刻まれる、非日常の刻は無言のままに過ぎて行く。  
彩女は全く抵抗もせず、また拒絶や嫌悪の言葉を吐く事も無く、  
目を強く閉じ、食いかけの瓜を強く片手に握り締めただけ格好で、力丸の欲望の中にいた。  
全てが終わった後、彼女は仰向けの姿勢のまま、  
まるで何事も無かったかのように、再び瓜を口にし始めた。  
そしてただ黙々と食い続け、言葉は一言も発しなかった。  
 
同様に、力丸も沈黙を守っている。  
しかしこちらは為す所無く、項垂れたまま、彩女の股座で荒い呼吸を整えていた。  
その表情には、汗の玉と供に、若干の悔恨と自己嫌悪の色が浮かんでいる。  
やがて詫び言の代わりであるかのように呟いた。  
「…何時の日か、俺がお前にコンペイトウを買ってやる。  
 …ミヤコにだって連れて行ってやる。」  
 
彼らが村の大人達に発見され、「揺り籠」から引き釣り出されたのは、  
それから一年後の冷夏の年の事である。  
 
その時二人は、社の軒下で情を交し合っている最中であった。  
この軒下の高さは、精々二尺程度しかない。  
しかしそれでは情交には不便だというので、  
力丸が軒下の土を畳一丈分、一尺程掘り下げて空間の余裕を作り、  
戯れる際にはそこを褥としていた。  
 
二人の側の土の上には、  
彼らが取って食べたと思われる茄子の蔕が複数個、無造作に転がっていた。  
下になっている彩女の手には、小さな茄子が握られている。  
茄子は、所々歯型に抉り取られていた。  
この二人は、先程、畑から失敬してきた茄子に交互に歯を立てながら、戯れていたのである。  
 
力丸にとって、彩女は最高に愉快な玩具であった。  
今だかつて、これほどまで面白い玩具で遊んだ経験は、彼にはない。  
そして彩女にとってもまた、力丸ほど面白い玩具は存在しなかった。  
 
この遊具は、実に愉しい。  
肉体は勿論の事、何よりその精神までも深く満たしてくれる。  
それは捨て子の彼らが初めて味わう、人間の温もりの悦びであった。  
二人は好奇心と欲望の赴くまま、  
互いの肉体を玩具として一心不乱に戯れた。  
 
暫く無心に腰を使い続け、やがて、力丸は絶頂を迎えた。  
迸りを絞りきった彼が、彩女の中心部分から離れようとすると、  
「嫌だ。このままで居ておくれ。」と彩女に遮られた。  
 
力丸が逆らわずにそうしてやると、今度は、  
「口を吸っておくれ。」  
彼は交接したまま彩女の口を吸い、  
ついでにその手の内にある茄子をしゃくりと食らった。  
 
「お前は、何とも可愛いな。」  
茄子を咀嚼し終わった力丸は、  
僅かな膨らみを帯びている彩女の乳房に触れ、  
固くしこり立った乳首を口に含んだ。  
塩の味がした。  
「本当かい?力さん。」  
彩女がはしゃいだ様な声を出した。  
「ああ、本当だ。」  
力丸は彩女の乳首を甘噛みし、強く吸った。  
彩女の未発達な肉体には少々の苦痛を伴う行為であるが、  
それでも彼女は何も言わず、ただ力丸の為すがままに身を任せている。  
 
「これからも、こうして可愛がってやる。」  
「うん。可愛がっておくれ。」  
「お前は俺と交わうのが好きか?」  
「うん。好き。」  
力丸とは違い、彩女は、決して性的な快楽を求めて  
彼との情交を好んでいるわけではない。  
快楽を覚えるには、力丸は余りにも稚拙過ぎたし、  
彩女の未成熟な肉体にも、その余裕は無かった。  
 
ただ、力丸に抱かれている間は、心が何とも充足するのである。  
肉体ではなく、我が魂を愛撫され、抱擁されているかのような錯覚に陥るのだ。  
父母の愛を知らない彩女の魂の間隙を、  
力丸の体温と吐息がそれに成り代わり、満たしていた。  
 
「そうか。俺も好きだ。」  
力丸は熱っぽく囁くと、  
彩女の薄い胸板を舌でなぞり始めた。  
唾液の生臭さが、彩女の鼻腔を突いた。  
 
「じゃあさ、あたいを力さんのお嫁にしておくれ。」  
彩女は力丸が好きであった。  
この男とは境遇が似ているし、何より優しく接してくれる。  
こうして、肉の繋がりも持っている。  
 
「…それは…わからぬ。」  
力丸は、悲しげに呻いた。  
「…どうして?」  
彩女もまた、哀しげに聞いた。  
「…俺はまだ、お前にコンペイトウを食わせてやれていないし、  
 ミヤコにも連れて行っておらぬからな。…それが済んでからだ。」  
物事には順番がある、と力丸は賢しげに言った。  
「まず、コンペイトウの約束。それからミヤコの約束。  
 お前を嫁にするのは、その次だ。」  
どうやら彼は、既にこの時分から融通の利かない性格を有していたようである。  
 
彩女は「それでは嫌だ。今直ぐにお嫁にしてくれ。」と愚図ったが、  
力丸は生来の生真面目さと頑固さで、彼女の所望を頑なに拒んだ。  
 
最終的には、彩女のほうが折れた。  
「…じゃあ、いつかきっとあたいをお嫁にしてくれるって、  
 約束してくれるかい?」  
「ああ、きっと約束する。」  
「本当に、本当だよ。」  
「ああ、本当に本当だ。」  
言いながらも、力丸は彼女のすべらかな肌に没頭し始めていた。  
 
やがて、彩女の胎内に納められていた彼の一物が、勢いを取り戻してきた。  
「もう一度、してもいいか?」  
「うん。しておくれ。」  
「よし、ではもう一度だ。  
 今度はもう少し、時をかけてやろう。」  
 
力丸が再び腰を使い始めた、その時である。  
「この下だ!誰か居るぞ!」  
不意に荒立った声を聞いた。  
「一体誰なのだ!?出て来い!」  
狼狽した二人が、声の方向に目を向けると、  
軒下を覗き込んでいる中年の男の姿が目に飛び込んできた。  
思わず力丸は動きを止め、物言わぬ石のように身を硬化させた。  
下になっている彩女も、食いかけの茄子を握り締めたまま、  
恐怖の籠った眼差しで、声の主を凝視している。  
 
しかし男は社の軒下の曲者を警戒して、  
それ以上は踏み込んでは来ない。  
 
―何が何だか分からぬが、  
 兎に角このまま動かなければ、遣り過ごせるのでは。  
 
力丸の楽観的な観測は、見事に裏切られた。  
声の主が仲間を呼び始めたのだ。  
「おい!こっちだ!早く来てくれ!この下に誰か居る!  
 若しかしたらこやつかも知れぬ!」  
 
やがて、ばたばたとした足音と供に、更に複数人の増援が到着した。  
何れも村の男衆である。  
腰刀を差している人間もいれば、  
乳切木(ちぎりき=足元から胸先までの長さの棒)を手にしている者も居る。  
 
「この下だ!」  
最初に力丸らを発見した男に促されて、  
増援達も、揃って軒下を覗き込んだ。  
「あっ!本当だ!誰かが居る!」  
「怪しい奴だ!やはりこやつかも知れぬ!」  
「早く出てこい!出なければ、酷い目にあわせるぞ!」  
 
男達の声は殺気立っていた。  
 
―.一体何事なのだ。俺達をどうするつもりだ。  
 
折角の行為の最中に、突如として身に降りかかってきた晴天の霹靂は、  
力丸を大いに怒らせ、そして困惑させたが、  
今の二人には、ただ固く抱き合う以外に、どうする事も出来ない。  
 
その内、社を囲んでいる男の一人が痺れを切らし、  
「おい!俺は行くぞ!お前達も来てくれ!とっ捕まえてやる!」  
包囲の仲間に声を掛けた。  
その中の度胸の据わった数人が、男の意気に答えた。  
 
「今から行くぞ!」  
「大人しくしておれ!」  
「遁げると承知せぬぞ!」  
 
男達は自らを奮い立たせるように、口々に喚き散らしながら、  
身を屈めて、軒下の暗闇に足を踏み入れてきた。  
 
力丸と彩女の心蔵は早鐘のように高鳴った。  
村人の目的が何であるのか、彼らには皆目検討も付かなかったが、  
兎に角村の衆が、何やら得体の知れない敵意を持って  
力丸達を捕獲しようとしている事は、最早疑念の余地は無いようだ。  
 
最初、力丸は我が身や彩女を護る為に、  
暴れるだけ暴れて、この正体不明の危機を脱してやろうかとも考えたが、  
乞食少年の細腕では、野良仕事で鍛え上げた男達に対し、  
一体どの程度の抵抗が可能なのか、彼にはわからなかった。  
 
また、男達は腰に打刀を差している。  
しかし力丸は護身用の金物一振り所持していない。  
これでは万が一の勝算も無いであろう。  
下手に抵抗すると、その場で刺殺されるという危険性もある。  
そして何より、彼らが今、人間が最も無警戒に陥る  
情交の真っ最中であった事が、力丸の覚悟と闘争心を萎縮させていた。  
 
男達が迫ってきた。  
もう、手の届く距離である。  
 
「あっ!」  
その時、男の一人が何かに気が付いた。  
「一人ではない!二人いるぞ!」  
刹那、他の男達が一斉に目を凝らした。  
よく見ると、確かにその言葉通り、人間が二人重なり合うようにして、  
身を硬化させているではないか。  
男達はてっきり曲者は一人であると思い込んでいた。  
軒下の暗がりの中で、肌を重ね合わせていた男女を  
一個の人間であると勘違いしたのである。  
 
しかし、更に男達を仰天させたのは、  
曲者の二人が、この狭い暗がりの中で、情交に及んでいた事であろう。  
「こやつら、交わっておる!」  
誰かが素っ頓狂な声を上げた。  
「このような軒下で、交わっておるぞ!」  
彼はあきらかに好奇と好色の入り混じった声で、  
表の衆に状況を報告した。  
 
「己!神域でこのような行いに及ぶとは、言語道断じゃ!」  
村の鎮守の社を汚されたと知った男達は、先程の及び腰から一転、  
怒りに任せて力丸と彩女を引き離しにかかった。  
しかし、曲者の二人は岩場に張り付いた牡蠣のように、  
互いに強く抱きしまったまま、びくともしない。  
 
どうやらこの軒下の狭隘な空間では、  
農夫自慢の膂力も思うように活用出来ないようである。  
「ここでは狭くて駄目だ!  
 構わぬからこのまま引き釣り出せ!」  
苛立った男達は、二人重った状態のままで、  
無理矢理に軒下から引っ張り出す事にした。  
 
「や、止めろ!止めろ!」  
力丸も彩女も、固い地面に足を踏ん張って抵抗を示したが、  
それでも流石に複数の屈強な男達の手に掛かっては、為す術が無い。  
結局彼らは繋がったまま、軒下から文字通り引き釣り出された。  
 
暗がりから突如、日の当る場所に連行された為、  
力丸も彩女も、事態を把握するのに少々の時間を要した。  
目が慣れてくると、複数の村の大人達が、  
まるで犬畜生でも見るかのような眼差しで、  
二人を見下ろしている事に気が付いた。  
 
「どのような奴らかと思っていたが、  
 まだ餓鬼ではないか!」  
 
曲者の正体が、元服前の少年であった事に、男達は驚愕した。  
「この小僧と小娘は、この辺りをいつもうろうろしている乞食の餓鬼供だぞ。」  
良く日に焼けた小太りの農夫が、忌々しげに二人を睨み付けた。  
以前、彼は連れ立って物乞いをしていた力丸と彩女に、  
彼等の演じた陳腐な雑芸と引き換えに、僅かばかりの施しをくれてやった事がある。  
それで二人を見知っていたのだ。   
 
「このような所で、盛っておったのか。汚らしいやつらよ。」  
小太りの農夫は吐き棄てるように喚いた。  
しかし嫌悪を同時に、年端もいかない物乞いの少年少女が、  
社の軒下と言う世間と隔絶した空間で、昼間から情交に及んでいたと言う事実に、  
例え様も無い程の淫靡な匂いも感じ取っている。  
 
「乞食の分際で、こういう事だけは一人前よ。  
 見よ、見よ。このように晒されても、まだ繋がっておるわ。」  
 
境内に引き出されて尚、力丸と彩女は今だ繋がっていた。  
互いに着物を羽織ったままの、半裸である。  
痩せこけた体を仔犬のように震わせながら、強く抱き合っていた。  
 
その時、「あっ!」  
ぎょろ目の小男が、更に大きく目を剥いた。  
「この小娘の手を見ろ!」  
彩女の手には、例の食いかけの茄子が、今だ握り締められていた。  
「こいつは、俺の畑の茄子だ!間違いない!」  
ぎょろ目は、己がさも憐れな被害者である事を演出するかのように、  
甲高い声で喚いた。  
「一体何者かと思いきや、この餓鬼供が俺の野菜を盗んでいたのか!  
 畜生!恐らく、村中の畑を荒らしていたのも、こやつらだ!」  
 
力丸と彩女の顔面が蒼白となった。  
これで漸く大人達の目的が理解出来た。  
彼らは、野菜泥棒を追っていたのである。  
成る程、確かにこの二人の浮浪少年達は、腹が空くと、  
村人の目を盗んでは、度々畑の作物を獲って喰っていた。  
 
しかしこれまでは、彼等の窃盗行為も深く追求される事無く、  
半ば見過ごされてきたのであるが、  
運の悪い事に今年は例年に無い程の冷夏であった。  
漸く僅かばかりに実った作物を奪われては、  
村人達も下手人探しに躍起になるのは当然であろう。  
 
二人は「この野菜泥棒が!」と口々に面罵された。  
「汚い悪餓鬼供め!仕置きをするから、来い!」  
男達は二人を引き離そうと試みたが、  
力丸も彩女も、互いの身体にしがみ付いたまま、離れようとしない。  
「引き離されたが最後、もう二度と、生きて会う事は出来ない。」  
二人供、本能的にそう察知していた。  
 
「全く犬の如き餓鬼供だ!おい!水を持って来い!」  
男の一言で、力丸の背中に水が浴びせかけられた。  
「いつまでも盛ってないで、いい加減離れろ!」  
水の次は、蹴りが飛んで来た。  
しかしどれだけ激しく蹴り付けられようとも、  
力丸は決して彩女を離そうとはしなかった。  
それ所か、蹴り付けられれば蹴り付けられるほど、  
彼は自らを盾として、少女を庇い続けるのである。  
彩女の方も、両腕を力丸の背中に巻きつけ、両足で彼の腰を挟み込み、  
意地でも離れるものかと、抵抗の意を表した。  
 
すると男達は、今度は手にしていた乳切木で力丸を殴打し始めた。  
固い棒で背中をた打たれる度、力丸の口許から苦悶の呻吟が漏れた。  
それでも彼は必死に耐えていたが、  
これには寧ろ、下になっていた彩女のほうが先に降参した。  
 
―このままでは、力丸が殺されてしまう!  
 
そう判断した彼女は、力丸に絡み付かせていた手足を解放し、  
「御赦し下され!御赦し下され!この人を叩かないで下され!  
 野菜を盗んだのはあたいです!この人ではありませぬ!」  
力丸の耳元で、大声を張り上げて喚き始めたのだ。  
 
そこで漸く男達の動きが止まった。  
彩女は尚も喚き続ける。  
「あたいが悪う御座りました!あたいが悪う御座りました!  
 だからこの人を叩くのは止めて下され!全部あたいの仕業です!」  
「何!?本当か!」  
男の一人が詰問した。  
彩女に替わって、力丸が返答を返した。  
「ち、違う…!野菜を獲ったのは、俺だ…!  
俺だ…!俺だ…!」  
 
力丸と彩女の言い分は、半ば事実であり、半ば間違っていた。  
これまで彼らは二人揃って、野菜を盗み獲っていたのである。  
従って、どちらか一方が悪という事は無く、言うなれば二人は共犯なのだ。  
しかし力丸も彩女も、互いを庇い合う為に、  
自らが主犯であると言い張った。  
 
それに対する村の衆の反応は、実に明快なものであった。  
「どちらが盗んだなどは、どうでも良い。連帯責任である。」  
この期に及んでは、最早男達も、力尽くで力丸と彩女を離反させようと決意した。  
そうなると、少年少女の細腕では、抵抗にも限界がある。  
 
まず、男達の手によって、力丸の背中に巻かれていた  
彩女の両の腕(かいな)が解かれると、それと時を同じくして、  
腰に絡み付いている両脚も膂力に任せて引き剥がされた。  
これで、両者の抱合の力も半減した。  
彩女は耳を劈くような喚き声を上げて抵抗したが、それも徒労に終わった。  
二人を結合させているものは、彩女を抱きしめている力丸の両腕と、  
互いの下半身の接合のみである。こうなっては、最早是非も無い。  
 
力丸の両腕には、左右に一人ずつの男が付き、引き剥がしに掛かった。  
腕が抜けるほどの力で捻り挙げると、  
彼の腕は余りにも呆気無く彩女の体から剥離した。  
 
それを見計らったかのように、更に別の男が二人、力丸の腰を抱え上げた。  
少年の痩身はいとも容易く中空に浮き上がり、  
彩女の胎内に収まっていた彼の陰茎が、  
白い糸を引きながらぬるりと抜けた。  
同時に、彩女の中心部分からも、二人の体液がどろりと零れ出した。  
それを見た男衆はどっと笑った。  
卑猥な言葉を投げ付ける者、悪童さながらに、囃し立てる者もいた。  
 
力丸と彩女は後ろ手に腕を掴まれ、神社の敷地内から連れ出された。  
そして、山の麓に生い茂る竹薮まで連行されると、花崗岩の大岩の前に並んで立たされた。  
力丸も彩女も、継ぎ接ぎだらけの薄汚れた着物を羽織っているだけなので、  
肋骨の浮き出た胸板から腹、そして陰部までが、大人達の視線に晒されている。  
力丸の陰茎は既にすっかり縮み上がり、  
ぬらぬらと互いの体液に濡れた先端部分も、今では完全に包皮に覆われていた。  
それでも力丸は、存外平然としていたが、  
彩女は大人達の前に恥部を露出する事を嫌がり、  
度々身をくねらせては、背後で控えている男に力尽くで姿勢を矯正された。  
 
まず、名を問われた。二人は自らの名を小声で名乗った。  
しかし続いて「親は居るのか?」と聞かれると、  
力丸も彩女も、沈黙したまま俯いてしまった。  
彼らは親無しである。物心付いた時には、親は既に存在していなかった。  
「…親は居らぬのか。では、何処に住んでおる。無宿か。」  
力丸は「無宿であるが、夜は先程の社の軒下をねぐらにしている。」と告げた。  
 
「歳は幾つだ。」今度は別の男が聞いた。  
二人は口を噤んだまま、答えなかった。  
大人達に対する、ささやかな反抗という意図からではない。  
彼らは、自らの正確な年齢と言うものを知らなかったのだ。  
煮え切らない少年達の態度に、男の一人が苛立ったように声を上げた。  
「大方、十二かそこらだろう。」  
彼は、手にしていた乳切木で、二人の股間を指し示しながら言った。  
力丸の陰部には、うっすらと陰毛が芽生え始めてきていたが、  
彩女の方は、それすら皆無であった。  
 
男達は言った。  
「餓鬼の癖に、まあ、あのような狭き所で犬のように盛りおって。」  
「乞食の男女は、例え餓鬼であっても、それしかする事が無いのだ。」  
「これから仕置きをするからな。覚悟しておれ。」  
彼らの言葉の端々に、嗜虐の炎のくすぶりを感じた。  
力丸も彩女も、震え上がった。  
 
「この餓鬼供が、村の畑を荒らしていた野菜泥棒の正体である。」  
 
二人は着物をすっかり剥ぎ取られ、後ろ手に強く縛られた挙句、  
頸に縄を掛けられ村中を引き回された。  
薄汚れた全裸の少年少女が、前のめりになって引き回される姿を目撃した村人達は、  
口々に「まるで犬のような奴らだ。」と嘲笑し、中には石を投げ付ける者も居た。  
 
村の男衆は下手人を引き回す事に飽きると、時々足を止め、  
二人に対し容赦の無い暴行を加えた。  
筆舌にし難い悪罵を投げ付けられながら、乳切木で殴打されている力丸のすぐ隣で、  
彩女は屈辱に満ちた言葉と供に、複数の男達に代わる代わる犯された。  
 
その悪夢の一時が終わると、再び二人は頸の縄を強く引かれ、引き回される。  
力丸は体中から血を流し、彩女は秘部から男達の白濁を滴らせながら、  
この「野菜泥棒」達は村の衆に晒された。  
 
道中、男達は、農作業に勤しむ農夫に出会う度に事情を説明し、  
彼らに力丸を殴打させ、彩女を土手に引きずり込んで、陵辱させた。  
その間、男達は虎の子の煙管煙草を回しあい、  
日に焼けた皺くちゃの農夫に慰み物にされる彩女を肴に、  
卑猥な談笑に興じる事で、時を潰した。  
 
その後も、引き回されては暴行を受け、  
暴行を受けてはまた引き回されると言う苛烈な私刑が、  
実に半日もの間、哀れな少年少女に対して執拗に加えられた。  
この嵐のような暴行により、  
遂には力丸は片目を失い、彩女は子を為さない体となった。  
 
彼らは最終的に村の高台にまで連行されると、  
頂上に生えている一本杉の根元に縛り付けられた。  
そのまま三日三晩、彼らは晒し者にされたが、  
しかしそれでも二人が絶命する事は無かった。  
彼らの身柄を引き受けに来た人間が居たからである。  
命の恩人は、代々乱破家業を生業とする一族の者であった。  
二人は彼等の持参していたズタ袋の中に押し込められ、里へと連行された。  
 
乞食として生を受けた力丸と彩女は、  
その日から、やはり同じ「七道の者」に属する乱破者として  
生きる事を運命付けられたのである。  
 
 
 
        
京の夏は暑い。  
その暑さを物ともせずに、毎日毎日女を替え、  
まるで盛りのついた獣のように、真昼間から情交に及んでいたとしても、  
彩女は眉を顰める事もしなければ、力丸の乱行を咎め立てる事も無かった。  
彼女は彼女で、連日のように市へと出かけ、  
これまた阿呆のように高価な品物を仕入れてくる。  
出かけと帰りで、力丸の相手をしている女が入れ替わっていたとしても、  
彩女は気付きもしない。  
何しろその彼女も、出かけと帰りで着物が違っている事など、  
さして珍しくはなかったのだから。  
 
「七道の俺達が、一生に一度の夢を見て何が悪い。」  
 
それが二人の理屈であった。  
その理屈さえあれば、全てが赦されるような気がした。  
力丸は、黄金二十一枚、銀三十六枚という途方も無い大金で、その「夢」を買った。  
 
「今日より俺達は、人として生きるぞ。」  
 
確かに力丸と彩女は、京にいる間は優雅な「遊民」として浮世の生を謳歌していた。  
しかし彼らは「遊民」であると同時に、「罪人」でもあったのだ。  
その為、京に辿り着いて三ヶ月もしない内に、  
彼らはそのもう一つの属性である「罪人」即ち、  
「逃亡者」へと身を変じなければならなかった。  
 
力丸の得た黄金二十一枚、銀三十六枚は、  
極楽浄土への道筋を書き記した地図であったと供に、  
地獄への一里塚ともなった。  
 
金平糖を口に含んで微笑んだあの日の彩女の姿は、  
やはり幻だったのではなかろうか。  
或いは真夏の午後、裏通りに揺らめき立つ虚ろな陽炎か。  
 
殆ど獣の如き本能により、追捕の気配を感じとった彼らは、京から風のように消えた。  
消えざるを得なかった。  
茹だる様な猛暑の夏も終わりかけた日の事である。  
最後の命を振り絞って啼き喚く蝉しぐれだけが、落人達の背中を見送った。  
 
しかしその二人には一体何が残されたのだろう。  
彩女の購入した高価な櫛や簪や、その他装飾品の数々は、  
今はもう彼女の手元には存在しない。  
それらの全ては、逃亡資金に替えられた後である。  
無論、力丸の名刀などは言うまでも無い。  
 
惜しむべきは、力丸が京で女遊びに現を抜かしていた事であろう。  
彩女の求めた品物と違って、こちらは下取りがきかない。  
今思えば、一時の悦楽を得んが為の、愚劣極まる無駄な浪費でしかなかった訳であるが、  
しかしその事で彩女が力丸を折檻した事は一度も無かった。  
 
その彩女は、この逃避行の最中で何度も同じ言葉を繰り返し述べた。  
「若しもの事があったら、あたいは痛い思いをするのが嫌だから、  
 その時はさ、力さん。あんたが一思いにあたいの頸を刎ねておくれ。」  
彼女のがこの台詞を漏らす時は、大抵一寸先も見えぬ、  
虫の音すら聞こえぬ静寂の暗夜の中であった。  
 
孤独な体温を交し合い、精も根も尽き果した後、  
ふと、力丸の耳元で脅えたように囁くのである。  
彼女の言う「若しもの事」とは追手による彼女の殺害、そして「痛い思い」とは  
その際に加えられるであろう苛烈な拷問の事を指すという事は、  
力丸にも良くわかっている。  
 
彩女は、自身の死の恐怖よりも、拷問の恐怖を恐れているのであろう。  
力丸と違って女である彼女には、苦痛と同時に、かつて味わった、  
あの嵐のような恥辱と屈辱も加味されるであろう事は、容易に想像出来た。  
 
ただ、正直な所、力丸は彼女のこの懇願にも似た言葉には、  
少々の困惑を覚えざるを得ない。殺人の技術の問題ではない。  
力丸ほどの腕であるならば、彼女の望みを叶えてやる事は、  
さして難しい事では無いだろう。  
問題は、その「若しもの時」この幼馴染の女を  
一刀の下に斬り伏せる事が出来るかと言う事である。  
或いは年来の情けから、逡巡に逡巡を重ねた挙句、  
機を逸してしまう可能性も棄て切れない。  
 
胸中に一抹の不安を抱えながらも、  
しかし力丸は、その戸惑いの一片も面には出さず、  
「大丈夫だ、彩。俺はお前にだけは嘘は付かぬ。」  
と乾いた声で返事を返してやる事を常としていた。  
そうしてやると彩女は  
「有難う。」  
戦慄くような礼の言葉と供に、  
小さく安堵の溜息を一つ吐いて力丸に身を寄せてくるのだ。  
それを見るに付け、やはり力丸も安心するのである。  
 
「彩。つまらぬ乱破仕事はもう止めだ。  
 それより欲しいものを言え。何でも買ってやる。」  
 
力丸のこの一言が、二人の運命を変えた。  
訝しがる彩女を前に、力丸はズタ袋の中に無造作に納められた  
黄金二十一枚、銀三十六枚を意気揚々と見せびらかし、  
「どうだ。俺は分限(金持ち)であろう。」と得意げに鼻を鳴らした。  
この二人には生涯、いや、七度生れ変っても縁の無いであろう、  
心臓が止まる程の大金である。  
彩女が仰天した事は言うまでも無い。  
「こんな大金を一体どうしたのか。」  
目を剥いて詰問する彼女に対し、力丸は薄ら笑いを浮かべながら、  
「銭はある所にはある。」とだけ答えた。  
その一言で、彩女は全てを悟った。  
「…一体…何処の蔵を…。」  
「何処でも良い。そんな事より欲しいものは無いか。何でも買ってやる。」  
「良くは無い…!何故…何故そんな事を…!」  
 
彩女の脳裏に、かつての野菜泥棒の記憶が甦って来た。  
 
―この男はその愚を、再び繰り返そうとしているのか…!  
 
彼女は必死で力丸の小袖の袷を揺さ振って、彼の狂気を諌めようとした。  
事が発覚し、捕獲されれば手討ちでは済まない問題である。  
 
しかし力丸は彼女の手を苦も無く振り払いながら、  
「七道の俺達が、一生に一度の夢を見て何が悪い。」  
彼のこの言葉は、彩女を閉口させ、  
沈黙させるのに十分な威力を持っていた。  
鹿の眼のように黒く澄んだ隻眼に浮かび上がった、  
小さな冷たい炎の揺らめきを、彩女は確かにこの目で見た。  
「乱破仕事など、もう止めだ。俺は今より、人として生きるぞ。」  
 
痛々しいまでの無垢なる渇望を宿した眼差しであった。  
それは打ち棄てられ、途方に暮れる幼子の嘆きにも似ていた。  
瞬間、彼女の瞳にも同様の炎が、まるで合わせ鏡のように映し出された。  
それだけで全てを得心した。  
彩女もまた、力丸同様「七道の者」であったのだ。  
 
気が付くと「金平糖が食べたい。」とあの日の所望を告げていた。  
その望みは、力丸の得た金銭の力で苦も無く叶えられた。  
続いて「京にも行ってみたい。」後は上記した通りである。  
 
京に滞在している最中、力丸は事あるごとに、  
「銭とは、不思議なものだな。まるで妖術のようだ。  
 そうであろう。俺達のような卑賤の輩であっても、  
 銭さえあればまるで偉い殿様のような扱いを受ける。  
 これは最早妖術以外の何物でもない。  
 そうとも。銭は人の心を変える妖術なのだ。」  
 
―その通りだ。  
 
と彩女も何度も頷いた。  
「だとすると、あんたは仙人さ。  
 あたいの願いを何でも叶えてくれる、妖術使いの仙人様だよ。」  
 
「ああ、俺は確かに仙人かも知れぬな。この間の武具屋の様を見ろ。  
 今まで偉ぶっていた人間が、どうだ。銭を見た途端、犬畜生のようになりおったわ。」  
そう言って、力丸はからからと乾いた声を立てて笑った。  
ただ彼の言葉の端々には、金銭の持つ不思議な力に対する新鮮な感動と供に、  
一抹の悲哀と自嘲が込められている事に、彼自身も気付いていない。  
 
兎も角二人は、まるで親の仇でも獲るかのように、浪費に継ぐ浪費を繰り返した。  
若しかすると、「七道の者」としてこの世に生を受けた二人にとって、  
あの京での放蕩の日々は、彼等の不条理な運命と、  
憤懣に満ちた人生に対する復讐の意味が込められていたのかも知れない。  
或いは、それら悲憤と鬱屈の日々から脱却し、解放される為の儀式であったとも言えようか。  
 
ただ確実に言える事は、彼らは放蕩三昧を尽くす事によって、  
自らの存在の不条理を僅かにでも赦す事が出来たのである。  
例えそれが一時の気休めに過ぎなくとも、  
運命を赦し、人生を赦し、過去を赦し、人を赦し、世界を赦す事が出来たのである。  
 
あの一夏の狂騒の日々は、  
まるで砂漠に揺らめく蜃気楼であったかのように、融けて、消えた。  
 
 
 
       

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