「人質がいる」  
第7惑星圏外で、キース・アニアンの声を聞いた。  
「私と人質を、お前の思念で包め」  
…必死だった。  
そうして彼が連れてきたのは、金色の長い髪を持つ、白い女の人形だった。  
 
「お前の仲間だ」  
疲弊していてもいくらか安堵した様子で、キース・アニアンはその人形を床に放り出した。  
彼女はそのまま崩れたように座り込み、動かなかった。  
「化け物同士で徒党を組もうなどと考えぬことだ、マツカ。この女はペセトラで処分されるか、すぐに収容所へ送られる。お前が同じ運命をたどりたいというのなら別だが」  
「それなら、どうしてここまで連れてきたのですか」  
「…奪いたかったからだ」  
一瞬のためらいの後、彼は吐き出すようにそう言った。  
 
ペセトラに着くと、彼は一人だけ先に艇を降りた。  
僕は、彼女を他の人間に気づかれずに居住区の彼の部屋へ連れて行くよう、指示されていた。拘束した彼女を脱衣袋に入れ、さらに合金でできた精密機器搬入用のケースの中に横たえた。  
彼女は何の抵抗もせず、されるままになっていた。  
ケースを艇から降ろして、カートで彼の部屋へ運ぶ。  
中の酸素が少ししかないのでカートのスピードを上げて先を急ぎたかったが、誰かに怪しまれたらお終いだ。  
彼の部屋に着いてケースを開け、脱衣袋を抱き上げたときは泣き出しそうだった。  
袋の口を解き、ぐったりとした彼女の金髪を掻き分けて、その息を確認する。  
目を閉じたままの人形。  
でもその身体は柔らかく、温かい。頬は上気し、小さな口が微かに開いている。  
きれいなひとだ。  
そう思ったとき、手の中で彼女が身じろぎした。  
「よかった、苦しかったでしょう?」  
思わず声が出た。  
彼女の顔にみるみる生気がよみがえる。  
見えないはずの目を僕に向け、彼女はとまどいの感情と共に(あなたは?)と思念で問いかけてきた。  
思念で会話ができるなんて!  
僕は自分の内側で喜びが湧き上がるのを感じた。すると彼女も僕の喜びを感じたことがわかった。  
(僕は…マツカと呼ばれています)  
「マツカ」彼女は声に出してそう言った。彼女の声を聞くのは初めてだった。彼女が僕を恐れていないことがわかった。それはすばらしいことのように思えた。  
 
彼女のためにお茶を入れていたとき、ふいに彼女がおびえた様子で落ち着かなくなった。  
数秒後ドアが開いて、マザーに報告を終えたキースが入ってきた。  
「なんだそれは」  
「…紅茶です。コーヒーでしたら今すぐ…」  
「いらん。はずしてくれ、マツカ」  
「…え、あの」  
「出て行け。これから、私があいつらから受けたものを、この女に返す」  
背中を向けたまま言い放つキースに、僕は口ごもりながら失礼しますと一礼して、部屋を出た。  
 
それから何時間も、僕は生きた心地がしなかった。  
何が起きているのか考えると、心臓が早鐘のように鳴って、あまりの苦しさに胸を引き裂きたい衝動に駆られた。  
さまざまな思いが浮かび、去り、またよみがえる。  
想像の域を出ないものの中でただひとつ、確かなことがあった。  
キースは彼女を容赦なく傷つけているだろう。  
彼はそのために彼女を連れて来たのだ。  
 
ようやく彼が部屋から出てきたとき、その顔をまともに見ることができなかった。  
「室内を整えておけ、マツカ」良い睡眠がとれた後のような、張りのある声で彼は言った。こちらの様子にはまったく気づいていないようだった。  
「3時間で戻る。そのあとは出撃だ」  
おそるおそる、室内へ入る。  
乱れたベッドの寝具。いつも身の回りのものをこぎれいに使用するキースにしては、およそらしからぬ状況だった。シーツの端が床に着いている。彼女の着ていたドレスが、丸めた寝具の間からのぞいている。  
投げ出された人形が、部屋の隅にあった。  
白い壁にもたれた彼女はバスローブに身体を包まれていたが、長い髪は濡れたまま床に広がっていた。  
急いで彼女に駆け寄り、髪を集めながら抱き起こす。  
水をたっぷり含んだ髪はかなりの重量だ。  
シャワールームからタオルを取ってきて、小分けにした髪の束を少しずつ包む。  
「…ありがとう、マツカ」掠れたその声を聞いたとき、僕は涙が頬を伝うのを感じた。  
彼女がゆるゆると手を伸ばしてきて、僕の濡れた頬に触れる。やさしい感情が、静かな音楽のように流れてきた。  
どうして、と僕は泣いた。酷い扱いを受けたあとで、どうしてそんなふうにやさしくいられるの。  
すると彼女の思念はすうっと薄くなり、それから急に寂しい色に変わった。悲しげだったが、重苦しくはなかった。  
それは、彼女が見せてくれた本当の彼女だと僕は感じた。  
涙が止まらなくなった。  
 
彼女は足首を捻っていた。  
「シャワールームで」とだけ言って、彼女は口を閉ざした。  
僕はその足にテープを巻き、髪にドライヤーを当て、寝具を手早く交換した。  
早く彼女を休ませたかった。  
3時間で戻る、とキースは言った。それがリミットなのかもしれなかった。  
 
彼女のドレスに破けたところはなかったが、デリケートな生地に無理な力が加わったため、そのフォルムは失われていた。  
「休んでいてください。何か代わりのものを探してきます」  
「いいの」と彼女は言った。ベッドの白い寝具の上で、洗い立ての金の髪に縁取られた彼女の姿は、ひどく頼りなげだ。化粧を落として装飾品を取り去ると、彼女はまだほんの少女にしか見えなかった  
「お願い。一人にしないで」  
そう言いながら、彼女は身を硬くしてそこにいた。  
「こわい、ですか」  
我ながら馬鹿なことを聞くものだと思った。でも彼女はうつむいて首を振った。  
「ここに、一人でいるのが嫌なのです」  
さっきまでのことを思い出したくないのだと、僕は気づいた。  
「お茶を入れましょう」そう言って、時計を見た。  
あと2時間だった。  
 
「僕がミュウで、驚いたでしょう」  
「ええ」お茶のカップを両手で包み、湯気の中で彼女はかすかに微笑む。温かいお茶が、彼女の緊張を少し解いたようだった。「…ここにいて、不安ではないのですか」  
「…キース・アニアンのことですね」  
僕は口をつぐみ、代わりに思念でこれまでの経緯を彼女に伝えた。瞬時に多くのことを伝えられるという利点を、初めて実感した。それに言葉を使うより主観が入りにくく、事実をありのまま伝えられるだろう。  
だが彼女には、ことの成り行きがうまく呑み込めないようだった。  
無理もない。  
「確かに、あの人は心の底からミュウを憎んでいるわけではないようですね」  
うつむきながら呟く彼女の言葉に、僕ははっとする。  
「それがわかるのですか」  
彼女はその問いに答えなかった。  
(あの人が、これから何をしようとしているのか知っているのでしょう?)震える思念が、彼女からさざなみのように伝わってきた。  
(彼はミュウを、わたしの仲間を攻撃しようとしている)(わたしが彼に心を読ませてしまったから)(彼を逃がしてしまったから)(わたしは罰を受けても当然だけれど)(彼を止めたいの)  
「彼を…止める」僕は同じことを考えたことがあるにもかかわらず、それは不可能だと彼女には答えてしまいそうだった。  
「止めなければ」彼女はカップをひざの上において、両の手のひらで顔を覆う。  
あわててそのカップを取り上げ、思わず彼女の肩に手を置いた。  
急速に高まる不安と、絶望に近い悲しみが激しい眩暈のように彼女を襲っていた。物静かな外見の内側で、彼女はもう決壊寸前だった。  
「待って…」  
声をかけると同時に、僕は彼女の肩を抱き寄せていた。  
 
彼女が身体を預けてきたとき、僕は迷わずにその唇を吸った。  
涙の味がして、柔らかい唇だった。  
互いに半開きの口の間から、舌を絡ませた。  
彼女の動揺が少しずつ収まって、僕との行為に感覚を集中させてくるのがわかって嬉しかった。  
バスローブの紐を解いて、胸をあらわにする。白い肌。きめが細かくて、陶器のようにしっとりとしている。  
首筋からキスを重ねて下りていく。  
鎖骨まで来たとき、小さく喘ぎ声を漏らした彼女の身体を、両腕いっぱいに抱きしめた。  
金のリボンで結ばれた、白い花束を抱いているようだった。  
彼女に頬をあわせると、僕の背に手を回してきた。  
心が通い合うというのは、こういうことを言うのだろう。  
彼女の鼓動には、穏やかさが流れていた。  
僕は彼女のすべてを愛したかった。  
 
乳首に、血がにじんでいた。  
そっと口に含むと、彼女が「あ」と声を出した。  
「…痛い?」  
彼女は首を振ったが、痛むのだろう。  
すでに固まった血を舌の先で舐めとりながら、彼女の傷が癒されることを祈る。  
バスローブを脱がせると、白い肌のあちこちに新しい擦り傷と内出血があった。  
そのすべてを愛しむように、やさしくついばんでいく。  
横たわっていても胸の形は美しく、腕は白鳥の首のような優雅さで、細い指は砂糖菓子のように華奢だった。  
平らな腹に頬擦りし、形の良い臍にキスをする。  
僕の手が下半身にかかると、彼女にかすかな緊張が走った。  
(大丈夫)僕は彼女を見上げながら、思いを込めて思念を送った。(あなたはきれいだ。すごくきれいで、どこも穢れていない)  
この上なく大切なものを扱うように、彼女を愛したかった。  
彼女はシーツの上で、ゆっくりと泳ぐように手足を動かした。  
その足をとらえ、ひざの内側から内腿にかけてキスを繰り返す。  
彼女の震えが始まる。  
でもそれは恐ればかりではない。  
期待。僕への信頼。そして…何かの記憶。  
僕は唇に彼女を刻みこもうとする。  
完璧な彼女のかたち。  
不安定に揺れる感情。  
その上にあふれる温かさ。  
こんなにも貴重なものを、どうしてぞんざいに扱えるだろう。  
 
彼女のピンクの花の、真新しい傷が痛々しかった。  
初めて僕は、彼女を癒すつもりでかえってその傷を深めているのではないかという思いに駆られた。  
だがその場所に口づけずにいられなかった。  
静かに、祈るように、やさしく舌を這わせた。  
彼女がシーツを握り締め、声を上げた。  
痛みや嫌悪、恐怖でなく、彼女の悦びが舌を通して僕に伝わる。  
花びらからは甘い蜜が、とめどなく流れ出している。  
すべてを舌で掬い取りながら、こんなにも彼女が僕を受け入れてくれたことを奇跡のように感じていた。  
彼女の蜜に酔っているうちに、僕は僕自身の熱い欲望を無視できなくなってきた。  
だが、彼女の傷を広げるようなことはしたくない。  
そう考えていると、彼女の細い指が僕の髪を絡めとり始めた。  
誘われるように、彼女の顔が見えるところまで移動する。  
彼女は僕を胸に引き寄せ、頭頂部に頬擦りしてささやいた「…ありがとう」。  
彼女の細い指が、ゆっくりと僕の服のジッパーに達する。  
僕はそれを制止して、自分から服を脱ぐ。  
彼女はベッドに起き上がり、僕の腰に手を回して身体を引き寄せた。  
「だめだ、そんなこと…」  
彼女が僕の欲望を受け止めようとしている。  
そう思うだけで、僕は感覚が更なる高みに上ったのを確信した。  
次の瞬間、彼女の柔らかい唇が僕のペニスの先に触れた。  
「あ、あーっ…」  
自分でも恥ずかしいくらいに大きな声が出た。  
彼女はか細い指をペニスに添え、小さな口でカプリとくわえ込む。  
しびれるような快感が走り、僕は思わず彼女の頭を抱えて押さえた。  
彼女の舌がちろちろと中で動くのを、我慢するのは難しかった。  
限界がすぐに見えた。  
「だめだ、いけない」  
瞬時に彼女を引き離し、再び横たえる。  
彼女の傷を忘れて、片足を引き上げると真っ直ぐに挿入した。  
「ああん、あああーっ」声を上げる彼女が可愛かった。  
いとおしくて、頬に何度もキスを浴びせた。  
彼女が、僕と繋がりながら微笑む。  
陽の光が当たっているような、穏やかで満足げな笑顔。  
やがて僕と彼女は同じ光に包まれ、至福のときを共有しながら同時に頂点へ達した。  
 
「ありがとう」  
彼女が感謝の言葉を口にするのは3度目だった。  
僕たちは手をつなぎ、ベッドの中で向かい合っていた。  
「僕は…」  
「いいの」彼女は絡めた僕の指にキスをした。「あなたは、わたしが愛していた人にどこか似ているわ」  
「愛していた?」  
彼女は静かに思念で答えた。自ら犯した、大きな裏切り。取り返しのつかない、信頼の喪失。大切にしてくれた人を、大きな愛を、自分から手離したこと。  
「わたしがいけないの。あの人を逃がしたから」  
その言葉の後に流れる思念に、僕は愕然とした。  
キース・アニアンを愛していると。  
その存在を初めて認めたときから。  
抱かれたいと望んでいたと。  
たとえ彼が彼女の命を軽んじたとしても。  
彼女は伝えてきた。  
「あの人を止めて。あの人のために。あなたのために」  
彼女は僕の心の底に隠していた気持ちまで、理解していたのだった。  
僕は彼の心が目覚めるのを、あてもなく待っている。  
彼の本当の心が目覚めるのを。  
僕はそのためにここにいる。  
彼女に身体を寄せると、彼女も寄せてきた。  
二人の腕が互いの身体に絡み合う。  
でも僕たちの思念の先にあるのは、冷たくて悲しく、黒くて重たい、彼という存在なのだった。  
 
 
 
 

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