床に散らばったタロットからは、何も見る事は出来なかった。  
数の欠けたカードは既に占いの機能を失っているのだから。  
あの日、手にした一枚のカードを青白い炎で包みながら、彼は微笑んでいた。  
「君にかけられた魔法を解く。」  
そう、囁きながら。  
 
 
初めて彼に出会ったのは、いつのことだったのか。  
人工羊水と分厚い水槽壁の隔たりさえ忘れてしまうほどの、崇高なまでに美しく、暖かな笑顔。  
ガラス越しに合わせた手のひらから流れ込む想いは、どこまでも透明で、切なく、そして物狂おしかった。  
『君が、欲しい』  
幼い、あまりにも幼かった私は、その感情の行き着く先に何があるのかさえ知らず、絶え間なく打ち寄せる彼の力強く、熱く、優しい想いに心と身体をゆだねた。  
 
別れの挨拶に唇を重ねるようになったのは、いつのころからだったのか。  
彼の、必死に抑えようとして、抑えきれない感情の一端が、私の唇を熱く火照らせた。  
 
そして、運命のあの日。  
私の手を取り、彼は導いた。  
生きる日々へと。希望の明日へと。  
水槽から出されて日も浅く、まだ満足に走る事の出来ない私を気遣う彼の心がただ嬉しくて、暖かな彼の手をしっかりと握りながら、おぼつかない脚を必死に前へ出し、硬く冷たい床を蹴った。  
 
 
「僕の、女神」  
唇から、重ねた手から、こぼれ、流れ込み、私を満たす彼の言葉、想い。  
彼の為に、私はタロットを繰り、やってくる"はず"の運命をうたう。  
彼の為に、見知らぬ青い水の星のビジョンを、伝え続ける。  
 
「僕の、女神」  
見知らぬ悪夢に身を捩り震える私を、暖かな胸にそっと抱き寄せ涙に濡れた頬を唇で拭ってくれた彼。  
 
「僕の、女神」  
 
「僕の、女神」  
 
自分の薄かった胸が、軽い痛みを伴いながらうっすらと隆起し出す頃、その言葉に、想いに込められた本当の意味を私は知った。  
私の気持ちなど無視してしまえば、もっと早く遂げられただろうその感情を、ずっと抑え、待ち続けてくれていた彼の優しさに、私は生れて初めて涙を零した。  
「泣かないで、フィシス。」  
私が傷ついたと思ったのだろう。差し伸べた両手からは、悲しみと狼狽が滲み出ていた。  
悲しんでなどいません。  
嬉しいのです。本当に、嬉しいのです。  
言葉にしたら、空気に解けて消えそうに思えて。私はただ微笑みながら、彼の胸に飛び込んだ。  
 
彼の舌が、指が、唇が、私の全てを埋め尽くしてゆく。  
焦らず、時間をかけながら、ゆっくり、ゆっくりと私を愛してゆく。  
重ねた唇の隙間から、彼の熱く滑らかな舌が忍び込み、恥じらって逃げ惑う私のそれを巧みに捉え絡み付く。  
その舌先から、生まれたままの姿で重ねた全身から、互いの想いが流れ込み混じり込む。  
「君が欲しい」  
「あなたが、欲しい」  
 
私の閉じた瞼をついばんでいた彼の唇が、頬を撫で、うなじを通り、やがてささやかな乳房にたどり着く。  
「あっ・・!」  
暖かく濡れた感触に、私の全身に電流が駆け抜けた。  
『大丈夫、怖くないよ。』  
私の乳首に口づけながら、彼が囁く。  
『感じるままに、心のままに・・・・  
 君の、声が聞きたい。』  
彼の大きく熱い掌がもう一方の胸を包み込みゆるりと揉みしだく。  
彼の望みを叶えたかった。  
 
隙間ない愛撫を落としていった彼が、最早力の入らぬ私の両足をそっと大きく広げ、その狭間に顔を埋めた刹那、私の全身は制御不能になった。  
 
開いた唇からほとばしった叫びの、何と淫らなこと。  
駆け抜ける凄まじい快楽の渦に、シーツの海で跳ね上がる身体。  
全身の皮膚から、放熱の為の汗が吹き出し、身を捩る度に玉となって転がり伝う。  
彼の舌先が蠢く度、私の身体の奥底から熱い流れがあふれ出て、泉のような水音を立てる。  
未知の快楽と恐怖に泣き叫び、のたうつ私をどこかでもう一人の私が見下ろしている。  
そんな眩暈にも似た感覚と共に、私のすべては絶頂の大きな波に攫われていった。  
 
全身が、どろどろに溶けてしまったような、疲労感と開放感に漂いながらも、彼の"願い"は完全に叶えられていない事を、既に私は知っていた。  
 
 
彼に導かれ、快楽という甘い蜜の味を知ってから、幾年過ぎたのか。  
その時は、突然訪れた。  
私のタロットにも表されること無く、不意に巻き起こった一陣の風のように。  
 
「助けられなかった。  
僕のミスだ。」  
ぽつりと足元に落としたような声で、彼は己を哂っていた。  
人間たちが勝手に決めた"規定"から、ほんの少し外れただけで容赦なく切り捨てられる命たち。  
彼らを救うのは、砂漠に散った細かな宝石を拾い集めるのに似ていた。  
掬い上げても、掬い上げても、指の隙間からこぼれ落ちてゆく光の粒たち。  
「もう少しだったのに。  
 あと数秒僕が早く到着していれば、あの少年は生きながら焼かれずに済んだのに。」  
悔恨の言葉が、暗く重い色に染まって。  
 
迫害から逃れ、身を寄せ合う同胞たちの長として、うつむくことなく前を見据える事を自らに課した彼。  
決して弱音を吐かず、希望を捨てず、皆を導くべき力強き存在として。  
 
でも -------  
あなたはそれで、いいの?  
それが、あなたの全てなの?  
 
「どうかご自分を責めないでください。ブルー・・・」  
彼の心を癒したいと願う自分の中に、未だ知らぬ彼の本質を手に入れたい欲望を認めたくなくて、  
唇は通り一遍の慰めの台詞を吐く。  
階段に腰をおろしていた彼が、私に向かって手を差し伸べる。  
駆け寄りたい衝動を懸命に抑えながら立ち上がり、いつも通りの緩やかな足取りで近付く。  
 
そして、  
触れた指先の冷たさと、流れ込んでくる彼の思念が私を打ち据えた。  
 
ずっと前から、初めて素肌を合わせた時から知っていた癖に。  
それから眼を背けていた私。  
 
『君が欲しい』と言いながら、彼は私から何一つ奪ってはいなかった。  
ただ、ただ、私に注ぎ込み、与えるだけだった。  
暖かく柔らかな体温も、強張った心と身体を溶かす優しい言葉も、想いも。  
巧みな愛撫で私を快楽の海に漂わせながら、自身の欲望を果たすことすらなかった彼。  
 
私は、彼を削り取って生きてきたのだ。  
こんなに?せ細らせるほど、彼から奪い続けてきたのだ。  
 
彼の想いが、濁流となり私の中を駆け巡る。  
『僕を、助けて』と。  
 
もう、私は迷わない。  
彼の"願い"の全てを叶える事を。  
 
彼の足元に膝をつき、凍える手を両手で包み、口づける。  
 
「どうか、私を、あなたの寝台へ ------- ブルー・・・」  
 
ここに、最初に生まれたままの姿で横たえられた時は、彼の手に完全に隠れてしまうほど幼かった私の乳房は、  
長い年月の果て、ようやく彼を受け止めるだけの容量を持った。  
すっかり身体に馴染んだ彼の愛撫が、いつものように私を解きほぐす。  
額から始まった口づけが、唇を味わい頬を滑りうなじを通り、  
両の乳房を揉みしだき、つんと突き出した乳首を舌先で転がし熱く吸い上げる頃には、  
溢れ出た淫らな泉は、悶える私の動きに合わせ音を立てて、彼の唇と舌を乞うた。  
そして、熱い水面から顔をのぞかせた花芯を舌で転がし、啜り上げようとした彼を、私は初めて制止した。  
 
「もう、いいのです。」  
戸惑いと不安に揺れる、紅い瞳に、私は精一杯の微笑みを捧げる。  
 
「どうか、私を奪ってください。」  
両手を差し伸べ、自ら大きく脚を開き、彼をいざなう。  
 
「奪って ------ あなたの思うがままに。  
 ブルー・・・・・・」  
 
 
灼熱の刃に貫かれた刹那、唇を突いて迸った私の絶叫は、彼の耳にどんな風に届いたのだろう?  
私を穿つ彼の欲望の蠢きが、遠くなりかける意識を身体に繋ぎ止めていてくれた。  
擦れ合う肉と、混ざり合う体液が奏でる淫蕩な音色が、2人の狭間から絶え間なく生まれ、そして消えゆく。  
衝撃と、痛みと、それを遙かに凌駕する、狂おしいまでの喜びが私に注がれる。  
かすかに軋む寝台の音で、自分が激しく腰を振っているのだと気付いても、もう羞恥の気持ちは欠片も無かった。  
 
私を見下ろす彼の表情に、自分と同じ喜びの色を感じた時、不意に涙が溢れ出た。  
 
嬉しくて流す涙だったと、思い込んでいた、愚かな私。  
 
この先、全てを失う恐怖と絶望の予兆だと、察する事も出来ずに。  
 
「------ 悪魔・・!」  
喉から絞り出した私の言葉を、男は鼻の先で嘲笑った。  
「俺が悪魔なら、お前は魔女だな。」  
氷の声が、私を切り裂く。  
掴まれた手首の痛みなど消し去る激痛と恐怖を伴って。  
 
抗えるはずなど無かった。  
そう罵られるだけの大罪を、私は犯していたのだから。  
 
 
シートに固定されていても、身体が引き千切られるかと思う程の乱暴な操縦を経て、  
ようやく小型艇は安定飛行に移ったようだった。  
 
隣の操縦席の男が軽く息を吐く気配を察し、私も張り詰めていた肩の力を抜いた。  
それに気付いたのか、男は耳障りな金属音を響かせて自分のシートベルトを外し立ち上がる。  
見下ろす刃のような眼差しに、皮膚が粟立った。  
「お前のお陰で無事脱出できた。  
 ------- 礼をしなくては、ならんな。」  
冷たいレザーに包まれた手が、私の顎をきつく掴み、上に向ける  
「せっかくだからな、お前の種族のやり方にそったものにしてやろう。」  
男の平坦な発音の奥底に渦巻く、“憤怒”と“憎悪”という名の黒く重い波が  
襲いかかってくるイメージに、喉の奥から声にならぬ悲鳴が迸った。  
 
「俺が、味わった苦痛と、屈辱を返してやる。全て!」  
身体を締め付けていたベルトが外される音が、どこか遠くで聞こえていた。  
 
伸びてきた男の腕の下をくぐり抜け、駆け出そうとした身体が床に叩き付けられる。  
「俺から逃れられるなどと、考えるだけ無駄だ。」  
哂いながら、男は私の衣装の端を踏みつけたまま、スリットを片手で引き裂いた  
布の裂ける悲鳴のような音と共に、私の身体は仰向けに反転し、男の視線の元、  
胸元まで無防備な姿を晒した。  
「いやっ!」  
夢中でもがいた指先が、のしかかってくる男の顔を掠めた次の瞬間、  
自分の頬に衝撃が走った。  
秒遅れで襲ってくる痛みと、口中にじわりと広がる血の味で、  
ようやく自分が頬を打たれたのだと自覚した時には既に、  
私の全身は、男の完全な支配下にあった。  
 
食い込んだ男の前歯が、乳首を食いちぎらんばかりの執拗さでぐりぐりと擦り合される。  
もう一方の乳房には、もう幾つ目になったのか分からない爪の痕が、真新しい傷口を晒していた。  
快楽も、暖かさも無い。それは真実、“暴力”そのものに他ならなかった。  
その時までの、私にとっては。  
 
「苦しいか、悔しいか?  
 これこそ、お前たちミュウが人類に為してきた暴虐なのだ。」  
復讐と支配の喜びに黒く染まった男の思念と共に、ミュウへの、そして私への憎悪の言葉が降り注ぐ。  
「断りも無く人の心に侵入し、全てを暴き出し操る、  
恥ずべき化け物共が!」  
2回目に殴られた際、床に打ちつけた頭が鈍い痛みの波を送り続けている。  
鼻孔を逆流して喉に流れ込む血にむせ返りながら、  
ぼやけた聴覚は、侮蔑の言葉を何故か律儀に拾い集めていた。  
 
愛撫という名の、傷と内出血のあざを無数に残しながら、男の指と唇は下ってゆく。  
そして、到達したその個所を、大きな両手が限界まで広げた。  
私を打ち砕くための最後の仕上げの為に。  
 
 
男の欲望が私を貫いたその瞬間、のけぞった喉は引き攣れた呼吸音を発しただけだった。  
肉を引き裂き進むその容量に、激痛が駆け抜ける。  
「今更何を不慣れな風を装う?慣れているくせに。  
 奴の情婦らしく、腰でも振って見せたらどうだ?」  
男の勝ち誇った顔が、脳内に閃いた刹那、全身の痛みが、恐怖が消え去った。  
 
 
「--------- 私はいいのです。  
 いくらでも、あなたの好きなように汚せばいい、いたぶればいい。  
 でも ------- 」  
身体の奥底から、形容しがたい何か熱く狂おしい波が寄せてくる。  
 
「でも、あの人を。  
 ソルジャー・ブルーを貶めるのだけは、決して許さない!」  
 
それは、私が生まれて初めて持った、“怒り”という感情だった。  
 
「あの人を、-------- ソルジャー・ブルーを貶める事だけは、許さない!」  
 
魔女と、裏切り者となじられ責められても構わない。  
自分が、この男に脱出の手引きをしたのは、紛れも無い事実なのだから。  
いくらでも侮辱するがいい。  
私はそれを甘んじて受けねばならない。  
 
でも、あの人は。  
あの人だけは、守らなければ。  
この男の、狂気にも似た殺意と憎悪から。  
 
「------- 許さない!」  
切れて血の滲んだ唇が、ゆっくりと黒い言葉を作り出してゆくのに合わせ、全身の血液、全ての器官、皮膚の細胞の一つに至るまでが、凄まじい熱を帯び始める。  
「------!き、貴様!何を!?」  
私を犯していた男の、勝ち誇った顔が驚愕と苦痛に歪んでゆくのを見上げながら、  
自分の唇が奇妙な形に吊り上がるのを感じていた。  
私から抜け出そうとする男を、包み挟んでいる粘膜と両脚が許さない。  
そう。もう、この男を「逃す」わけにはいかない。  
何があっても。  
 
床に投げ出されていた両手をゆるりと持ち上げ、苦痛に硬直し喘ぐ男の胸にぴたりと当てると、ごく自然に“想い”が浮かんできた。  
 
『潰れて、しまえ』  
 
「ぐぁああっ・・・!」  
押し殺した叫びが、私の耳に降り注ぐ。  
手のひらから伝わる、男の肺と心臓が軋む感触が、何故か酷く心地良くて。  
苦痛から逃れるべく、私の腰に回っていた男の両手が私の手首を掴み引き?がそうとする。  
「駄目」  
骨をへし折られる程の激痛にさえ、私は微笑みで応えた。  
血に汚れ床に広がっていた髪が、別の意志をもった生き物のようにうねりながら、私にのしかかる男の首に巻き付くと、凄まじい力で締め上げ始める。  
 
これでいい。  
これで大丈夫だ。  
あの人は、守られた。  
仲間達も守られた。  
私は、満足だ。  
このまま、消えて無くなっても悔いはしない。  
 
掌に伝わる男の命の炎が揺らぎ出す。  
あと、少し。  
あと、少しで、全てが終わる。  
私は、解放される。  
全ての罪から、運命から。  
 
掠れ始めた思考の幕に浮かび上がった彼の面影に、最期の微笑みを送ろうとしたその時だった。  
 
聴覚を撫でる細かな泡の弾ける音に顔を上げると、私はただひとり、  
生まれたままの姿で水中に漂っていた。  
 
そこは、冷たさも熱さも感じない、体温と同じ水温を保つ、  
あの懐かしくも恐ろしい場所 ------- 私の生まれ故郷だった。  
視線の先にぼんやりと映るものがあった。  
青い水中にたゆたうその影が、ゆっくりと私に近づいてくる。  
距離が縮まるに従い、それは次第に明確な人の形を成してゆく。  
意識しないまま私は両の手のひらを、それに向けてかざす。  
 
そして、互いの指先が、掌が触れ合った刹那。  
目の前の影は、あの男の姿に、なった。  
 
あの時、シャングリラでガラス越しに垣間見たイメージと全く同じ情景が私の前にあった。  
 
同じ?  
いや、  
違う。  
 
触れた箇所から、何か形容しがたい熱量が奔流となって私に流れ込んでくる。  
同時に、私の中の熱も音を立てて男に流れてゆく。  
“やめて!”  
本能的な恐怖に捉われた私は、必死に離れようとするが、  
2人の手は融合したかのように合わさり、びくともしない。  
“やめて!”  
声なき声で叫び、身を捩ろうとした刹那、私は気付いた。  
 
気付いて、しまった。  
 
男から流れ込んで来るものと、私から流れてゆくものは、“同じ”だった。  
合わせた皮膚が、細胞が、私を形作る全ての元素が、目の前の存在を求めていた。  
それは、故郷を 恋い慕う、胸をかきむしられるような思慕の念にも似て。  
 
 
コワシテハ、イケナイ  
 
 
身体の奥底から、私の全てが叫んでいた。  
 
 
どさり、と倒れ込んできた男の重さに、私の意識は現実に引き戻された。  
「------- どうした?もう、終わりか?」  
激しく咳き込みながらも、男は私に向ける眼差しの刃を納めようとはしない。  
「さすが化け物だ。大した破壊力だったぞ。------ だが、詰めが甘い。」  
倒れ伏した状態のまま、私の耳元で低く囁く声に、心臓が踊り上がる。  
「残念だったな、止めを刺さなかったお前の負けだ。」  
打ち込まれたままでいた男の楔が、再び熱と硬度を持ち始めたのを感じ、全身の皮膚が戦慄いた。  
 
「もう人質の価値も無いが、いずれ研究材料として切り刻まれる運命だ。  
 今のうちにメスらしい使い方をしてやろう。」  
 
ゆっくりと上体を起こした男は、未だ荒い呼吸の中、笑みを浮かべる。  
見る者を恐怖と絶望、そして甘く苦い破滅へと導く、悪魔の微笑みを。  
 
再開した男の動きは、最初に私を犯し始めた時とは明らかに違っていた。  
怒りと憎しみに任せ、引き裂き打ち砕かんばかりだった凶器が、  
不規則な強弱と角度を付け、私の中を掻きまわす。  
その目的とするところが何であるかを察した時には既に、  
私の中は熱く濡れ、男の動きにまとわりつき粘った水音を立てていた。  
私自身の意思を離れ。  
 
いや、違う。  
これは、私が  
私の心が、求めている?  
“同じ”存在としての、この男を --------  
 
瞬間、頭の中に青い水のイメージが満ち、  
両の手を溶け合わせ漂う、私と同質な存在が、目の前の男と重なる。  
 
直感は、確信に、なった。  
 
「------ あ!あなたは!  
  あなたも、“見た”のでしょう?」  
 
私と、あなたは -------  
 
「黙れ」  
続く言葉は唇ごと大きな手に阻まれ、消えた。  
 
問いたい言葉も、告げたい言葉も、男は許そうとはしなかった。  
右手は口を塞ぎ、左手は逃れようともがく腰を掴み、私を犯し続ける。  
 
拒否しなければならないのに。  
感じるのは苦痛だけのはずなのに。  
何故、こんなにも、身体が熱いの?  
 
自分の問いに、もう一人の自分が哂う。  
“知っているくせに”  
“もっと、感じたい、貪りたいと願っているくせに”  
 
『やめて!!』  
発せない言葉が思念となり、私と繋がる箇所から男に流れ込む。  
「ほう?止めて欲しいのか?」  
唇を冷たい笑みに歪めながら、男が腰をほんの少しだけ後退させると、  
楔にまとわりつく粘膜がたちまち浅ましい水音を立てた。  
「残念だったな、お前の身体は止めて欲しくないそうだぞ?」  
喉の奥で低く哂いながら緩く抜き差しされ、淫らな粘膜は  
更なる狂喜の音楽を奏でる。  
 
『ああ!止めて!お願い、止めて!  
 私たちは、私たちは --------!』  
乱れる思念の渦の中、私はただ叫び続ける他、術は無かった。  
 
凄まじい快感だった。  
しかし、それは禁忌のもの。  
猛毒の甘い蜜。  
 
私たちは、同じ元素で構築され、同じ根を持つ存在。  
同じものを求め、同じものを感じ。  
互いに欲するものが何であるか知り尽くしている存在。  
 
 
全身から、汗が吹き出し粒となって転がり伝う。  
自分の身体が燃えて溶け去る幻想に酔いながら、私はうわ言のように繰り返していた。  
 
 
「--------- 殺して、お願い、私を、殺して・・・・!」  
 
 
「-------- 殺しは、しない。」  
朦朧とした意識の中、落ちてきた言葉は  
この状況下にも関わらず、どこか穏やかな響きさえ持っていた。  
支配し続ける動きはそのままに、口を塞いでいた手が私の頬をそっと拭う。  
そうされて初めて、自分が涙を流していた事に気づく。  
「……何故? あなたは私が憎いのでしょう?」  
絶え絶えの息の下、やっとそれだけを言葉に乗せると、閉じた瞼を通して  
薄く映る男の顔に、一瞬だけ少し困ったような笑みが浮かび、  
そして。  
 
「お前ほどの逸材、あっさり廃棄するには少し惜しい。  
当初の予定を変更して、“壊れる”まで、生かしておいてやる事にした。」  
 
悪魔は微笑みながら、両手で私の太ももを掴み、貫いたままの身体を無造作に反転させた。  
粘膜を抉る体内の凶器に、喉から悲鳴が迸る。  
そんな反応すら楽しむように、男はうつ伏せになった私の腰だけを  
高く引き上げ、蹂躙を再開させる。  
 
ずん、と身体の奥で鈍い音が響く。  
これまで体験した事も無い深い位置まで刺し貫かれた恐怖と絶望、  
それを凌駕する甘い喜びに、背中が粟立ち反り返る。  
それでも、「声」だけは。快楽を訴える声だけは発してはならない。  
脳髄まで沸騰しそうな熱に身体と精神を奪われかけながら、  
私は自分に残された最後の矜持にしがみ付いていた。  
 
しかし、それも、束の間の愚かな足掻きでしかなかった。  
 
背中にゆっくりと圧し掛かる暖かな重み。そして滑った舌先の感触。  
前に回った大きな手が、揺れる私の乳房をゆっくりと掴み上げて。  
 
その刹那、男と繋がる箇所から電流が脊髄を駆け上がり、  
全身の皮膚に痙攣の波が押し寄せ、長い指に摘ままれる乳首が硬く尖がる。  
 
限界、だった。  
 
狂ったように虚空を引っ掻く両手の先に、淡く微笑む紅い瞳が浮かび、  
そして、消えた。  
 
 
モウ、アナタノモトニハ、モドレナイ  
 
 
 
獣の咆哮が、喉を焼いた。  
 
 
 
あの人の元には、戻れない。  
それが私の犯した罪の報い。  
 
果て無い暗闇に堕ちてゆく私。  
狂気の灼熱に煮えたぎっていた身体は、既に氷のように冷たくて。  
 
寒い。  
とても、寒い。  
無意識になにかに縋ろうと伸ばしかけた両手で、自分自身を抱きしめた。  
もう、誰かの手を求める資格すら、無いのだと思い出して。  
涸れ果てたはずの涙が、氷の粒となって頬を転がり暗闇に消えた。  
 
差し伸べられる暖かな手も、  
優しい微笑みも、  
深く心に沁みとおる声も、  
私は自分から捨てたのだ。  
 
漆黒の闇が、胸を押しつぶし始める。  
もう少しで、私は「無」になる。  
もう、少し ----------------  
 
甘やかな絶望に、最期の笑みを浮かべたその時だった。  
 
突如、目の前に、まばゆい光が広がる。  
力強く暖かな、太陽の光にも似たオーラは暗闇を瞬時に蹴散らし、  
私の身体をしっかりと包み込んだ。  
   
『--------- ありがとう。生きていてくれて……』  
少年の泣き笑いの思念の中に、あの人の“声”が重なる。  
 
 
柔らかな日向の匂いに意識を溶かしてゆきながら、  
私はただ、幼子のように声を上げ泣き続けた。  
 
 
 
 
「お帰り、僕の女神」  
目覚めたその先に、彼がいた。  
 
初めて出会った時と寸分違わぬ暖かく、優しく、そして美しい微笑みを浮かべながら。  
 
彼は、欠片も私を責めなかった。  
仲間を裏切り、全滅の危機に晒す結果を生んだ罪人の私を。  
床に打ち伏す私の傷を気遣いながらそっと抱き起し、  
尚も懺悔の言葉を連ねる唇に、そっと人差し指を当て、淡く微笑んだ。  
 
「もう、いいんだ。  
 君をここまで追い込んだのは、僕なのだから。」  
抱き寄せられた胸を通して、言葉に出せぬ彼の想いが流れ込んでくる。  
私が存在すらしなかった遠い時間の彼方で、彼が味わった苦痛と屈辱、  
そして悲しみが。  
 
「誰も、君を責める事など出来ない。  
 たとえ、それが大切な仲間であったとしても。」  
初めて聞くような、熱く激しい想い。  
私だけに向けられた、私だけを求める声。  
それだけで、もう、何も要らなかった。  
 
「君によかれと思ってしたことが、  
逆に君の苦しみを増す結果になってしまった。  
----------- だから、君にかけた魔法を解こう。」  
右手に青白い炎を上げる死神のカードを持ちながら、彼が、耳元に囁く。  
甘い恋の詩を読み上げるように。  
 
 
 
「戻ったら、また、君の地球を見せてくれ。」  
彼は立ち上がる。  
いつもの通りの、微笑みを浮かべ、  
いつもの通りの、穏やかな声で。  
きっと生まれて初めての嘘を、優しい嘘を、つきながら。  
 
「行ってらっしゃい」  
潰れる胸の音を聞きながら、私も微笑みを返す。  
 
 
そして、一陣の蒼き風となり、  
あの人は、行った。  
 
行って、しまった。  
 
 
私の手に、少年に継げる補聴器を残して。  
 
 
 
「僕の、女神。」と、ささやく声を失って。  
「魔女め!」と嘲る声を失って。  
それでも、私は生きている。  
 
 
「あなたは生きるのだ。」  
「私達を、覚えていてください。」  
仲間である証の能力など、とうに失っていた私をシャングリラに飛ばしながら、  
彼らは微笑んでいた。  
 
 
あの人の夢を、願いを叶えた太陽の少年も、今はもういない。  
 
 
沢山の命を消し去って、飲み込んで。  
それでも星々は清らかにまたたき輝く。  
時は、刻み続ける。  
 
 
「あなた、めがみさま?」  
「マザー?」  
 
いいえ、私は誰でもない。  
私は、「人」  
愚かで弱い、それだからこそ、愛おしい命たちの一つ。  
 
 
「どこへ、ゆくの?」  
小さな体温が、私にそっと寄り添う。  
 
「清らかな、大地へ --------- 」  
 
 
熱い涙に洗われた私の前には、輝く緑の地平が、どこまでも続いていた。  
 
 
 
「魔女と蒼の戦士と悪魔と」 完  
 
 
 
 

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