予告していた時刻の数分前に、キースは戻ってきた。  
新しく入れたお茶を前に、僕と彼女が向かい合って座っているところへ。  
彼の顔に一瞬、意外だという表情が浮かんだが、それはすぐに消えた。心はガードが堅くて、僕には読めなかった。  
「出撃だ、マツカ」彼女に目もくれず、彼は言葉を続けた。「女を、連れてきた方法でエンディミオンに乗せろ。すぐにかかれ」  
「乗せるって、攻撃艇にですか」まさか。出撃中、あの精密機器搬入用ケースの中にずっと閉じ込めておくなんて。  
「そうだ」  
部屋を出て行こうとするキースをあわてて追いかける。  
「でも、彼女には着るものもないし、あの…」  
「必要ない。女をここで処分すれば死体の処理に困る。収容所へ送るには、お前がミュウを隠匿したとマザーに報告しなければならない」  
「僕が隠匿、ですか?」  
「お前だ。女をこの基地に連れ込んだのは、お前だからな」  
問答無用、とばかりに言い放ち、キースは足早に部屋を出て行った。  
 
あのケースでは機密性が高すぎる。酸素がすぐに無くなってしまうだろう。何かもっと、他のものを使わなければ。  
温かい手が、僕の腕に触れてきた。  
振り返ると彼女が僕の後ろに立っていた。  
「お願いがあるの。ケースに入れる前に、わたしを殺して」  
「だめだ、あきらめないで」だけど方法は無いのかもしれない。彼女を死なせたくないのに。  
「あの人の言うとおりだわ」彼女の声は落ち着いていた。「わたしの死体は邪魔だもの。ケースに入れたまま運行中に廃棄すれば、面倒なことにならないでしょう」  
「そんなこと言わないで」  
腕を引いて抱き寄せる。柔らかい彼女の身体。抱き締めると、彼女は僕の肩にあごを乗せて、もう一度「お願い」と囁いた。  
「いやだ、僕は」いつの間にか流れていた涙が、彼女の金の髪を濡らす。  
「泣かないで」彼女は僕の頬にキスをして、ゆっくりと僕から身体を離そうとする。  
…絶対に死なせない。  
あらためて彼女を腕の中に抱き締めて、僕はそう決めた。  
 
エンディミオンの中までは、あのケースで運ぶことにした。艇内でいったん蓋を開け、彼女を入れた脱衣袋は他へ移す。彼女がおとなしくしていれば、他の人間に気づかれずに済むだろう。  
訓練艇の仮眠用簡易服を彼女に着せながら、計画を彼女に話す。  
彼女は首を横に振った。  
「どうして」  
「…ここへ、戻ってくるということでしょう」彼女はうつむく。  
「そう、だけど…」僕は言葉に詰まった。  
嫌なのか。それより死を選ぶと、彼女は言うのだろうか。  
「いつまでも続けられることではないわ」  
(わかっている。わかっているけれど僕は…)  
「君を死なせない」  
大事なことは口で伝えよう。耳を通して聞く僕の声が、彼女の中に残るように。  
「生きていても無駄だわ」今度は彼女が泣く番だった。力なく微笑んでみせる彼女の目から涙がこぼれたとき、僕は胸が潰れそうだった。  
「…返してあげる」思わず、口から言葉が出た。  
え、と彼女が顔を上げた。  
「返してあげるよ、仲間のところへ」  
言葉にすると、本当にそれが可能かもしれないと思えてきた。  
 
攻撃は熾烈を極めた。  
彼女の仲間を残らず奪うマザーの計画を、キースは冷静に推し進めた。  
メギドという兵器が、あの星を焼き尽くそうとしていた。  
伝説のタイプブルーが現れたと知って、意気揚々とメギドの制御室へ向かうキースの背中を見たとき、嫌な予感がした。  
「少佐、行っては駄目です」  
(女を連れて行く)  
キースの返事は思念で届いた。僕はその場に動けなくなった。  
(早く連れて来い、マツカ)  
それは命令だった。  
こんなことになるなら、基地のどこかに彼女を隠してくるべきだった。  
絶望にくらむ思いで、僕は彼女の元へ向かう。  
「キースのところへ行くよ」  
そう小声で呼びかけて、脱衣袋ごと彼女を抱えあげた。  
僕の言葉に緊張した彼女が、身を硬くする。  
(なに?)(どうして今なの?)(何が起きているの?)  
思念が不安に乗って流れてくる。僕には答えられない。  
カートで運び、制御室の前でキースに彼女を渡す。  
「出せ」顎で指図するキースは興奮気味で、銃に装填する手が微かに震えていた。  
乱れた金髪が、冷たい床の上に広がる。彼女は簡易服から伸びる白い四肢を、自らの内側に抱え込んだ。  
そんな彼女の様子にちらりと目を遣り、キースは満足気な笑みを口の端に浮かべる。  
「お前はここにいろ」片手に銃を、片手に彼女の腕を掴んでキースは僕に言った。  
「待ってください…」  
彼を止めなければいけない。彼女もそれを願っているのに。  
だがキースは彼女を片腕に抱え、制御室のドアの向こうへ消えた。  
とたんに、彼女の長い悲鳴が思念で伝わってくる。  
矢も立ても溜まらず、僕は二人の後を追って制御室へ入った。  
 
その男が彼女の恋人だったのだと、一目でわかった。  
「やはりお前か、ソルジャー・ブルー」キースが彼女を盾にして、男に近づきながら銃を連射する。  
満身創痍の体で、敵の兵器の中枢へ乗り込んでくる男。  
その男と距離を置いて互いに見つめあう彼女が、崩壊寸前の心を解き放っていた。  
(来ては駄目)(あなたを死なせたくない)(死なないで)(わたしに構わないで)  
悲痛な叫びに、僕は耳をふさぎたくなった。  
腕の中の彼女の思念を、キースも感じていないはずがなかった。彼はそれをまるっきり無視して、踏みにじった。  
「お前の大事なものはすべていただく」彼女を乱暴に抱え、銃を撃ちながら、キースは既に勝利に酔ったかのように男に声を掛け続けた。「この女も十分楽しませてもらった。なかなか良かったぞ。私の好みの味だ」  
怒りを抑えていた男の思念が、沸きあがった。  
続いてキースは、わざと自分の心を読ませた。彼女の白い裸体が、彼の手で開かれていた。  
「いや、やめてっ…」同時に叫び声を上げた彼女の頬を、キースが銃を持った手で殴りつける。  
刹那、キースに対する男の憎悪が激しく燃え上がるのを、僕は見た。  
彼女はキースの腕の中でぐったりと脱力し、床に擦り付けんばかりに頭を垂れた。長い金髪が、床を引き摺っていく。  
彼女の絶望が、手に取るようにわかった。  
彼女を助けたい。でも、僕には何もできない。  
 
(聞こえるか、地球のミュウよ)突然呼びかけてきた思念に、僕はそれほど驚かなかった。キースと彼女を挟んで、僕は男と向かい合っていた。  
(君の思念を読んだ。手を貸してくれないか)怒気に流されることなく、張り詰めた思念が真っ直ぐに僕に届いた。  
(どうするんですか)僕は怖かった。男の期待に応えられる自信がなかった。  
(私はこの兵器を破壊する)  
だが目の前の男は、キースの攻撃を防御しているだけだった。徐々に、キースが男を追い詰めているように見えた。  
(その反動で彼女を我々の船に送る。君は彼女にシールドを張るのを助けてほしい)  
時間がない。できない、とは答えられなかった。  
男が、その瞬間に向けてカウントダウンを始めた。  
「少佐、ここにいては危険です」キースの背後から腕を回すと、虚をつかれたキースの手が緩んで、彼女は床に落ちた。  
一瞬のことなのに、僕にはすべてが見えた。  
床に手を着いた男の元に、彼女が駆け寄る。  
男から何かを手渡され、彼女の姿はすぐに揺らぎ始めた。  
どうか無事に!僕は叫びのような祈りを思念に変えて送った。  
見送った男が、悲しげな顔で何ごとかを呟いた。  
それから後のことは、わからない。  
 
僕にはキース・アニアンが残された。  
次に彼が彼女のことを口にしたのは、廃墟となったE−1077から戻る艇内だった。  
「あの女の名前を聞いたか、マツカ」星々の浮かぶ暗い空間に視線を向けたまま、彼が言った。  
何の前触れもなかったが、それが彼女のことだとわかっていた。  
「…聞いていません」  
「そうか」それっきり、彼は押し黙った。  
遠い記憶を探るようにめぐらせる、彼の思いもまた暗い宇宙を彷徨っているのを、僕は隣で静かに見守った。  
 
 
地球政府の攻撃から逃れるために、決死のワープのカウントダウンが始まったときだった。  
ブリッジに立つ自分の横で空間が揺らぎだしたのを見て、ハーレイは「待て」と叫んだ。  
「どうしたんですか、キャプテン」「なんですか」  
口々に声を出し、ハーレイを振り返るクルーの表情は、すぐに驚愕へと変わる。  
一瞬の間隙をおいて、みなが見守る空間に女が一人出現した。  
長い金髪に包まれた、若い女が。  
「フィシス!」  
真っ先に駆け寄ったハーレイは、彼女を抱えこむと同時にはっと息を呑んだ。  
簡素な服を着せられ、手にはソルジャー・ブルーの補聴器をしっかりと握りしめたフィシス。  
しかしそれは、ハーレイがよく知っているはずの彼女ではなかった。  
「フィシス様だ」「ソルジャー・ブルーが助けてくださったのね」「よかった」「フィシス様」「フィシス様」…。  
「ワープを続行する。各自、持ち場にもどれ」ハーレイがフィシスを抱えたまま叫ぶ。  
「…ラ、ラジャー」「カウントダウン再開します…」  
ブルーは亡くなったのだ、とハーレイは痛感する。フィシスを助けるために。そして…。  
ハーレイはフィシスの様子に注視する。  
化粧を落とし、少しやつれた顔。簡素な服はおそらく、収容所へ送られるために着せられたのだろう。その服から伸び出ている彼女の手足には、無数のあざのようなしるし。  
そして何よりも、彼自身が彼女から受ける思念の波形。  
それらはすべて、少女の頃から彼女を見守ってきた彼の知る限り、かつてのフィシスのものとはあまりにもかけ離れていた。  
何を意味するのか、彼女に問うまでもない。  
彼女が生きて戻ったことを手放しで喜ぶべきだろう。  
ソルジャー・ブルーが、自らの命に代えても守りたかったものなのだから。  
 
ブルーの横でいつも無邪気に微笑んでいた少女。  
もちろん長い年月の間、ブルーが彼女に触れない日がほとんど無かったことを、ハーレイは知っている。  
それでもいつも彼女の純真な感情、純粋な思考パターンはどこまでも澄み切って、淀んだ所がなかった。後ろめたい感情を抱いたことがなかったのだろう。隠すものを内側に秘めたことすらも、おそらく。  
 
その彼女から、笑顔が消えた。  
 
 
ゼルが彼女に託宣を願おうと言い出したとき、ハーレイは気が進まなかった。彼女の様子を知るのが、怖かった。  
リオにも声を掛け、三人で天体の間へ赴く。  
彼らを迎えるフィシスの顔は、ひどく青ざめていた。  
「占う…までも無いでしょう」震える声でフィシスは答えた。顔を上げもしない。  
「…疲れているのです。今日はこれで」  
人に背を向ける彼女など、ハーレイはこれまで見たことがなかった。彼女が隠そうとしていることが、占いの能力に関することだけであればよいが、と彼は思った。  
しかし、そうではないのだろう。  
階段を降りる途中でハーレイは心を決めた。二人を先に返し、再び階段を上る。  
彼女は彼らに背を向けた場所に、そのまま立ちつくしていた。  
「…あなたにはわかったのでしょう、ハーレイ。わたしがもう、占う力を持っていないことが」  
彼女の声は力なく放たれ、ハーレイの心に深く沈んだ。  
「フィシス…無理をすることはない。私もこれからは配慮します」  
「配慮だなんて…。いいえ、そんなこと…だってわたしは」いきなり顔を覆った彼女が、その場に崩れ落ちる。  
「フィシス!!」あわてて駆け寄り、彼女を腕に抱きとめた。  
またさらに、彼女の身体は軽くなっていた。身体に触れた瞬間から流れてきた思念の中に激しい自責の念が渦巻いているのを知って、ハーレイは胸が詰まった。  
「ちゃんと食べているのですか。あなたに何かあったら、私がソルジャー・ブルーに叱られます」  
「…わたしが叱られるべきだわ」憂いに満ちた顔に、長いまつげの先から涙が幾筋も流れ落ちる。「罪深いのはわたしだもの…」  
その言葉の裏に巧みに隠された真実のにおいを、ハーレイは感じ取る。彼の知るフィシスは、隠しごとのできるような少女ではなかったのだが。  
フィシスの肩が小さく震える。彼女の体温を腕の中に感じながら、ハーレイは動けずにいた。  
 
「わたしが犯した罪で多くの血が流れたのに、ブルーを失ったのに、何もできなくなったわたしが残されて、それなのに誰もわたしを責めない」  
自分がどんなふうに男の目に映るのかわかっていない、ということも彼女の罪だろうとハーレイは思う。それほどまでに目の前の彼女の姿態はなまめかしく、かつてない影が妖しく本来の美しさを引き立てていた。  
しぐさの端々にやるせない気持ちが溢れ、内側からにじみ出る寂しげな鈍い光は傍に立つ者の庇護欲をかきたてる。  
「…責められたでしょう、トォニィに」のどの奥から、ハーレイはやっとのことで声を出すことができた。  
「知っているの?」  
ハーレイを見上げる彼女の顔。涙に濡れつつあどけない表情のままで。すべてを相手に預けてしまうことに慣れている、フィシス。  
「みんな知っています。あなたのことを責めようとする者は他にいません。あなたは自分自身をこんなふうに罰している。もう十分苦しんだ。あなたが考えるあなたの罪というのは許されたのではありませんか」  
そう、彼女にはこれからもつらい日々が続くだろうから。  
ブルーを失って何の拠り所もなく、生きていかなければならない。  
彼女自身が気づいていようといまいと、彼女はもう罰を受けているのだろう。  
そう考えていくうちに、目の前のフィシスはハーレイの知っている小さな少女に戻っていった。  
「許される類の罪だとは思いません。でも…」金髪の頭を振って、彼女はうなだれる。  
その時、ほんの少しの間、彼女の思念が途切れた。  
だがすぐに彼女はもう一度、ハーレイに背を向けた。  
「ごめんなさいハーレイ、取り乱したりして。もう大丈夫です」  
立ち上がろうとする彼女に手を貸しつつ、ハーレイも立ち上がった。  
二人の身体が、離れた。  
暇を告げて、ハーレイは階段を下りていく。その足からは徐々に力が抜けていった。  
自分には、彼女を引き受けることはできない。抱きとめたとき、彼女の身体の芯にこもっていた熱に戸惑った自分だ。  
ブルーと一緒にいた頃の、少女らしい彼女を忘れることができなかった。だが今、彼女はすっかり変わってしまった。  
……女に。  
 
天体の間を出たところで、廊下をやって来るソルジャー・シンの姿を認めた。  
何か声を掛けるべきだろうかと考えたが、一礼してすれ違った。  
軽く目礼を返しただけで、若き指導者は真っ直ぐに天体の間へ入っていく。  
彼もまた、ずいぶんと変わった。  
青く冷たい氷のような炎を胸に秘めて、ジョミーは戦いに邁進する日々を選んだのだ。  
ハーレイは自分がひどく年を取ったように思う。  
そして、今のジョミーが今の彼女にどんな用があるのだろうかと考えた。  
まさか、とハーレイは足を止めて振り返る。  
いや、選ぶのは彼女だ。  
これからは自ら、生きる道を選ばなければならない。  
ハーレイは急に疲れを覚えた。  
そんな自分を笑うと、その声すら乾いていてむなしかった。  
 

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