「行ってよ!本はもう渡したでしょう?!」  
カウンターに顔を埋めるようにして、押し殺した声でスウェナが叫ぶ。  
「あなたって本っ当に変わらない。中途半端に優しくて、でも絶対本気じゃない。そういうのって辛いのよ?分かってる?!」  
「スウェナ、飲みすぎだ。出よう――送って行く」  
冷静に腕を取るキースの手を払いのける。  
「子供じゃないんだから自分の始末ぐらい自分で出来るわよ。帰ってよ!もう私に用はないでしょ?!」  
「スウェナ」  
命令することに慣れた有無を言わせない口調。スウェナは唇をかみ締めて椅子から降りるとバーを飛び出した。  
「離してよっ…!」  
腕を捕まえる手をスウェナは必死に振りほどこうとするが、びくともしない。  
「落ち着け。君らしくない」  
その言葉にかっとなってキースを睨みつける。  
「私らしくないって、何も知らないくせに…!あなたが私の何を知ってるっていうの!」  
その様子にキースがため息をついた。  
「いちいち揚げ足を取るな。相変わらず素直じゃないな。言いたいことがあるならはっきり言え」  
「悪かったわね。どうせ素直じゃないし生意気で嫌味で可愛くないわよ。分かってるわよ、離婚するときあの人に散々言われたわよっ」  
そう、悪いのは私だって分かっている。現実に向き合う勇気もなくて逃げるように結婚したくせに、実際に暮らしてみたらその生活にも夫にも幻滅して。  
結局また仕事と子供に逃避、そして離婚。逃げてばっかりのくせに馬鹿みたいに虚勢を張っていつも空回り。現に今だって同じことを繰り返している。  
思わず叫んだ後でばつが悪くなって視線をそらす。キースが離して自由になった腕をもう一方の腕で抱くようにして身体に寄せる。  
「別れたことを後悔しているのか?」  
「まさか」  
スウェナは低く笑った。  
「未練があるわけではないのだな。ただの捨て台詞だろう、真剣にとるな」  
キースが続ける。  
「もし、自分に自覚があって嫌な部分があるなら、変える努力をすればいい。それだけのことだ。――変える気もないなら仕方がないが」  
冷静な口調、あまりにも正論。苛々する。何もわかってないくせに。どうせ他人事で外から眺めるだけのくせに。  
「――素直になる努力?綺麗ごと言わないでよ」  
スウェナは俯いたまま、口元に暗い笑みを浮かべる。  
「それならお願い、慰めて」  
切りつけるような言葉。内容の甘さとは正反対に、まるで挑むように。  
「寂しいの。抱いてくれる?」  
一瞬の沈黙の後、キースの静かな声が聞こえた。  
「――私でいいのか?」  
瞬間、スウェナは息を止め、そして静かに眼を閉じた。深く細く、息を吐く。  
「無理しちゃって…」  
かすかに呟く。  
「そうでもないさ。――本気でなくても優しくできる。私はそういう人間なのだろう?」  
相変わらず淡々と言う。だが、その声がどこか甘く思えたのは気のせいだろうか。  
生ぬるい夜の風が二人の間を吹き抜けていく。泣きそうだった。  
「じゃあ、それでもいい。――優しくして」  
俯いたままスウェナは右手を伸ばした。その指がキースの服の裾に絡まった。  
 
部屋に入るとキースはコートを脱ぎハンガーにかけた。  
「私はシャワーを使うが、どうする?」  
その場にじっと立っているスウェナを振り返り、訊ねる。  
スウェナは少し考えて首を振り、「後にする」と答えた。  
キースがバスルームに消えるのを確認すると、スウェナはコートとバッグを置いて窓際に寄り、外の景色を眺める。  
高級ホテルの高層階。そこから見下ろす夜の街は幾多の光で彩られて、美しく瞬いていた。  
(さすがメンバーズエリートね…)  
最高級とまではいわないものの、こんな場所に泊まるのは余程の理由がない限り、ごく一部の余裕のある階層だけだろう。スウェナは部屋の中を見渡した。  
部屋はゆったりと広く、くつろげる造りだ。置かれているソファーやテーブルも一見、派手ではないが落ち着いていて、その他の調度品も重厚な質感を保ちながらそれぞれの場所に納まっている。  
訪れる人が快適に過ごせるように計算された空間。申し分のないシチュエーション。  
(私だけってことはないのだろうけど)  
手馴れた態度が複雑な気分にさせる。  
思いを巡らせているとバスルームの戸が開き、バスローブを着たキースが現れた。  
「浮かない顔だな」  
「別に」  
彼女に背を向け、ミニバーの扉を開いてウイスキーの瓶とグラスを取り出す。  
「気が変わったのなら、言ってくれて構わないが」  
「――そうして欲しいの?」  
つい出てしまう、皮肉な返事。  
キースはちらりと彼女に眼を向けたが何も言わず、冷蔵庫から氷を出して水割りを作る準備を進める。  
「ごめん――シャワー浴びてくる」  
疑った自分を恥じ、避けるように床に視線を落とすと、スウェナはバスルームに向かった。  
 
 
シャワーから戻るとキースはソファーに座ってグラスを傾けていた。  
ぼんやりと考え事をするような横顔。心は此処ではないどこかにあるように。  
スウェナもまたバスローブに身を包み、彼の斜め左の位置に腰掛けた。  
「飲むか?」  
キースが顔を上げた。青灰色の瞳にようやく彼女が映り、それが彼女の心を震わせる。  
スウェナが首を振ると、キースは手にしていたグラスを置いた。  
ガラスがテーブルにあたり、かつんと硬質な音を立てる。グラスの中の氷が揺れた。  
伸ばした手が彼女の肩を抱き寄せ、唇が重なる。  
ウイスキーの香りがした。  
 
唇を互いに甘く咬みあって、その弾力を確かめる。やがて唇を割って舌が差し込まれ口の中をまさぐる。舌と舌が絡み合う。熱と熱が混じり合う。  
一旦、唇が離れてスウェナは深い吐息をついた。間髪おかずキースの唇が首筋から耳に伝う。  
「ベッドに」  
耳元で囁く低い声。誘われるまま彼女は部屋の奥へと導かれた。  
照明を落とすと部屋の中は薄暗がりに包まれる。  
彼の腕が背後から彼女の身体を抱きしめてくる。その締め付ける強さに、甘い息が零れた。  
腰に伸びた手が、彼女のバスローブの結び目をほどいて肩をはずすと、バスローブは床に落ち、白い裸身が薄闇にほんのりと浮かび上がった。  
キースがその滑らかな肌に顔を寄せる。肩を這う唇の感触。彼女は天井を仰いで眼を閉じた。  
片方の手で腰を抱きながら、もう一方の手が背後から乳房をすくい上げて揉みしだく。柔らかい塊は手の中で動きに合わせて様々に形を変えた。長い指が乳首を軽く摘む。かすめるように触れ、弾き、押し、捏ね回す。  
唇が背中、首筋、耳朶に触れる。  
女の身体がほんのりと熱を帯び、唇がかすかに喘ぎ声をつむいだ。  
乳房の感触を充分に楽しんだ後、キースは彼女の腰を掴んでゆっくり自分のほうを向かせ、そのままベッドに仰向けに倒した。  
再び身体を起こすと自身のバスローブに手をかけて脱ぎ捨てる。  
彼が彼女の上にのしかかり、彼女はその重さに一瞬息を止めた。初めて肌と肌が直接触れ合う。苦しいような心地よいような圧迫感。  
喘ぐ彼女の素肌に口付けが落ちる。彼女もまた、彼の背中に腕を回し、その肌に指を滑らせた。  
「あ…」  
乳首を強く吸われて、背中をのけぞらせた。舐め上げられた乳首はつんと尖って舌の上で転がる。彼女は胸に彼の頭を抱きしめた。  
同時に彼の手が降りてくる。脇腹から腰のラインをなぞり、脚を辿る。  
柔らかい茂みに触れられて、彼女は一瞬、身体を固くしたが、分け入った指に敏感な部分を刺激されると、すぐに身体は緩み、疼きだす。  
唇と舌を使った乳房への愛撫を続けながら、指は悪戯に蜜を絡めて襞をなぞり、奥に隠れる花芯を弄ぶ。  
「あっ…いや…」  
強く摘まれ圧迫される度に電流のように走る快感に、彼女は小さな悲鳴をあげた。男の黒髪をかき乱す手に力がこもる。  
「はあ…う…」  
徐々に速く、甘さを増していく吐息。脚と脚が絡まる。  
彼女が充分に潤って温かく濡れた頃、彼は不意に体を離した。  
ひんやりとした空気に肌を晒し、名残惜しむように彼を追いつつ、彼女も指を離す。  
彼が足元に身体を移す。訝しむ彼女の脚が大きく開かれ、露にされた蜜をたたえる花弁に顔が寄せられる。  
「え…やっ…」  
恥ずかしさに思わず脚を閉じようとする。けれど彼女の脚を抱える腕の力は強く、動じない。  
彼女の焦りを無視して、開かれた花弁に強引に唇がおしあてられる。差し込まれた舌が彼女の秘所を暴いていく。  
「いやっ…あ…あぁ…っ…」  
熱い舌が這いずり回る感触に、身体が火照り、瞳が潤む。  
身体がとろけていくような感覚。あられもない嬌声をあげて身をよじった。  
 
ひとしきりの快楽に酔い、痴態を晒した後、ようやく彼が体を離して解放されると彼女は息を弾ませて熱を帯びた身体を起こした。  
ベッドの上に座って向かい合う。  
今更ながら全てをさらした恥ずかしさにまともに顔をみられない。散々乱れた彼女に対し、彼は変わらず平静なままだ。  
俯く彼女を再び抱き寄せようとするのを手で押さえて制すと、彼女は覚悟を決めて、幾分硬くなっていた彼自身に手を伸ばした。  
「――横になって」  
小さく囁き、下半身に顔を近づけてそっと口に含む。  
指を添えて咥えたままどこかぎこちない様子で上下に動かしていく。口の中のものが徐々に硬く張りつめていくのを感じながら、できるだけ丁寧に舌で舐めあげ、刺激する。  
強弱をつけて何度も動きを繰り返す。真剣だった。苦しくなり、一旦、唇を離して息をついた。  
何気なく顔を上げると、思いがけず彼と眼が合った。  
半ば体を起こして彼女をじっと見つめている彼。とっさに顔が赤くなる。その情事とは不釣合いなどこか真摯な表情にスウェナは狼狽した。  
「ごめん――何か変だった?」  
不安になって尋ねる。あまり慣れてないから、と少し恥ずかしそうに呟き、照れたような困ったような顔をする。  
瞬間、彼がかすかに笑ったように見えた。  
「いや、良かった」  
キースは体を起こし、驚くスウェナの頭をくしゃっと撫でた。  
彼女の背中に手を添えて静かに仰向けに押し倒す。膝の裏を抱えて脚を広げ、そのまま彼女の中に身体を埋める。  
「ん…」  
ゆっくりと律動を始める。浅く深く、リズムを変え、角度を変え、味わうように。  
スウェナは深く息をついた。身体の力を抜き、彼の動きに彼女もまた自然に自分を合わせていく。  
激しくはないが穏やかな快感。心と身体の緊張がほぐれていく。寄せては返す波の間で揺られ、まどろむような心地よさが身体を満たす。  
キースの大きな掌が彼女の手の指を捕まえ、シーツの上に縫い止める。  
やがて彼は一度、彼自身を引き抜いてから、彼女をうつ伏せに反した。  
彼女の腰を高く持ち上げて後ろから挿入する。  
「あ…んっ…」  
先刻とはまた違う感覚に彼女は身体をのけぞらせた。  
二、三度慣らすように緩く抜き差しした後、一転して激しく腰を打ち立てはじめる。  
「あっ…」  
突然、身体の深い位置に差し込まれたことに動揺する。頭の中で危険を告げる警報が鳴った。体の奥に深く貫かれる度に衝撃が身体と脳天を突き抜ける。  
「いやっ…だ…めっ…」  
いけない。自分の身体が自分のものではないように制御できない。身体が勝手に反応してしまう。  
恐怖に駆られて逃げようとするのを力ずくで押さえつけられて尚も責め立てられる。  
思わずシーツを握り締めた。濁流のような快感が身体の中心で暴れまわって、彼女を壊していく。背中に覆いかぶさるようにして彼女を捕まえる彼の呼吸もまた、次第に荒く激しく変わっていく。  
「お願いっ・・・やめっ…」  
ベッドに顔を押し付けたまま、小さく叫んだ。  
悲鳴のような哀願は聞き入れられることなく、容赦なく身体を貫かれながら、征服される悦びにいつしか彼女は感じるままに叫び、喘ぎ、のたうちまわっていた。  
 
こんな風に誰かと夜を過ごすのは何年ぶりだろう。背後から抱きしめるキースの胸に頭を預け、スウェナは瞳を閉じた。二人はベッドの上で身体を寄せ合ったまま、先刻までの身体の火照りの名残りを楽しんでいた。  
「ありがとう」  
彼女は自然にそう口にしていた。その気持ちに嘘はなかった。彼が自分自身に許せる最大限の誠意で答えてくれたことが彼女にも分かっていた。  
「礼には及ばない。私もいい思いをさせてもらった」  
その言葉は彼女への気遣いなのかもしれないけれど、それでも嬉しかった。スウェナは彼の腕に指を乗せ、安心したように微笑んだ。  
「良かった。負担にしかならないかと思った」  
「そんなことはない」  
耳元でキースの穏やかな声が聞こえてくる。  
「スウェナは可愛いと思う。もっと自分に自信を持っていい。過去に囚われるのはよせ」  
まるで子供扱いするように、大きな手が彼女の頭を撫でる。  
嘘つき。嬉しい反面、スウェナはふと、切なくなった。  
過去に囚われているのは自分も同じくせに。自分が殺した少年のことを忘れられず、残されたメッセージを知りたくて、挙句、彼女とこんなことになっている。  
たぶんそれは彼の心の傷。もし彼女がそのことを問えば、この優しい態度も穏やかな時間も瞬時に消え去ってしまうだろう。  
彼は彼女に甘い言葉はかけてくれても、自分のことは決して語ろうとはしない。  
急に襲った寂しさに彼女は反射的に身を縮めた。彼の腕の中は暖かく、そして寂しい。  
それは多分、彼女が彼に与えられるものが何もないからだ。そして彼が与えてくれるものは、無関心に近い優しさと、慰めの言葉と身体だけだから。  
心だけは絶対に彼女にはくれない。  
スウェナは首を返して背後にいるキースを仰ぎ見た。彼女ではなく別のものを見つめている瞳。穏やかだが熱さを感じさせないその顔は、今でも彼の心が此処ではない遠い場所にある何かを追い求めているように思えた。  
「――ねえ」  
彼は絶対に彼女のものにはならない。けれどせめて今だけは、彼女を見ていて欲しかった。  
身体をずらし、正面から彼を見上げる。それに気付いた彼もまた、怪訝そうに腕の中の彼女を見返した。  
「もう一度、いい?」  
キースの手に自分の手を重ねる。  
彼は意外そうな様子をしたが、それでも彼女の身体を強く抱き寄せると、再びその唇に口付けを落とした。  
 
翌朝、眼を覚ますと既に彼の姿はなかった。  
そしてテーブルの上に残された一枚のメモ。  
そこには仕事があるから先に帰るということと、ピーターパンの本の礼と、部屋は昼まで押さえてあるからゆっくり休んでいって構わないという旨のことが記してあった。  
 
スウェナはビルの一室の窓辺に立って、外を眺めていた。そこは首都星ノアにある、自由アルテメシア放送の隠れ家の一つ。都心からはやや外れた場所にあって、周囲に高いビルはなく、遠くに街の中心部を望むことができた。  
(見てる?あなたのメッセージを受けた人々が立ち上がって、マザーの庇護から離れて自分たちの力で考え、生きようとしているのよ。)  
どこからかサイレンの音が響き、はるか遠くではマザーネットワークの施設が黒煙を上げている。  
部屋に設置されたモニターには、各地で起こっている人々のマザーへの反乱の様子が次々に映し出されていた。  
これから先のことを予想するのは難しかった。人類は本当にマザーの支配から逃れ、自立することができるのか。ミュウと人類は共存することができるのか。きっと口で言う程、容易いことではないだろう。  
何にせよ、大いなる苦難が待ち受けていることには変わりはなく、せめて事態がよりよい方向に向くように精一杯、自分の出来ることをして行こう、と彼女は思う。  
 
彼とはあの夜以来会っていない。  
あの頃を境に彼と彼女の運命は大きく動き始めたように思う。  
ミュウの侵攻がきっかけであったのかどうか、あの後、彼は危うさすら感じられるスピードで、駆り立てられるように出世の階段を登っていった。  
軍人として最高の地位を手に入れた後には、強引ともいえるやり方で政敵を排除して元老院の議員となり、終には自ら国家元首となる宣言をして、権力を自分のものとした。  
彼女は彼女で、宇宙クジラを追ううちに、かつての幼馴染、ジョミーと再会し、今まで隠されてきたミュウの存在を知った。  
そして政府に縛られない報道を立ち上げる活動に身を投じ、一介のジャーナリストから一転、当局に追われる身となった。  
体制に生きる者と体制を批判する者と、立場の違いが鮮明になるにつれ、互いに疑い、警戒し、連絡を取ることすら避けるようになったのは当然といえた。  
いや、一度だけ、彼女から彼に連絡を取ったことがある。  
娘の、レティシアの件だ。ずいぶん迷った末のことだった。  
レティシアは既にミュウと判断されて収容所に送られていたのだが、ミュウとの戦闘が劣勢となる中、軍がその収容所のコロニーを落とす作戦を立てていると知った時は、卑劣なやり方にショックと怒りを覚えた。  
当然、最高責任者である彼が関与していないわけがない。必要ならどこまでも冷徹になれる人だと分かってはいたが、ただミュウであるというだけで何の罪もない人々の命を戦争の道具にする行為は人として許しがたいものだった。  
しかし娘を助けるには、そんな彼であっても頼るしかなかった。  
反体制のジャーナリストが戦争中の国家元首に個人的なつてをつかって自分の娘のいるコロニーを落とすのをやめてくれと頼む。非常識、と非難されても仕方がないだろう。今でも許されないことだと思っている。けれど彼女はあえてそうすることを決断した。  
彼が彼女の頼みを聞くはずがないことは予想していたし、実際、そうであったけれど、万が一の望みにかけた。なにより最初から諦めて行動せずに、後から悔やむのはもう嫌だった。  
そしてこのとき、覚悟していたとはいえ、彼女に一切斟酌せず、容赦なくコロニーを落とした彼を、心底、恨んだ。  
 
だから、キースがメッセージ送ってきたとき、彼女は本当に驚いたのだ。  
そしてそこに映っていた映像をみたとき、公の感想とは別に、スウェナは胸を衝かれる思いだった。  
そこには、これまで彼女が触れることのできなかった彼の本心と苦悩がこめられていた。  
そしてそれを託す相手に彼女を選んだということ。  
自分は彼にとって取るに足らない存在だとずっと思っていた。けれど、彼が彼女に寄せてくれていたある種の信頼にはじめて気付き、彼女は涙した。  
そして同時に彼に対して持っていたわだかまりが、全てではないにしても、消えていくのを感じた。  
 
スウェナは腕時計に視線を落とした。人類とミュウの代表による会談が始まってから既に四時間が経過しようとしていた。  
 
今、彼女は決意していることがある。  
彼が帰ってきて落ち着いたら、ずっと言えなかった自分の本当の気持ちを、今度こそ伝えようと思う。間違いなく振られるだろうけど、それでも構わない。  
逃げることなく気持ちを伝えることができたら自分はきっと、本当に変わることが出来る。  
そして彼と彼女と、対等な一人の人間と人間として向き合えば、二人の関係も新しいスタートラインに立って、もう一度やり直すことが出来るだろう。  
同じ道を共に歩くことは叶わなくても、それで充分だ。  
 
スウェナは空を見上げた。ところどころ白い雲がたなびく、明るい、澄んだ青空。一筋の飛行機雲がまっすぐに力強く伸びている。  
人類とミュウの未来がこんな風に輝かしいものであれば良いのに、と彼女は願った。  
そしてそれはきっと、彼の願いでもあるだろう。  
この空のどこか遠くに地球はある。  
一体、どの方角なのだろうと見渡してみたが、判るはずもなく、スウェナは手をかざして、ただ眩しげに眼を細めた。  
 
(終わり)  
 
 
 
 
 

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