行っておいでよ、後で迎えに来るから。  
トォニィはそう言ってわたしを笑顔で送り出した。並んで立つスタージョン大佐が、同じく笑顔でうなずいていた。  
一人で廊下を先へと進み、突き当りの部屋を目指す。  
『何も覚えていないのです、ステーション入所前のことも、後のことも』  
スタージョン大佐の言葉の意味を考える。  
『10時間以上、大量出血による低酸素状態にありました。医師によると、脳の損傷によって失われた記憶が戻る可能性は少ないだろうということです。  
でも彼は身体のリハビリを続ける一方で、新しく与えられた知識を食物を摂取するかのように吸収し、習得し続けています。  
まるで知っていることを思い出しているようなスピードなのでわれわれも驚いているのですが、それも医師たちは否定するのです。あくまでも彼は、新しく覚えているのだと…』。  
それならばわたしを覚えているはずが無い。  
病室のドアの前で、わたしはためらった。  
地球で彼を訪ねたときも、こんなふうにドアの前で逡巡したのを思い出す。  
3ヶ月余りしか経っていないのに、何年も前のことのようだった。  
部屋に入る勇気を、あらためて自分に問う。  
彼がわたしの姿を覚えているとしても、それはわたし自身ではなく、わたしの姿をした他の何かかもしれない。  
それでもいいと、答える自分がいた。  
失われたと思っていた命が生きて今ここにあるのなら、たとえわたしが忘れ去られていても、彼の姿を認めたい。  
彼が無事であるとこの目で確かめて、船に帰ろう。  
喜ばしい気持ちと共につらい決断を下すような思い切りを、胸に刻む。  
そうしてわたしは、前へと踏み出した。  
 
 
レースのカーテン越しに差し込む午後の陽光にまどろんでいたところへ、微かな気配が訪れた。  
目を開けると、彼女がベッドの脇に立っていた。  
「あなたは…」  
長い金髪の女は、目を伏せたまま私に向かって微笑む。  
だが私には彼女が泣いているように見えた。  
私は彼女を知っている。それは確信だった。  
 
目覚めて以来、私はすべての記憶を失っていることに強い不安を感じてきた。  
スタージョン大佐を始め、あらゆる役職や立場の人間がこの病室を訪れて、過去の私について多くを語っていった。  
経歴、人となり、交流のあった者とのエピソードの数々、そして私の仕事について。  
見知らぬ事実が私の前に大量に積まれ、世界として構築されていく。  
何一つ思い出せないばかりか、それらについてすぐに馴染むよう求められているのがわかると、いっそのことまったく違う人間に生まれ変わったことにしてもらえないだろうかと考えることもあった。  
何を聞いても何を見せられても、私は昔の私の片鱗も、自らのうちに取り戻すことができなかった。  
しかし彼女のことは違う。  
初めて、自分の心が動くのを感じた。  
感情が訴えた。  
私は彼女を知っている。  
彼女の姿に、鼓動が高まった。  
 
 
「あなたは誰だ」  
彼女の唇は開かれない。  
代わりに大粒の涙がはらりと両頬に流れ落ち、彼女は手で口元を押さえて後退った。  
「待ってくれ」声が上ずった。私はベッドから身を乗り出して、彼女のその手を掴んだ。  
初めて会う人間には無礼な振る舞いかもしれない。しかしそれが自分にとって、彼女に対する自然な動きだという気がした。  
「なぜ語らない」  
ベッドに彼女を腰掛けさせる。彼女は手を預けたまま顔を伏せた。  
その手から伝わってくる温かな光。  
「あなたは…ミュウか」  
知っている。確かにこの温かなものを、受け取っていたことがある。  
「名前を教えてほしい。あなたのことを思い出せそうな気がする」  
「…あなたはわたしの名前を知らなかったかもしれません」  
「名前を知らなかった?」その声をよく知っているのに。  
「そんなはずは無い…。何度も会ったことがある気がする。私はあなたをよく知っている」  
「…2回です」濡れた頬を上げて、彼女が私を見る。「2回だけ、会ったことがあります」  
「2回だけ?」それが自分にとって、どれほど強い印象を残す経験だったのだろう。  
「その時のことを話してくれないか」  
しかし彼女は首を振って立ち上がり、私から離れようとした。  
掴んだ手が伸ばされる。  
「あなたが生きていると知って、ひと目会いたかった。それだけなのです」  
「待て」  
ベッドから出て、彼女の手を引き寄せた。一瞬にして彼女が腕の中に収まる。  
自分のとった行動の大胆さに私自身は驚いたが、彼女は拒まなかった。私の胸に拳を揃え、うつむいて顔を隠した。  
「教えてくれ」金髪に隠れた耳に向かって囁く。「あなたを見ていると胸が痛くなる。私にとって大切な存在だったはずだ」  
「思い出さないほうがいいこともあるでしょう」彼女の声が泣いている。「すべての記憶がいい思い出とは限らない」  
「あなたのことはすべて思い出したい」  
自分がどうするつもりなのか予想がつかなかった。だが感情がこれほど動くことは、目覚めて以来初めてのことだった。  
その流れに従う以上に自然な成り行きは、ないように思われた。  
「語ってもらえないのなら、こちらに聞こう」  
彼女の顔を仰向けさせ、唇を重ねた。  
この唇の柔らかさを覚えている。  
一度離して、もう一度重ねた。今度は二人の舌が絡まった。  
ベッドに押し倒し、上から抑え付けるように深く舌を入れて掻き回す。  
そうだ、自分は前にもこのように荒々しく、彼女を上から押さえ込んだことがある。  
服を脱がそうとすると、彼女が手をそっと私の肩に添えた。起き上がり、私に背を向けてするりと服を落とす。豊かな金髪の影に、白い肌が覗く。  
私は壁面のスイッチに触れてドアをロックし、自分の寝着を脱いだ。  
彼女の背に手を伸ばし、後ろから乳房を揉み上げる。  
「ああっ…」彼女の上げる声に、私も高揚する。  
これは確かに、私の知っているものだ。  
自分の内側に、確実なものを得た喜びが広がった。  
 
ベッドの上に座り、彼女を後ろから腕に抱えて、激しく唇を合わせる。  
何をどうすべきか、私の手が知っている。唇が、舌が覚えている。  
仰け反る彼女の胸と足の間に指を伸ばして、それぞれのつぼみを同時に刺激した。  
彼女の喘ぎ声をすべて唇で塞ぐ。  
彼女の身体は小刻みに震え、わたしの肩にしがみつく彼女の細い指には力がこもる。  
我慢できなくなってきているようだ。  
彼女の身体の反応がすべてわかっていた。  
それを思い出せるという喜びが、私の興奮に拍車をかける。  
彼女の身体のどこもかしこもが、触れるたびに私の感覚を呼び覚まし、記憶を語りだす。  
甘い思い出が、彼女の身体の地図となる。  
この身体は、かつて私のものだった。  
彼女の片足の膝の裏を持って、上体を仰向けに横たえ、足の間に顔を寄せる。  
陽光の中に咲く花を、懐かしい気持ちで眺めた。顔がほころぶのがわかる。  
愛しい花。その蜜が香る。  
ふっと息を吹きかけた。  
「ああっ、ん…」  
そうだ、そういう声を上げるのだ、お前は。  
自分が彼女を「お前」と呼んでいたことを思い出す。  
そうして舌を伸ばし、その蜜を受けた瞬間、電撃のような快感が全身を駆け抜けた。  
と同時に、鮮烈な映像が自分の中によみがえる。  
なんだ、今のは。  
自分が、彼女を乱暴に扱っていた。彼女を殴り、彼女の肌に歯を立てていた。  
私は自分の頬に手を当てた。  
ひとつ思い出すと、様々な断片が水底から浮かび上がるように現れて、それぞれの場面を映し始めた。  
暗く冷たい闇が、足先から立ちのぼって私を包んだ。  
彼女が私の様子に気づいて、上体を起こす。心配そうに私の顔を覗き込み、温かな手を伸ばしてくる。  
「私はお前を傷つけるために抱いたことがある」  
自分の声が、遠くから聞こえてくるようだった。  
「どうしてそんなことをしたのか…自分が何を考えていたのか、それが思い出せない」  
彼女が膝を立てて、私の頭を温かい胸に抱えた。  
白く柔らかい乳房に、私は額を押し付けた。  
「わたしは傷つかなかったわ」  
頭上から、彼女の静かな声が降ってくる。  
「初めは、確かにあなたは優しくしてくれなかった。でも後から思い返すと、わたしはあなたにどんなふうに扱われてもそれが嫌ではなかったの。本当です。  
だからまた、あなたに引き寄せられるように会いに行った。二度目に会ったときのあなたはとても優しくて、わたしは嬉しかったわ」  
胸に染みた。  
目を閉じると、涙が零れ落ちた。  
 
「あなたが優しくしてくれたことが、わたしには宝物のような思い出だった。あなたに二度と会えなくてもその思い出だけでいいと思っていた。でもあなたがこうして生きていて、また会える日が来るなんて」  
彼女から溢れる明るさが、穏やかな温もりと共に私を包んで闇を押し流す。  
それは彼女が感じている幸せなのだ。その感触も、ひどく懐かしかった。  
「私の病室を訪れる誰もが、私の過去について賛辞しか口にしなかった。だが私の頭のどこかで何かが、そんなはずは無いと告げていた。そのとおり、私は残酷な人間だったのだな。私によって傷ついた人間は、少なくはないのだろう」  
彼女が私の頬を手で包んで仰向かせ、まぶたに片方ずつ、ゆっくりとキスをする。  
目を開けた。  
私は彼女の流れ落ちる金の髪に包まれ、燦然と輝く光の中にいた。  
穏やかさを浮かべた彼女の白いおもてが、私を見下ろしている。  
「私は、お前、と呼んでいた」うわ言のように呟いた。  
「そう呼ばれるのが好きでした」彼女が微笑んだ。  
「お前のことを美しいと言ったことがあるだろうか」  
「いいえ」  
「…綺麗だ」彼女の腕を引いて、唇を合わせる。  
「愛しているとは?」腰に手を回して抱き寄せた。  
「…一度だけ」彼女が頬を染めた。  
明るい室内で互いの裸体を晒している今、何をいまさら恥ずかしがることがあるのだろう。彼女の反応が愛しかった。  
「愛している」窓からの光を受けている彼女の顔に、そう告げる。  
ずっと愛していたはずだ。初めて会ったときから。  
なぜもっとそう言わなかったのか。  
力を込めて抱き締める。細い身体の形を、私の腕が覚えている。  
「言葉がすべてではないわ」彼女が言う。「以前のあなたは心にずっとガードをしていたけれど、表情や行いの中にわたしを愛しんでくれているとわかることがあったの。それを見つけると嬉しかった」  
私の背に添えられた彼女の手のひらが、熱を帯び始める。  
柔らかい思念が私たちを包んだ。  
彼女の頭を引き寄せ、金の髪に顔を埋める。頬擦りすると、彼女がさらに身体を寄せてきた。  
そっと彼女を横たえる。首筋に舌を這わせ、乳房を愛撫する。  
彼女があの声で喘ぎ始めた。  
舌で彼女の形をなぞる。時間を掛けて、彼女の全身を味わった。  
これからも私の女でいて欲しい。  
そう熱く願いつつ、足を開かせる。  
「私の考えていることがわかるか」挿入しながら問い掛ける。  
「…わかるわ」恍惚と酔い、喘ぎながら彼女が答える。  
彼女の両足を肩の上に担いだ。可能な限り力強く、彼女の子宮に打ち込んでいく。  
身体を二つ折りにされた彼女の息は荒く、締め付けはきつくなって、私も限界に近づいた。  
月光の中で、彼女を同じように抱いたことを思い出す。  
あの時の自分の、彼女の身体に焦がれる熱い思いがよみがえった。  
だが身体だけではなかったはずだ。  
汗を光らせ、金髪を振り乱して輝く彼女を、愛しいと思う。  
お前のすべてを愛している。  
優しい思念、私を包む光と温もりのすべて。  
お前を愛している。  
この思いは伝わっているだろうか。  
「…伝わっ、て、いる、わ」彼女が懸命に答える。  
私たちは共に絶頂を迎え、微笑みとキスと高揚の嵐の中でその頂を越えた。  
 
窓からはオレンジの光が差し、夕暮れが近いことを告げている。  
「もう帰らなくては」弛緩した身体を私に添わせていた彼女が、小さく呟いた。  
肩を抱き寄せ、金の頭に唇を付ける。  
彼女は私の胸に手を置いて、それからのろのろと上体を起こした。  
その腕を掴んで、また胸に抱く。  
「だめ、迎えが来ることになっているの」彼女は再び起き上がり、私の首の横に片手をついて、横たわる私を見下ろす。  
金髪が流れ落ち、見つめあう私と彼女の顔がまたしても金色に包まれる。  
腕を伸ばして、その頬に触れる。彼女が微笑んだ。  
心が震えた。  
「…行かないでくれ」  
彼女の顔に寂しい色が差す。  
「お前に会うにはどうしたらいいのだ」  
彼女は答えない。  
「まだ名前を教えてもらっていない」  
金髪が遠ざかり、白い天井が見えた。  
起き上がり、すばやく彼女の腕を引いて組み敷いた。  
「いや…やめて」  
「もう会わないつもりなのか」深く口づけた。乳房を揉みしだくと、すぐに乳首が立つ。  
「だめよ…やめて」  
喘ぐ彼女をさらに責めたくなる。彼女の手を掴み、私のペニスを握らせた。  
「ああ、だめ…」  
私の感情が膨れ上がるように彼女の手の中で急速に大きくなるそれが、次にどうなるのか彼女にはわかっている。  
「やめて、立てなくなるわ」  
「そうさせてやる」  
「いやあっ…」  
哀願するような切ない表情が、さらに私の欲望を掻きたてる。  
広げた腕を上から抑え付けた。彼女の顔を見下ろしながら、怒りに膨れた強大な欲望を真っ直ぐに挿入する。  
「ああっ…」刺し貫かれる衝撃に、彼女の上体が仰け反る。  
そうだ、私は残酷な人間なのだ。  
お前を破壊したい。  
そしてお前のかけらをすべて、私の中に収めたい。  
「私の名前を知っているはずだ」激しく突き上げる律動に、彼女と私の快感が共鳴している。「私の名前を呼べ」  
「…キース」  
苦しげな息遣いの下で彼女が私の名を口にすると、胸に喜びが湧いた。  
「もっとだ。もっとはっきり呼ぶんだ」  
「キース…ああ、キース」  
喘ぎにあわせて自分の名前が呼ばれるのは、心地よかった。  
「お前は私のものだ」私も言葉で返した。「お前を放さない。何があっても」  
彼女の悦びが、慎ましい金の光になって私の目の前に広がる。  
私はその光の中で誓いを捧げながら彼女を突き続け、彼女の中に私の持てるすべてを注ぎ込み、炸裂させる。  
 
足に力が入らない。  
身体が鉛のように重かった。  
拒んだ後も何回も求めてくる彼に、何の抵抗もできなかった。  
けれど、その度にわたしの幸福感が強まった。  
彼に何度も打ち込まれた子宮が熱い。  
わたしの体内に残っているであろう彼の残滓をも愛しくて、足の間から流れ落ちることが恨めしかった。  
彼の痕跡がわたしの身体に残ることはない。  
わたしはまた白い身体に戻ってしまう。  
「行ってはいけない」と彼が言う。「お前は求められれば与えてしまうだろう。お前を他の男に抱かせたくない」  
彼の腕がわたしに身体に絡みつく。  
わたしの帰るところは今はもうあの船しかないのだと感じていることを、彼には伝えない。  
以前はあの青い星に帰るのだと思っていた。ノアというここではなく、わたしが夢見るあの星に。  
「その星は…」わたしの思念を受け止めた彼が、驚いてわたしの顔を覗き込む。「もう一度見せてくれ、その星を」  
「あなたにもあるでしょう、同じ記憶が」わたしはゆっくりと彼の手をとる。  
男たちに、何度こうしてこの星を見せたことだろう。五本の指を絡めて、二人の手のひらを合わせる。  
「あなたも思い出して。あなたの中にある青い星を」  
彼が目を閉じ、イメージを浮かべながら語りだす。  
「あらためて覚える知識以前に、この星の記憶が私の中にあった。そしてこれは地球だという気がしてならなかった。  
実際の地球とは似ても似つかないというのに。どうして自分はこんなものを見るのか、どうしてこれを地球だと自分が思うのか、ずっと不思議だった」  
「よく見て」  
やがて彼の顔に、神秘に打たれた驚愕が浮かぶ。  
「星の角度ひとつ違わない。どうしてお前と私が同じ映像を記憶しているのだ」  
わたしはもう片方の手のひらを、彼の腹部に走る真新しい傷跡に滑らせる。  
あなたはあの地の底からよみがえった。  
わたしの元へ帰ってきた。  
この奇跡が導く先は、どこへ続いているのだろう。  
すると突然、わたしの脳裏に真実が閃いた。  
ああ、このようにわたしたちは生きていくものなのだ。  
得心による安らぎが、わたしの中で静かな波紋のように広がっていく。  
「話してくれ、一体…」  
「あれはわたしたちの未来」占っていた頃のように、わたしの声で語られる言葉が力に満ち、この世の理となって光り輝き始めるのを感じる。  
「わたしとあなたは、あの地球が現実となる未来を生きるために作られた二つの個体」  
「未来?」  
「わたしとあなたが行き着くところ」  
この星の映像は、わたしたちが互いを見出すための信号であったかもしれない。  
わたしはあのとき見つけた、あなたを。そして運命の輪が回り始めた。  
「一緒に生きてくれるのか」目を開けて、彼が言う。「私と共に」  
計算どおりに作られたであろうわたしたち。  
宇宙の端と端に分かれて生きていたのに、導かれてめぐり合い、離れ、互いに想いを掛け合って、今はここにいる。  
向かい合う二人の間の、指を絡めて握り合う両の手に、深い思念が込められる。  
「見て」  
寄り添うわたしたちの心に応えて、その二つの星が今、重なる。  
わたしたちの未来がひとつになる。  
青く輝く美しい星、テラに。  
 
 

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