あらゆる可能性を考慮に入れても、彼女に再びあいまみえるはずがないとキース・アニアンにはわかっていた。
何故あの時、彼女の息の根を止めてしまわなかったのだろうか。
彼女が逃げおうせるとは1%たりとも信じていなかった自分の迂闊さに、キースはほぞをかむ思いだった。
彼女は生きているだろう、仲間の許で。
そして、彼女の恋人だったあの男を死に至らしめたキース・アニアンという男を、ひどく憎んでいることだろう。
彼女に陵辱の限りを尽くし、命すら脅かした自分を彼女が許すはずがないという思いが、キースの胸を重苦しく塞ぐ。
そればかりか、今この瞬間も彼女が何を考え、何をして時を過ごしているかということを考え始めると止まらず、頭から離れない。
彼女の仕草一つ一つを思い出すと胸が苦しかった。
すべて処分した、とイライザは言ったが、彼女は今も生きている。
抱いたときの生々しい彼女の反応のすべてを、キースは覚えていた。
彼女のあの声、肌の温もり、匂いたつ香り。
辱められる中でも澄んでいた思念、震えながら伸ばされた肢体。
そして血の味、涙の味。
自分たちは作られたものの中で生き残った二つの例に過ぎず、相互の関係などがあらかじめ定められていたとも思えない。
にもかかわらず自分が彼女を求めてしまうのは、あの時偶然に出会い、束の間に味わった彼女の身体をどうしても忘れられないからなのだと、キースは自ら認めざるを得なかった。
自分がマザーの望むように順調に出世していけばいくほど、彼女から遠ざかっていくのを痛切に感じた。
すると一層、手の届かない場所にいる彼女への想いが強まった。
異常なまでに昂り、執着をみせる自分の感情を、キースは持て余していた。
「私が今借りている部屋、この近くのなの。…寄って行かない?」
サムの病院で再会したスウェナ・ダールトンにそう囁かれたとき、キースは知らず目を閉じた。
自分が生きている場所においてそうした関係を持つことは、かなりまっとうで現実的なことのはずだと考えてみた。
彼女は遠い宇宙の彼方にいるが、スウェナは自分の目の前にいる。
離れて立っていたセルジュとマツカを振り返り、先に戻っているようにと彼らに伝えた。
セルジュがあからさまに合点のいかない様子で軽率な行動をたしなめるのに対し、マツカは何も言わなかった。
彼の視線に背を向けて、キースはスウェナに腕を取られるままに歩き出した。
室内の薄暗がりの中で、自分を見つめるスウェナの目が潤み、その視線が揺れるのを見てキースは戸惑った。
一時の関係ではなく、それ以上を望まれているのだと気づくのが遅すぎた。
キースには、そうしたものを背負い込む覚悟は無かった。
「スウェナ、私は…」
「いいのよ」腕をキースの背に回し、顔を胸に埋めながらスウェナは熱い囁きを漏らした。
「いいのよ、今だけで。わかってる」
その言葉を信じるしかなかった。
だが、いざスウェナが自分の前で身体を開くと、キースの胸中には後悔が押し寄せた。
スウェナを慰みものにしているような気がした。
それは彼女の望んでいる行為かもしれないが、自分が彼女を貶めていると感じながら彼女を抱くことにはためらいがあった。
スウェナが恥ずかしがりながらも自分に身体を押し付けてくる。
もう引き返せなかった。
最初の口づけで、舌が絡まってきた。
乳房を揉みあげながら唇を貪り合う。
首筋に舌を這わせると、大きな喘ぎ声がスウェナの口から漏れた。
何かの記憶がよみがえった。
思わず顔を上げて、スウェナを見下ろした。
「ごめん、なんかがっついてるみたいよね?私…」スウェナが赤い顔で微笑む。
「いや…」キースは先を続けた。
だが、焦がれている女の白い身体を思い出してしまう自分を、止められなかった。
スウェナに対して気が咎めつつ、どうしようもない。
今頃遠いミュウの船で、あの女は何をしているだろうと考えた。
まさか今の自分とスウェナのように、他の男に抱かれていたりはしないだろうかとふと思いつくと、もうその考えから離れられなかった。
あの身体を他の男が組み敷いて、あの肌に他の男の舌が這い回り、彼女はあの声で喘いでいるのだろうか。
自分の中で熱く昂る気持ちが急速に下半身に集中していくのを、キースは感じた。
誰に抱かれているのだろう。
彼女は相手を受け入れているのだろうか。
少なくともあの時の自分がしたように、無理やり犯されてはいないだろう。
彼女が誰かの腕の中で歓喜の声を上げているのかと思うと、感情が怒涛のように胸で渦巻き、キースは息ができなくなった。
脳裏に浮かぶ様々なイメージを振り払おうと、スウェナの両足を荒々しく開いた。
応えるようにスウェナの足がキースの背に絡みつく。
その喜々とした様子に、多くを望まれていることをキースは再認識した。
確かにこの行動は軽率だったと、今さらのように悔恨に苛まれる。
先を急ぐしかないだろうと腹を括った。
スウェナの腰を引き寄せる。
物足りなさを感じているようなスウェナの表情を無視して、キースは自分の腰を彼女の足の間に埋めた。
スウェナが自分の様子に失望しているのを感じていても、優しくする方がより深く彼女を傷つけるだろうとキースは考えた。
スウェナが小さくため息をついてシャワールームへ駆け込んだときには、さすがに後ろめたかった。
スウェナが十分本気だとわかった時点で引き返し、中途半端な気持ちで関わるべきではなかった。
少し胸が痛んだ。
突然鳴り出したアラームに、救われるように安堵の息をついて身を起こし、キースは素早く身支度を整え始めた。
その時、ベッド脇の姿見の中に映る本棚の片隅で、何かが小さく反射光を放った。
そういうことか、とキースは独りごちた。
霧が晴れるように、後ろめたさが消えていった。
メンバーズエリートとしてあらゆる些細な事象に敏感でいるよう訓練されていなければ、恐らく気づかなかっただろう。
スウェナは暗視カメラを隠している。
ベッドに向けて設置されたそれが何の目的でそこにあるのか、あまりにも稚拙なその仕掛けに、キースの心は冷えていった。
「アラームをセットしていたの?」
シャワールームから出てきたスウェナが、彼の背に向かって掛けた声は尖っていた。
カメラに気づかなかったら、自分は忙しい立場を理解してくれと詫びていたかもしれないとキースは思った。
だが実際には続く彼女の言葉に振り返りもせず、黙々と手を進めた。
利用したければすればいい、と彼は胸の奥でスウェナに言った。
人間はみな、欲望を隠して他人に近づき、互いに利用しあうものなのだ。
愚かであるからこそ、その欲望を抑えきれぬ存在なのだ。
キースは立ち上がった。
建物の外に出ると、頭上には暗い宇宙が広がっていた。
夜半を過ぎているが、夜明けまでにはまだ大分ある。
車に乗り込んで目を閉じ、キースは闇と静寂の中に身を沈めた。
まぶたの裏に長い金髪の女を思い描くことはたやすかった。
もしも彼女が自分の前に再び現れたら、彼女に銃を渡そうとキースは考えていた。
あるいはナイフでもいい。
彼女にその気があるのなら、自分の命は彼女の自由にさせよう。
だがどんなに多くの銃弾を浴びても、ナイフを突き刺されても、自分は彼女に向かって手を伸ばすだろう。
彼女の口から呪いの言葉を浴びせかけられても、彼女に激しく非難されても、怒りに震える思念をぶつけられても、自分は自分の血に染まる両手を伸ばして彼女を抱こうとするに違いない。
そして彼女が自分の心臓を止めるまで、彼女をかき抱いて逃さずにいるだろう。
腕の間でもがく彼女を感じたかった。
彼女の白い身体を自分の血で染めて、怒りと恐れと悲しみに溢れる彼女の思念の中でこときれたい。
そんな甘美な死の情景に、キースは酔った。
だが、もちろんそんな瞬間が現実に訪れるはずがなかった。
彼女には二度と会うことがかなわないだろう。
キースは目を開けて、フロントガラスの向こうの夜空を見上げた。
無数の星が瞬くその空の何処かで彼女が眠っているかもしれないと思うと、それだけで目が離せなくなった。
おわり