ほとんど言葉も交わさないまま行為を終えて、背を向けて眠るキースが恨めしかった。
かりそめでも優しい言葉を掛けてくれるとか、腕枕をしてくれるとか、そんなことを求める自分は間違ってるだろうか。
スウェナは小さなため息をついた自分をも許せなかった。
自分を惨めだと思うのが嫌で、ベッドのぬくもりから逃げるように抜け出した。
熱いシャワーを浴びよう。
眠れぬ夜の明けた朝、自分に活を入れるときそうするように。
一人で生きていくことを選んだのは自分だから。
10代の頃、ずっと憧れていた人。
結婚していた時も離婚の後も、彼の出世ぶりをニュースで聞くたび、大声で叫びたくなったものだ。
みんな、私はステーションで彼の一番近い友人の一人だったのよ!
エリートになる前の彼の、貴重な素顔を知っているのは私なのよ!
だけど実際のところ、自分は彼の素顔など知ってはいなかった。
熱いシャワーの湯を顔に浴びて、目覚めなければいけないとスウェナは自分に言い聞かせる。
あの頃、あんなに彼の近くにいても何もわからなかった。
近づけないという不安定な関係が嫌で、自分から逃げ出した。
今、ベッドから逃げてきたように。
両手で自分の身体を抱き締め、スウェナはうなだれてシャワーの湯の勢いに打たれる。
あの頃、プライドを捨てて彼の前に身を投げ出したら、何かが変わっていただろうか。
少なくとも何もせずまま結婚してしまうなら、それだけの賭けに出てもよかったのに。
10代の自分はおさな過ぎて、拒まれることが何よりも怖かった。
後になってあんなに後悔の日々を送り、優しかった夫を傷つける結果になるとわかっていたら、ただ一度でも勝負に出て、はっきりと敗退するべきだった。
スウェナは手のひらを濡れた身体の四方に滑らせ、そのラインを確かめる。
独り身の自分が30代になっても衰えずにいられるのは、寂しい夜を自ら慰めているからだが、それもいつまで続けられるだろう。
キースはおざなりに愛撫してくれたが、それほど気が乗っていないのは明らかだった。
誰かと比べられているのかと考えると、悔しくてたまらなかった。
若い頃の、何にでも自信があった頃の自分の肉体を彼に見て欲しかったのに。
情けなかった。
自分の人生は結局、取り戻したいものを求めて悶え足掻きながら堕ちていくようだとスウェナは自嘲する。
湯を止めると、寝室からアラームの音が聞こえ、すぐに止んだ。
あわててバスローブをはおり、シャワールームを出た。
キースはすでにベッドから離れ、素早く着衣を整えつつあった。
その手際のよさ、慣れた振る舞いに、スウェナの胸は軋むような音を立てて痛む。
「アラームをセットしていたの?」自分の声に棘があることはわかっていたが、どうしようもなかった。
「お忙しいものね、国家元首さん。お引止めして申し訳なかったわ」
キースは答えなかった。ブーツに足を入れ、立ち上がって上着を手にする。
「待って。こっちを向いて」スウェナはその背に向かって叫んだ。
「私を見てよ、キース・アニアン…」
相変わらず、彼は背を向けたままだった。
振り返れ。
振り返ってよ、キース。
スウェナは必死に祈った。
あなたのすべてを受け止めてあげるから。
私にしかできないことが、きっとあるはずよ。
「…早く新しい伴侶を見つけることだ、スウェナ・ダールトン」上着の袖に手を通しつつ、彼は淡々と言葉を続けた。
「君が抱えている問題を私はこれ以上引き受けることはできない。他を当たってみるべきだと思う。これは友人としての忠告だ」
そう言い放って何のためらいもなく部屋を出て行くキースを、スウェナは無言で見送った。
男女の営みとは、身体の会話だ。実際、仕事でそういう切り口の記事を書いたこともある。
自分は彼にあれほどまでに近づきながら、互いをわかり合うためのコミュニケーションが何も取れなかった。昔も、今も。
スウェナはあらためて、自分とキースは重ならないレールの上をそれぞれ生きているのだと思い知る。
空虚な内側を何によって埋めたらよいのかわからなかった。
音のない寝室を横切り、ベッドの右手壁面に作り付けられた本棚に歩み寄る。
その本の間に目立たぬよう、隠しカメラとマイクを設置してあった。
彼との行為の一部始終が、高性能のそれらによって記録されているはずだ。
本体を取り出したスウェナは、それを床に投げつけようとして思いとどまる。
これを失ったら、あとで自分が後悔するかもしれないという気がした。
もちろん当初の予定のように、何かに利用するために中身を公開することなどはいまさら微塵も考えていなかった。
だけど自分はこの記録を生涯の宝としてしまうだろう。
スウェナは自分がかわいそうだった。
それでもキースに会えなかった人生と会えた人生ではどちらがよかったかと問われたら、なんのためらいも無く後者を選ぶ。
どんなに傷ついた結果でも、今やスウェナは満足していると言わざるを得なかった。
さっきまでキースに抱かれていた自分の身体を抱き締めて、スウェナはその場にしゃがみこんだ。
こみ上げて来る嗚咽をこらえようとして、こらえる必要が無いことに気づいた。
子どものように床に座り込み、声を上げて泣き喚いた。
思いつく限りの悪態をつき、口に出したこともない汚い言葉で彼を罵った。
やがてまたひとしきり思う存分泣いて、それから膝を払い、静かに立ち上がった。