まいさんを後ろに乗せて、俺はゆっくりと自転車を漕いでいた。
初めて見た頃はとても新鮮に感じた彼女の洋服姿も、今じゃ当たり前のように見える。
本当、最初に彼女の袴姿じゃない姿を見た時は内心ドキドキしたもんだ。
「……ホントに、他にはいいんですか?」
俺が前を見ながら訊ねると、まいさんは俺の背中に頬をくっつけた。
「いいんですってば。」
ちょっとだけ怒った風に言うまいさんに、俺はそうですか、と返すしか出来ない。
――さて、今日は8月8日。まいさんの誕生日だ。
1ヶ月ほど前にプレゼントは何がいいかと聞くと、一緒にお出掛けしてくださいと言われた。
この日に合わせて俺もまいさんも休みは取ったし、俺は何を言われてもいいように財布にはいつもより多く入れてきた。
だけど、いざ当日を迎えて見ると、まいさんは何かをねだる素振りもなく、ただの散歩みたいになっていた。もちろん昼食代は俺が出したし、散歩自体に不満があるわけじゃない。
……ただ、誕生日なのにこんな普通の事でいいんだろうかと心配になっただけだ。
そう思って何度もまいさんに確認してみるが、いつも「これでいいんです」と笑顔で返されて、こっちは何も言えなくなる。
「次はどこに行きます?」
怒られたような空気を拭うつもりで明るく聞いてみると、彼女は「このまま、走ってください」とだけ言って黙ってしまった。
陽も沈み始め、辺りも暗くなってきた。
ふらふらと自転車で走っていると、なんとなくだけど行きたい場所が浮かんだ。
「ここって……」
自転車を停めた俺を見上げながらまいさんは呟いた。
「なんか……来たくなっちゃいまして。」
俺が頭を掻きながら笑うと、まいさんは柔らかく笑った。
やっぱり、ここ――別所温泉駅に来なきゃ変な感じがするんだよな。
俺がそんな事を考えていると、まいさんが再び俺の背中に頬をくっつけた。
「……いつもと一緒じゃないですか。」
小さな声で言ったまいさん。辺りに人はいないのでそれは聞き取れた。
「いつも?」
俺が聞き返すとまいさんは頷いた。自転車から下りて、彼女は近くのベンチへ歩いて行った。俺は後ろをついていく。
「……お互いに仕事が忙しいじゃないですか、私達。」
「え?……あ、まぁ、そうですね。」
「だから、デートらしいデートもした事ないじゃないですか。」
言われてから気付いた。彼女の言う通りだ。
デートと言えば、互いに仕事が終わってから少し歩いたりするぐらいで……デートと言えるのかどうかも怪しい。
基本的には俺がこっちに来て、仕事終わりのまいさんを彼女の家まで送っていたぐらいだ。
「それで今日は……普通の、私達と同い年の人がやってるようなデートをしてみたくって……。」
顔を伏せて喋る彼女の表情は読み取れない。
俺はいつものが当たり前だと思ってたけど、そうか、まいさんからしてみれば、今日みたいな方が当たり前なのか。
仕事関係の話は禁止です、とデート前に言っていたのも思い出した。
「す、すいません、俺……そうとは知らずに……。」
俺が頭を下げると、まいさんは小さく首を振った。
「いえ、気にしないでください。……でも、ここに来た理由があれば……教えてもらえますか?」
理由か……。
俺は自転車を停めて、まいさんの隣に座ってから口を開いた。
「ここって、まいさんと出会えた場所だったり……まぁその思い出の場所じゃないですか、俺たちにとって。だから……なんだか、来ないと落ち着かなくて。」
照れを隠すように頬を掻きながら言うと、まいさんは恥ずかしそうに微笑んだ。
「……そんな理由なら、許さないわけにはいかないじゃないですか。」
あぁ、なんて可愛らしい人なんだ。会えば会うほど、一緒にいればいるほど、彼女に対する想いは募っていく。
「はは、なんか、すいません……。」
俺は、心底まいさんに惚れてるんだなぁと理解して、つい吹き出してしまった。
(了)