「おはよう、ジニー。……ジニー?」  
 いつもなら「おはようございます、ボス」と軽やかに答えてくれる秘書の応えが無いこ  
とに、僕は戸惑った。コンピュータのモニタには彼女のウィンドウが開いてはいない。い  
つもなら僕の声を起動コマンドにして起動するはずなのに。  
 はて。警察窓口のアルバイトにでも行っているのか?  
 そんなことを考え、僕は椅子の背もたれに体重を預けた。  
「……おおい、賢作ー」  
 ジニーの時と同じく、応えは無い。  
 コンピュータは、ただファンの音を立てているだけだ。  
 まあ、賢作の場合は、ふらりと居なくなる事が当たり前だから、心配では無いのだけれ  
ど。ジニーが何も言わずに居なくなるのは珍しかった。  
「いや、それとも」  
 僕が覚えていないだけなのかも知れない。  
 まあ、ジニーのことなら心配はいらないだろう。彼女は賢作と違ってウィルスではない  
し、たとえ何処かのブロックに引っかかったとしても何とかできるはずだ。……さらに言  
えば、電脳の中でジニーが危機に陥ったとしても僕に出来ることはほぼ無いという現実も  
ある。  
 出来ることといえば、彼女の無事を信じることだけか。  
「情けない」  
「なにが? あなたの顔が?」  
 不意に響いた聞きなれた声に、僕は顔を上げてモニタを見る。  
 だがそこにウィンドウは開いていない。ただモニタの向こう側。事務所の扉を開けたそ  
こに、見知った顔が立っていた。  
「バージニア!?」  
「ハイ。久しぶりね、探偵さん」  
 気安く笑い、事務所の中へと足を踏み入れたのはバージニア・ローズ。ローズ財閥の後  
継者の一人であり、世界各地で色々と物騒な事業を行っている張本人だ。そして、何より  
も。  
「ジニーは?」  
「留守だ」  
「そう。久しぶりだから話したかったのに」  
 ジニーのオリジナル。ジニーのブレインコピーの元となった女性。それがバージニアだ  
った。  
「どうしたんだい、バージニア。ああ、お茶の一つも出さずにすまない。座ってくれ」  
 安物の紅茶を出して怒らないかとも思ったが、彼女が割合にそこら辺はサバイバル慣れ  
していることを思い出してカップを差し出した。来客用のソファに偉そうに座っている  
バージニアは、それでも礼を言ってカップを受け取ってくれた。  
「安物ね」  
「フォートナムメイソンなんて、うちじゃ取り扱っていなくてね」  
「フン。まあ、期待なんかしてないから安心なさい」  
 そう言いつつ、バージニアは躊躇いもせずカップに口をつけた。  
「それで、今日はどんな用件で? まさか世間話をしに来たわけじゃなかろう?」  
 僕が向かいのソファに座ると、バージニアは僅かに眉根を寄せた。  
 そういう顔をすると、怒る間際のジニーにそっくりだ。外見データが元々バージニアの  
物なのだから当然なのだが。  
「お茶を飲みに来ただけ、と言ったら信じてくれる?」  
「あのバージニア・ローズでなければ信じたかもな」  
 フン、ともう一度鼻を鳴らしたバージニアは、優美な長い足を組みなおした。タイトな  
スカートから伸びたストッキングに包まれた足は躍動感に満ちている。彼女の本質が大金  
持ちの深窓の御嬢様などではなく、バイタリティに溢れた戦士と呼ぶのが相応しいことを  
示している。実際、ローズ財閥では若輩でありながら既にかなりの地位に上り詰めている  
ことからもそれは示されている。  
 
「半分本当よ。この国で仕事があって、時間が空いたから顔を出したの」  
「C国で? ……きな臭い商売じゃないだろうな」  
「あら。この国自体が十分にきな臭いじゃないの。私が何したって大した差は無いわよ」  
 あっさりと切り返すバージニアは、やはりジニーのオリジナルだった。  
 僕自身、彼女のことを気に入っていた。ジニー云々という事を抜きにしても、バージニ  
アという女性は魅力的なのだ。辛辣なことを述べる薔薇色の唇も、険の強い光を宿す瞳も。  
多分に僕より腕力があったりしそうな、張り詰めたバネのような体も。  
「――まあ、良いだろう。それで?」  
「言ったでしょ。ただ茶のみ話をしに来た。それだけよ。……ああ、それともお邪魔だっ  
たかしら?」  
「いいや。ローズ財閥が絡まなければ、君のことは大歓迎だ」  
「――ッ。そ、そう」  
 顔を逸らしたバージニアが、頷く。  
「そうだ。ねえ、探偵さん。あなた、ここに来て長いんでしょう? 街を案内してくれな  
い?」  
「街を? なんでまた」  
「下手な観光ガイドを雇うより、楽しそうだからよ」  
 ニコリと笑ったバージニアに、僕は少しだけ考えて、結局は頷いた。  
 
†  †  †  
 
 夕方までかかって街を歩き回った。  
 わりと文化遺産なんかもある街なので、歩いているだけで結構な時間がかかったのだ。  
 バージニアは、こういう文化遺産の類には興味なさそうな気がしていたが、行ってみれ  
ば目を輝かせて見入っていた。  
「ねえ、探偵さん。今日の夕食は私が奢るわ。案内してくれたお礼に」  
 だから、頬を火照らせてそう言った言葉も、ただ興奮していたのだと思って頷いたのだ  
った。  
 バージニアがタクシーの運転手に告げた行き先は、巨大な超高級ホテルだった。多分、  
シングルの一番安い部屋でも僕の事務所の一ヶ月の家賃くらいはするだろう。  
 バージニアはここに泊まっているらしい。フロントで恭しく迎え入れられた彼女の背中  
を眺めつつ、こんな場所に来るには随分だらしない格好をしている自分をどうしようかと  
悩んでいた。  
「なあ、バージニア。やっぱり遠慮しておくよ。こんなよれよれの格好じゃ、入れてくれ  
ないだろうし」  
「大丈夫よ。なんなら一着仕立てると良いわ」  
「……いや、バージニア。残念ながら、僕の懐にそんな余裕は無いんだ」  
「前の依頼の報酬代わりよ。あの後、ジニーに散々言われたんだから」  
 肩を竦めたバージニアに、僕はなるほど、と頷いた。  
 たまにバージニアは事件の相談を僕のところに持ってくるが、まっとうに報酬を支払っ  
てくれたことは少ない。ほとんど、勝手にやってきて勝手に推理をさせて勝手に帰ってい  
くのだ。ジニーはよくそれを怒っていたが、どうやら言ってくれていたらしい。  
「君がジニーとそんなことを話していたとは思わなかったな。ジニーも、君にはあまり近  
づいていないとばかり思った」  
「……そうね。そんなことでも無いと、私も……ジニーも、きっと話し合えないわ」  
 バージニアは暗い顔をして呟く。  
 その横顔は、ジニーにそっくりだった。  
 
「バージニア。できれば笑ってくれ。さもなくば怒っているか」  
「なにそれ」  
「君の悲しい顔を見たくない。ジニーが悲しんでいるみたいで、気分が悪い」  
 息を呑んで僕を見たバージニアは、見る見る間に赤くなった。  
「な……っ、ば、バッカじゃないの!?」  
 踵を返してぷりぷりと怒りながら歩いていく。  
 肩をいからせて歩くその後ろ姿は、僕の唇を綻ばせるには十分な魅力を持っていた。  
「早く来なさい! あなたの服を見繕いに行くんだから!」  
「はいはい」  
 頷いて、彼女のあとを追った。  
 そのままホテルの中にあったブティックに連れ込まれた。  
 スーツ一式を、まあレディメイドだが揃えられ、そのまま着替えさせられた。髪も撫で  
付けて押し出された僕の前には、やはりドレス姿に着替えたバージニアが立っている。  
「へえ。良いじゃない。ちゃんとしてれば格好良いわよ」  
「そりゃどうも。こういう格好はどうにも息苦しくてね。……君はさすがだな。綺麗だ。  
こんな台詞は陳腐かな?」  
「そうね。でも褒め言葉は嬉しいわ。特に、あなたみたいな捻くれ者からなら」  
 微笑んだバージニアが僕の腕を取る。  
「行きましょ。レストランの予約は取ってあるわ」  
「ふむ。お付き合いしましょう、お姫様」  
 改めて彼女の腕を取り、肘に彼女の手をかけさせる。エセ紳士だが、それでもドレス姿  
のお姫様をエスコートするくらいの気概はあるのだ。  
 そうしてレストランでは、多分僕の稼ぎでは一生自分の金では食べられないだろうフル  
コースを堪能した。  
 ワインを飲みながら、バージニアと話す。  
 彼女は陽気に笑い、仕事で遭遇したトラブルやら何やらを話してくれた。  
 正直、中には笑っちゃマズそうな事も混じっていたのだが。  
 そうして、不意に話題が途切れて沈黙する。だがその沈黙も心地よい沈黙だった。  
「不思議ね。あなたのこと、最初はダサいヘボ探偵って思ってたんだけど」  
「最初に会った時は酷いこと言われたなぁ、そういや」  
「フフ。そうね。……でも、見直したのよ?」  
「そう言ってくれると有り難いよ。今後の事務所の宣伝文句に使えるかな。『あのバージ  
ニア・ローズが推薦!』とか」  
 二人で顔を見合わせて笑う。  
「そういえば、探偵さん。あなた結婚は?」  
「僕? 結婚してるように見えるかい?」  
「いいえ。してたら、もうちょっと身だしなみがしっかりしてるでしょうね」  
「手厳しいな。まあ事実だけど」  
「じゃあ、恋人は?」  
 僕はワインを傾け、香りを嗅ぐ。ブドウの香りと重みが鼻をくすぐるのを楽しみながら、  
愚痴っぽくならないよう気をつけて答えた。  
「どうにも、そういう機会がなくてね。こんなおじさんじゃあ、もう相手もいないんだろ  
うさ」  
「あら。私、あなたのこと魅力的だと思ってるわよ?」  
 バージニアは、わざと胸元を見せ付けるようにこちらに身を乗り出した。  
 
「最初は、酷い言われようだったけど?」  
「最初は最初よ。見直したって言ったでしょう? 知性のある男って、好きよ」  
「ありがとう。これで、これから先を生きていく活力が湧いたよ」  
「あら、言葉だけで良いの?」  
 胡乱な目でバージニアを見る。彼女は魅力的な笑みを浮かべて、僕を見ていた。  
「男をからかうもんじゃないな。勘違いしたらどうするんだ」  
「勘違いなんかじゃないわよ、きっと。あなたは探偵なんでしょう? 私の言いたいこと  
の真意を推理できるんじゃなくて?」  
「推理は、真実とは限らない。特に人の心はね」  
「でもあなたは、優秀な探偵よ」  
「……バージニア。酔っているのか?」  
「ええ、酔っているわ。でも、酔っているからじゃない」  
「からかうのは止めてくれ」  
「あなたのそれは、誰かへ……ええと、操を立てているの? それとも、女に性的魅力を  
感じない性癖の持ち主?」  
「安心してくれ。操を立てているような相手はいないし、女性が好きな一般的な男だよ」  
「じゃあ、どうして?」  
 バージニアが食い下がるのを、僕は訝しく思い始めていた。  
 彼女は、本気で言っているのだろうか。  
「バージニア。僕は」  
「年上で、低収入で、二流免許しか持っていない探偵だ? でもそれと、あなたの魅力は  
無関係だわ。ああ、誰とでも寝るなんて思わないでね。私、これでも好みはうるさい方な  
の。それに今は恋人はいないわ。でもあなたを恋人にしたいわけでもないから安心なさ  
い」  
 言い切られ、僕はそれ以上なにも言えなくなった。  
「ただ、あなたに興味があった。それだけじゃ駄目かしら。愛が無くちゃ勃たない?」  
「バージニア」  
 窘めて、僕はグラスの中身を一息に呷る。  
「……本気なのか?」  
「部屋は上よ」  
 微笑んだバージニアが差し出した手を、僕はおずおずと受け止めたのだった。  
 
†  †  †  
 
 バージニアがシャワーを浴びている間に、僕もシャワーを浴びてスポーツドリンクを飲  
んでいた。超高級ホテルのロイヤルスイートは、これまたバカみたいに広い。正直、僕の  
事務所が丸々入っても、まだ余裕があるだろう。バスルームとトイレも二つずつあるとい  
うのは、どういう事なのか。  
 ベッドルームは広々としていて、あちこちがキラキラしている。  
 多分、あの装飾品の一つでも傷つければ、僕には補償しきれないだろうなあ、なんて情  
け無いことを考える。  
「あら、待たせちゃったかしら?」  
 振り返れば、そこにはバスローブに身を包んだバージニアが立っていた。髪はわずかに  
濡れている。火照った肌が艶かしい。  
「――いや。そんなことは無いよ」  
 バージニアは軽やかに僕に歩み寄り、そしてゆっくりと僕の前に立った。  
「……髭、生えてるわね」  
「剃ったほうが良かったかい?」  
「いいえ。構わないわ」  
 彼女は女性にしては背が高いが、それでも僕とキスをするには背伸びしなくては駄目ら  
しい。腰をかがめ、彼女にキスをした。最初は触れるだけのキス。そしてすぐに情熱的な  
キスに変わる。  
「――っはぁ」  
 堪能して唇を離すと、バージニアはぼうっとした顔で僕を見上げていた。  
「キス、上手いのね」  
「そう言ってもらえると嬉しいな」  
 バスローブの上から彼女の背中を抱きしめる。  
 華奢な体は、こればかりは細く柔らかい。  
「いいのか、バージニア」  
「良いわ」  
 うっとりとした声。頬を薔薇色に染め、嬉しそうに目を細めている彼女は、確かに酔っ  
ているようには見えない。  
「――これは、バージニアの許可を取っているのかい?」  
 だから、僕はそこから先に進むために、これまで見ない振りをしていたことについて触  
れた。  
「もしもバージニアの許可が無いなら、これ以上はできないよ。ジニー」  
 バージニアの顔が一瞬で青褪めるのを、僕はただ見つめることしかできなかった。  
「……な、何を言っているの? 私はバージニアよ。バージニア・ローズ」  
「そうかい? だが、僕には君がバージニアには見えない。いや、確かに君はバージニア  
でもあったのだろうが……僕にはそれ以外の君が見え隠れしていた」  
 例えば文化遺産で。  
 例えば僕と君の下らない話の掛け合いで。  
 例えばこうして僕とキスをしていた時の君の表情で。  
 そこには、僕といつも一緒にいた、誰よりも信頼している、誰よりも大切な秘書の顔が  
あった。  
「ジニー。……どうして君が、バージニアの体にいるんだ」  
 バージニアは身動ぎをして、僕の腕から離れた。  
 そのままベッドに腰掛ける。  
「……どうして分かっちゃうんですか、ボス」  
 そうして上げられた顔には、哀しそうなジニーの微笑みが浮かんでいた。  
「どうしても何も。君のことを分からないはずがない。そうだろう? ジニー」  
「……そう、ですね。そうなんですね」  
 俯いたジニーの肩に手を置いて、僕はさらに気になったことを尋ねた。  
 
「ジニー。バージニアの体に君が居るという事は……」  
「いいえ。バージニアと私は完全に別人格として存在しています。今は彼女は眠っている  
ような状態で……私に身体を貸してくれているんです」  
「身体を貸す?」  
「はい。……彼女が私に言ったんです。私と融合する事は諦めた。でも、一度くらい肉体  
に帰って来ても良いんじゃない?って」  
 そして、その時にボスにアプローチなさい、と。  
 バージニアがそう言ったのだと続けたジニーに、僕は唖然としていた。  
「いや、しかしだな。……彼女は、僕がその、肉体関係を結ぶなんて事は考えてなかった  
んじゃないのか? 後で知られたら、僕が殺されそうだ」  
「あら、それはありませんよ。ボス、気づいて無いんですか? バージニアは、ボスのこ  
とを気に入っているんですよ。それこそ、ベッドを共にしても良いと思ってるくらい」  
「……信じ難いな」  
「ボス。バージニアと私は、結局は同じ人間だったんですよ。好みだって同じです。ただ  
表現方法が違うだけで」  
 ふむ、と頷いた僕にジニーは笑う。  
「でも、ばれちゃいましたね。すいませんでした、ボス」  
「……ジニー?」  
「いや、ですよね。私となんて」  
「そんなことは無い」  
「え?」  
 ジニーがキョトンとした顔をする。  
 ああ、こういう顔をしていると、バージニアの体でありながら、ジニーだと確信できる。  
「僕が恋人を作らない理由は、簡単だよ。君が居るのに、恋人を作る理由は無いだろ  
う?」  
「……ボス?」  
「プラトニックな関係だけどね。……僕はそれで良いと思っていた」  
 ジニーの手がおずおずと僕の胸に触れる。  
 心臓の鼓動が、その手に伝わっているだろう。少し速まった鼓動が。  
「それって」  
「君は擬人で、僕は人間だ。でも、それはあまり関係が無い。そうだろう? 君には心が  
ある。僕はそれを知っている。そして僕は、そんな君に惹かれたんだから」  
 大きく目を見開いたジニーは、頬にポロポロと涙を零しはじめた。  
 そっと、彼女の肩を抱く。  
「ジニー。……良いのかい?」  
「あ……」  
 ジニーの顔が羞恥に赤らむ。伏せられた睫毛。彼女の顔にキスを落とす。  
「はい、ボス」  
 そして、幸せそうに頷いてくれた。  
 
 
 ジニーの体は山猫のように俊敏で、力強く跳ね回った。  
 貫くたびに体をわななかせ、その足を絡めてくる。  
「……ジニーっ」  
「ボス……ボスっ!」  
 抱きしめあい、これ以上ないほど深くつながりあう。  
 心だけで十分だと思っていた。だが、こうして体もまたつながりあうのなら。  
 それはさらに、僕を深みにはめる行為だ。  
「愛してる、ジニーッ!」  
「ああ……愛してます、ボス」  
 ジニーもまた、それに答えてくれる。うっとりとした微笑みで、愛しそうな眼差しで。  
 そして、ジニーの中に放った。  
 ビクンと痙攣するように震えたジニーが、荒い息を吐いてぐったりと体の力を抜いてい  
る。僕はその上に覆いかぶさったまま、彼女の柔らかさと体温を実感していた。  
 バージニアはピルを飲んでいるらしい。だから、僕は何もつけずに彼女の中に放ってし  
まった。  
 知られたら怒られるだろうか。そんな考えがチラリと頭の隅を掠める。  
 見ればジニーは、幸せそうな微笑みを浮かべたまま目を閉じている。眠りに落ちたのか、  
スウスウと寝息を立てていた。  
「……」  
 愛しくて、彼女の髪を撫で、頬にキスをする。  
 腕の中にジニーがいる。これまで幾度となく夢想した彼女が。  
 けれどもこれは夢のようなものだ。  
 バージニアの肉体は、バージニアのものだ。ジニーも、これがほんのひと時の夢だと理  
解していた。だから、これはバージニアが目覚めるまでの夢なのだ。  
「……愛してる」  
 眠っている彼女に、そう囁く。一回でも多く、彼女にそう言いたくて仕方なかった。  
 不意に、ジニーの目が開いた。  
 その目が周囲をきょろきょろと見回し、隣に横になっている僕を見る。  
「――ジニー?」  
 その目が僕を認め、細まった。  
「バージニア?」  
「ええ、そうよ。探偵さん」  
 情事の名残もなく、バージニアはいつもの自信に満ちた声で、首肯した。  
 
「……そう。この状況って事は、ジニーは本懐を遂げたってことなのね」  
「すまない。君の体なのに」  
「ジニーの体でもあるわ。というか、私とジニーは同じ人間なんだから、そう大したこと  
じゃないわよ。……まあ、私があなたを気に入っているから、っていうのもあるけど」  
 バージニアが僅かに照れたように顔を背ける。  
「バージニア?」  
「いくら私だって、気に入らない男とベッドに入る趣味は無いわよ。……相手があなただ  
って知ってたから、ジニーの気持ちを汲んだだけ」  
「ジニーはどうなる?」  
「この後、もう一度ブレインコピーをするわ。彼女はまた擬人としてネットに戻る」  
「……君は?」  
「変わらないわ。バージニア・ローズとして生きるだけ」  
「……そうか」  
 でも、とバージニアは笑った。  
「たまに、あなたとベッドを共にするのも良いかも知れないわね。結構相性は良かったよ  
うだし」  
 そう微笑んだバージニアは目を閉じる。  
「ジニーが起きるわ。じゃあ、また今度」  
「ああ、また今度。ありがとう、バージニア」  
 ふん、と鼻を鳴らしたバージニアは目を閉じた。  
 
 
†  †  †  
 
「おはよう、ジニー」  
「おはようございます、ボス」  
 ジニーは翌日にはコンピュータの中に戻っていた。  
 ブレインコピーの逆コピーの実験を兼ねていた、とは後でバージニアから聞かされたこ  
とだ。そう何度も出来ることではないし、出たり入ったりが恒常的に可能なわけではない。  
そうも聞かされた。  
 つまるところ、あれはバージニアからジニーへの一度だけの贈り物だった、という事か。  
「今日も良い天気だよ、ジニー」  
「そうですね。外気温23度。湿度40%。過ごしやすい一日ですね」  
「はは、そうだな」  
 こうして他愛の無い話をしながら、けれどジニーは幸せそうに僕に微笑みかける。  
「今日こそ、依頼があると良いですね」  
 まあ、ジニーらしい辛辣な意見も、一緒なのだけれど。  
 
 

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