「わたし、これからはちょくちょく、また花園に行こうかと思うわ。
そうすれば……ディコンにも会えるし」
朝食を前にしてメアリーの言葉にマーサは何故か不思議な顔をした。
「そうかね?そりゃ無論、弟も喜ぶと思うよ」
メアリーはマーサがディコンの話をしてくれるといいと思ったのに、その日マーサは忙しい様子で、
慌しく暖炉を掻き出し、部屋の掃除をすると朝食のテーブルを調えて階下へ降りていってしまった。
メアリーは詰まらなそうに手早く食事を済ますと、今朝の出来事の事ばかり考えた。
ソファに移動して、膝に置いた本の美しい挿絵を眺めていても、ディコンの面白い顔が眼の前をちらつく。
何でも判ってるディコン。でも…わたしの事は?わたしはただ彼を見ていたいだけ。
以前「奥様」と呼ばれていた母の事を眺めるようにディコンの事も見ていたいと思った。
暖炉の前で丸くなっているとぽつりぽつりと雨が窓を打ち始めた。
首を伸ばして空を見上げると大きな窓いっぱいに曇り空。
重たげな雲間から時折水滴がこぼれる。
此処がインドではなく「奥様」も、もう何処にも居ない事に気付くとメアリーは無性に人恋しくなった。
人恋しいという気持ちなぞ感じた事など無かったのに。
メアリーは立ち上がり、あの象のあった部屋に独りで行ってみようと思った。
何故か、今朝はコリンに会いたいとは思えなかった。
足音を忍ばせ、部屋を抜け出し、たった独り迷路のような屋敷の中を歩く。
メアリーにはこの大きな館も又、大きな一つの自分の巣でもあると分かった。
自分の巣は一つだけではない。
確かな予感に思わず笑みが漏れた。
しんとした屋敷の中は優しい静寂が支配している。
回廊のような廊下を通り、重たげな緞帳の下がっている部屋を抜け、目的の部屋へ着いた。
部屋の奥へと進みガラスの戸棚を開けて象牙細工の象を手に取った。
象牙は優しい甘い白さで手にしっとりと馴染んだ。
埃の被ったソファに寝転がってそれを玩具にして遊んでいるときディコンの言葉を思い出した。
「今度はメアリーさんにも気持ちよくなってもらいたいな」
ディコンは、一体何をするつもりなのかしら?あの子に何が出来るのかしら?
頬杖をついて思い巡らせると、ふとインドで見ていた光景を思い出した。
時々「奥様」はパーティーの後、見知らぬ男と余り使われていない部屋へ引っ込む。
その部屋はメアリーの部屋のバルコニーから良く見え、又、誰もその事に気付くものはいなかった。
薄い紗のカーテン越しにレースだらけの服を脱いだ「奥様」のシルエットが若い男のシルエットに重なる。
ランプの炎は絞られ、薄暗い部屋の中で二人の影が蠢く。
目がじいんとしてシルエットが殆んど見えなくなるまで、いつも見詰めていた。
男は時々に変わるが、展開はいつも同じような事。
一度だけカーテンが開いていた事があった。
メアリーは何時ものように「奥様」から目を離さず息を顰めていた。
「奥様」は薄いドレスをひらひらとさせ、高く結った髪の毛でよりすらりと背が高く見える。
二人の話し声も耳を澄ませば微かに聞こえてくる。
「……夫人、何時か、御主人に……こんな事…」
「構いはしません、あの人は病気がち……いつも…一人きり……」
メアリーは「奥様」の露な背中をじっと見詰めていた。
レノックス夫人は若い男に近付き、そのぴっちりとした軍服に手を掛けた。
と、その時、メアリーの心臓はどきんと跳ね上がった。
力任せにレノックス夫人を抱きしめた男がその薄いレースだらけのドレスを引き破ったのだ。
どうなる事か、とメアリーは思ったが、「奥様」は悲鳴も上げず寧ろ嬉しそうにその男に飛びついていった。
ベッドに二人倒れ込むと、「奥様」の綺麗に結い上げた髪は解れた。
「奥様」は髪が乱れても、服を纏わなくとも、矢張りとても美しい。否、むしろ今の姿が一等素敵に見える。
すらりとした脚を広げ、男を絡め取るようにして「奥様」は歯を見せて笑った。
男が覆い被さり、ほっそりとした腰に手を回し、柔らかい肌に所構わず噛み付いた。
「奥様」の頭は仰け反り、紅の滲んだ唇からは悲鳴のような声が漏れる。
しかしメアリーにはそれを苦痛だと感じているようにはとても見えなかった。
男の手が撓めた乳房の柔かさ、温かさをメアリーは知らなかった。
メアリーは、はっとして手から滑り落ちた象の象牙細工を拾った。
インドでの事なぞ、此方へ来てから殆んど思い出しはしなかった。
しかし、追憶の光景にメアリーの身体の熱は上昇したように感じた。
目を上げて鏡台に映る自分を見て、「奥様」のようにしてみようと髪を掻き揚げた。
鏡に映る姿は、幾分太ったとは言えまだ貧弱な不安そうな顔の小娘だった。
段々母親に似てくる、という人の言葉には疑問があった。
レースだらけの服とは違い、破る訳にはいかないし、第一そんな力も無いのでそれは仕方が無いが、
あの時、「奥様」に男がしたようにメアリーは自分の身体に触れてみた。
小さい膨らみ始めの胸に、象を乗せて行進させた。
象は胸のリボンに脚を絡ませたが、乳首周りは丁寧に何週も往復した。
象が動くたびにメアリーはこそばゆさと、微かな快楽を感じた。
そのまま腰を移動して腹に至り、太腿から膝まで行くと象の行進は回れ右をした。
内腿を滑るように上ってくると厚手のスカートの生地が象の行く手を遮った。
メアリーはスカートを捲くり、フリルのついた木綿のペチコートを剥き出しにした。
「駄目、そんな少しの障害で挫けては」
メアリーが象に励ましの言葉を掛けると、象はもぞもぞとペチコートの中を潜って行った。
下着の上を象が歩くとメアリーも「奥様」の様に声が出そうになった。
象は脚の間の谷間を何度も行ったり来たり。
滑り落ちるように、縦にするっと動くとメアリーの身体がビクンと跳ねた。
「あっ」
息を吸ったときに漏れた音にメアリーの心臓はドキンと早打った。
しかし耳を澄ませても聞こえてくるのは外で吹いている風の音だけ。
小さな声は大きな屋敷の奥深くで、誰に聞こえる訳でもなかった。
まるで世界中でこの部屋だけがメアリーと共に取り残されているかのようだった。
軽い溜息を一つついて、ソファに深く身を埋めると、今度は左手に象を握りしめ右手でそこに触れてみた。
厚ぼったい下着が鬱陶しいく、その奥に柔かい感触がした。
目を瞑り、ゆっくりゆっくり擦りながら、自分の気持ちの良いところを探し当てた。
ディコンはこんな事する気かしら?メアリーはぼんやり考えた。
ついっと指を動かすとくにゅっと指先が食い込んで、微かに硬い感触と先程より強い快感がメアリーを襲った。
指先でそこを探り当て弄るともう声は抑えられなかった。
「あっ……はぁ……んっ」
指の動きは激しさを増して、布の擦れる音とメアリーの口から漏れる声が部屋の中の音の全てだった。
人差し指と中指で全体をかき回すように動かし、そこに在ったクッションを脚に挟む。
「奥様」が若い男を脚で締め付けていたときと同じ。
もどかしい快感に身悶えするように狭いソファの上で身体をくねらせた。
「…はぁ……はぁ……ふぅ……」
靴の踵が木製の肘掛にぶつかると、徐に起き上がってそこに跨った。
体重をかけ股の間に肘掛を食い込ませ、身体をゆっくり揺さぶるとより強い刺激を感じた。
夢中で擦りつけると細かい痙攣がメアリーを襲う。
「んっ……ん…あぁん……」
目を閉じると感覚が研ぎ澄まされるような気がした。
腰の動きは男の動きと重なり、メアリーを襲う快感は「奥様」が受ける快楽と入れ替わる。
「…ああぁ、そんなに焦らさないで……」
レノックス夫人が哀願するように言うと男は夫人をうつ伏せに押し付け、腰を高々と持ち上げた。
丸々とした張りのある球体は男の侵入を待ちわびるように震えた。
顔を大きなクッションに埋め、広がった髪は黄金に波打ちその上からシーツを掴む指に力が篭った。
まるで、幼い子どもがお仕置きを受ける時のように差し出された尻を、
男が掌で滑々と撫でると履いていたスリッパで打った。
「ううっ……はっ…あぁっっ」
叩かれるたび夫人の声は潤いを帯びて聞いているメアリーは固唾を飲んで見守った。
見る間に腫れて桜色に染まった肉を男が両手で押し開き、濡れた肉の裂け目を露にした。
「お願……いぁっ」
夫人の言葉を待たず、男はそそり立つ凶器を挿し込んだ。
肉と肉のぶつかり合う音と男と女の荒い息使いに混ざり、粘り気のある音もメアリーの耳にはっきりと聞こえた。
メアリーはもう見ることも無いと判断し、自分の部屋に引っ込んだ。
しかしベッドに寝転んで考えても、あの華奢な「奥様」の何処にあの男の身体の部分が入っていったのかが不思議だった。
指で自分の身体を目星をつけまさぐるとぐっしょりと粘り気のある液体に濡れていた。
メアリーは肘掛から降りると横になり、「奥様」がしていたように腰を動かし、男の代わりにクッションを押し付けた。
汗ばんだ額に乱れた髪が貼り付く。
うわ言のように「奥様、奥様……」と呟いた。あの行為中、男が言っていたように。
メアリーはたった独りで、快楽に支配される側とする側の喜びを求めた。
「はっ…っ…あっ…」
身体の感覚は高ぶっても、もどかしさが付きまとう。
誰も居ない淋しさ。
誰もメアリーを望まなかった。愛情を受けずに育ったメアリーは淋しさなんて知らないと思っていた。
わたしを見て、わたしに触って、愛して。
叶わない望みなら願わない方がましだと思っていた。
中々訪れない絶頂感に泣きたい様な苛立たしさを感じた。
下半身を力一杯締め付け、クッションを押し付け仰け反る。
とうとう、はけ口を見つけたような感覚の波がメアリーを呑みこんだ。
「ふあぁっ…」
その波に呑みこまれながらメアリーは必死にもがいた。
母のように綺麗になりたい、母のような綺麗な人に愛されたい。
右手で身体の中心を擦りながら、太腿に挟んでいたクッションを胸に力一杯抱きしめた。
古くて硬くなったクッションは埃っぽい臭いがした。
「ああぁ…………」
身体が痙攣したように反り返り、左手の象を強く握り締めるとそのままぐったりと力尽きた。
暫くそのままで息を調え、そっと目を開けると、自分の姿が鏡台に映った。
雨は止み、窓から射し込む斜めの光に照らされた室内はほんのり明るい。
立ち上った埃が日差しをくっきりと見せた。
薄く曇った鏡の中から微笑が見える。
その顔は遠くから眺める「奥様」そっくりだった。
たまらない淋しさを感じた。
靴音が薄暗い廊下に響き、ひょろりとした黒影がメアリーのいる部屋に近付いた。
ドアノブが静かに回されると怯えたような顔の館の当主が入ってきた。
彼は長い事、自分の妻の使っていた部屋に近寄れなかった。
その部屋を覗いた時、妻が居ないのを確認するのが怖かった。
屋敷からも逃げ出すほど過去の亡霊に悩まされていた。
愛していなければこんなにも辛くは無かったのに。
対象を失った感情は、彼を長い時間苦しめ続けた。
しかし心の片一方で怯えながらも、妻の居た証、面影を求めていた。
息子のコリンにはその面影が見て取れる。
顔立ちもそっくりだった。
勿論、コリンが逞しく成長し、良い方向へと向かう事を望んだ。
しかし自分だけ、たった独り過去に囚われ置いて行かれる寂しさを感ぜずには居られなかった。
部屋に入ると生前、妻が使っていた家具がじっと佇んでいる。
息苦しい思いを追いやり、よく二人で並んで座った寄木の美しいテーブルに近寄った。
刺繍をしてあるビロードの覆いの上から椅子に腰掛けると肘をついた。
目を瞑れば、妻が目の前に座ってるような気がした。
独りきりの自分を確かめるのが怖くて、彼は長い事頬杖をついて目を閉じていた。
目を開けるか、開けまいか思いは乱れ眉根を寄せた。
コトリ、突然部屋の中で思いもかけない音がした。
彼は跳ね上がる心臓を抑えその音聞こえる方へと恐る恐る振り返った。
見ると戸棚の扉は開き、どっしりとしたソファの覆いが半分落ちている。
「リリアス?」
小声で囁いてみても反応が無い。
それ以上物を言おうにも舌が縺れる。
そっと近寄るとソファの端に小さな脚がだらりと垂れ下がっているのが見える。
その下には小さい靴が転がっていた。
大きなソファの後ろから覗き込むと、そこにメアリーの無邪気な寝顔があった。
「君、だったのか……」
眠る少女を見たときクレイヴン氏の心は乱れた。
正面に回り、乱れた髪を撫で付けると震える指で胸の解けたリボンを弄った。
しかし、子どもの扱いに慣れていない彼には結いなおす事が出来ない。
途方にくれて小さな顔を両手で包み、ふっくらし始めた頬を撫でた。
指先があどけない唇に触れる。
しっとりとした薄い皮膚に瑞々しさを湛えた唇からは穏やかな寝息が漏れている。
その安らかな眠りを邪魔しないようにそっと唇を合わせた。
一瞬、そのキスが大人と子どものではなく、男と女のものに変わりそうで彼は慌てて唇を離した。
顔を離すと寝顔の上に薄っすら微笑みが見えた。
もう一度、メアリーの唇に指を伸ばす。その柔かさを確かめるように。
小さな手がずっと握り締められているのに気付いた彼がそっと指を開くと、中から汗ばんだ象牙の象が出てきた。
メアリーは眠りから覚めると自分のベッドに居た。
ぼんやりと胸元のリボンにふれると不恰好に結ばれていた。
ベッドを降りようとすると何故か左足の靴が見当たらない。
裸足のまま窓際に寄ると、雨上がりの西日で荒野が輝いている。
太陽は部屋の窓からも射しこみ、サイドテーブルに立つ象もオレンジに染めた。
美しい景色を眺めているとマーサが夕食を持って部屋に入ってくる気配がした。
メアリーは象を引き出しにしまった。