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小笠原君子  
俺の妹。  
 
 
横断歩道の信号が、青になる。  
駅に向かう道は、まだ赤のままのようだ。  
 
「お〜い、君子ぉ!」  
横断歩道を半分くらい渡ったところで君子だと確信した俺は、声をかける。  
「あれ〜、お兄ちゃん」  
振り返った君子が俺と一緒にいた人間を認識して、目を白黒させる。  
「……と沢田さんと中里さんと波多野さんと安藤さん、こんにちは」  
小さな会釈を返す中里さんと安藤。  
沢田さんは小さく、波多野はそれより大きく手を挙げた。  
 
「ん、なんでお前、こんなところにいるんだ?」  
「香坂先輩を迎えに行くんだよ」  
 
香坂麻衣子。  
家庭部で君子と一番仲が良かった先輩だ。  
 
 
その時既に青葉台の卒業式は終わっていたのだけど、  
それから二日に一回くらいは、君子は香坂先輩と会っていた。  
二人とも、新しい旅立ちを前にして  
その不安や緊張を共有できる仲間がいることが心強いんだろう、と思う。  
香坂さんにそういう人並みの不安とか緊張とかがあるのか  
俺にはちょっとわからないのだが  
君子曰く「人一倍そういうのが強い人」らしい。  
 
 
君子は昔からそういった人情の機微とかにいやに敏感なところがあって  
俺は君子のそういう鋭さにいつも舌を巻いていた。  
その敏感さは俺に流れていない血のせいではないか、なんて  
俺には冷静には考えられない疑問が鎌首をもたげることもあった。  
 
 
俺と君子は、血が繋がっていないのかもしれない。  
君子が単に年子なだけでなく、誕生日が九月とわかると  
小学校の先生やら友達のお母さんやらが  
何処か腑に落ちない表情になるのを  
小さな頃から見続けてきたのだから  
如何に鈍感な俺でも、何処かがおかしいことはわかってた。  
 
小学4年の保健の授業で妊娠の期間を習った時、  
君子と俺が普通の兄妹ではおかしいってことをはじめて本格的に悟った。  
 
 
俺がうちの子じゃないのか  
 
それとも君子がうちの子じゃないのか  
 
 
二人とも父さんの子、という線は幼すぎて考えられなかったから  
俺は、俺こそが父さんと母さんの子供だって思いこもうとして  
家に帰るなり怖い顔を作って、君子に  
「お前はうちの子じゃないんだぞ」って言った。  
 
突然そんなこと言われて、意味も分からずきょとんとしてる君子に  
「君子はもらわれっ子なんだぞ。  
だからお兄ちゃんは、君子のお兄ちゃんじゃないんだぞ」  
って言ったら、君子は大きな声で泣き出して。  
 
あんなに泣きやまない君子ははじめてで  
だいたい君子を泣かせたこと自体あまりに久しぶりで  
すぐにどちらがうちの子か、って敵愾心は後悔に変わって  
それに、  
今は俺の言葉を信じて君子が泣いてるけれど  
 
本当のもらわれっ子は俺で、  
俺こそが今ここで泣いているべきなのかもしれないから。  
 
君子が受けたショックは、俺が受けるべきものなのかもしれないから。  
 
 
気がついた時は君子の背中を抱きしめて、俺は涙を流してた。  
君子は俺の胸に顔を埋め、俺の腰を抱えるようにして、まだ泣いていた。  
 
 
その日、わかったことは  
血縁ってのはただその機会を与えてくれるだけで  
家族ってのはそれとは根本的に関係なく成立してるってこと。  
 
家族ってのが個人の婚姻をベースにしたものである現在  
そもそも家族以外の人間との出会いが家族の始まりなのであるから  
血が繋がってなかったとしても  
 
俺と父さん母さんが  
 
君子と父さん母さんが  
 
 
 
俺と君子が  
 
 
家族として「ある」ことは出来るのではないか、ってこと。  
そんな風に言葉に出来るまでには、  
本当はもう少し時間がかかっているのだけれど。  
 
 
どちらが母さんと本当に血が繋がってるのか  
やっぱりそれが気にかからないわけでもなかったけど  
父さんと母さんだけでなく  
 
気がつけば、俺の周りは、爺さん婆さんに至るまで  
俺にも君子にも公平に優しかった。  
 
 
「こんなに豊かな愛情に囲まれているのだから  
 少々のことには目を瞑ろう。  
 血が繋がっていないことで不利益があるわけではないみたいだし」  
 
初めは建前だったことが  
何時の間にか本音になっていた。  
 
誰かにこんなこと言われたとしたら  
俺はもしかしたら意地でも認めなかったかもしれないけれど  
自分が一人でいるときにそう思ってしまったのなら、  
後はもう素直に受け入れるしかない。  
 
 
 
その夜は二人で手を繋いで寝た。  
血が繋がっていないけれど、俺たちにはたしかに絆があった。  
 
 
 
次の日からしばらくは  
「お兄ちゃん」と言われる度に何処か照れくさくて  
もしも親が再婚して、血の繋がっていない妹が出来て  
その子に「お兄ちゃん」と言われることになったら  
こんな気持ちなんだろうか、と思った。  
 
自分の子供じゃなくても「息子」とか「娘」と言える父、母。  
血が繋がってないないのに「お兄ちゃん」と抵抗なく言える君子。  
父さんと母さんの子供は、やっぱり君子なんだろうなぁ。  
 
我ながら、つまらない要因でものを言っていると思うけど、  
父さんや母さんと君子との間でそんなつまらない共通点を見出す度に  
俺は無性に寂しくなったり妙に気持ちがささくれだったりした。  
 
 
外見はというと、不思議なことに、俺と君子が一番似てるくらいだった。  
じゃあ血液型はというと、父さんと母さんがA型とB型、それもご丁寧に  
それぞれ爺さんがO型だったらしいんで、何型が出てきてもおかしくない。  
 
 
 
君子と一緒に、駅まで歩いてきた。  
駅を通らなくてもボーリング場には行けたのだけれど  
別にたいした時間のロスじゃない。  
むしろこっちの方が道なりだ、とも言える。  
 
 
改札前の広場の端で君子と波多野たちが喋りに興じてる中  
何となく置いてきぼりになった俺は、  
改札を通り抜けて人捜し顔の香坂さんを見つけた。  
 
集団を離れ、香坂さんに近づく。  
「こんにちは、香坂さん」  
「あら、君子ちゃんの、お兄さん。  
奇遇ねぇ〜、これから君子ちゃんと会おうと思ってたのよ」  
 
ほんと、相変わらずな人だな。  
 
「奇遇ってわけでもありませんよ、ほら」  
俺は左手で君子のいる方角を示す。  
少し目で追いかけて、あぁ、と納得顔の香坂さんは  
「君子ちゃんは、何やらお取り込み中みたいねぇ」  
「いや、そんなことないですよ」  
 
俺と香坂さんは、君子たちの集団に向かって歩く。  
「ところで、もう準備は出来たの?」  
「え、何のですか?」  
 
「ん?お引っ越しのことよ」  
「んあっ!!香坂さん、そのことはっ!!」  
俺は動転した。  
「あっ……そういえば、秘密だったのよね」  
口元に人差し指を立てて、「秘密」を強調する香坂さん。  
 
 
香坂麻衣子は、君子がただ一人、転校することを打ち明けている人間でもある。  
 
香坂さんが第一志望の大学に合格したのは三月十日だった。  
その日の夜、香坂先輩にしてはまともな時間に電話がかかってきて  
「やっと受かったわよ」  
なんて言うから、君子も電話口ですごく喜んでた。  
 
随分心配してたものな、君子。  
香坂先輩が滑り止めの私立落ちちゃった、とか  
そういう情報は俺にまで逐一伝わってきてたし。  
 
なんだか気が緩んだのか  
君子は香坂先輩に引っ越しのことを洗いざらい喋ってしまったらしい。  
 
ま、もう卒業しちゃった香坂先輩なら仕方ないか、とは思ったものの  
他の人もいるってのにこんなこと言われると……。  
幸い、誰も気づいていないようでホッとする。  
 
それにしても、これ以上香坂さんと一緒にいたら  
今度こそ引っ越しの件、ばれてしまうかもしれんなぁ。  
 
俺は内心冷や汗をかきながら  
「そろそろ行くぞ」  
と、俺に背中を向けてた波多野に耳打ちする。  
 
「おっ、わかったわかった」  
ちょうど会話の切れ目だったようだ。  
波多野が  
「うんと、それじゃあ、またね」  
 
「うん、波多野さん、沢田さん、中里さん、安藤さん、お兄ちゃん、またね」  
香坂さんも、ぺこっと頭を下げた。  
 
「それじゃあ」  
「またね」  
 
君子と香坂さんは本当に幸せそうな笑みを交わし合いながら、  
俺たちとは逆方向の人混みの中に消えていった。  
きっとこれからまた、妖しい色彩の創作料理などをうちで作るのだろう。  
 
俺たちの集団も、目的地に向かって動き出す。  
 
……火事だけは、気をつけろよ、君子。  
それと、ガス漏れも、だな。  
 

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