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わたしが、この恋に気づいたのは、たぶん、小学校のころ。
そして、これが、まだ、初恋の途中……
あのひとが転校するって聞いたのはおとついの晩。お母さんが彼のお母さんから聞いてきた。
でも彼は、何も話してくれない。学校でも、いつもと同じように振舞ってる。ううん、そうしようとしているのが、わたしにはわかる。
わたしは今、彼の家の前。同じ団地、何度も開けたドアの前。なのに、とても緊張している。
ピンポーン
震える指でチャイムを押す。うまくしゃべれるだろうか。ちゃんと笑えるだろうか。でも、聞いてもいいのだろうか……
覚悟してきたつもりなのに、考えがまとまらない。
「はーい。あ、かすみちゃん? どうしたの? 今日、日曜日だよね?」
ドアをあけた君ちゃんがきょとんとした顔で尋ねる。まだ考えはまとまらなくて、とりあえず笑顔を作ってみる。
「えっと…… いない……かな」
小さなころから知っているからできる会話。こんな台詞も、たぶんもうあと少ししかできない。
「え、お兄ちゃん出かけちゃったよ〜 あ、また約束破ったんだ。もうしょうがないな」
そんな返事に、正直ほっとしている。まだ聞かなくてもいいんだなんてこころのどこかが思っている。
「ううん、ちがうの。急にきちゃたから……」
君ちゃんからじゃなくて、やっぱり、彼から聞きたいから、転校のことは聞かないことにする。
「よかったらあがってってよ。ひとりで留守番してて暇だったんだ。」
君ちゃんも、"いつもどうり"をがんばって演じているんだろうか…… うなずきながら心の隅で思う。
「紅茶入れるね。わたしの部屋で待っててよ。」
勝手知ったる他人の家。同じ団地だから部屋の形もほとんど同じ。そしてなにより、この家には思い出がいっぱい。
彼の部屋の前で、一瞬立ち止まる。しっかり閉めてなくて、ちょっとだけ部屋の中が見える。すこし乱雑なその部屋は、わたしが知ってる唯一のオトコノコの部屋。
「かすみちゃん、そっちはお兄ちゃんの部屋だよ。」
お盆に紅茶とお菓子をのせた君ちゃんがまたきょとんとした顔で見ている。
「えへへ、なんか、懐かしくって」
「そうだね、昔は良くこの部屋で遊んだよね」
そっとそのドアを押してみる。ここも思い出がいっぱい。
紅茶、お菓子、たわいも無いおしゃべり、幸せな時間。不意に泣きそうになって、息をとめてこらえる。
「かすみちゃん?」
いぶかしげな君ちゃんの顔に、慌てて話題をかえる。
「そうだ、君ちゃんはすきな人とかいないの?」
君ちゃんが飲みかけていた紅茶にむせてケホケホとせきをする。
「どうしたの急に? ……ひょっとして、かすみちゃん、まだお兄ちゃんのコト好きなの?」
多分わたしは耳の先まで一瞬で赤くなったと思う。あの人によく似た顔でそんなことを言われると、まるで告白でもされてるみたいだった。
「かすみちゃんが"お姉さん"になったらそれはうれしいけど、かすみちゃんかわいいんだし、なにもお兄ちゃんじゃなくても…… そうだ、ちょっとまってて」
……
「じゃん。おにいちゃんのベッドの下のコレクションです。」
君ちゃんが数冊の本を手に戻ってきた。
「これなんて、かすみちゃんにそっくりだと思わない?」
たぶん、わたしのあたまから湯気が出てるのが、君ちゃんはわかると思う。
「うわー "わたしは、一生、あなたのペットです"だって〜 ちょっと危ない趣味はいってるよね〜」
指差されるままに目で追った台詞が脳裏に焼きつく。
〜〜〜ゾク〜〜〜
わたしの中でなにかが、ざわめく。腰骨の内側、体の一番深いところに、何かがうごめく感じがする。
もう一度頭の中でその台詞を反芻する。
”ワタシハ、イッショウ、アナタノぺっとデス”
ざわめきが骨髄の内側を這い登り、脳に達する。そのまま内側から脳全体を黒く染めていく。
やっと、なにかがわかったような気がした。
玄関のドアが開く音がする。
「ただいま」
彼が帰ってきた。廊下を足音が近づいてくる。君ちゃんが慌てて布団の陰に本を隠している。
彼の部屋のドアが閉まる音がした。
わたしは、静かに立ち上がる。君ちゃんがほけっとした目でわたしを見ている。
なにかが頭の中に渦巻いていて、それがわたしを支配している。
君ちゃんの部屋を出る。この一歩を踏み出せば、きっともう戻れなくなることがわかっている。
なに熱いものがスカートの下で太ももをぬらしている。
彼の部屋のドアを開ける。彼が驚いて振り向いた。
それから、えっと、どうするんだったっけ……
「ごめんね…… ごめんね…… もう、戻れないの……」
そう、マンガの中の彼女はスカートを持ち上げていたっけ……
「わ、わたしは、一生、あ、あなたの……」
−END−