「まただ……」  
 
お兄ちゃんの部屋から聞こえる声。  
初めてそれに気付いたのは中3のときだった。  
お兄ちゃんの部屋の前を通りかかったら中から声がした。  
あたしの部屋では聞こえない。お兄ちゃんの部屋の前に静かに立っていると聞こえる声。  
 
最初は具合が悪いのかと思った。  
お腹でも痛いの?そう聞こうとしたら  
『のぞみ……』  
(のぞみお姉ちゃんがいるの?)  
ううん、そんなわけがない。  
 
気になった。  
でも入っていける雰囲気じゃない。  
お兄ちゃん何してるの?  
『うっっっ!』  
声がおさまる。ティッシュを抜く音。ガサゴソと音がして静かになった。  
 
部屋の中で何が起きたのか、そのときの私には想像もできなかった。  
でも今なら分かる。  
(お兄ちゃん、またオナニーしてるのね)  
 
あたしも中学3年になっていた。  
エッチなことには興味がある。もしかしたら他の誰よりも関心を持っているかもしれない。  
女の子向けの雑誌でたまに特集される『彼を歓ばせるテクニック』とか『男の子の体の仕組み』は何度も読み返した。  
男の人がエッチなことを考えて自分でスッキリさせることだって知っている。  
でもまさか、うちのお兄ちゃんが……。  
子供のときからずっと一緒。4年生までお風呂も一緒に入ってた。  
お互いの体の違いが気になり、いじったり見せ合ったりもした。  
お兄ちゃんも男だとは頭では分かっているが、そんなこと意識したこともなかった。  
(お兄ちゃんもオナニーするの?)  
 
こんなこと友達には聞けない。お兄ちゃんに直接聞くことなんかもっとできない。  
それから何度かお兄ちゃんの部屋の前で気配を探ろうとした。  
でも声も音もしなかった。  
やっぱり勘違いだったのかな?  
 
部屋で勉強をしていたら、私の辞書には載っていない言葉が出てきた。  
私が言うのもなんだけど、お兄ちゃんは頭がいい。  
でも勉強を教えてもらおうと思っても普段はめったに教えてくれない。  
ほんとに困ったときは助けてくれるけど、いつもは『自分で調べろ』でおしまい。  
今日もダメだろうな……。  
 
「お兄ちゃーん、いるー?」  
返事がない。いないのかな?さっきはいたはずなのに。  
そういえばお母さんがお風呂に入れって言ってた気がする。  
ガチャ。  
「お兄ちゃーん……」  
いない。お風呂に入ってるんだ。  
まあいい、ちょっと借りてすぐに返そう。辞書は本棚か机の上だよね。  
 
(あれ?これ何のにおい?)  
部屋に入ったときからなんとなく気になっていたが、かいだことのないにおいがする。  
机に近づくと、漂白剤に似たちょっと刺激的な匂いが強くなった。  
どうやらその匂いはくずかごからするみたいだ。  
(これ?)  
中はティッシュが捨ててあるだけで、他には何もない。  
これがにおうの?  
(まさか、これって精子?)  
 
お兄ちゃんもオナニーするの?  
ううん、高校生の男の子がしないわけはない。きっとしてる。  
でも実感が湧かない。  
エッチなことにはとっても興味がある。確かめたい。でも……。  
くずかごからソレを拾う。  
ドキドキする。手が震える。  
そっと広げる。  
ドロッとした液体が包まれていた。  
(粘度の高い液体)  
雑誌で読んでいた知識が頭に浮かんだ。  
(栗の花のような匂い)  
栗の花なんていわれてもそれがどんなにおいなのか知らない。  
(白く濁っている)  
目の前のものも白い……。  
今までは抽象的過ぎた文章が、具体的に理解できた。  
 
心臓が破裂しそうなぐらい脈打っている。  
もうやめよう。頭の中で私の声がする。  
ちゃんと確かめろ。もう一つの声もする。  
……あたしは鼻を近づけた。  
(これ、精子だ。お兄ちゃんはオナニーしている!)  
お兄ちゃんに男を意識した。  
 
お兄ちゃんのオトコを染み込ませたティッシュを元に戻す。  
どうしよう……。  
体が痙攣する。足に力が入らない。ちゃんと歩けない。  
長い時間をかけて部屋に戻った。  
ベッドに横になると、あたしは自分の体を抱いたままガクガクと震えつづけた。  
 
ずいぶん時間が経って、やっと少し落ち着く。  
(お兄ちゃんの秘密を知ってしまった)  
罪悪感。  
ケンカもするけど、あたしはお兄ちゃんが好き。  
明日からどうしよう……。お兄ちゃんの顔を見る自信がない。  
あっ、辞書借りてくるの忘れた。  
今日はあきらめよう。明日学校で誰かに聞こう。  
お兄ちゃん……。  
 
 
お兄ちゃんはいつもと全然変わらなかった。  
あたしに対しても、のぞみお姉ちゃんに対してもそう。  
無頓着で鈍感で一言多くて行動がガキで。ほんとにバカみたい。  
だからこそ気が晴れた。  
よかった。  
あたしが意識することはない。男の子ならみんなやってることだもんね。  
知らない振りしてあげよ。お兄ちゃん傷つけたくないから。  
あたしはいつもどおりに接していけるようになった。  
 
そうなったらなったで、あたしの興味が増してきた。  
男の人はどうやってオナニーするの?  
あたしは注意してお兄ちゃんの部屋の様子をうかがった。  
その場面に出っくわすのだけはお互いに避けたい。  
用事があるときはそのタイミングをはずして部屋に行かなくてはならない。  
自然とお兄ちゃんがいつオナニーするかがつかめてきた。  
そして、その対象がのぞみお姉ちゃんオンリーなことも知った。  
 
のぞみお姉ちゃんはお兄ちゃんのことどう思ってるのかな?  
まぁ、お兄ちゃんの片思いだろうな。デリカシーないし。  
でも、いくら相手にされないからってのぞみお姉ちゃん襲わないでよね。  
あたしの大好きなのぞみお姉ちゃん、不幸にはさせないわよ!  
 

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