クーラーのきいた図書室から出ると、廊下はむっとしていた。  
 校門前の道路のアスファルトは、影が長く延びるこの時間になってもまだ熱気を放っているような気がする。  
「あ、ねぇ、いっしょにかえらない?」  
 校門を出てすぐのところでフルートケースを抱えたかすみが待っていたのか偶然なのか声をかけてくる。  
「そうだな」  
 ふと空を見上げると、茜色の空に一番星が輝いていた。  
 たわいない会話。かすみとおれにはごくあたりまえの時間。  
 なにがあるわけでもなく、このまま10年でも過ぎてしまいそうな感覚。  
「そうだ、ちょっとスーパーに寄っていっていい?」  
 半歩後ろのかすみを振り返ると、にっこりと微笑んでいる。  
「それは、つまり、荷物を持ってという意味か?」  
 おれのセリフにかすみが何もいわず、『だめ』とでも言うように小さく首をかしげる。  
「シチューがいいな」  
 かすみが半歩の距離をつめて俺の腕を取ってうんと小さく微笑んだ。  
 ……  
 一つ持つからというかすみを抑えて、スーパーの袋を両手に下げる。  
 かわりにほとんど空のカバンをかすみに預ける。  
「今日はかすみが料理当番なのか」  
 ごめんねとあやまるかすみの気をそらすように話を振ってみる。  
「ううん、今日お母さん遅くなるって言ってたから」  
 じゃぁ、いっしょに食べていこうかなというといいよとかすみが笑う。  
「あれ? ここって喫茶店じゃなかったかな」  
 かすみが指したのはオレンジや緑のカラフルな外観に塗り替えられた店だった。  
「ホントだ。いつのまにこんなところに百円ショップが。ちょっと見てくか。」  
 でも荷物おもいんじゃというかすみの背中を押すように店に入る。  
 こんなのまであるんだといいながら店をぐるりとまわる。  
「そうだ、そろそろプールの授業があるし、めんぼうでも買っていくかな」  
 両手のふさがったおれのかわりに取ってもらおうと、かすみに声をかけようとすると、なにやら真剣そうな目で棚を見つめている。  
 
「うん?どうした、かすみ。」  
 ひゃぁなんて声をあげるかすみがみていたのはマッサージ器だった。  
「え、ううん、吹奏楽部のセンパイが、これが、その……」  
 かすみがなにやら口篭もる。  
「ホルンとか肩こりそうだもんな」  
「う、うん、そう。そうなの。フルートも気がつくと力はいっちゃって、たいへん」  
 あわてた顔で言葉を取り繕うのも良くわからない。  
「よし、晩飯の後で、俺のフィンガーテクニックを披露してやろう。」  
「ちょ、ちょっと、そんな大きな声で……」  
「うん? 君子をあそこまで仕込んだのは俺だぞ?」  
「う〜ん、もう、しらない。これ買ってくから。」  
 妙に顔を赤くしたかすみがそのマッサージ器を手にとって歩き出す。その背中に、めんぼうも一緒にとあわてて声をかけた。  
 ……  
「ごちそうさまでした」  
「おそまつさま」  
 食器を片付けるかすみの背中をみながら、百円ショップの戦利品をあさる。  
 勝手知ったる他人の家、居間の引出しから電池を取り出してきてセットする。  
 ぶぶぶぶ  
「お、これは、なかなか……」  
 自分の肩に当ててみると、おもったより効く。  
「百円もなかなかあなどれんな」  
 ぶぶぶぶ ぶぶぶぶ ぶぶぶぶ  
 ひとしきり堪能したところで、ずるいといいながら後片付けを済ませたかすみがやってきた。  
 タイミングよく鳴り出した電話にかすみをおいやり、今度は背中から腰にかけてを『ぶぶぶぶ』する。  
「電話なんだって?」  
 電話から戻ってきたかすみの手からマッサージ器を守りつつ、聞いてみると、おじさんも遅くなるということだった。  
「ん、もう、いじわる。」  
 わかったわかったとかすみをソファーに座らせると、後ろに回り、首筋のツボにそれを押し当てる。  
「ひゃん」  
 かすみが変な声をあげる。  
「どうだ、なかなかだろう。」  
 くすぐったいのかちょっと身をくねらせる肩をおさえつけ、首筋から肩、背中とそれを這わせる。  
 
「く、なんかくやしい。よし、俺のフィンガーテクニックと、このマッサージ器、勝負だ。」  
 マッサージ器で左肩を、自分の右手で右肩をマッサージする。  
 この黄金の右手にかけて負けられない。  
 しばらくつづけると、かすみがちいさく息をつめた。  
「どうだかすみ、どっちが気持ちいい?」  
 うん、どっちもという優柔不断な返事にも、まぁかすみがいいならいいかとおもった。  
「ひゃう」  
「あ、すまん」  
 首筋をなぞっていたマッサージ器が手から滑った。  
 かすみが部屋着にしているトレーナーを滑って、腿の上に落ちる。  
びくっと動いた拍子にそれがスカートの中に入った。  
思わずそれをとろうと手を伸ばしかけてやめる。  
「か、かすみ?」  
「ん、ん」  
 その腕をかすみが両手でぎゅっと抱きしめるように自分の体に押し付けた。  
引っ張られた体が、ソファーの後ろからかすみを抱くような形になる。  
 手がスカートの上から、震えるそれに押し当てられる。  
 かすみの体が震えた。そして、力が抜けた。  
 腕をそろそろと抜こうとすると目を開け振り向いたかすみと目が合う。  
「!!」  
 ふぃっと目をそらしたかすみが立ち上がって逃げようとする。  
 思わずその手を取ると、かすみがソファの上に倒れる。  
「ごめんなさい、ごめんなさい」  
 床の上で震えるマッサージ器と、肩を振るわせるかすみを前に、何も出来ずにいた。  
 かすみをソファに座らせ、横に座って肩を抱く。おちつくまで何もいわず、じっと待つ。  
 やっと落ち着いてきたかすみのクチから、彼女らしからぬ大胆なセリフが飛び出した。  
「わ、わたし、あなたといるのに、こ、こんなので、いっちゃった。  
せ、せんぱいに、あ、あの、オンナのセンパイにからかわれて……  
 そ、その、む、胸が大きいから肩がこるんじゃないかとか、  
肩こり用のマッサージ器で、お、おな、にぃ、すると、その、ぃぃとか、その……  
 で、でも、きもちいいのは、アナタがしてくれたからで、これだからじゃなくて……」  
 
 かすみがとてもかわいいと思った。くちびるをあわせる。  
「あ、え、えっと。うれしい。ふぁーすと、きす、だね。」  
 まだ涙が乾いていない瞳でかすみが笑った。  
「あれ、2回目かな、ほら、小学校の頃『結婚の約束』した時に……」  
 忘れかけていた記憶がよみがえる。『わたしをお嫁さんにしてくれる?』なんていってたっけ。  
「じゃぁ、今日は、また、お願いしてもいいかな。」  
「それは、つまり、……」  
 おれのセリフにかすみが小さく首をかしげる。  
「わたしを、あなたのものに、してくれる?」  
 俺は何も言わず、もう一度くちびるを重ね、ぎゅっとかすみをだきしめた。  
〜END〜  
 

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