「お待たせしましたです、上条ちゃん。……ベンチなんかに寝そべって、どうかしたんですー?」
ベンチの上で力なく横たわる上条に、小萌先生が質問する。
「いや、なんて言うか精神的に打ちのめされたというか」
先刻の吹寄制理との邂逅で、メンタルなポイントをガシガシと消費したようである。
「?……まぁ上条ちゃんがよく分からない事を言うのはいつもの事ですし良いですけど」
「良くないです。何ですかその評価」
「それよりも早く起きてくださいです。姫神ちゃんが待ってますよ」
上条の批難をさらりと流して、早く起きろ、とばかりに急かす。
その小萌先生の要求に従って上体を起こしあたりを見回すが、
「あれ、姫神は?」
視界の中には見慣れた巫女さんの姿は無い。
「姫神ちゃんなら向こうですよー」
上条の問に答えて小萌先生が示した先は、婦人服売り場の中にあるフィッティングルームだった。
「……えーと」
「さ、行くですよ上条ちゃん」
状況が良く飲み込めない、といった風の上条の手をとって、小萌先生はそのフィッティングルームへと歩き出そうとする。
「え、っと。え?この行為は何故ゆえでしょうか小萌先生」
「上条ちゃんは姫神ちゃんのいろんな姿は見たくないんです?」
姫神のいろんな姿、と聞いて上条の脳裏を過ぎったのは、
『んっ。はぁっ……。もっと……感じさせて……』
『ぅむっ。……ちゅ……ちゅうぅっ。……ふふっ。いっぱい出たね』
『あっ。まっ。って……。もぅ……駄目ぇ…………』
(いやいやいや!小萌先生はそう言う意味で言ったんじゃないっての!!)
「上条ちゃん。上条ちゃーん」
小萌先生の呼びかけが耳に入り、上条は内へと向かっていた意識を外界へと向ける。
そこは既にフィッティングルームの前だった。どうやら姫神の痴態を思い返してトリップしてしまったようである。
「またぼんやりしてたですよ?疲れているんですか?」
「あーと、そうかもしれないです」
小萌先生の言葉に深く考えずに返答する。
「いやそれよりも。わたくしめがここに連れてこられた理由をご説明いただけますでしょうか」
周りの視線が気になるのか、いつもよりも幾分トーンダウンした口調で小萌先生へと質問を投げかける。
「先生さっき言ったですよね。『上条ちゃんの出番はその後なのですよー』って」
返ってきたのはついさっきも聞いた言葉だった。
「……ってそれって荷物持ちって意味じゃ無かったんですか?」
「何言ってるんですかー。最初からそういう段取りだったはずですよ?」
「いやまぁ確かに姫神に誘われた段階ではそういう事になってはいましたが今は小萌先生がいるから別にファッションとかに疎い一男子生徒の意見など取り入れる必要はないかと思うのですがっ!?」
「上条ちゃん、それ、本気で言ってるです?」
「当たり前じゃないですか」
上条の返事に小萌先生は大きな溜息を一つ零す。
「姫神ちゃんの前途は暗いですねー……」
「え?何か言いました?」
小萌先生の呟きが聞こえなかったか、上条が聞き返す。
「……何でもないですー」
上条の問いにそう返して、小萌先生はフィッティングルームのカーテンに手をやる。
「それじゃー心の準備はおーけーですか?上条ちゃん」
しかし、その問い掛けに応答をしたのは上条ではなく。
「……小萌先生。本当に。見せないと駄目?」
その敷居布一枚隔てた先で先程とは異なった装いになっているであろう姫神の方だった。
「姫神ちゃん、さっきまで結構乗り気だったじゃないですか。どうしちゃったんです?」
「それは。……何でもない。開けていいよ」
何かを言いかけたが、それを口にすることなく姫神は肯定の意を告げた。
「はいはーい、それじゃー上条ちゃん、しっかり見てくださいですー」
どこか嬉しそうに、小萌先生は掴んでいたカーテンを一気に引き開ける。
開けた視界の先に、上条は一人の少女の姿を見た。その少女とはもちろん姫神秋沙なのだが、上条には一瞬誰だか判らなかった。
灰地に茶のアーガイルセーターに赤緑系地のスカート、さらに黒のニーソックスと言う、姫神秋沙と言う少女の装いとしては新鮮味のある取り合わせだ。スカートの丈は制服よりもやや短めで、膝元がやや頼りないのかもぞもぞと動いている。
「どうですかー?上条ちゃん」
「いや、どうって言われても……そういう格好もいいと思うぜ、姫神」
じーっと観察している所に小萌先生に水を向けられて、上条は素直な感想を述べる。その感想に対し姫神は、気恥ずかしさが先に立つのか離れていても分かる位に赤面して俯いている。その手は何かに耐えるようにギュッと体の前面で握られていて――。
(ん?)
その光景に、上条は何か引っかかるものを感じた。それは言葉で表すと既視感と表すことも出来る些細な違和感。
しかし、なにに対してそう感じたのか上条が思考するよりも早く、
「はい、じゃあ次の服に着替えて下さいです姫神ちゃん」
小萌先生がカーテンを閉めてしまっていた。
結論から言うと、この場で上条が違和感の正体に気付くことは、無かった。
そこから先は、もはや小萌先生の主導の下で行われるファッションショーだった。モデル・姫神秋沙、演出・小萌先生、観客・上条当麻というかなり限定的なショーではあったが。
姫神の服装も今までの巫女姿とは一線を画したパターンで統一されているらしく、季節外れのミニスカートで出てきたときは流石の上条も驚きのあまりに硬直してしまっていた。
「さぁて、次に行くですよー」
先程からやけにノリノリの小萌先生が、何度目かのカーテンの開帳を執り行う。今度の姫神の服装は見覚えのあるカラーリングだった。白のブラウスに赤地のプリーツスカート。スカートの丈は膝下よりもやや下で、その格好はまるで。
「ほぉー。いつもの格好、洋服バージョンって感じだな」
上から下までまじまじと見ながら、上条がそう洩らす。確かにその配色はいつもの彼女の格好である所の巫女装束と同じであった。
上条の感想を受けて、またも姫神の体がピクリと反応する。最初の時は微細な反応だったそれも、ここに来るとあからさまに分かる位に姫神の体が震える。
「上条ちゃんも段々乗り気になって来たですねー」
「えぇ。どれだけここに陣取ってると思ってるんですか。もうここまで来たら人の視線なんか気にしないで開き直るですよ?」
あっはっはー、と半ばヤケになりながら上条は小萌先生にそう答える。
その時だった。
突然、姫神がその場から走り出した。
あまりの急な事態に、二人の反応が遅れる。
先に我に返ったのは上条だった。
「姫神!?」
立てかけてある衣服に紛れて見え辛くなっていく背中を追いかけるべく、自らも駆け出そうとする。そのタイミングで隣に居た小萌先生も自分を取り戻す。
「か、上条ちゃん!」
「小萌先生はここに残って店員さんに説明なりお願いします。このままだと姫神が万引き犯になっちまいますから」
「わ、わかったです」
そう言い残して、上条は姫神を追う為に走り出した。
行間 二
まず気付いたのは、彼から香ってくる匂いだった。
学校で挨拶する時。街中で出会った時。
彼の体から嗅ぎ覚えのある類の香りがすることに気付いたのが、そもそもの始まりだったと思う。
ソレがどんな種別の匂いなのかを思い出した日の夜から、あの悪夢は蘇えってきた。
その時は、彼に記憶を塗りつぶしてもらう事で振り払う事が出来た。
出来たと、その時は信じられた。
次に気付いたのも、同じく彼からの匂いだった。
今までは、自分以外にその匂いを染み込ませていたのは一人だけだったはずなのに。
今日、現れた時の彼はいつもと違う匂いをさせていた。
ソレを察した瞬間、自分の体の奥から熱が滲み出てくるのがわかった。
しかし、彼の身の回りを考えれば、いずれはそうなった事、と自分を誤魔化した。
誤魔化して、しまった。
その次は、偶然出会ったクラスメイトと話している姿だった。
恐らくここに来る前に、何がしかをしてきたはずの彼はそれでも自然体で。
その姿を見て、心の中に何かがささくれ立っていくのが感じ取れた。
彼にとって、その行為は特別な物ではないのかも知れない。そんな考えが頭をよぎっていった。
それでも、今までの彼の生活を振り返ってみれば、自分と関係を持った後もいつもと変わらなかったではないか、と。
そう、思い込んだ。
そして、小萌が推し進めたあのファッションショー。
「いつもと違う姿を見せれば、流石に上条ちゃんも意識すると思うのですよ」と言った小萌の言葉通り、彼はいつもよりも私の事を注視してくれた。
その視線は普段と同じものだったのに。
私の体はソレにさえ反応してしまった。
事がここに到って、ようやく、私は。
自分が『大丈夫』ではないと、解ってしまった。
もしかしたら、とは思っていたのだ。
本当は、前提から既に間違っていたのかもしれない、と。
何度、体を重ねても。
幾度、精を注がれても。
精神(こころ)に纏わり付く悪夢(ゆめ)は消えてはくれなかった。
それどころか。
悪夢は白昼夢となって自分の世界を塗りつぶし始めていた。
白昼夢は、感覚こそ当時のまま明確に伝えてくるが、それ以外の情報はあやふやで。
それでも唐突に襲ってくる事には変わりがなく。
だから、更に彼を求めてしまうのだ。
こうして走っている今だって(今でも)。
私のカラダは(ココロが)。
彼を求めて(欲しがって)。
私は。
駄目なのかも。
……知れない。
それなりに人のいるデパートの通路では、なかなかトップスピードでは走れない。
人の流れの中を走りなれた、それこそ例えば上条の様な経験を積んでいない姫神の足では、追跡者からは逃れられない。
事実、後続の上条は既にくっきりはっきりと姫神の背中を捉えている。
最初に付いたアドバンテージも、二人の体力差を考えればそれ程のものでもなかったようだ。
あと五歩。四歩。三歩。
ここまでくれば、少し手を伸ばしさえすれば、届く。
「姫が――」
「何をやっている上条当麻ー!!」
その瞬間、上条の体に何かがぶつかってきた。
「がはぁ!?」
それなりにスピードが乗っていた事に今日一日の運動による消耗が拍車を掛けて、上条はその衝撃が導くままにごろごろごろー、と床を転がっていく。
「ひ、姫……」
それでも去っていく姫神の方へと手を伸ばすが、先程の衝撃の原因がその前に立ち塞がる。
「貴様と言う奴は本当に……」
その人物は、先程別れた吹寄制理だった。ちなみに衝撃の正体はすれ違い様のジャンピングニーだ。
「やっぱりさっきあった時に釘を刺しておくべきだったな。まさか公衆の面前で女子を追い回すような愚行に出るとは思わなかったぞ!?」
信じてたのに!と言いながら、吹寄は上条の襟首を掴んで体を引きずり起こす。
「ちょっ、まっ、吹よっ……」
半ば首を絞められるような形になり、うまく言葉が出てこない上条。そんな上条はお構い無しに、吹寄は更に責め立てる。
「大体だ、さっき貴様は同行人がいると言ってなかったか!?そちらを放って何をしている!それともあれはその場凌ぎの方便だったのか?」
ギリギリと締め上げる吹寄の手を何とか払い、上条は事情を説明する。
「げほっ……。だから、今走っていったのがその同行人でな、しかもあれは姫神だぞ。気付かなかったのか?」
「…………私服姿をはじめて見た」
だから気付かなかった、と言いたいらしい。
「あぁ、まぁ良いけど。いや良くない。見失っちまった」
と、言って上条は走り去っていった方向に視線を向ける。
「とりあえず俺は姫神を探さなきゃならん」
そう告げてくる上条に、吹寄が協力を申し出る。
「貴様に見失わさせたのはあたしに責があるからな。手伝おう」
「そうか。なら四つ角ばかし向こうの洋服店に小萌先生が居る筈だから、そっちの方に行ってみてくれるか?俺は先に追いかけているから」
「分かった」
吹寄の申し出を受けて、上条は再び走り出した。
見失ったとは言え、ここはデパート。あのまま走っていったのならば、目撃者がいるはずだ。もしも姫神が途中で走るのを止めたとしても、途中までは追える。
そう考えた上条は、そこらの店員や客に『こういう格好の女の子を見なかったか』と聞いて回った。
そのようにして入手した目撃情報を三件ほど辿って行くと、着いた先は自動販売機やベンチ、子供向けのゲーム筐体に授乳用の個室などが用意されているレストスペースだった。
そこで上条は、体を隠すように両腕で自らを抱いて小さくなっている姫神の姿を認めた。
顔を伏せているのでその表情は読み取れないが、こうやって一つところに留まっている所を見るとある程度は気が落ち着いたのだろう。
上条はそう結論付け、最後の情報提供者であるゲームで遊んでいた小学生たちに礼を言い姫神の方へと歩み寄って声を掛けた。
「姫神」
ぴくっ、と微かに体を震わせて姫神が顔を上げる。その顔は仄かに紅く色付き、瞳は何かを訴えるように潤んでいた。
それは上条にとっては幾度も見たこともある馴染みの深い表情。
しかし何故、今そのような状態になっているのかは上条にはわからなかった。
「か。みじょう。くん」
上条の問い掛けに姫神が応じる。まるで体の震えが声にも伝播したかのように、途切れ途切れになりながら。そして言葉を搾り出したあとで、切なげに吐息を洩らした。
「どうかしたのか?急に走り出すから――」
様子がおかしいのは明らかなのだが、如何すればいいのかが分からない。とりあえず現状の打破に繋がればいいと思い、上条は姫神に話し掛けながらその小刻みに震える肩に右手を置いた。
刹那。
「……っくぅっ!うぅっ……、ふぅん!」
上条の右手が体に触れたのが呼び水となったのか、姫神の状態が急変した。びくびくと痙攣する体を押さえ込むように体勢をくの字に曲げ、声を荒げぬように口元を硬く噛み締める。
「お、おい!?姫神、大丈夫か?」
突如として変容した彼女の身を案じて、上条は両手で姫神の肩を掴み、その丸まった体を引き起こして伏せられている顔を覗き込んだ。
二人の視線がぶつかる。
それが決定打だった。
あぁ。かれがめのまえにいる。
いま。かれにふれられている。
もう。だめ。がまんできない。
覗き込んだ姫神の表情を見て、上条は驚きで動きを止めた。
ほんの数秒前。
それまでは、状況こそそぐわないものの上条が今までに見たことのある姫神秋沙の姿だった。
ほんの数秒。
たったそれだけの間で、彼女はこれまで自分に見せてきた如何なる姿よりも淫靡に、妖艶に変化したように上条には感じられた。
「姫……」
神、と。
最後まで言葉を紡ぐ事はできなかった。
それよりも早く、姫神の唇が上条の口を塞いだからだ。
上条が反応を返すよりも早く、姫神の舌が上条の咥内に侵入した。瞬く間も無く目当ての上条の舌を捉え、絡め取る。先程まで自らの体を戒めていた筈の両腕はいつの間にか上条の頭部を保持しており、離れて行かない様にかっちりとかき擁く。
突然の事態に一瞬フリーズしかけるが、積み重ねた経験からか反射的に体が動く。先手を取られたものの、積極的に侵入してきた暖かな異物への対応を始める。
刺激を受け分泌された唾液が重力の導きに従い、中腰の体勢の上条から座ったままの姫神へと流れ落ちていく。
その流れ込んでくる唾液は当然の事、僅かに零れて来る吐気さえも飲み込んで。それでも足りない、もっと欲しいと親鳥に餌をねだる雛鳥のように上条を急き立てる。
永遠に続くかとも思われた交歓だったが、流石に息が続かなくなったかどちらからともなく唇を放す。
「……っぷはぁっ。……はぁっ、はぁっ…………」
飲み切れなかった唾液で口元を濡らし、息を乱しながら物理的に感じられると錯覚するほどに熱の篭った視線で見つめてくる姫神の顔を見据えて、上条は半ば答えの分かった質問を問う。
「……落ち着いたか?」
返ってきたのは。
「……………………」
否定の意が込められた沈黙。
「ちゅっ……。っむっ。んん」
流石にあの場所であれ以上の行為をする訳にもいかなかったので、二人は場所を変えた。
「っはぁ……。やっぱり……ちがうにおい……」
変更先はすぐ傍にあった女子トイレだった。そこを選択した姫神は、逡巡する上条の背を強引に押して一番奥の個室に入り込んだ。
「んんっ。……んぐっ」
そして便座に上条を座らせてから、すでに硬度が実用レベルにまで達している陰茎をズボンから解放し、跪きながらそれを一心不乱に攻め立てている。
事が此処に到っても、上条は姫神に『何故』とは問わなかった。……漏れ聞こえてくる言葉に引っかかるものを感じないでもなかったが。
上条が姫神を問わない理由。それは。
『あの時と同じ顔をしてるからな……』
上条の言う『あの時』とは、学校で彼女を初めて抱いた時の事だ。あの時は、フラッシュバックからの恐慌で上条の事を避けたが、今回は逆に上条の事を求めてきていた。無論理由は気になるが、今は問えない。
『とりあえず、今は』
とりあえず落ち着くまではなすがままにされておこう、と言うのが今の上条の方針のようだ。それが、ある意味逃げだと言うことも自覚していたが。