「入るぞ」  
 特にノックをするでもなく、ステイル・マグヌスは目の前のドアを開けた。背後にはもう一枚の  
ドア、そして警備に立つ『必要悪の協会』メンバー。  
 ここは、完全な囚人扱いを受けない『人質』――これも、言葉としては適当ではないのだが  
――を収容するために作られた施設である。  
 食事のトレーを抱えて、拘置室と言うにはあまりに豪華な部屋に足を踏み入れる。  
 窓に入った鉄格子が、普通の部屋でないことをかろうじて主張していた。  
「まったく……。何で僕がこんなことを。おい、食事だ」  
 煙草のフィルターを噛み切りそうな表情のステイルの言葉に、ソファーにしなだれて窓の外  
を眺めていた金髪の女が言葉を返した。  
「あら? 今日はキミなんだ、煙草の坊や」  
 顔を半分こちらに向けて視線を流し、挑発するような口調で言葉を続ける。  
「ここに居っぱなしでも悪くはないわね」  
「こっちとしては迷惑だ。もっとも、総大主教の思惑もあろうから、僕たちが迷惑を被ろうと彼女  
には関係ないだろうがね」  
 苦虫を噛み潰したような表情でステイルが答える。  
 この炎の魔術師にとって気分が悪いのもむべなるかな、であろう。目の前でくつくつと含み  
笑いを浮かべているのは、『使徒十字』の件で散々苦汁をなめさせられた女魔術師、オリアナ  
=トムソンなのだから。  
 
「ねえ坊や」  
 オリアナの呼びかけに、テーブルに食事のトレイを置いていたステイルが、さらにむっとした  
表情で振り向く。  
「坊やじゃない。僕にはステイル・マグヌスという名前がちゃんとある」  
 その反応が可笑しかったのだろうか、さらにくつくつと喉の奥で小さな笑い声を立てたオリア  
ナが、立ち上がってステイルのもとへと歩み寄る。  
「悪かったわ坊や。でも、お姉さんも君の順番が回ってくるのを待ってたのよ?」  
「貴様はバカか? この前の話の件なら、僕はきっぱりと断ったはずだ。それに、ここは観光ホ  
テルじゃない。自分の言ったことが筒抜けだっていう風には考えたりはしないのか?」  
 呆れたように答えるステイルに、それでもオリアナはしなだれかかるように触れると、  
「お姉さんはここから逃げ出したい訳じゃないのよ? あの坊やにもう一度会いたいだけ。そ  
の手助けをしてくれたら、できるお礼は何でもしちゃうから、って、それだけじゃない。あ、一本、  
頂戴ね」  
 抵抗する間もなくステイルの上着に手を忍び込ませたオリアナが、その胸板をまさぐりなが  
ら煙草の箱を取り出す。取り出したソフトパッケージから、巧みに一本を咥えた。  
「おいっ、勝手に……」  
 イライラを隠せない表情で振り向いたステイルの咥え煙草に、オリアナが自ら咥えた煙草を  
接触させる。  
「火、貰うわよ」  
 
 女性の突飛な行動に慣れていないステイルである。表情は硬くとも、突然のオリアナの行動  
に顔を赤くした。  
「ふふふっ」  
 ステイルの煙草から口移しのように煙草に火を着けたオリアナは、ステイルの表情をさも可  
笑しげに眺めるとソファーに戻る。くるくると手に持った煙草を弄びながら、可笑しげな表情の  
まま溜息を付いた。  
 
「あーあ。この子が一番あの坊やへの近道だと思ったんだけどなあ。ここの中での噂通り、ス  
テイル・マグヌス君はロリコンだからお姉さんでは籠絡できないのね」  
 
 それを聞いて、ステイルがぶっ!と煙草を吹き出した。慌てて飛んでいった煙草を拾うと、振  
り向きながら明らかに動揺した表情でオリアナに話しかける。  
「だ、誰がロリコンだって? 勝手なことを言って僕を侮辱するなら、保護下にあると言ってもタ  
ダではすませない」  
「えー。ここに来る坊やたち、みんなそう言ってるんだけどなあ。どっちにしても一年交替なの  
に、禁書目録のシスターを日本人に取られて未練タラタラだって。そう言えばあの坊や、『必  
要悪の協会』とは関係なさそうだったのに、禁書目録のシスターと一緒にいるのね? まあ、  
お姉さんは彼の所属にも禁書目録にも興味はないんだけど」  
 オリアナの言葉に、ステイルは何故か(というか、むしろとても判りやすいリアクションとして)、  
ダラダラと汗を流しながら顔を引きつらせる。  
 まだ長い煙草を揉み消すと、新しい一本に火を付けた。  
「……みみみ、みんなだって? そ、そんなデマをでっち上げられて動揺する僕じゃない」  
 そのステイルのさまを見て、オリアナはさらに可笑しそうに喉を鳴らした。ステイルから取り  
上げた煙草を口に含むと、美味そうに煙を吐き出す。  
「だから、お姉さんはキミが小さい女の子が好きな――」  
「ちちち違うと言っているだろう!」  
 ステイルのリアクションに、オリアナも遂に吹き出した。お腹を抱えながら、小指で滲んだ笑  
い涙を拭う。それから、笑いすぎて苦しい、と言った表情で言葉を続けた。  
「だからそんなのは良いのよ、大事なのは『坊やが禁書目録のシスターに未練がある』って部  
分で、あなたがロリコンかどうかは――」  
「ぼぼぼ僕はロリコンでもないしあの子に未練があるわけでもない! ただ、あの男があの子  
になにかやらかしはしないかと――」  
 
「それが未練があるってことじゃない。素直じゃないのね坊やは。だからさ、お姉さんが興味あ  
るのはあの日本人の坊やだけだし、坊やは禁書目録のシスターが気になる。で、お姉さんが  
あの坊やを何とかしちゃえば禁書目録のシスターをキミが保護する、って言ってもどうにかな  
るんじゃないのってことなんだけどなあ」  
 
 聞きながら、動揺した表情を幾ばくか落ち着かせたステイルが答える。  
「上条当麻に興味がある? 貴様は、最終的にはヤツに決められたようなモノだからな。さっ  
きも言ったがここでの会話は筒抜けだと、そう考えたりはしないのか? 僕があの子をヤツか  
ら保護したいのは山々だが、上からの指令に逆らうほどバカじゃないし、貴様の上条当麻へ  
の復讐の手助けなどもってのほかだ。頭を冷やすんだな」  
 言うと、ステイルは長身を翻してドアに向かう。ドアノブを掴んで、一瞬オリアナの方に振り  
向くような素振りを見せたが、そのままドアを開くと足早に出て行った。  
「あ、坊や、今度は煙草も持ってきてよ、お姉さんマルボロよりダビドフが好みー」  
 オリアナの茶化すような言葉には応えず、ドアが閉まる。そのあとガチャガチャと音がしてい  
るのは、警備担当が外側から鍵を掛けている音だ。もちろん、魔法的な錠も施しているだろう。  
 が、オリアナとしては、もし鍵が掛かっていなくても脱走する気など無かった。  
 今までただ走り続けていたけれど、ちょっと休んでも良いかと言う気分になってしまったのだ。  
 休んで、世界を眺めてみようかと。  
 確かに、悲劇の連鎖は止むことはないし、以前求めていた『絶対の基準点』などというモノ  
が幻想に過ぎないと言うことも思い知らされた。しかし、なぜか絶望する気にはならなかった。  
「お姉さんはSだと思ってたのに。実はすっごいM? しかも、年下趣味……?」  
 独りごちる。  
 脳裏に浮かぶのは、幻想殺しの少年。  
 あの少年が壊したのは、『絶望という幻想』だったのか。脳裏に浮かぶ少年の姿を思い返し  
ながら、オリアナは灰皿に煙草を押しつけて消した。  
 
「あの坊やと一緒に見てれば、この世界も少しは希望が見えてきそうなのに。ちょっと会いた  
いだけなんだけどな、復讐、か……。やっぱ、勘違いされちゃう?」  
 笑みが、自虐的になるのが自分でも判った。  
「だってあの坊や、周り女の子だらけだし。ステイル君に一人くらい減らして欲しかっただけな  
んだけどなあ」  
 ソファーに身体を放り投げ、炎の魔術師の名前を口に出して、ようやくそのステイルが運ん  
できた食事のことを思い出した。  
「ま、まだまだあの坊やに会うチャンスはあるはずだし。せいぜいのんびりさせて貰うわよ、  
『必要悪の教会』さん?」  
 トレイの上のクロワッサンをつまみ上げて、東側の窓――日本の方角だ――を見る。  
 もちろん、ここから見えるわけではないけれど、今日もあの坊やは誰かのために走っている  
のかしら――そんなことを思いながら噛み付いたクロワッサンは、少し、甘かった。  
 

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