本当にこれで良かったのかと言えば、それは上条には判断の難しい、いや、判断の出来な  
いことだった。  
 しかし、これでひとまずは――それがどれくらいの期間なのかは判らないが――友人や、仲  
間たちが不毛な争いに巻き込まれることはないのだろう。  
 兎にも角にも、終わったのだ。  
 ……たった一つの問題を除いては。  
 
 ひとり、外に出る。風が冷たい。  
 ここが異国の地であることを、風の匂いが教えていた。不思議なもので、記憶喪失となった  
今でも、身体は生まれ育った環境を憶えているのかもしれない。  
「記憶、か……」  
 目の前の風景も、見ているようで目には入らない。  
 風景を霞ませて目の中に浮かぶ少女の姿を思って、独り言が唇から漏れる。  
「いつまでも、黙ってたらダメだよな、本当のこと、言わないと…。もう、終わったんだから――」  
 すべての発端かもしれないその右手を握りしめる。  
 瞳の中の少女。純白のその少女は、真っ白な病室で、今にも泣きそうな顔のまま、無理に笑  
顔を浮かべていた。  
 ――まるでおとぎ話のような、自らが記憶を失うまでの顛末を聞かされて、  
 まるで信じることが出来なかったその話も、  
 あの泣きそうな脆い笑顔が、それは真実だと語っていた――  
 だから、今の自分は偽りの自分かもしれない、やろうとしていることはただの自己満足、ある  
いは偽善に過ぎないのかもしれないと思いながらも、自分に対して向けられたあの瞳を――  
守ってやろうと思ったのだ。  
 
 そうしていくつもの事件に巻き込まれ、いつしかそれは『戦争』などと形容されるものになり、  
そこで自分とその少女が自ら望んだわけでもないのにキー・アイテムとして扱われ、それを乗  
り越えようともがくうちに、いつしか、自分にとってもその少女の存在が大きなものであること  
を自覚するようになっていたのだ。  
 しかし、この諍いも終わった。  
 終わりを迎えた今、少女に対する気持ちを強く自覚するからこそ、これ以上隠していてはい  
けないと上条の心が告げている。  
 それが、上条にとって最悪の結果になろうとも。  
 
 最後に壊さなければならないのは、嘘を隠し続けられるという自らの幻想――。  
 
 
「本当の事って、なに?」  
 背後からの声に、驚いて振り向いた。  
 振り向いた先には、いつの間にか隣にいるのが当たり前になっていた、そしてたった今も思  
い起こしていた――純白の修道衣を身に纏った銀髪碧眼の少女、インデックスが立っていた。  
「ここにいたんだね」  
 少女が微笑む。  
 上条も微笑み返そうとして果たせず、躊躇うように一度目を逸らして再び視線を戻した。  
「あ、ああ。考え事、してたんだ」  
 微笑んだままのインデックスの瞳を見つめ返して。  
 意を、決する。  
「騙してた、って軽蔑するなら、それでも良い。本当のことを言わないとって、考えてた」  
 息を吸い込んだ。声を出そうとして一度詰まり、言い直そうとした上条に、逆にインデックス  
が小さな声で話しかけた。  
 
「……記憶のこと、なら、わたし……、知ってたよ」  
 
「えっ…?……」  
 驚きの表情に変わるのが、上条自身にも判った。  
「それなら、どうして――」  
 相対するインデックスには、微笑んだままで、今にも泣き出しそうな綻びがその表情に浮か  
ぶ。  
「だって、とうまと一緒にいたかったから。とうまは、とうまだよ。私を止めてくれたとうまも、そ  
の後の……私の、せいで、傷ついたとうまも……とうまなんだよ」  
 上条の言おうとしていたことが何か、判っていたのだろうか。  
 その表情の綻びが少しずつ大きくなるのを止められないのだろう。インデックスもまた、無理  
やりに言葉を絞り出している風だった。  
 涙を湛え始めた瞳を揺らして、笑顔を作り直そうとする。小さな唇が、再び開いた。  
「私、言ったよ? インデックスはね、」  
 上条には判った。インデックスが、あの時と全く同じ顔をしていることを。  
 そして、何を言おうとしているのかも。  
「ダメだ、インデックス」  
 強い声で制止した。  
 その声に、インデックスが驚きの表情を向ける。  
 そして、徐々にそれが悲しげなものに変わって――  
「どうして? やっぱり、私じゃ……」  
「違うんだ、インデックス」  
 上条は、もう決してこの少女から瞳を逸らさない。  
 インデックスは知っていた。知っていて、何も憶えていない『偽物』の上条当麻と寄り添って  
いてくれた。  
 そして遂に、ここへと至るまで。  
 心の中にわだかまっていた迷いが、霧が晴れるように消えていくのが判った。  
 迷わないからこそ、今度は少女のほうから言わせてはいけないような気がしたのだ。  
「こんどは、俺が言わなくちゃ」  
 強張っていた顔の筋肉から力が抜けていく。自然な微笑みが浮かんでいると思う。声も、自  
然に出た。  
 
「上条当麻は、インデックスのことが、大好きなんだ」  
 
 え、と碧玉の瞳の少女が言葉を漏らした。  
 上条は、もう表情を作ったりとかそういったことを意識しない。  
「人の名前っぽくないけど、俺、犬とか飼ってないし。猫はいるけど、スフィンクスって言う名前  
だから。でも、インデックスって名前の娘、ひとりだけ知り合いにいるんだよ。猫の名前も、その  
娘がつけたんだけどな」  
 インデックスの胸に、『驚き』とか『泣き』とか、そのほか様々な衝動がせり上がってくる。  
 飲み込もうとして、その矢先に上条が再び言った。  
「何度でも、言える…ぞ? 照れくさくはあるけどな、上条当麻は、インデックスが、」  
 その声に、飲み込もうとした衝動がインデックスの身体を突き動かした。  
 
「とうま、とうま――大好きっ、大好きっ、大好きっ!」  
 
 感極まったのだろう、涙の粒をこぼしながらインデックスが上条の胸に飛び込んできた。飛  
び込みざまにその両腕が上条の首に巻き付く。  
「……んむっ…!」  
 飛び込むように抱きつかれ、バランスを崩して倒れ込む上条の唇をインデックスのそれが塞  
いだ。  
 瞳を閉じた少女の顔が大写しで目の中に映る。  
 そして、その少女の柔らかな唇の感触。上条も目を閉じた。  
 永遠にも思える一瞬の後、二人の唇が離れて、笑顔なのに泣きながら――前とは違う、笑っ  
ていたいのに、嬉し涙が止まらないのだ――インデックスが口を開いた。  
「私、わたし、ずっと、待ってたんだよ? とうまのこと、大好きで、それで、それで…」  
 気持ちが暖かくなる。上条も、自分に強く巻き付いた腕に負けないように少女の小さな身体  
を抱きしめた。  
「ごめんな、インデックス。でも今は、もう一回、インデックスとキスしたい」  
 その言葉に、インデックスがくしゃ、と顔を崩して笑う。  
「とうまのばか」  
 
 そうしてふたつのシルエットが、ひとつに重なった。  
 
 
 
 
・  
・・  
・・・  
〜アウトロのコーダ〜  
 
 気が付いたら、上条が姿を消していた。止められるのも聞かずに勝手に連いてきたとは言  
え、何も言わずに姿を眩ますとは。  
「……ったく、さんざ心配かけといてどこ行っちゃったのよあいつは?」  
 周囲では、一緒に戦ったなんとか式、とかいう若者たちが負傷した者の手当をしている。自  
分は幸いかすり傷程度のことで済んだが、あいつは結構怪我してたような…と思い当たって、  
御坂美琴は姿を消した上条を捜しにその場を離れた。  
「聞きたいことも、あるし……」  
 さほども探さなかったと思う。案外すぐに上条の姿を見つけた。  
 さっきまでは戦場だった、とは思えないほど場違いな庭園の奥にそのシルエットが見えた。  
絶対に見間違えない自信もある。  
「ちょっと、ア――」  
 声を掛けようとした、そのとき。  
 一人だと思っていたその影から、小柄なシルエットが離れた。  
 そう言えば、あのシスターの姿も無かったと気付く。気付いて思わず声が出る。  
「ちょっとちょっとちょっと! 怪我人が勝手に出てって、なにしてんのよ?!」  
「お?」  
 声を聞いて、上条が振り返った。  
 上条が振り返ると同時に、こちらを見た銀髪のシスターが驚いたように頬を染め、上条の陰  
に隠れる。  
「なんだ、御坂か。びっくりしたじゃねーか。…って、まあ、俺はともかく、御坂は…その様子だ  
と、怪我とか無かったみたいだな、良かったよ」  
 言って、上条が安心したような笑みを浮かべる。  
 その笑みに思わず顔が火照って、しかし今追求したいのはそんなことではない、と美琴はブ  
ンブンと首を振った。  
「そ、そうじゃなくってっ! アンタたち、勝手に出てって何してたのよ?」  
 その美琴の大きな声に、何か美琴からすれば違和感を覚える縮こまり方をしていたシスタ  
ーが、上条の背後でますます小さくなる。  
「あれ? どうしたんだインデックス……って、あ、そうか。そう言や、今の今まで紹介もしてな  
かったんだったな、インデックスと御坂は」  
 上条が、自分の後ろに恥ずかしげに隠れたシスターと美琴との間に視線を巡らせながら、一  
人納得したように言った。  
「え、いや、そうじゃなくって――」  
 言いかけた美琴の言葉は聞こえていなかったのだろうか、上条は純白の修道服の少女に  
向かって話しかけているところだった。  
「インデックス、あいつがレールガンの美琴。御坂美琴。学園都市じゃ最高の能力者の一人な  
のに、何故か俺のことを倒す! って何かと絡んでくるチューガクセーだ」  
 なっ…、と御坂美琴が息を詰まらせる。この期に及んで、上条当麻は自分が何故ここに連い  
てきたのかを理解していないのだ。  
 その紹介の仕方は何よ、と言い返そうとして、それよりも早く上条の口が動いた。  
 
「で、御坂、こいつはインデックス。イギリス清教のシスター……あー、細かいことは良いや。  
俺のカノジョ」  
 
 そう言うと、上条は優しげな表情をインデックスに向けて、その肩をそっと抱いた。  
「ちょ、とうま……」  
 肩を抱かれた純白のシスターが、さらに頬を赤く染めてもぞもぞと呟く。  
「あれ? ダメだったのか、インデックス?」  
「だ、ダメじゃないけど、は、恥ずかしいよ…」  
 美琴にすれば青天の霹靂である。  
 頭の中が呆然とするその目の前で、二人がいちゃいちゃと絡み出した。呆然となればなる  
ほど逆に視界が冴えて、上条の頬や首筋に小さな唇の跡、としか思えないような点々が目に  
入った。  
「か、カノ…ジョ? カノジョって、彼女?」  
 足下がふらふらとする。視界が霞んで、意識が薄れた。  
「おっと」  
 そのまま後ろに倒れた御坂を支えたのは、その背後から現れた身長2メートルの真っ赤な神  
父だった。倒れるのを受け止めて、さらにその背後に連いてきていた誰かに美琴の身体を預  
けた。  
「よう、ステイルじゃん。お互い無事でなにより――」  
「そんなことはどうでも良い。それよりも、さっき貴様が言っていたことなんだがな」  
 咥え煙草を噛み千切りそうな表情で現れたステイル・マグヌスが、上条当麻に詰問口調で  
言葉を掛ける。  
「さっき? んん? ……ああー、」  
 ステイルの表情が見えているのかいないのか、上条は考え込むような様子を見せた後、イ  
ンデックスをちらりと見て答えた。  
「なんだよ。聞いてたのか。そう言うことでさ、インデックスとはお互い同意で恋人することに―  
―」  
 上条の言葉が終わるまえに、煙草を噛み千切ったステイルが駆け出した。  
「ゆ、許さん、他の何が許しても、僕は絶対に許さん!」  
 炎剣が飛び出す。  
「おわっ!!」  
 我を失ったステイルの表情と行為に驚いた上条が悲鳴を上げる。ステイルの背後では、数  
人の少女が声を上げていた。  
「ス、ステイル! あなたはともかく上条当麻を……」  
「ぶっ、ブラザー・ステイル! 上条さん、怪我させたら許さねえっすよ!」  
 ステイルが現れたときに連いてきていたのだろうか、神裂火織やアニェーゼ=サンクティス、  
その他にも幾人かの少女が口々に叫び出す。  
「あらあら。みなさん判ってらっしゃったのに、かすめ取る気満々でございますね?」  
 そんなことをさらりと言って見せたのはオルソラ=アクィナスである。  
 その言葉が聞こえていたのだろう、ステイルの突然の狂態に驚いていたインデックスが、上  
条の陰から拳を振り上げて叫び返した。  
「こっ、こらー! とうまは私のなんだからー! そんなこと言って、ゆ、許さないんだよっ!!」  
 インデックスの台詞に、駆け寄るステイルがさらに表情を歪める。  
「こっ殺す! 絶対に殺す! 僕は貴様を許さない! 死ね上条当麻!」  
 結局はバタバタで終わるのか――でも、いつもの病院エンドはちょっとな、と思いつつ、上条  
はインデックスの手を取って走り出す。  
「ひゃ、とうまっ」  
 
「逃げるぞインデックス、今度のは愛の逃避行ッ!!」  
 
 上条当麻は自分を不幸だと思わない。  
 握りしめた幸せを、もう決して離さない。  
 笑いながら、上条当麻とインデックスは駆け出した。  
 

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