(はあ…最低…)  
美琴はその日の授業が終わると真っ直ぐ帰る気になれず特に行く当てもなく散策し、小さな公園のベンチに身体を預けていた。  
朝の夢のショックがあまりに大きくて一日中失敗ばかりだったのだ。  
授業は全く実に入らず、教師に当てられた時には教科を間違える始末だし、昼食は殆ど食べられなかったし、無意識に唇を指でなぞっていた時には恥ずかしさと自己嫌悪で死んでしまいそうになっていた。  
(何であんな夢…)  
原因となった夢。  
何故あんな夢を見たのか、それも酷く具体的な内容で今でもはっきりと覚えている。  
これではまるで普段からあの夢の内容のような事を妄想しているみたいではないか。  
(そりゃ…好き、だけどさ)  
御坂美琴は上条当麻という少年に好意を持っている、しかし当の当麻には全く相手にされていない。  
そんな状態で結婚など、何足飛びの話だと言うのだ。  
(あーもう!何で私がこんな惨めな気持ちにならなきゃいけないのよ!!っていうかあいつが全部悪いのよ!!)  
鬱はやがて苛立ちに変わり、不条理にもそれは想い人であるはずの当麻へと向けられる。  
 
そんな不器用なのが御坂美琴であり、そんな状況で偶然にも彼女と出くわしてしまうのが上条当麻という少年である。  
 
「おービリビリ、何やってんだこんなとこで」  
「何でいんのよーーーーーーーーーー!!!!!!」  
 
ドバンッッッッ!!!!!  
 
美琴の前髪から放たれた巨大な電撃の槍、彼女が学園都市の頂点の一人たる所以であり10億ボルトもの大電力を有するそれが当麻に直撃する。  
反射的に本能で突き出した彼の右手がそれを難なく無効化するが、突然の生命の危機に直面した当麻は本気で涙目である。  
「お、お、おまっ、お前いきなり何すんじゃーーーー!!! 今本当に死ぬとこでしたよ!!!?」  
というか不意打ちで襲ってきた電撃を防いだ事が奇跡である、それだけ同じ経験があるという裏づけでもあるのだが。  
「うっさい!あんたが急に出てくるからっ―――」  
理不尽な逆切れで更に雷撃が飛ぼうかとした時。  
 
突如美琴の動きが止まった。  
 
彼女の瞳に少年の仏頂面が写る。  
脳裏に浮かぶ朝の夢の光景が重なる。  
(……………あ、う?)  
言葉が出てこない、息が詰まる。  
顔全体が、頭の中が、いや全身が熱い。  
少年が不思議そうな顔をする。  
思考がうまく纏まらない。ただぐちゃぐちゃと朝の夢と目の前の光景が交互にフラッシュする。  
胸が、苦しい。  
 
「…おい大丈夫か?熱でもあるのかよ、顔真っ赤じゃねーか」  
少年が少し心配そうに、一歩、少女の方へと近づこうとしたその時。  
 
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」  
 
悲鳴にならない叫びを上げて、美琴は踵を返すと一目散に逃亡した。  
当麻は、踏み出そうとした足をそのままに呆然とそれを見送る事しかできなかった。  
 
 
気付けば走っていた。  
どこをどう走ったのかも分からない、ここが何処なのかも分からない。  
ずっと全力疾走を続けている所為で心臓ははちきれそうだし肺は空気を欲して引きつり、足は休ませろと悲鳴を上げる。  
それでも美琴は走り続けた。  
理由は分からない。  
ただ少年の顔を見ていたら頭がどうにかなりそうになってしまいそうで、いつの間にかこうして走っていた。  
自身の事だというのに訳が分からない。  
自分は、おかしくなってしまったのだろうか。  
頭がクラクラとする。  
ああ、また変な奴と思われたんだろうな、とそんな事ばかり考える。  
分からない、もう何も分からない。  
何で、何でこんなに苦しいんだろう。  
辛い、辛いよ、誰か助けて。  
誰か?誰に?  
そんなの、決まっている。  
あいつに。  
 
かつて、とても大きな壁にぶつかってどうしようもなくなり、誰か助けてくれと心の中で叫んだ事があった。  
そこに一人の少年が、何の力も無く何の関係も無いたった一人の少年が、まるで当たり前のことのように救いの手を差し伸べてくれた。  
きっと彼にとってそれは当然過ぎる事で、私が特別なんて事では決して無かったのだろうけれど。  
それでも私は本当に嬉しくて、本当に心から救われたのだ。  
そして今度もまた、助けて欲しいと願っている。他でもないその少年に。  
そこでようやく気付く。  
 
ああ。  
私は本当に。  
彼のことが好きなんだ。  
 
突然何かに後ろから引っ張られ、思わず転びそうになる。  
何事かと見てみれば誰かが後ろから手を掴んでいるのが分かった。  
(…まず、思いっきり走ってたから風紀委員にでも怪しまれたかしら)  
今は放っておいて欲しいというのに。  
黒子や初春さん等の知り合いなら面倒も無くやり過ごせるだろうか、いや今知り合いに会うのは何となく気まずい。  
グルグルとそんな考えを巡らせながら、ゆっくりと後ろを振り返る。  
 
そして自分がまた夢を見ているのかと疑った。  
 
朝のような、まるで都合のいい物語のような夢。  
だって、彼が私を追いかけてくる訳が無い。  
いつも私の事なんてスルーしてばかりで、気にもしてなくて、喧嘩を売ってくる面倒な年下の電撃娘程度くらいにしか思っていなくて。  
けれでも彼は、上条当麻はそこにいた。  
走って追いかけて来たせいか息をこれでもかとゼイゼイと荒げて、額から伝った汗が地面へと滴り落ちて、膝をぶるぶると震わせながらも、その右手で私の左手を掴んでいた。  
「…何でよ。 何で、追いかけてくるのよ」  
いつもは、追いかけても逃げるくせに。相手にもしないくせに。  
「いや、何でって、そりゃ」  
肩で息をしながらも少年は言葉を途切れ途切れに放つ。  
真っ直ぐに私の顔を見据えて、自分の方が今にも死にそうにしているくせに本当に心配そうにして。  
 
「お前、泣いてるじゃねーか」  
 
そこで、ようやく私は自分が涙を流している事に気が付いた。  
 
当麻は美琴が突然辛そうに顔を歪め、走り出したのを見てすぐにはどうすればいいか分からず動けずにいた。  
それでも少女が走り去る際に、その目尻から涙を零していたのを見逃してはいなかった。  
彼は以前、とある魔術師と彼女を守ると約束した事がある。  
けれどそれは関係なく。  
目の前で辛そうに誰かが泣いていて、それを放っておく事など当麻には出来なかった。  
だから、彼は少女を追って、何度も見失いそうになりながらも走って、何度も転びそうになりながらも走って、ようやく涙を流し続ける彼女に追いついたのだ。  
 
「何か、また問題でもあったのか?」  
少年は少女の涙を止めたいと思う。ただ彼女には笑っていて欲しいから。  
「別にそんなんじゃ、ないわよ」  
涙を流している事に気付いた少女はバツが悪そうにしながらそれを否定する。  
「そっか、それならよかった、いらない心配だったな」  
少女の平穏が乱されてない事に少しほっとしたようにする。  
だがすぐに別の可能性に気付き気まずそうに尋ねてみる。  
「もしかして…俺なにかお前にしちまったか? 何か怒ってたみたいだし」  
そう聞いたとたんビクリと少女の身体が震えた。  
それで少年はそれが正解だと察して、少し落ち込む。  
自身が鈍感らしいとうっすら自覚はあったが、ここまで少女を傷つけていたとは思わなかったのだ。  
「あー…悪い、俺何しちまったのかな。ってか追っかけてきたのも余計な事だったか? もし俺が邪魔なら、とっとと消えるけど――」  
当麻は思う。  
自分が彼女を傷付けてしまうのなら、いっそ近付かなければ、離れていればいいのではないか。  
それは酷く悲しい事だけれど彼女が笑っていられるのならそれでも―――。  
 
「違う! 違うの!」  
 
突然出た美琴の大声に今度は少年がビクリと肩を震わせた。  
 
「そうだけど、そうじゃないの」  
ボロボロと、止まりかけていた涙が再び少女の目から溢れ出す。  
 
「あんたと一緒にいると、凄く楽しいのにいつもそう言えなくて」  
時折しゃくり上げるようにして、途切れ途切れになりながらも少女は言葉を紡ぐ。  
 
「あんたの事考えると、自分が自分じゃなくなるみたいで、気付いた時にはもう、大好きになってて」  
顔を耳まで真っ赤に染めて、握られたままの左手で強く少年の右手を握り返して。  
 
「今も追ってきてくれたのが、凄く、凄く、本当に嬉しくて」  
胸の中からあふれ出す想いが止まらない。  
 
「だから、邪魔なんかじゃないから、一緒にいてよう…」  
まるで子供が駄々をこねるように、親に何かを求めるように少女は泣いていた。  
自分の中の大きな気持ちに振り回されながらも、必死にそれを伝えようとしていた。  
それを少年はただ黙って聞く。少女の告白を真剣に受け止める。  
繋がった右手から、少女の震えが伝わってくる。  
そして少しだけ無言の時間が続いた後、少年はゆっくりと口を開いた。  
 
「俺さ、お前に嫌われてると思ってたんだよ。いっつもビリビリーって喧嘩売られてたからさ」  
ゆっくりと、優しい声色で泣いている赤子をあやす様に。  
 
「だけど俺もお前と居る時がすごく楽しくてな。そりゃまあ疲れたりもするけど、それも込みでだ」  
静かに、自分の気持ちを真っ直ぐに少女へと伝える。  
真っ直ぐな少女の告白の返事に相応しい想いを。  
 
「だからお前が俺と同じ気持ちだったって知ってすげえ嬉しい、そんでもっとこれからも一緒にいたい、だから」  
少年の穏やかな笑みには決意の色。  
 
「俺と付き合ってくれませんか」  
 
そして少年は少女にシンプルで真っ直ぐな、彼らしい告白をした。  
少女は本当に驚いたような顔をして、彼の顔を見上げる。  
その目からは先ほどまでとは確かに温度の違う涙がこぼれる。  
そして少女はシンプルな告白にシンプルな返事を、最高の笑みで。  
 
「―――はいっ!」  
 

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