その日、上条当麻は一人で帰宅の途についていた。理由は、掃除当番を賭けたじゃんけんで、当然のように負けたからだった。一人で教室中を掃除するのは結構な手間で、こんな時間になってしまった。
「うう、不幸だ…てか、誰も手伝ってくんないとは、ここはいつから義理も人情もない東京砂漠になったんだと問い詰めたい!」
クラスメイト、特に青髪ピアスと土御門の顔を思い浮かべて誰にともなく愚痴る。
道には上条のほかには誰もいない。
「ま、たまにはこんな帰り道もいいか」
夕刻の涼しい風をほほに受け、夕日の光に目を細めながら、のんびり呟く。なんだかんだで、人がいいのだ。
今日の夕飯のことなどをつらつら考え、誰もいない帰り道をゆっくり歩いていく。
と、無人のはずのその視界の端に、何かが映った。
「?」
視線をそちらにやる。
「!」
一瞬だが確かに視界に映ったのは、十字教の尼僧服。
学園都市ではまずお目にかかれない服装だ。
“魔術師!?”
この夏に幾度となく魔術戦を経験している上条の体を、焦燥感が駆け抜ける。
追跡か、それとも帰宅を急ぐか。
現在の位置と、インデックスのいる寮の位置をすばやく勘案する。かなりの距離があるし、不慣れな人間には分かりにくい。それに、下手に帰宅すれば、そこに敵を誘導しないとも限らない。追跡の方が分がよさそうだ。
そうと決まれば駆け出す。同時に携帯電話を取り出し、インデックスに連絡を取る。
コール音。一、二、三、四、五。
インデックスが出た。
「はははい、こちらかみじょーですはい!」
電話口の声は、相変わらず慌てているようだ。
「今日は電話に出るのが早かったな、インデックス」
「む、その声はとうまだね。どうしたの?なんか走ってるみたいな音が聞こえるんだよ」
相手が当麻だと判ると、その声は少し落ち着きを取り戻したようだ。
「悪い、少し用事ができた!夕飯が遅れるけど勘弁な!」
答えも聞かずに電話を切る。受話器から腹ペコ少女の悲痛な叫びが聞こえてきたような気がするが気にしない。
問題の人物が曲がった道を曲がると、その先に尼僧服がゆれる。
その影を追う。
何度か道を曲がるうちに、道幅はだんだんと狭くなり、細い裏路地に入り込む。
“なんだ?わざと追跡させてる?”
その影は一定以上上条から離れない。それに、見失うことがないように必ず視界を掠めて動いている。
“まさか、誘ってるのか?”
そんな警戒心が生まれるが、それでもやめるという選択肢は無い。
何度目かの隘路を駆け抜けると、三方を建物と壁に囲まれた路地裏に出た。建物にも壁の向こうにもは人気は無い。背の低い壁から、太陽の光が差し込んできていた。
問題の人物は、当麻の視線の先に背を見せて静かにたたずんでいる。
荒い吐息と靴音で当麻が来たのを察したのか、影はゆっくりと振り返った。
その顔を見て驚く。
「な、お前、アニェーゼ・サンクティス!?」
「お久しぶりっすね、カミジョウトウマ」
例の奇妙な日本語を操り、アニェーゼ・サンクティスはロングスカートのようになった尼僧服の裾をつまみ、軽く一礼して見せた。
「名前を覚えていてくれたとは光栄です。
ああ、そんなに警戒しなくても大丈夫っすよ。やりあう気なんかこれっぽっちもありゃしませんから」
その言葉を直接信じたわけではないが、確かにアニェーゼは戦う気がないように見える。
ほう、と息を吐き、警戒のレベルを下げる。
しかし、意図を量りかね、それがかすかな緊張感を生む。
そんな当麻に苦笑して、
「ま、信用できゃしませんよね。やりあったのはつい最近だってんですから」
アニェーゼは肩をすくめる。しかしなんとなく、予想どおりの反応を引き出せた、というふうににんまりしているようにも見えた。
だから、と続け、
「確かめてください、カミジョウ。あなたの手で、私にやる気が無いってことを」
“は?ナンテイッタンデスカコノヒト”
上条の思考がフリーズする。そんな上条を尻目に、アニェーゼが動く。
パサ、と軽い音がした。その音で我に帰った当麻が見たのは、地面に落ちたフード。
空気にさらされた細い三つ編みがゆれる。
その次は喉もとのケープを外し、やはり地面に落とす。
そして、尼僧服のボタンを外し始めた。
さすがにアニェーゼが何をしようとしているのか察した上条が慌てて叫ぶ。
「ア、アニェーゼ!?分かった、お前にやる気がないのはよく分かったから…!」
叫びながらアニェーゼから目をそらそうとする上条。
「ああ、目を逸らさないで下さいよ、服の中に何も無いことも確認してもらわなきゃなりませんから」
ふざけたようなその言葉とは裏腹に、アニェーゼの表情に余裕が無い。
“下手に刺激するわけにもいかないか…だけどこりゃまずいだろ!”
アニェーゼの表情からそんな様子を読み取った上条は、結果として身動きが取れなくなってしまい。
その結果、とりあえず見ていることしか出来なくなる。
“女の子の脱衣を見てるだけ…俺はいつから変態さんになってしまったんでせう?”
ギャグを心の中でつぶやき、何とか平静を保とうとするものの、当然ながら上手くいかない。
女の子の裸ならこの夏に何度も見ているとはいえ、見慣れるほど経験豊富というわけではない。
そうこうしているうちに、アニェーゼは下着姿になっていた。白い下着が夕焼けに染まり、なんともいえない光沢を放つ。
当麻はとりあえずほっとする。さすがにこれ以上脱ぐことはないだろう、と思ったのだ。
その上で、アニェーゼがいう確認ということを考える。
“確認って、やっぱり右手で触れるんだろうな…うう、触るとなると下着の上からでも緊張しますねというか健全な男子高校生としては素肌のほうがいいというかそれはさすがに人間としてどうなのよとか…!”
混乱しつつも、なんとかその覚悟を決めていた。
しかし。
アニェーゼは躊躇することなく下着にも手をかけ、脱ぎ始める。
「な、アニェーゼ!?そのままでも充分だろうが!?」
覚悟を鮮やかに瞬殺された上条は喚く。
「無用心ですねぇ。女はどこにだって武器を隠せるんすから、きちんと隅々まで調べなきゃ安心できないでしょうが?」
そう答えながらアニェーゼはブラを外し、ショーツからゆっくり足を片方づつ引き抜いていく。まるで見せ付けるようだ。
ご丁寧に靴と靴下まで脱ぐと、アニェーゼは完全無欠の全裸になった。
必死にその裸体から目をそらそうとする上条に、からかうように告げる。
「なにをいまさら。あの時に私の裸は見てるじゃないっすか」
猛然と反論しよう首をめぐらした上条だが、アニェーゼの体を直視してしまいそうになり、慌ててその動きを止める。
凹凸の少ない体つきだが、やはりオンナノコノハダカ、というだけで上条にはインパクト大だ。
しかも、夕日がアニェーゼの身体に刻む陰影は、裸体をはるかに官能的に演出して見せていた。
頭をぶんぶんと振っては見たものの、視界に入った一瞬で脳裏に焼きついた映像は消えそうも無い。
“うわー、うわー、うわー!!”
その刺激で、頭の中の冷静な部分がどんどん欠落していく。
そんな余裕のない上条に追い討ちをかけるように、アニェーゼは歩み寄る。
そして真っ赤になった上条の顔を下から覗き込み、告げる。この上もなく魅力的な笑みと共に。
「さあ、調べてください。主に誓って、決して抵抗はしませんから」
「しししし調べるって…」
「その右手。なんだか分かりませんが、霊装や術式を破壊できるんでしょう?それで私の体に触れてくれれば良いんですよ」
とはいっても、ここで簡単に手を出すほど上条の自制心は安く無い。
「んなこと出来る訳ないだろう!」
「そう、ですか…」
しょんぼりしてうなだれるアニェーゼ。
その様子に、ふうやれやれ諦めてくれたっぽいぞ、と上条は内心胸をなでおろした。
健康な男子高校生の本音を言えば残念ではあるが、それでも流されるままに致してしまえばきっと後悔する、と確信していたから。
しかし。
「じゃあ、こっちで勝手にやっちまいますね」
アニェーゼはそう言って。上条の期待を再び吹っ飛ばした。
アニェーゼは上条の右手をとり、両手で包み込む。
そして、躊躇うことなく自分の左胸に押し付けた。
プニ
「お、あ、え!?」
右手が伝えてくる柔らかな感触に、上条は意味不明な叫びをもらす。しかし、アニェーゼの手を強引に振りほどいたりはしない。
そんな優しさに感謝し、アニェーゼは右手のぬくもりを存分に味わう。
“温かい…”
人間のぬくもりを感じたのは、本当に久しぶりなのだ。記憶も薄れかけている両親以来といってもいいかもしれない。
“ここだけじゃ、嫌ですね…”
全身に上条のぬくもりを感じるべく、アニェーゼはとった右手を全身に這わせ始める。
左胸、そして右胸。上条の指が胸の先端の突起に触れたときには、むずがゆいような感覚が走った。思わず呻くように声を上げてしまう。
「うん…」
少しだけその周囲を撫で回す。それだけで突起が硬くしこってくるのが分かった。
その感触を名残惜しく想いながら、手を下に滑らせる。
すべすべの腹部。たるみの無いそこを手のひらで擦り付けるように撫でる。
「んん…」
くすぐられるような感触に吐息を漏らす。手の届く範囲で背中も撫でる。
下腹まで上条の右手を滑らせ、今度は太股に導く。太股の前を撫で、手を巡らせて太股の裏も撫で擦った。
そして足を少し開き、内股に右手を滑らせる。
“!?”
右手の感触に上条はぎょっとする。肌の感触のほかに、ぬめる液体の感触。健全な男子高校生である上条は、その液体が何かすぐに察する。
“アニェーゼ、濡れて…?”
上条の表情に気づいたのか、アニェーゼはかすかに羞恥の笑みを浮かべ。
右手を、太股で挟み込んだ。さらに、上条の右手を挟み込んだまま腰を前後に揺らし始める。秘所には触れてはいないものの、まるで素股のようだ。
事実、アニェーゼはそこから快感を得ていた。内股を伝う雫の量が増える。
“カミジョウに、知られちまいます…”
そんな羞恥も、いまや快感を増大するスパイスにしかならない。
腰を揺らしていたのは少しの間だったが、それだけで右手はアニェーゼの漏らした雫に塗れていた。
そんな右手をアニェーゼは一旦体から離す。
「ふふ、これで体の表面は大体調べましたね」
その声で我に帰る上条。
「なあ、アニェーゼ、もうやめようぜ。お前の体に魔術がかかってたって、右手で触れたら消えちまってるんだから」
「あら、でもその効果は体内で刻んだ魔術にも有効なんですか?」
上条は返答に詰まる。否定しきれない。それに実際にそこまでは無理だ。もしそうなら、上条はインデックスに触れただけで「首輪」の術式を破壊できただろうから。
答えを返せない上条を見て、
「体内に刻む術式だってあります。だから、体の中も調べなきゃいけませんよね?」
アニェーゼは言い。
右手に、口付けた。そのまま舌を使い、自身の雫に塗れた右手を舐め上げていく。
「ん、ん、っは、はむ…」
アニェーゼの吐息と右手が伝える小さな舌とかすかな粘りを持つ唾液の感触。さらに、その行為が生み出すぷちゅぷちゅという水音。それにアニェーゼの発情した雌の香り。
アニェーゼの行為は、上条の感覚を刺激し、興奮を高めていく。それでも上条の理性は状況に抗い、雄の生理現象を必死に押さえ込む。
“鎮まれっ、鎮まれっ!”
“頑張りますね…大した精神力です”
指を舌で舐りながら、アニェーゼは内心、上条の精神力に驚いていた。この年代はもてあましてしまうほどに性欲が強いはずなのに、意志力だけでそれを押さえ込んでいるようだ。事実、上条の股間には未だ何の変化も見受けられない。
“でももう限界でしょう、カミジョウ?”
「…ぷはっ」
指から口を離す。しかし、両手は右手に添えたままだ。
「口は、調べ終わりましたね…」
でも、と続け、
「まだ、調べてない場所がありますよね…?」
“まさか、マン…!”
上条は反射的にその場所の名前を頭に浮かべかけ、慌ててその妄想を頭から追い払おうとする。無駄な努力だったが。
「ふふ、多分、あなたの思ってる通りですよ…」
熱い吐息を漏らしながら、アニェーゼは上条の手を下腹部のさらに下に誘う。
右手が伝えるかすかな陰毛の感触に、上条の頭はオーバーヒートしそうになった。
“うわ…凄い…”
先ほど内股を触った時に分かってはいたが、アニェーゼのそこはすでに濡れぼそり、男を待ち焦がれるようにひくひくと蠢いていた。
と、そこでアニェーゼが唐突に右手から両手を離す。
“?”
不思議に思っていると、
「ここから先は、あなたが調べてください」
アニェーゼの爆弾発言。上条の頭が真空になる。それでも何とか辛うじて、
「出来、ない…」
歯を食いしばって呻く。少しでも気合をぬけば、自制心が雄の本能の流されてしまいそうだ。
「どうしてです…?」
アニェーゼが俯いて呟く。呆然としていた。単なる高校生が、これほどまでに快感を拒否できるとは思ってもいなかったから。
「オレは、こんなことしなくても、お前が何の魔術も使ってないことくらい分かる…だから、無意味だからだ…」
「何で、そんなことが分かるってんですか…?」
心底の疑問を、アニェーゼは尋ねる。それに、上条は答えた。
「大したことじゃ、ねぇよ…お前の心を、信じてる…ただそれだけだ」
それは上条当麻の世界のあり方の宣誓。魔術師が魔法名を名乗るのと等価の意味を持つ、誓いの言葉。自分も他人も信じ、傷つくことさえ恐れない、強さの証。
…アニェーゼが惹かれた心のカタチ。
アニェーゼの瞳から、雫が一筋、零れ落ちた。それは見る間に数を増やし、ほほに幾つもの筋を走らせていく。
「うっ、ううっ、ひっく…」
我知らず、嗚咽が漏れる。上条の世界に触れたくて学園都市にまでやってきた。それなのに自分のやっていることはなんなのだろう?相手の善意につけ込み、自分の欲望を満たそうとするその態度は、上条のそれとは正反対だ。それに気づいてしまった。
そんな自分に醜さを感じ、アニェーゼは上条に抱きついて恥も外聞もなく泣きじゃくる。
「…汚し、汚しちまいましたっ…っく、そこに、私も、行きたかったのに…私の望みは、そこなのに…!」
解放されてボーっとする暇もなく、いきなり泣き出したアニェーゼにおろおろしていた上条だったが、嗚咽に含まれる言葉で、なんとなく分かってしまう。アニェーゼが結局何しに来たのかを。
泣きじゃくるアニェーゼを左手でそっと抱き、右手で頭を撫でる。もう泣かなくていいよと告げるように。安心していいよと教えるように。
「憧れの世界を、傷つけちまったって思うのか?」
胸の中でアニェーゼは何度も頷きをかえす。
「そんな世界に自分は行けないって思ってるのか?」
やはりアニェーゼは頷いた。
そこで確信する。目の前にいるのはただ深く傷けられた少女。そして、必死に助けを呼んでいた少女。上条当麻が、味方でいられる相手。
だから、告げる。
「そんな絶望を抱えちまってんなら」
万感の声と共に。
「オレがその幻想をぶち殺す」
強く強く、宣誓した。
そう言いきった上条を、アニェーゼは顔を上げ、泣き笑いのような表情で見上げてくる。
そんなアニェーゼを、上条は素直に可愛いと思う。
そして腹を括る。この少女を救うには、言葉だけでは足りないから。