上条当麻は不幸な人間である。彼の過去における数々の事象を聞けば、おそらく9割に人間はそれに同意して
くれるだろう。しかし、彼の異性との出会いの遍歴を彼をよく知る人間から聞いたならその9割のうちの半分以上は
彼が不幸であることを否定するはずだ。
つまり、今回の一件もまた、彼にとっては不幸で、傍から見れば羨ましいことこの上ないようなそんな一件なのである。
「はー、今日も疲れましたよー」
昼休みのお弁当騒ぎでさらに疲労を蓄積した上条は、足を引きずるようにしてようやく家へと帰ってきた。
しかし今回の事に関しては自分でも、決して不幸などと言ってはいけないと分かっている。きっと自分は幸せ
なのだと、上条は自身の中でかみ締めて、自宅のドアに手をかけた。
これから居候シスターのために夕食を用意しなければならないことなど、些細な事だ。
「ただいまー、インデックス」
ガチャリとドアを開けた。
「お、おかえりなのですよー、とうま」
ガチャリとドアを閉める。
今のは幻覚だろうか。
普段見慣れたシスターではなく、コスプレをした聖人が家にいたような気がする。
ガチャ、と内側からドアノブがひねられた瞬間、上条は反射的にドアが開かないように抑えていた。
「ど、どうかしたんですかー」
恐ろしい力でドアを開けようとしながら、聖人が心配そうな声で尋ねてくる。
一体なんだ、一体何なのだ。
右手で自身の頭を数発殴ってみるが、中から聞こえてくる幻聴は消えることがない。
いい予感がしない。やっぱり不幸だったのかもしれないと、ついさっき自分は幸福だと考えていたことを忘れている。
「そ、そうだ!! 土御門、あいつなら何か―――――」
知っているかも。
困ったときの頼れる友人……むしろ困った事態をつれてきているような気もするが、今頼れるとしたら
あのシスコン軍曹しかいない。
上条はそう考え、どうにかして隣室へと向かおうとしたのだが土御門の名が出た瞬間、中にいるであろう
聖人がその有り余る聖人的パワーを全開にして、力ずくで扉を押し開けた。
どーん、と勢いよく扉が開かれたことで、上条は吹き飛ばされ背中を強く打ち付けた。
しかし、上条がそんな痛みに囚われる暇も無く、中からいろいろな意味で遠くにいる聖人が現れた。
「す、すみません!! 大丈夫ですか? 」
そういって上条のそばに駆け寄る聖人の頭の上でなぞの輪っかが揺れ、胸元では谷間があらわになったその
わがままな胸が揺れた。
前者に対して上条の中の「神裂」像が揺れ、後者に対して理性が揺れた。
「かかかかかっかかか、神裂!?」
いろいろといっぱいいっぱいになりながらも、駆け寄ってきた聖人に声を掛けついでにこの際右手をその頭に
乗せてみる。
しかし、何も破壊されたような様子はなく、つまり目の前のコスプレ聖人は正気だということだった。
当の聖人は頭に右手を乗せられたまま不思議そうな顔をしている。
「とりあえず………中に入ろう」
この状況を打破する手段を考える前に、明日からのご近所づきあいのことを考えて上条は聖人と共に
部屋の中へと入った。
「―――――で?」
今回はなにがあったの、と上条は開口一番にそう尋ねた。
「え!?ああ、いえ、そのですね…」
「ああ、エンゼルフォールか。それでこんどは何を潰せばいいの?」
会話が成り立っていなかった。寧ろ、エンゼルフォールはそれであって欲しいという上条の願いでしかない。
不謹慎だが、目の前の聖人が正気のままこんな格好をしているとは思いたくない。
これまで上条の出会った魔術サイドの人間達は、総じて濃いキャラクターをしていた。
(決して悪人ばかりだったわけではなく、寧ろその逆だったのだが)お惚け巨乳シスターや
年増のゴスロリ魔女を始めとして始めの頃に出会ったステイルがいまいちぱっとしないキャラクターに思えてしまう
ほどに、個性が強いというよりもあくが強い連中ばかりだった。そんな中で、目の前の聖人は多少その性格に
硬すぎるきらいがあるとは言っても真っ当に対話が成立する数少ない常識人だったはずなのだ。
そんな神裂火織がコスプレをしている。それも、胸元をあらわにして天使の羽を付けたメイドさんのコスプレを。
この姿を見たらきっと建宮は泣く。そしてその前に自分が殺される。
だからこの目の前の状況にはきっと、何よりも深い理由が存在するに違いない。
出来ればそれはマリアナ海溝くらいは深くあってほしいと思いながら上条は腰を上げた。
「ちょ、待ってください!!そうじゃないんです。これは、その………」
早く解決しちまおうぜ、と立ち上がった上条に神裂はがばーと縋り付いて無理やりそれを押しとどめた。
しかし今の彼女の格好でそんな激しい動きをすれば、否応無く揺れる。何がとは言うまい。
皆まで言うな、おから始まりいで終わる魅惑の4文字の物体である。ついでに彼女が縋り付いたことでその
間に入る文字は小さいつとぱの魅惑の物体が上条にGYUっと押し付けられてしまっている。
もう本当にいろいろとどうでもよくなってきてしまった上条をよそに、聖人は言葉を搾り出すようにして告げた。
「あ、あなたには本当にいろいろと迷惑をかけてしまい、このような事で返しきれる恩とは思いませんが、それでも少しでも
借りを返していかないことにはどうにもならないと思い、土御門の助言から堕天使メイドなる物を……」
さっぱり言いたいことは分からなかったが、ただ一掴み上にはこの事態が馬鹿な隣人の手によって引き起こされた
ことだけは理解できた。
「そうか……」
短く告げて上条は再び立ち上がる。いい加減、隣人としてあのシスコンをどうにかしてやらなければならない。
硬く握った右手にありったけの殺意をこめて、上条は隣人を撲殺しに向かう―――――はずだった。
「す、すみません……私のような者がこのような格好をしたところで、あなたには迷惑なだけでしたね」
その声に振り返った瞬間、上条の右手から殺意が抜けていく。
上条の反応のどこをどう曲解したのか、年上の女性が目の前で半べそ状態になっている。その情景は
上条にとってかなりショッキングなもので、彼を引き止めるには充分すぎる理由だった。
「あーっと、いや、神裂? 迷惑とかそういうんじゃなくってね」
「いいんです、このような押し付けがましい行為をしてしまって、申し訳ありませんでした」
「う、」
「う?」
「嬉しいなー、神裂さんがこんなことをしてくれるなんて!! いや、ホント、助かるよ神裂。だから泣かないで!!」
「泣いてなどいません!!」
「ああ、うん、でも、本当に助かるなー嬉しいなー」
「ほ、本当ですか?」
とたんに輝く聖人の表情。
神裂火織本人としては、大和撫子として慎ましくその喜びをかみ締めているつもりなのだが、実際その感情は
ダイレクトに現れていた。上条にはもはや後光が挿しているようにすら見える。
「では、夕飯の用意をしますから!!」
そういっていそいそと台所へと向かっていく聖人の足取りは軽くステップだった。
ああ、こんなに喜んでくれるんならこっちとしても良かったよ。そんなことを思いながらも、上条の脳裏に浮かんだのは
あり地獄に嵌ってもがく自らの姿だった。
そしてそのどさくさの中で、上条は隣人に制裁を加えることを忘れてしまうのだった。