ふと、目が覚めたとき、そこは病室だった。  
 
 真っ白な部屋に純白のベッド、太陽の光と同調するような色彩のカーテン、俺の着てい  
る服は死に装束のような入院着である。色のない色に染められた世界に一つだけぽつんと  
鎮座するのは古めかしさが漂う真空管の黒いテレビだけだった。もう何度も訪れたこの部  
屋は、周囲を見渡さなくともどこになにがあるか分かるようになってしまった。  
 そんなモノクロの世界に例の如く舞い戻ってしまったのは、これまた例のとおり、妙な  
事件に首を突っ込んでしまったせいである。  
 
 はぁ、とため息を一つ力なくついて、ベッドに手をつき横たわった体を起こそうと力を  
入れた。  
「よっ――と、ってあれ?」  
 力を入れたのだが、体が上がらない。  
「……ぐおっ」  
 もう一度持ち上げようとしてみたが、何か重いものでものしかかったように動かない。  
 ……ま、まさか俺、この年で身体のどこかイっちゃってますですか?  
 お、落ち着け。クールになるんだ上条当麻。落ち着いて素数を数える、じゃなかった身  
体を少しずつ動かしてみるんだ。  
 …ま、まず足から。  
 ………………。  
 ひょいひょいと痛みも伴うこともなく割とすんなり持ち上がった。簡単にシーツを隆起  
させたあたりを見ると、足は問題ないようである。  
 ……よし足は大丈夫みたいだ。次は手に行ってみるか。  
 ………………。  
 ああああああああ!!!! 左手は上げるけど、俺の右手が上がらないんですが、これ  
ってもしかしてそういうことでせうか? これまでの無理がたたっちまったのか? 神様。  
助けて許して、助けてくれないと俺の幻想殺しが火噴いちまうぞ? って俺の右手動いて  
ないんだった……マジ? マジですか? 本気と書いてマジと読むんですか? やっぱ不  
幸だああああああああああ!!!  
 
 と、とりあえず落ち着け。落ち着くんだ、上条当麻。  
 なにかの気のせいかもしれない。さあもう一度神様のシステムをも殺せる右手をチェッ  
クだ。  
 俺は右手をぎゅっと握りしめた。  
 
 ふにふに。  
 
 …う、動いた?  
 何事もなかったかのように機能した手には、恐らく布団であろう柔らかな感触があった。  
 よ、良かったああああああ!! 成人すらしていないこの若さで五体満足じゃなくなっ  
てしまったかと思っちまったじゃねーか!  
溢れる嬉しさが抑えられず、もう一度手を動かしてみる。  
 
 にぎにぎ。ぷにぷに。  
 もう一度やってみる。  
 
 にぎにぎ。ぷにぷに。  
歓喜に満ちた右手が握りしめた先には、  
 
「や……んっ」  
 
 天にも昇る気持ちだった俺の幻想を殺す、甘い吐息がかかっていた。  
そのあと驚いて飛び上がった俺の目に飛び込んできたのは、神裂火織その人のうつろな  
表情だった。  
 
「……ですから、いい加減顔を上げてください上条当麻」  
 さっきまで自由に動くだの動かないだの言っていた身体全体をフル稼働させて土下座の  
ポーズを作りだしてはや三十分、未だに俺の情けない姿は変わらず維持されていた。  
「これは不幸の化身上条さんと言えども、前代未聞の失態なのですよ。それを許すなんて  
神裂様あなたどこの聖人……でしたね、そうでしたね。ごめんなさい」  
「あなたにそう謝られては、こちらの立つ瀬がありません。どうか顔を上げてください。  
むしろ迷惑をかけたのはこちらの方なのですから」  
「いえ、そんなもの軽くお釣りが来るようなことを上条さんはしちまいました。もうホン  
ト貴方様の刀でどうぞ真っ二つにぶった切っちまってください」  
「仮にも病院内で流血沙汰など起こせるわけがないでしょう。いえ、それ以前にそのよう  
なことを私があなたにするわけがないでしょう」  
 俺と神裂はこんな感じでさっきから終わりの見えない押し問答を繰り返していた。  
「はぁ」と神裂は一つため息をついた。どうやら埒が明かないと思ったのだろう。ようや  
く俺の案を飲む気になったようだ。  
 ――あぁ、お父さま、お母さま。あなたたちの不肖の息子は今淫行を働いた罪で、その  
生涯にピリオドを打とうとしています。生んでくれてありがとう。生まれてきてごめんな  
さい。  
 神裂は俺の頬を両手で優しく持ち上げて言った。  
「私としては不服なのですが、分かりました。ではこうしましょう」  
 そう言った神裂の顔は少しだけ赤かった気がした。  
 やはり口ではなんといっても、先ほどの事を気にしているのだろう。  
 
 ――俺は、死を、覚悟した。  
 
 何度となく眼前に近づいてきた死界への入口を、今俺はくぐろうとしている。  
 さあどんな判決だって来てみろ。俺は最後まで笑って受け止めてやる。  
 
「……何を笑っているのかは分かりませんが、こういうのは如何でしょうか。私たちはお  
互いに相手の言うことを無制限になんでも一つだけ聞く、というのは」  
 
「は?」  
 俺は目が点になった。  
「ですから、相手の言うことを一つだけなんでも聞く、というのはどうかと伺ったのです」  
 りょーかいりょーかい、このチンケな頭でもようやく理解できましたよ、そこで俺に死ねというんだな。  
 俺にもその権利をくれたのは、この不幸続きの一生に一度くらいはいい目を見せてやろ  
うとかそういったせめてもの優しそうで心遣いなわけですか。  
 だったらその権利を最大限利用してやるぜ、チクショー!  
「あぁ分かった。その条件で構わない」  
 俺にしては珍しく、真顔で言えたと思う。  
 
「それじゃあ神裂、死ぬ前にどうか俺とエッ――」  
「で、では、私とデートをしてください!」  
 俺と神裂は同時に声を張り上げていたが、しかし最後まで言い終えることができたのは神裂だけだった。  
「俺とエ…ですか?よく聞こえませんでした。すみません、もう一度お願いできませんか?」  
「あ、いや…」  
 どうやら俺が言った内容は聞こえていなかったようだ  
 というかこっちもよく聞こえなかったけど、でえと? あのデート? それともそれは  
新手の拷問なのでせうか?  
「でえと?」  
「…はい、デートです。その……私は恥ずかしながら、そういった経験はまだ一度もなく、  
不得手なのです。ですから異性と接する機会も経験も多いあなたに、殿方に対してどう振  
舞ったらいいか、教えてほしいのです。お願いできないでしょうか?」  
あのですね、神裂さん。何か勘違いされてるようでせうが、上条さんは一度も女性とそ  
んなライクやラブな関係になったこともないし、デートの一つもしたことないんですけど  
ね。  
「……いや俺はそれでもいいんだけどさ」  
 なにしろ殺されると思っていた矢先のことだ、それで済めば僥倖である。  
「俺でいいのか?」  
「…あなた以外にこの手の問題で頼れる男性はいません。お願いします」  
「あ、あぁ、分かった」  
 なんだかよく分からないが、神裂とデートすることになってしまった。  
 
 そんな約束からしばらく経ったが、神裂は先ほどからずっと顔を綻ばせたまま、お腹は  
空いてないかだとか、お茶を飲まないかだとか、トイレは大丈夫かだとか、忙しなく俺に  
話しかけていた。  
 神裂の笑顔をあまり見たことがなかった俺には新鮮だったが、その真新しさが今は逆に  
怖い気もする。ひょっとしてなにか企みでもあるのだろうか。  
 神裂はようやく落ち着いたのか、ベッド横の丸椅子に座って言った。  
「ところで伺うのを忘れていましたが、あなたはなにがよろしいのでしょうか?」  
「なにがって、お願いか?」  
 コクコクと頷いて俺の言葉を待つ神裂にはきっと犬の耳と尻尾がよく似合うことだろう。  
普段は犬というか虎とか鷹みたいだけど。  
 うーんと首を捻って考えるが、お願いしたいことというのが思い浮かばない。  
 いや、思いつくことはいくらでもあるけど、実行するには命がいくらあっても足りない  
気がする。  
「悪いけど保留ってことでいいか?」  
「えぇ、構いません。ゆっくりと考えてください」  
 神裂は神裂で心ここにあらずといった感じで、今何か聞いたらイギリス清教の暗部でもなんでも教えてくれそうな勢いだった。  
「それでは、そろそろ失礼させてもらいます。また後日伺いますので」  
 神裂は椅子から立ち上がり、大げさに礼をすると部屋から出て行った。  
「お、おう。じゃあまたな」  
 俺はぎこちない笑顔で手を振り、引き戸に手をかけた彼女を見送ったのだった。  
 

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