※  
 
 
 上条当麻は絶望を知らない。  
 今まで数限りない「事件」にその右手を突っ込み引っ掻き回しながら。  
 しかし激闘の果てに、その混沌うず巻く泥濘の底から必ずハッピーエンドを掴み取ってきたからこそ。  
 彼は、本物の絶望を知らない。  
 慢性的な不幸に慣れているから、常習的な幸福に慣らされているから、彼は決定的な絶望を知らない。  
 だから、その右手の至る先が見えた事もまた、なかった。  
 人はその未熟を自覚する所から成長を始める。  
 であるならば、紆余曲折あろうと最終的には大団円を迎え続けてきた彼が、成長する事は果たして出来たのだろうか?  
 自分が抱える弱さや、未熟や、不完全を、直視し認識することは果たしてあったのだろうか?  
 否。断じて否。現状に満足している限り、人は力を欲さない。人は強さを求めない。己の弱さに気づかない。  
 だから、上条当麻は、強さを欲したことがない。  
 その右手に宿る幻想殺し。上条当麻は、その不完全と未完成に心のどこかで気づきながらも、完成を本気で望んだことはないのだ。不便を感じることはあっても、結局はどうにかなってきたからと、それだけの理由で。  
 ゆえに、当然の予想が成り立つ。  
 
 それは、つまり、彼が究極まで追い込まれ、神に祈る段階も悪魔に縋る段階も通り越し、ただ己の未熟を憎悪するしかない状況まで追い詰められた時。  
 神を恨み、悪魔を呪い、自分と自分の弱さを殺したいほど憎んだその瞬間に、彼の能力が、真の意味での飛躍と完成を見るだろう、という予想が。  
 
 
     ※  
 
 
 荒涼とした廃工場に、数え切れない人影が転がっている。  
 背が低く気の強そうな女子中学生。茶髪にアロハシャツの陰陽師。長髪に巫女装束の吸血殺し。青く染めた髪にピアスをつけた少年。腰まで届く長髪をポニーテールにした聖人。赤く染めた髪にバーコードの刺青を刻んだ魔術師。  
 他にも判別しきれないほど多くの人間が、無造作に転がされている。  
 その全員が全身のいたる所に傷を負い、意識を失って倒れている。  
「どーしたどーした、上条当麻ー。お前の力はその程度かー? あーーーーんだけ鳴らした武勇伝が泣くぜー、オーイ?」  
 その正面には、わかりやすく『チンピラ』のテンプレートのような格好をした男が数人と、右手はおろか全身を押さえつけられてもがいている上条当麻の姿があった。  
 その中の一人が、目の前の惨状を見せつけるように、当麻の顔を無理矢理上げさせ、状況の認識を強要する。  
「さーさーさっさと少年らしく新しい力に目覚めてくれよー! パワーアップイベントに最適だろーがよー、このシチュエーションはー?  
 それともやっぱあれかー、一人や二人殺さねーと本気の一つも出せねーってかー?」  
 その言葉と同時に耳障りな笑い声が響き、工場の中を反響で埋めていく。いっそ視線で人が殺せればとばかりに当麻は男たちを睨むが、その行為はかえって男たちの笑い声を高めるだけだった。  
「まあでも冗談じゃなしに上から命令されてるしなー。いい加減ここらで目覚めてくんないと、おにいさんたち本当に殺しちゃうよー?」  
 ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら嘯く男たち。地面に力いっぱい押し付けられているために、当麻は唾を吐きかけることもできない。  
「じゃあよー、さっき見た獲物ン中に銀色の髪したガキいたろー? あいつ俺に殺らしてくんねえかーあ?」  
「なんだお前、そんな趣味あったのかー? 引くぜー、オイ。このロリコン親父がよー」  
「いいだろがよ、何だって。いっぺんヒトを、できりゃー女のガキを殺ってみたかったんだーあ。こう、白くてやーらけー腹にナイフ入れてよ」  
「マジで変態かお前ー。好きにすりゃーいいんじゃねえの?」  
「おうよ、好きにさせてもらわー」  
 
 その言葉と共に、男たちの一人が輪の中から抜け、工場の外に歩いていく。その後姿を火を噴きそうな視線で見つめることしか、その時の上条当麻にはできなかった。  
 男がしばらくたって戻ってきた時には、その傍らに、手足を縛られ猿轡をかまされ、歩くこともままならない、しかし意識だけはしっかりとある銀髪のシスターを連れていた。  
「さあーって盛り上がってまいりました! ガンバレ少年! 負けるな少年! お前がなんとかしないとこの銀髪幼女が死んじゃうぞーーー?!」  
 一人がそう叫ぶと共に、またも耳障りな笑い声。  
 けれど当麻本人はそんなものは気にも留めず、たださっきまでしていた抵抗を更に強めるだけだった。  
 手足がアスファルトを擦るのも気にせず、接触面の皮膚が完璧に摩滅し、当麻が組み伏せられている半径一メートルほどに血で描かれた半円ができようとも、上条当麻はあがき続けた。上に自分より大柄な人間を複数乗せながら、それでもなお、全身の筋力でもって暴れ続けた。  
 だが、無意味。彼の抵抗など意味を成さないほど、相手の数が多すぎる。彼にできるのはただ、両目を見開いて現実を見据えることのみ。  
「さあ、いよいよ男のナイフが少女に突きつけられようとしていまーーーす! 少女逃げる! だけど意味がない! 男のナイフが腹をなぞる! おーっと薄皮一枚切り込んだァ! 赤いしずくがナイフを伝っているーーー!」  
 のどを潰したようなくぐもった声が当麻の噛み締めた歯からこぼれる。地鳴りか獣の唸り声かと錯覚させるその声も、この状況では男たちの興奮をあおるだけだ。  
「ヤバイ! ヤバイ! これはマジにヤバイです! 踏ん張れ少年! この状況をナントカできるのはお前だけだーッ!」  
 すぐそばで実況しながら騒いでいる男の存在など、すでに当麻の視界には入っていなかった。ただ涙目で自分に助けを求める少女を、狂ったように暴れながら見据え続けることしか彼にはできなかった。  
 そして、とうとう、決定的な瞬間が訪れる。肌を撫でるように服の上をさまよっていたナイフが、その切っ先が、一瞬の停止の後に、その身を全て、少女の内に埋めた。  
 猿轡をかまされていてもなお、正気を削る絶叫が放たれる。まともな神経を欠片でも持ち合わせているのなら、そこに秘められた悲痛さに我知らず涙が落ちるような、声。けれど異常な興奮状態にある男たちには、そんな悲鳴ですらも興奮をあおるスパイスにしかならなかった。  
 同時に少年も唸り声を上げるが、それもやはり何もなさない。今日この場所に何百回目かの咆哮が響くが、それはそれ以前に響き渡った数百回と同様、どんな奇跡も起こさない。  
 そして、下腹部を血で染めた少女が糸が切れたように倒れ、その体から冗談のような速さで赤い血溜まりが広がって、ひくりと一度震えた後動かなくなったその瞬間。少女の絶叫はとうに止み、少年の咆哮がぱったりと止まったその瞬間。  
 
 その瞬間、その場には確かに、何かが切れる音が響いたという。  
 
 
    ※  
 
 
 その音が本当に響いたのか、はたまた実際には響いていないのか、今となってはわからない。ひょっとしたら、その場にいた一人の少年が変質する雰囲気を、人が音として知覚しただけなのかもしれない。  
 確たることは何も言えないが、とにかく間違いなく言えるのは、不審を感じて少年を見た全員が、数秒縛り付けられたように凍りついたという、その事実のみ。  
 暴れまわっていた手負いの獣が、いつの間にやら深淵を湛えた化け物に変質しているのを、彼らは理性でなく直感で理解していた。  
 少年は話し出す。自分の愚かを悔いるように。自分の鈍さを憎むように。  
 自分の弱さを、傷つけてしまった者たちに懺悔するように。  
 
「気づいてた。心のどこかじゃ気づいてたんだ、俺は。ずっと、ずっと前から、不思議に思ってた。  
 俺のこの力は、なんでこんなにも不自然なんだろう、って」  
 
「おい! そいつの口を黙らせろ!」  
 一瞬前までとは別人のような雰囲気を放つ上条当麻に気圧されたのか、男たちの一人が声を張り上げる。  
 けれど、さっきまで完璧な優位の上に立っていた男たちが、今や完全に、組み伏せられうつ伏せにされた一人の少年に圧倒されていた。  
 下から睨み上げていた時には嘲笑しか生まなかったその視線は、ことここに至り、全てが手遅れになってからようやく、男たちの抑止力になっていた。  
「この右手は、神様だって殴り殺せるのに。魔術師と能力者が全員、束になってかかっても倒せない存在だって、この右手だったら消し飛ばせるのに。  
 なのに現実には、俺は、たった数人の能力者にすら、勝つことができない」  
 その瞳には、さっきまで猛り狂っていた感情の片鱗も見えはしない。深い湖を覗いたように、そこにはただ、純粋な深さと暗さのみが在った。  
 その目に見入り、その深淵を覗いた男たちは、悪魔にでも魅入られたように立ちすくむ。  
 
「気づくべきだったんだ。気づけるはずだったんだ。  
 この力は俺が生まれたときから共にあったけど、この力はこういうものだと思い込むのには十分な時間を過ごしたけど、それでも俺は気付けるはずだったんだ。真剣に、俺自身について考えていれば」  
 そこで彼は、その感情の映らない瞳で、倒れている仲間たちを見回した。  
 未だ縛られたように棒立ちになっている男たちは目にも留めず、存在すらしないように無視して。  
 彼は動かない仲間の一人一人に視線を注ぎ、言葉を投げる。  
「存在するだけで最強の座に手をかけるこの力は、なんで右手にしかないのか。まぎれもない万能でほとんど全能にも近いこの力は、なんで右手にしか宿っていないのか。  
 違ったんだ。前提からして間違ってた。なんで俺は、こんな簡単な事に気づかなかったんだ?  
 
 右手だけで十分だから、右手にしか宿っていなかったんだ。  
 
 この力は、右手に在るだけで完璧に完成してるから。それ以上あっても無意味なぐらい全能の力を持ってるから。だからこの右手にしかなかったんだ」  
 その言葉は、まるで、詫びるように。  
 守るだけの力があったのに、その力を振るうことができなかったと、そう謝るように。謝罪するように。静まり返った空間に、響き渡る。  
 
「考えてたんだ、本当は。  
 岩を割ったら破壊だけど、岩を彫ったら創造だ。紙を汚せば破壊だけど、紙を染めれば創造だ。  
 一本の大樹を切り倒すのは完膚なきまでに破壊だけど、その大樹を木材にするのは、まぎれもない創造。その木材を切断するのはわかりやすく破壊だけど、その切り分けられた断片で椅子を作れば、それは明らかに、創造だ。  
 本質的に破壊と創造は同質で同義。目的のある破壊を創造と呼び、目的のない創造を破壊と呼ぶのが普通ではあるけれど、  
 目的なんて主観的なものを両者の区別の大前提においてる時点で、二つは相互に行き来が可能だ。  
 そう考えてこの右手を見れば、答えなんてすぐに出たのに。行き着く先も辿り着く果ても見通せたのに。  
 この幻想殺しは、その本質は、こんなちっぽけなものじゃないって、簡単にわかったはずなのに」  
 上条当麻自身は、まだ何もしていない。ただ韜晦めいた独白を延々と続けているだけだ。  
 けれど、ああ、その場にいる者のうち一体何人が気づいていただろう。他ならぬ彼の右手が、心臓が脈打つようにびくりびくりと痙攣していたことを。  
 そのリズムに合わせて、弱く弱く微かに微かに、光が明滅していたことを。その光が段々強くなっていたことを。  
 そしてその光が強くなるほどに、一つのシルエットが浮かび上がっていたことに、一体誰が気づいていただろう。  
 そんな自身の変質を気にも留めず、上条当麻は語り続ける。それはひょっとしたら、現在の自分が世界に遺す、一種の遺言のつもりであったのかもしれない。  
「さあ、飛躍の時間だ。飛翔の瞬間だ。お待ちかねだ、嬉しいだろ?  
 テメェらのリクエストどおり、俺は、上条当麻は、人間を辞めてやるよ。  
 完成に至る論理は単純にして明快。  
 即ち、破壊と創造は本質的に同じであるということ。  
 そして、俺の能力はあらゆる異能をぶち殺す幻想殺し。  
 これらが導くのはどういう結論か。  
 それはつまり、こういうことだ」  
 その言葉と共に、右手の光がひときわ強く発光する。瞼を閉じても易々と眼球を焼くその閃光は、現れた時同様、一瞬にして弱まり、消滅した。  
 その光の後に残るのは。  
 竜。  
 あくまで人の腕に巻きつける程度の大きさでありながら、人間という種族を完璧に圧倒する化け物。炯々と両の眼を光らせ、明らかに固有の意思を持ち、ヒトを当然のように見下す化け物が、そこにいた。  
 その余りの威圧感に、当麻を囲んでいた男たちは当麻を組み伏せていた男も含めてすでに全員地面にへたりこんでいる。  
 右腕に竜を従えて、上条当麻はゆっくりと立ち上がった。  
 
 
   ※  
 
 
「この右手が異能を殺せるというのなら、それは即ち、異能を生み出せるということだ。  
 この右手があらゆる異能をブチ殺すというのなら、それは即ち、あらゆる異能を、神や天使や悪魔や竜ですらも、生み出せるということだ。  
 だから、この右手は、殺し生み出す神の右手。破壊し創造する神の能力。  
 あらゆる幻想に終わりを告げる、あらゆる幻想の始まりそのもの。  
 そうだ。俺の力の名は、俺の右手の本当の名は、  
 
『それは殺すためだけに生みだされる(ImagineBreaker999)』  
 
 無慈悲で不条理な現実を、現実って名前の幻想を、神を呼びつけてまでブチ殺す。それが俺の能力、幻想殺しの、本領だ」  
 
 そうして彼は、いまや自分以外に立つ者のいなくなった周囲を睥睨する。  
 以前の彼からは想像もできない冷たい視線で、ただただ冷徹に無感情に、逃げ出すこともできずに地べたに這いつくばっている男たちを、両の眼で見据えている。  
「まっ、待てッ! お前は正義の味方なんだろ?! そんな奴が人を殺してもいいのかよ?!  
 俺みたいな奴でも殺さないで改心させるのがお前みたいなのの役じゃねえのか?!」  
 一人の男が、まだ腰が抜けている体で叫んだ。けれど上条当麻には、もはやその叫びに揺れる心は残っていない。  
 
「そうだ。そして違う。  
 俺は正義の味方じゃない。ただの偽善者。ただの偽善使いだ。  
 だから、俺はお前らを殺さない。だけど、俺はお前らを許さない」  
 そう言いながら、上条当麻は右腕の竜を男たちの一人に向ける。その口の前に魔方陣が描かれ、口の中に光が収束し、パラパラと時折光の残滓がこぼれる。  
「俺はお前らなんかを殺さない。本当は殺してやりたいが、それは俺の権利じゃない。  
 それを持ってるのは、ここに倒れてるやつらだけ。  
 俺が守ることができなかった、俺といたせいで傷ついた、ここに倒れてるこいつらだけだ。  
 だから、さあ、覚悟しろ。覚悟して覚悟して絶望しろ。  
 お前らが見たがった力を、お前らが望んだ本物を。  
 今、ここで、見せてやる」  
 言葉が終わると同時。  
 竜の口に集まっていた光が、その輝きを増していく。竜そのものが現れた時と同等かそれ以上の閃光が、その場にいる人間全ての視界を真っ白に灼き尽くす。  
 ただただ静かに。誰かの絶叫や誰かの悲鳴や誰かの懇願を飲み込んで、爆発的な光が冗談みたいに膨れていく。  
 その光は弱まることなく。  
 
 純粋な光が世界を染めた。  
 
 
   ※  
 
 
 光が完全に消えるのに、いったいどのくらい時間がかかったのだろう。  
 一秒か、十秒か、あるいは一分か。さすがに五分はかかっていないだろう。  
 世界が元通りほの暗い月光で満たされた時、その場で意識を持っているのは上条当麻だけになっていた。  
 ついさっきまでがくがくと震えていた男たちは、仰向けに、もしくはうつ伏せに、そこら中に転がっている。  
 生きているかどうかも定かでない男たちを上条は当然のように無視して、彼は歩み寄った。  
 自分のせいで腹を刺され、今はぴくりとも動かない少女の下に。  
 そして彼は、無造作に手を伸ばして少女の胸に触れ、同時に耳を口元に寄せる。何かを願うように数秒目を閉じて、そして開いた。  
 もうとっくに覚悟はできていたのだろう。動揺したそぶりも見せずに、彼は一度天を仰いだ。  
 銀髪の少女は、そのまだ温もりを失わない体は、けれど。  
 けれどもう、呼吸も脈動もしてはいなかった。  
「悪い、インデックス。ごめん。本当に。  
 俺はお前を救えなかった」  
 何の感情もこもっていない言葉が、ただ無意味に、彼の口から落ちる。  
 それは恐らく、罪の告白。  
「俺はこれから、お前を救う。  
 お前はきっと、俺を許さない。でも、許してくれ」  
 これから行う、絶対に許されない行為の独白。  
「この右手は、多分、記憶だって消せるしベクトルだって操れる。俺に敵意を持った全ての人間を倒すことも、絶対じゃないけど多分できる。  
 でも、この右手じゃ、人を甦らせることまではできないんだ。  
 まだ」  
 
 もしもこの場に誰かがいたら、上条当麻の異様な気配に思わず身震いしただろう。  
 その目には、明確な感情があった。男たちに見せた無感情な瞳は、今は多すぎるほどたくさんの感情であふれていた。  
 悲しみ。後悔。喜び。迷い。恐怖。安堵。  
 言葉に仕切れないほどたくさんの感情が、浮かんでは沈み、混ざり合っている。  
「この右手には、命を消す力はない。  
 この力を不思議に思った奴らから、散々言われた言葉だ。俺もそれは知っている。  
 この右手は幻想を殺すだけで、現実を殺したことはない」  
 きっとまだ迷っているのだろう。  
 上条当麻は、その覚悟を決めるために、今淡々と話している。  
「だけど、この右手でもしも誰かを殺したら。そうしたら、この右手は、命だって作れるようになる。  
 幻想を殺す右手は幻想を生み出すように。  
 人を殺す右手は人を作れる。そう思うのは、決してこじつけじゃないはずだ」  
 一度言葉を切り、そこら中に倒れている自分の仲間を見る。  
 例外なく傷ついて、痛みの余り気絶している、自分の大切な人たちを。  
「そうだ。だから俺は、この右手で俺を殺そう。あの男たちで代用できればいいんだけど、なんだか無理みたいだしな。  
 俺はあいつらを人間だと思えない。そんな奴らを殺したって、手に入るのは人でなしを癒す力だけだ。  
 きっとこの右手は、俺が『人間』として認識してる奴を殺さないと人を治させてはくれない。俺が大切だと思ってる奴を殺さないと、俺は誰も助けられない。  
 だから俺は、俺を殺さなきゃいけないのか」  
 多種多様な感情を移していた彼の瞳が、落ち着いていく。  
 トップからボトムまで変化していた感情が、一つの極に収束していく。  
 
「怖いな。怖い。  
 でも、感謝しなくちゃいけないか。俺が死ぬだけで、この不幸が帳消しにできるんだから」  
 その瞳に浮かぶのは、静かで柔らかい覚悟。  
 正から負へと移り変わった感情は、感謝に収束した。  
「本当に悪かったな、インデックス。俺のせいで、こんな目にあわせて」  
 そのまま彼は、ゆっくりと右腕の竜を動かし、自分の左腕に近づける。  
 逡巡する間もなく、竜が肘を食いちぎった。  
 息を呑む音がする。  
 歯を食いしばる音も。  
 けれど彼は叫ばない。叫ぶことすら自分には贅沢だと言うように、彼は耐えている。  
 竜が、もう一口と顎を開いた。一拍を置いて、またも肉が食いちぎられる音。  
 人が肉を咀嚼するような音が、空間という空間を埋めていく。  
 そしてその音が引き金になったように、天から羽が降ってきた。  
 屋根の存在など完璧に無視して、雪と間違うような純白の羽が、傷ついた人々の上に落ちる。  
 なぜか地面には落ちず、人の上にだけ落ちるその羽は、傷口に融けるように消えていく。  
 その羽が落ちた場所が仄かに光り、その傷が、少しずつ小さくなっていく。  
「ははっ、よかった。俺の考えはあたってる。これで、こいつも助かる」  
 それを確認した上条当麻は、痛みに耐えながら、笑った。  
 これで、心残りなく逝くことができる、と。そう言いたそうな、笑顔だった。  
 そのまま、その竜を。自分の胸に向ける。  
「インデックス。インデックス。悪いな、本当に悪かった。  
 でも。  
 ありがとう」  
 言い終わると共に、竜が心臓めがけて喰らいついた。  
 血飛沫すら飲み込んで、竜は己の主を喰らう。  
 そのたびに羽は数を増し。  
 記憶を消した白い羽が、人の上にしんしんと降り続けた。  
 
 
 

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