ここは学園都市。東京都の西部に位置し、外周を高い塀で囲まれた完全独立教育機関。
その目的は『超能力』の開発。高い科学力を有し、次の時代の文明をつくる学園都市だが、
この日はとある年中行事に浮ついた雰囲気が漂っていた。
聖誕祭。十字教の定める『神の子』が生まれた日として世界各地の十字教徒に祝われる
祭日である。ただし学園都市での様式は世界的に見れば亜流で、日本的には本流。すなわ
ち、子供にとってはプレゼントがもらえる日。大人にとっては――ある神父曰く――交尾
の日である。
その前夜、学園都市製の技術を惜しげもなく使ったイルミネーションで彩られた街を、
人々は恋人と、友人と、家族と思いおもいに行き交うのだ。誰もがこの幻想的な光景が特
別で当然なものだと信じている。
壊れることなど思いもよらない。
この景色の裏で這いつくばり無様にあがく男のことなんて知りもしない。
少年の叫びは届かない。
「聖誕祭の二次会・三次会にカラオケいかがっすかー。今ならドリンク飲み放題でーす」
上条当麻は冬休みを利用してアルバイト中だった。
赤を基調に白色でデコレートした服に、白くて長いつけ髭をたくわえた恰好で看板を持っ
て道行く人々に声をかける。この時期、街のいたる所で見かける呼び込みがお仕事だった。
しかしこの服、見た目の割りには通気性が抜群に良くてすごく寒い。
周りの人達はみんな楽しそうで大変結構なことだが、聖誕祭の前夜ともなると「どこで
遊ぶか」はもう決めている人ばかりで、上条のキャッチに引っかかる人は少ない。
たまに話を聞いてくれるカップルが「えー、どうするー?」といちゃつく姿は妙に神経
を逆なでしてくる。
そんなわけで、仕事だと分かっていても上条当麻のやる気ゲージはがしがし削れていく
のであった。
「なにやってんの、あんた?」
幾度目か「不幸だー」と呟いたときだろうか、上条は背後から声を掛けられた。
この日、この人ごみの中で、呼び込みのアルバイターが酔っぱらい以外に声を掛けられ
ることは珍しい。
「はい?」
と振り返った上条の目の前にいたのは、『超電磁砲』の御坂美琴と『風紀委員』の白井
黒子の常盤台中学コンビだった。二人とも常盤台中学の冬服に、おそらくこれも学校指定
だろうカーディガンをまとっている。短髪の少女の方だけ首に白いマフラーを巻いていた。
「ああー」
と、見知った顔を前に露骨に肩を落とす上条当麻。
「ちょ、ちょっと何よそのリアクション!?」
「だからこのような輩に声を掛けるのはやめましょう、とあれほど申し上げましたのに。
第一、よくこの恰好で見分けられたものですわね」
どうやら聖誕祭に二人して遊びに繰り出したらしい二人は思いおもいに口にする。
「あ、あー。カラオケ『断崖絶叫』十五学区店。よろしかったらいかがっすかー」
ようやく職分を思い出した上条は、必要なことだけをアナウンスする。しかし、その反
応は
「そう。それよ、それ。あんた、何やってんの?」
御坂の冷たい一言だった。
この所かまわずビリビリしちゃう名門常盤台中学のお嬢様は、上条さん的『バイト中に
会いたくない知人ランキング』の上位に位置していたのだが、こうして出会ってしまった
のだから仕方がない。出来れば穏便に、何事もなくお帰りいただきたい。
「あ、アルバイトかな……」
「それは見れば分かるけど。なに?社会勉強ってやつ?」
「いや、そんな大したもんじゃなくて。最近エンゲル計数が跳ね上がってるから、その補
填」
「ふぅん、食費ねぇ。食べ盛りってこと?あんたまだ身長とか伸びてるの?」
隣で白井が「まままぁ、お姉様ったら『身長差』など気にして可愛らしい。しかし、お
のれ何故その相手が私ではない!」と呟いているがよく分からないので気にしないように
しよう。
「あぁ……家に働かないくせに人一倍食べるシス――――ね、猫を飼っててさ!」
口を滑らせたことに気付いて慌てて軌道修正を試みる上条。「寮にシスターが居候して
いてその食費のためにバイトしています」と言って「甲斐性があるね」という流れになる
とは思えない。「子供を監禁している」と警備員を呼ばれるのがオチだ。
「猫ですってお姉様。もしかしましたらその猫、人語を話すのではありませんこと?」
しかし、今まで黙っていた風紀委員の白井黒子が妙な勘の良さを発揮する。むしろ上条
としては揶揄のセンスの古さにつっこみたいところだが、そうすれば確実に地雷を踏むの
は決まっているので余計なことは言わないに限る。
「お前達はどうしたの?聖誕祭だから遊びに?」
強引に話題の転換を図ろうとする。
「んー。帰ろうかどうしようか悩んでたところだけどね」
「わたくしとしては、聖誕祭の夜をお姉様とデートと洒落込みたいのですけど」
「というわけで、帰ることに今決まったんだけどね」
「あー。お前も大変なんだな」
なにを、と白井が憤るが、御坂は乾いた笑いを漏らしている。
「昼からずっと遊び通してやったし、流石にもう帰るわよ」
「仕方ありませんわね。寮監が抜き打ちで部屋を見て周りかねませんもの」
「ま、それがいいよな。聖誕祭だってうかれてる連中も多いから、女の子二人で遅くまで
出歩くのは危ないしな」
「「………………」」
上条としては至極まっとうな発言をしたつもりなのに、なんだろう二人のじとっとした
視線は。
「……はぁ。学園都市第三位の超能力者と風紀委員に対して、危ないから早く帰れとはよ
く言ったものですが。…………どちらにせよ帰るつもりでしたし。門限もあることですか
らね」
「ま、そういうわけだから。あんたも仕事がんばんなさいよ」
軽く手を上げてひらひらと振る御坂。
「おう。良い聖誕祭をな」
「……あんたは」
「ん?」
そのまま立ち去るものかと思ったが、御坂は歩き出さずにこちらを見ていた。
「…………いい。あんたも聖誕祭を楽しみなさいよ」
「はは。まぁお仕事だからな。でも、ありがとな」
じゃあねー。それでは。と去っていく二人が雑踏に消えるまで見届けて、上条はアルバ
イトに戻った。
「うっし、頑張りますかー」
いつの間にか、上条の不幸な気分は消えていた。
御坂たちが去ってから、勤労意欲を取り戻した上条当麻はアルバイトに精を出していた。
そこに再び、
「ね、ねえ」
と声を掛けられた。
今度は誰?と思いながら振り返ると、さっき別れたばかりの少女と同じ姿が立っていた。
「あれ、御坂?いや、御坂妹の方か?なんだ、またゴーグル盗られたのか?ペンダントは
……マフラーしてると分かんないな。ん、別の『妹達』って可能性もあるのか?うわ、そ
うなると流石に区別つかないな…………」
上条の疑問に
「あ、あんたは一日に何人の女の子とエンカウントすれば気が済むのよっ!」
と雷撃が返ってきた。
「え、あれ、美琴?白井と一緒に帰ったんじゃなかったのか。どうしたんだ一体」
右手を盾にして雷撃を避けた上条が訊ねる。危うく彼女の発する生イルミネーションの
一部になるところだった。
「う、その……えと、あれよ…………」
一方的にビリビリを飛ばしてきたくせに、対する御坂は歯切れが悪い。
「その…………今日は寒いわね!」
「……今年一番の冷え込みらしいからな」
「そ、その恰好寒くないの?」
「いや、見た目よりもスースーしてすごく寒いんですけど。……けどそれを言うために戻っ
てきたのか?」
「ああ、うう……だから、えっと…………」
だぁー、と何か切れたように叫んで鞄の中をあさり始める御坂。え、何が始まるんです
かと怯える上条に、御坂がつかつかと歩み寄って
「こ、これっ……少しは暖かくなると思うから」
と、上条の首に何かを巻きつけてきた。一周させて軽く引っ張ると程よく絞まって「ぐ」
という声が上条の口から漏れる。それを聞いて御坂はいたずらが成功したような笑みを浮
かべた。
「何するんですか!てか何ですかこれ!え、本当にこれ何?」
上条は首に巻かれたものの端を摘まんで訝しげに見る。
「マフラーよ。見れば分かるでしょう?ほら、寒そうだったから。あ、返さなくてもいい
わよ、聖誕祭のプレゼントってことにしといてあげるわ」
御坂が早口で捲し立てる。え、何なに?とモノクロームのマフラーを手に上条は混乱す
るばかりだが、
「用はそれだけよ。それじゃあね」
自分の言いたいことは一通り言ってしまったのか、さっさと帰ろうとする御坂。逃げ出
すような彼女の手を上条は思わず掴んでしまった。
「きゃ……。な、何よ?」
「あ、あれ?…………えーと、何でしょう?」
思わず捕まえてしまったものの、何か考えがあっての行動ではない。どうしたものです
かなー、と視線を泳がせた上条の目に丁度いいものが飛び込んできた。
「あ。ちょっとこっち来て」
「え、何よ。何?どこ行くの?」
上条に手を掴まれてドギマギしていた御坂は急に引っ張られて抗議の声をあげる。しか
し、上条はすぐに立ち止まり、アクセサリーを扱う露店を御坂に示す。
「ここ。その、貰ってばっかりじゃ悪いし、御礼にプレゼントでもと思ったわけですが、
他意はないのであって、いや受け取りたくないっていうならそれでもかまわないのですが、
というか常盤台のお嬢様にこんな安っぽいアクセサリー渡そうだなんてワタクシめは何を
考えていたんでしょうね、ごめんなさい」
テンパって空回りする上条はあははははーと笑ってみせるが御坂は俯いてしまって反応
がない。
「…………いる」
ボソッと呟かれた声は聞き取れなかった。上条が耳を寄せると、もう一度、
「いる」
下を向いたままなので表情は見えないが、一応プレゼントは受け取ってもらえるらしい。
「よかった。じゃあどれにする?ネックレスだと妹と被っちゃうし、って痛ぁ!え、なん
で脇腹をガスガス殴ってくるんですか。お前等姉妹はアクセサリーを貰うとそうするので
すかってさらに痛い!?え、えーと、じゃ、じゃあ指輪なんかはどうでしょう」
御坂の殴る手がピタッと止まった。
「あ、指輪でいい?んーどれがいいかな。というかサイズが先か?御坂手出して」
何気なく言ってしまったが、差し出された手を受け取って上条はパニックになる。何し
ろ柔らかい。すべすべする。細い。自分のものとは全く違う生き物のような質感に女の子
なんだなと思う。
「こ、これなんかどうかな?」
急速に危うい方向に向きかける思考を押し戻し、シンプルなデザインの指輪を一つ取っ
て美琴の指に嵌める。御坂はさっきから俯きっぱなしで全くこちらをみてくれないが、「ど、
どう?」と訊ねると小さく首を縦に動かしてくれた。
「じゃあこれにするか」
露店のお兄さんにお金を払って会計をすませる。
「あ、ありがとう」
「いや、俺の方こそプレゼントなんて貰えるとは思ってなかったから嬉しかった」
本当に嬉しかったので、笑顔で応じる。女の子から生誕祭に贈り物を貰うなんて初めて
だし、体を小さくし礼を言う美琴は微笑ましく、可愛らしい。
美琴はそのまま、
「う……。えと……本当にありがとう!」
と言って駆け出してしまった。
なんとなく引き止めたくて声をかけようとしたが、白井を待たせてるのかもしれないと
思ってやめた。
自分にはアルバイトが残っている。
マフラーを巻いたこの恰好は少し滑稽かもしれないけど、もう寒くない。
常盤台中学の女子寮。御坂美琴のベッドの下に、きるぐまーという名前のぬいぐるみが
押し込まれている。そのぬいぐるみには隠しポケットがついていて、かつて少女の絶望が
『絶対能力進化実験』のレポートという姿をもって捻じ込まれていた。だがそのレポート
は、とある少年が持ち去った。そして、昨夜からそのポケットには安っぽい指輪が一つ収
まっている。彼女の幸福を象徴するシンプルなリング。
終わり