『とある日本の伝統行事(節分編)』
「グーーーッド、モォーーーニン、カぁミやぁーーーん」
頭に響く大音声に、上条当麻はしかめっ面をして耳から携帯電話を放す。
これが、可愛い女の子だったら幾分か心も晴れ晴れとするのだろうが、相手は身長180センチはある金髪野郎、土御門元春ではテンションも下がろうと言うもの。
むしろこんな朝から電話が来るなんてきっと良く無い事が起きているに違いないと思わずにはいられない。
上条は目の前に携帯を持ってくると、マイクのように口に当てて、
「テメェ、バカ御門ぉ! 朝っぱらからウルセーんだよ! 耳がキーンとしたじゃねぇーか!!」
と叫んだ。
するとスピーカーからは「うわ!? こっちはまだ真夜中ぜよ? 静かにして欲しいにゃー」と微かに聞こえて来て、上条の神経を更に逆なでする。
「土御門、お前、また最近学校に来ないと思ったら外国かよ?」
何処にいんだよ? この不良金髪は、と上条は続けて電話の向こうにいる愛すべき隣人に毒づいた。
「そうぜよー。ま、場所は教えられないが、これでも土御門サンは色々と急がしいんだぜい。世界平和の為とかそんな感じでにゃー」
きっと土御門の事だから電話の向こうで偉そうに胸なんか張ってんだろうと、上条は携帯電話を穴が開くかと言うほどじっと眺めた。
その電話からは「おーい、カミやーん、聞いてるかにゃー?」と土御門の声がする。
ちょっとイラっと来た上条は、ふぅーとため息を着いて気を落ち着かせると携帯電話を再び耳に当てた。
「へいへい、お忙しいこってなによりですー。その調子で大事な大事な舞夏を一人にしておいて愛想つかされないといいな、シ・ス・コ・ン・ぐ・ん・そ・う・サ・ン」
「ん、んな!? 何言ってんだカミやん!! おま、お前に何が判る!? お、俺と舞夏の間には切っても切れない熱く熱い目くるめく――」
上条は電話の向こうの土御門の慌てブリにしてやったりの笑みを浮かべながら、
「そっちは夜なんだろ? 静かにしろよぉー土御門ぉ」
と追い討ちの言葉をかける。
すると、「くっ! かっ! こっ!」と声にならない叫びが聞こえたかと思うと、暫しの沈黙の後に電話の向こうから土御門のため息と思しきものが聞こえた。
「――カミやんも人が悪いんだぜい。それにしてもその人の心理を突いた的確な話術には恐れ入るにゃー」
「ははは、こう色んな事件に巻き込まれますと、勉強嫌いなカミジョーさんも色々とスキルアップいたしますのですよー」
などと、学校の某幼児体型の先生の物まね交じりに答える上条。
自慢しているはずなのに、乾いた笑いしか出て来ない――あ、目から心の汗が止まらないや……などと、涙を拭いながらそんな事を思う上条に、今度は土御門が逆襲を仕掛けた。
「へー、さっすが我らのカミや〜ん。フラグ立てまくりの、喰いまくりの喰われまくりは伊達じゃないぜよー」
「ん! んなぁぁぁああ!!?」
土御門の爆弾発言に、上条は素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「テ、テメェはカミジョーさんの何を知ってるってんですかコノヤロウ!!」
その時、上条は背を向けているので判らなかったが、上条の皿からアジの開きを取ろうとしていたインデックスがこの叫び声に驚いてぴょーんと跳ね上がった。
その拍子にテーブルの上に飛び出したアジの開きを、一生懸命上条の皿の上に戻すと、箸と茶碗を手に、玄関の方に顔を出す。
「ねぇーとうまー、大丈夫ぅー?」
インデックスの声に、携帯電話に向かって小声で罵詈雑言を浴びせている最中だった上条の背中がビクッと跳ねると、ギギギと擬音が聞こえそうなくらいぎこちなくインデックスの方に顔を向ける。
「ド、ドウシマシタデスカ? インデックスサン」
「それはこっちが聞きたいかも」
携帯電話の向こうから土御門が、「奥さぁ〜ん、お宅のダンナ浮気してますにゃー」と声が聞こえてきたところで、上条は携帯電話を睨みつけると通話を切ってしまう。
さらに、そのまま電源もOFFにすると無造作に靴箱の上に少々乱暴に置いてしまう。
そして、作り笑いを浮かべて、さあさあ朝飯の続きだーと、いぶかしむインデックスを促して部屋の中に戻るのだった。
上条は、朝食が終ってからと言うもの様子がおかしいインデックスを、学校に出かける準備をしながらも注意深く観察していた。
今日は何だか何時もより入念に歯を磨いている。
それはもう、刃物の切れ味を増す為に入念に手入れをしているようで、上条の背中には否応無く冷たいものが流れる。
今朝の上条は、珍しく早くに目が覚めたのでいつになく手の込んだ朝食を用意した。
これを食べればインデックスもさぞや喜ぶであろうと内心ほくそえんだ上条だったが、その幻想は土御門の電話一つでぶち壊しになった。
全ては、アホなシスコン軍曹のせいだ。
「は〜、不幸だぁー」
ため息と共に何時もの口癖が口を突いて出る。
シスコン軍曹と言えば何か忘れているような気がした上条だったが、今は目の前に迫る危険の方が大事と、そこで考えるのを止めてしまう。
そして、かくなる上はまだ早いが学校に行きますか。カミジョーさん、やっぱり自分が一番大切ですので、などと言いながら、部屋の隅に置いてある学生鞄を手に取ろうとした。
「あ、あれ? とうまー、もう出かけちゃうの?」
はい、インデックスに見つかって脱出失敗――いやいや、まだカミジョーさんは諦めません! とばかりに上条は、
「あ、いや、朝飯も食べ終わったし後片付けも終ったしなー、珍しく早起き出来たから、今度は珍しく早くに学校行ってみようかと思ってみたりなんかして……」
などと言ってみたが、自分でもガラでもないと思って勝手に言いよどんでしまった。
「そうだ! 『早起きは三文の徳』的な何かを期待して町を散歩してみようかと」
「とうまが何を言いたいか全然わかんないけど、すっごく言い訳っぽく聞こえるのは何でかな?」
インデックスの鋭い指摘に慌てる上条はしどろもどろになっていい訳を始める。
「いやいや、いやいやいやいや、そんな事はありませんでせうよ! カミジョーさん、突然変異的天啓により勤勉勤労の意欲に目覚めまして――そうそう、まず手始めに『肩揉み』でも如何でしょうか?」
「あらゆる奇跡を否定するとうまに天啓が下るのはおかしいかも!? それよりその指の動きは色々と想像力を掻き立てられて怖いかも」
上条がわきわきと動かす両手を、インデックスは何かおぞましいものでも見たかのように顔をゆがめて見つめると、すすっと上条から少し離れた。
それを見た上条はちょっと調子に乗って、
「いや姫! 逃げずとも良いではありませんか? これなる私めの十指、巷で中々に評判が良いのでございますよ?」
などと言って、更に指を複雑に動かしながらインデックスに詰め寄った。
「やっ……とうま、やっぱりそれはちょっと怖いかも……」
「何々、怖いのは最初だけ――ささ、インデックス、後ろを向いて――」
上条はくるっとインデックスを後ろに向かせると、「いっくぜ、インデックス!」とさらさらの銀髪を掻き分けて、肩や首に指を押し当てて力を加えた。
すると、くいくいっと首や肩を押されたインデックスは、
「あっ、ハァ♪」
と妙になまめかしい声を上げると、膝から崩れ落ちるようにしてその場にストンと座ってしまう。
そんな姿と、先程のインデックスの声に、こちらもドキドキが止まらない上条は、
「お、おい。大丈夫かインデックス?」
と自身の興奮を抑えつつインデックスの心配をする。
そのインデックスはと言うと、これがとうまの魅力の一つかも、これはかなり抗い難いものがあるかもとか何とかぶつぶつ言っていたが、幸い上条には聞こえなかったようだ。
そして、少し息を整えると上目遣いに上条を見上げて、
「まだ時間は大丈夫だよね? とうまに聞いて欲しい事があるんだよ」
そこに座って、と頬を赤らめつつ、そして若干神妙な面持ちで上条にテーブルの辺りを指し示した。
上条はその言葉に従ってテーブルの側に座る。
上条が座ったのを確認すると、インデックスも四つん這いで這って来て上条のすぐ側に座る。
そして、若干もじもじした後に、おずおずと喋り始める。
「ね、ねえとうまー、今日は何の日か、知ってるぅ?」
上条が初めに頭に浮かんだのは「?」だった。
本当に正直言って何も思い浮かばない。
かと言って万が一変な答えを返してしまうと自分の『記憶喪失』がばれる恐れがある。
ここは慎重に行かねばなるまい、と上条は気を引き締める。
そして、インデックスの表情から何か読み取れないかとじぃーっと見つめてみる。
あんまりじぃーっと見つめたものだから、インデックスは恥ずかしさでまたもじもじしてしまう。
「インデックスの誕生日……じゃないよな」
上条は、途中まで言ってインデックスにキョトンとされたので、咄嗟に言い直した。
(マジで何も思い浮かばねー。インデックスが何だかすっげー期待してるのは伝わってくるんだけど、他にイベントったってなー)
上条は、腕を組んで「んー」と唸ったまま黙りこくってしまう。
そんな姿を見たインデックスは、
「ねえねえ、本当に判らないかなー? 日本の伝統行事だってまいかから聞いたんだよ? とうまって本当に日本人? って疑っちゃうかも」
とじれったくなってヒントになるようなキーワードを上条に告げる。
日本の伝統行事ねぇーと、上条は部屋にあるカレンダーに目を向ける。
上条の部屋にあるカレンダーは、年と月日と曜日しか判らないとてもシンプルな物だ。
(今日はー、えぇーと2月3日かー。2月3日ってーとぉー……)
「節分か?」
「あったりぃー!」
インデックスが嬉しそうに上条に抱きつく。
すると当然、上条の体にインデックスのあんな部分やこんな部分が触れたり、何でいつもあまーい臭いがするんでしょーか? と言う気分になる。
上条当麻も健全な男子高校生なので、反応する所は反応する訳で。
取り合えず、照れ隠しにインデックスの抱擁をそっと外すと、
「じゃ、帰りに豆買ってきてやるよ」
と言って立ち上がろうとする。
上条の頭の中では、ピンクの靄を必死で追い払おうと、
(インデックスがそんなに豆が好きだったなんて知らなかったぜ、そうだ、今夜は豆料理でもチャレンジするかな?)
なんて事を考えていた。
だから、引き離されたインデックスが捨てられた子猫みたいな顔をしたのに気がつかなかった。
そのインデックスは、下を向いて頭(かぶり)を振ると、
「違う違う、いや、違わないけど、お豆大好きだけど、違うの。豆だけじゃイヤかもぉ……」
と、消え入りそうな声で言った。
その言葉に立ち上がりかけた上条の動きがピタリと止まる。
(豆以外に何があったっけか……鬼? いや、鬼は食べられないな……)
インデックスの判断基準を「食べられる」、「食べられない」で分ける上条はすごいと思う。
そんな上条の頭にある食べ物の名前が思い浮かんだ。
「恵方巻」
「そうそう、それだよそれー」
インデックスがガバッと顔を上げて上条を見つめる。
その期待に満ちた眼差しの何と眩しい事か。
上条は、先程やましい気持ちになった事を心の中で詫びながら、
「そっか、じゃー帰りに買って――」
と言って再び立ち上がろうとした。ところが!?
「だめぇー!!」
その上条の横っ腹に突き刺されとばかりにインデックスが飛びついてきた!
上条は「おふぅ」とか無様な叫び声をあげると、インデックスと一緒に倒れこむ。
しかも倒れた先にはベッドが在り、上条はベッドのふちで盛大に後頭部を強打する。
無言のまま、ジタバタとのたうつ上条の上に馬乗りになる形でインデックスが顔を覗き込んでくる。
「と、とうまぁ……大丈夫?」
「不幸だぁ……イ、インデックスぅ……おま、何がそんなに不満なんですか?」
上条は、涙目になりながらインデックスの仕打ちに抗議する。
所が、その言葉を投げかけられたインデックスが突如ふるふると震えだす。
これはまずい、と本能で感じた上条は「あの……インデックスさん?」と、毎回役に立たない猫ナデ声をかける。
そして、お約束のようにインデックスの感情が爆発した。
「不満だらけだよ! とうまは最近ちっともインデックスの事を構ってくれないからすっごく不満!!」
捲くし立てる様に言うと、これが『釣った魚にはエサをあげない』って事なんだよね、と天井を見つめる。
「お、おま、何人聞きの悪い事言ってんだ! 俺が何時インデックスを蔑ろにしたって言うんだ」
上条の叫びに、インデックスはキッと上条を睨みつける。
「ひっ」
「最近はエッチな事全然してくれないし」
(どき!?)
「帰りが遅かったり、帰ってこない日もあったりして――」
(どきどき!!?)
「香水やら石鹸の臭い――私が気がつかないとでも思ったのかな?」
(どきどきどきっ!!?)
インデックスに図星を突かれて、上条は声も無く口をただパクパクさせる。
そんな上条の姿を見て、インデックスがふと悲しそうな顔をする。
「私とエッチしたって……、やっぱりとうまはとうまのままで……、困ってる人には弱くて……、女の子にはもっと弱くて――」
インデックスの静かだが悲しみが込められた言葉に、上条はただ聞き入るしかなかった。
「――でも、そんなとうまでも好き。いや――そんなとうまだから好きなのかも。この気持ちは絶対変わらないんだよ」
最初は自身に、最後は上条に、インデックスは心を言葉にしてぶつけた。
上条は、そんなインデックスの心の底からの言葉に心打たれていた。
こんな不実な自分をこんなにも好いてくれるインデックスに何を返してやれば良いのかと、普段なら饒舌な上条だが、何も言葉が出て来ない。
そんな上条に構わずインデックスは一変して口元に笑みを作ると、
「だからね――とうまのこれで『恵方巻』するんだよ」
と、すっと上条の股間に手を伸ばす。
そして、かわいらしい指が妖しい旋律をもってやわやわと揉みしだくと、呼応するようにズボンが盛り上がる。
「ひぅっ!?」
考え事に夢中だった上条は、急な刺激に驚いて情け無い悲鳴を上げてインデックスの事を見つめる。
「まだインデックスに反応してくれるんだね。嬉しいかも」
そんな上条の顔を、普段は見せないような妖しい笑みを浮かべて見つめるインデックスに、上条は心を鷲掴みにされた。
(ついに喰われるのか? だからさっきあんなに一生懸命歯を磨いていたんだ。父さん、母さん、僕は男を止めるみたいです)
そんな葛藤をしている上条を他所に、インデックスは言葉を続ける。
「本当の『恵方巻』って、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら好きな男の人のお○ん○んを口いっぱいに頬張ってセ○エ○を一気飲みするのが習わしなんだよね」
上条の世界が凍りついた。
視線を逸らし、頬を赤らめ恥ずかしそうにするインデックスを目の前に、1秒、2秒、3秒……。
「あ、あの……インデックスさん?」
「なぁに? とうまぁ」
金縛りから解けた上条は、おずおずとインデックスに呼びかける。
それにインデックスは、満面の笑みをもって答える。
そして次の瞬間、
「だ、誰が一体そんなトンでもピンクイベントをお前に教えたんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!?」
今度は上条が爆発した。
インデックスのきょとんした顔を眺めながら、ぜーぜーと息を吐く。
何処のどいつが、純真無垢な俺のインデックスにぃーーーーっと、些か自意識過剰な呟きは幸いか残念か彼女には聞こえなかったようだが。
ぎりりと、上条は奥歯を強く噛み締めると、視線をインデックスから逸らして、今回の犯人を考えてみた。
そして、その答えはすぐに見つかる。
(そ、そう言えばさっきインデックスは誰かの名前を――!?)
「舞夏か?」
あのハレンチ義兄妹どもぉ〜!! どこまで……、どぉこまで我が家を騒乱に巻き込みますかぁ〜!! と上条が息巻いて上体を起こそうとするが、上に乗っていたインデックスが素早く上条の体に自身の体を預けてきた。
「お、おいインデッ――」
上条の言葉は最後まで発することは出来なかった。
インデックスはするりと、両腕を上条の後頭部に差し込むと、上条の頭を抱きしめるように引き寄せた。
そして、静止の言葉を発しようとした上条の口に、自身の唇を押し付けたのだ。
そこから暫くの間、お互いの耳は、微かな息遣いと、湿った水音に支配された。
それからどれ位の時間が立ったのか、「ちゅぴっ」と言う音と共に、インデックスの体が上条から離れる。
二人の唇からは、愛の残滓とも思える唾液が一筋の銀の橋を架ける。
荒い息を吐きながら、それでもまだ物欲しそうに口を開けて舌を突き出す上条を見下ろしながら、インデックスも自分の上がってしまった息を整える。
そう、彼女にはまだこれから大事な行事が待っているのだから。
「今は朝だけどぉ、このままだとやっぱり一番は難しそうだから……」
「やっぱりするのか? やっぱりするんですね? やっぱりするんだな……、不こ――」
にっこりと最後通告をしてきたインデックスに、上条は今だ朦朧としながらも最後の抵抗を試みるのだが、
「ねえとうま、不幸なの?」
「――いえ、幸せです」
その日、上条は学校に遅刻する事になる。
そして、そんな上条はまだ知らなかった。
『恵方巻』を吹き込まれたのが、インデックス一人では無かった事を。
「カミやーん、折角心の準備だけでもさせてやろうって思ったのににゃー。舞夏の話じゃ常盤台の女の子にも『恵方巻』の事喋ったらしいんだぜい」
土御門は携帯電話を眺めながらそんな独り言を言った。
「それにイギリス(こっち)じゃ先日、なんとも慌しくカミやんに曰くありげな女性陣が学園(そっち)に向かったぜよ――それにしてもアイツ等、あんな話ホントに本気にしたのかにゃー?」
土御門の声は実に楽しそうに弾んで聞こえた。
上条の不幸(しあわせ)は終らない……。
END