「ルチアー」  
ロンドンの夜も深くなる頃、再びランベス宮の中庭に出て待ち合わせの相手の姿を探す。言われ  
た通りに小さな声で呼び掛けると、闇の濃い一角からぬっと大小の人影が現れた。  
「ルチア、アンジェレネ。ち、ちょっとの間にやつれたな」  
「気に、しないで、ください」  
「みんなお前のこと探してたぞ」  
「少しは気にしなさい!!」  
何か気が回らなかったみたいだ。気をつけよう。  
「そうだ、アニェーゼから伝言預かってるんだった」  
ルチアの肩がビクンと動く。  
「『先約が有るなら言っておいてください。勝負が無駄になっちまいました』ってさ」  
「ふぅ。シスター・アニェーゼは敵ではないようですね」  
わずかの間にそんな人間不信のような台詞を吐かなければならなくなるようなことがあったのだ  
ろうか。  
「あと『覚えてやがんなさい』何か怒らせるようなことしたのか?」  
ルチアの頬が引きつっている。  
「シスター・ルチアがいけないんですよ?抜け駆けなんてするから」  
アンジェレネがルチアの腰を掴んで言う。  
「抜け駆けではありません!」  
「みんなカミジョーさんと遊ぶのを楽しみにしてたのはシスター・ルチアも知ってたじゃないです  
か」  
 
二人はいつもこんな関係なのだろうか、アンジェレネがルチアに言い聞かせるように喋る。前に  
会ったときはルチアがアンジェレネの姉役のような印象だったが。  
「仕方ないでしょう、場の勢いで思わず夜景を紹介すると言ってしまったんですから」  
そう、ルチアと中庭で待ち合わせをしたのはロンドン市街の景色を見せてくれる約束なのだ。  
「学園都市は特殊だろうけど、キオッジアともまた違うんだろうな。楽しみだなー」  
誰に向けてでもなく言うと、口論をしていたはずの二人がぽけーっとこちらを見ている。  
「あ、あれ。どうかした?」  
「いえ。マイペースな方、なんですね」  
アンジェレネは遠回しにバカだと言っているのだろうか?  
「そういやアンジェレネはどうしたの?夜景を見に?それとも見張りの方?」  
疑問にアンジェレネが口を開くより早く  
「シスター・アンジェレネは湯たんぽです」  
「はぁ。……はぁ!?」  
「ふふふ。シスター・アンジェレネは暖かいですよ?」  
不敵に笑う。どうもこのシスターさんはこちらが本領のようだ。  
「友達を暖房器具扱いかよ」  
 
「いいのです。彼女を部屋に置いておいても独りでは寝れないのですから。それにロンドンの夜は  
冷え込みますよ」  
「シスター・ルチア、それは言わない約束です!わ、私たちも自分の分の防寒具しか用意していま  
せん」  
「げ。俺ちょっと部屋になんかないか探して――」  
「させませんよ。何のために神裂嬢があなたの部屋の前に立っていると思っています」  
確かにさっき部屋のドアを開けると神裂がいて「窓からこっそりと出掛けてください」と中に追  
い返されてしまったのだった。その時は女子寮に野郎一匹で警戒されてるんだなと思ったが、夜中  
に出歩くこと自体は禁止されてないのでそれもおかしい。  
「世界に二〇人といない聖人を空の寝室の警護にするなど、全くどういう種類のVIPです貴方は」  
「でもでも、私たちにとっては本当に大切な方ですよ」  
「分かっています。だからこうして」  
二人の会話に  
「で、俺はどうすれば?」  
「シスター・アンジェレネを貸してあげましょう」  
「いぇっ!?」  
「シスター・アンジェレネは柔らかいですよ」  
「いやいやいや。問題あるだろ」  
「三人で毛布が二枚。他に方法はありません」  
「なら二人が使えよ」  
 
「貴方に風邪を引かせるわけにはいきません。それとも私と一枚の毛布にくるまりますか?」  
「もっと駄目だろ!?」  
「ぎゃあぎゃあとうるさいですね」  
いきなりガッと肩を掴まれる。  
「お姫様抱っこーっ!?」  
急激にかかる下向きの慣性。魔術的な加護を得た跳躍であっと言う間に屋根の上に着地する。  
「降りてください」  
「よっ。何かすげー恥ずかしいんですけど」  
「だ、黙りなさい」  
ルチアは再び屋根から飛び降りてしまった。置き去りにされた!?と思っていたら直ぐにアンジ  
ェレネを抱きかかえて戻ってきた。ルチアの胸の中、ぶかぶか修道服のアンジェレネは小さくまと  
まって可愛らしかったが、あれは数瞬前の自分の姿だ。  
「何で跳んで上がるんだよ。梯子あるって言ってたじゃん」  
「あのあたりは見張られていたので」  
とっ。と降り立ちアンジェレネが答える。  
「貴方のせいで使えなくなったのに文句を言われても困ります。それよりもどうですか?約束のロ  
ンドンです」  
「おおー!」  
振り返れば一面に夜景が広がる。  
 
学園都市は学生寮を始め機械的に区切られた生活感があるが、ロンドンのそれはもう少し複雑に  
入り組んでいる。都市の限られた土地に合理的に人を集めるように工夫されたビルディングがある  
一方、歴史を重ねた住居群も残っている。  
「すげー。なんつーか外国に来たぞって感じがするな」  
「喜んでいただけたようで何よりです。これを。シスター・アンジェレネと使ってください」  
ルチアが毛布を投げてよこす。彼女も自分の体に巻きつけている。  
「ま、仕方ないか。アンジェレネこっちおいで」  
両脚を広げて座りその間を指す。  
「うぇえっ!何を!?」  
「だって寒いの嫌だろう?ほれ、来いこい」  
毛布を広げて待ち構えると、恐るおそるといった感じで座る。ぱさっと二人まとめて毛布をかぶ  
る。  
「あったけー」  
「ひぅ!?」  
お腹に手を回すとアンジェレネが奇声をあげた。  
「何をやっているのですか」  
ルチアが隣に腰を降ろす。  
「どこから紹介しましょうか」  
「見張りはいいのか?」  
「シスター・ルチアは夜はあまり見張りに立たないんですよ」  
「独りでは眠れない子がいるので」  
ううー。と呻いて腕の中のアンジェレネが小さくなってしまった。  
 
「まずはあちらですね。ライトアップされた橋が見えますか?タワーブリッジ、テムズ川に架かる  
跳ね橋です。近くにあるロンドン塔は世界遺産にも選ばれています。明日の観光ルートにもなって  
いるはずです」  
「へー。ところでロンドン塔って何?」  
「元は城塞だったようですが、監獄などとしても使われたらしいですね」  
「物騒だな」  
「歴史のあるものですから」  
しばらくルチアのガイドに耳を傾けていると、胸元からすぅすぅと寝息が聞こえてきた。  
「寝ちゃったな。どうしようか?」  
「良ければそのままで」  
「ん。可愛いもんだな」  
「私たちのマスコットです」  
さっきも見た慈愛に満ちた笑み。  
「お前たちもなんだか楽しそうだな」  
「私たちは……。私たちは修行中の身なんです」 まるで楽しいことに弁解がいるようだった。  
「ですが、私はよい神の僕でいられないかもしれません。ローマ正教から抜けたからではなく。こ  
の身は神に捧げると決めていたのに」  
「ルチア?」  
「独り言ですよ。今は、まだ」  
彼女の横顔は遠くを眺め、どこか思い詰めたように映った。しかしじっ見つめるこちらに気付くと柔和に微笑む。  
 
「少し眠るといいですよ。夜明けの風景も素晴らしい。時間になれば起こしますから」  
「ルチアは?」  
「私はもうしばらくこのまま」  
静かに首を振る。  
「そっか。じゃあ俺は寝させてもらうよ」  
「おやすみなさい」  
「おやすみ、ルチア」  
アンジェレネを潰さないように気をつけながら目を瞑る。いろいろなことがあった一日の終わりに相応しく、すぐに眠気がやってきた。  
「こんな時間を独占したいと考えるのは愚かでしょうか?」  
眠りに落ちる前にルチアの呟きが聞こえた気がした。  
 

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