「――――――不幸だ」  
 
ここぞと見定めたビルの屋上から街を俯瞰しつつ、私は小さな溜め息と共に呟いた。  
一体何処で何を間違えたのだろう。  
お互いにいい歳して尚熱々なバカップルに嫌気が差して、  
勝手に家を飛び出したのが悪かったのだろうか?  
それとも、ちょっとした好奇心から両親に縁のある学園都市に立ち寄ってしまったのが  
いけなかったのだろうか?  
しかし、朝になるまでは問題などなかったはずである。  
適当に見繕ったホテルで夜を明かし、ガイドブック片手に学園都市を  
散策する予定がホテルを出て少し歩いたところで軽い立ち眩みに襲われ、  
気が付いたときには周囲の景色が一変していた。  
 
立ち並ぶビルとそこかしこに見える風力発電機は、此処が学園都市であることを  
如実に物語っている。  
だが、昨日私が記憶した学園都市とは景観が異なった。  
昨日は何処かの建物だと思っていた場所に公園が存在する、といった具合にだ。  
劇的な変化というわけではないが、それは私を狼狽させるには十分過ぎた。  
 
(落ち着きなさい、上条砂織。こういう時こそ、冷静に対処しなければ)  
 
当てなど全く無いものの、それでも自分で自分を奮い立たせる。  
土地勘の無い場所で、どこまで役に立つか判らないガイドブックを片手に私は足を踏み出した。  
 
 
「――――――お腹、空いたな」  
 
屋上に座り込んで膝を抱えたままポツリと呟き、私は携帯電話を取り出すと時間を確認した。  
一ヶ月前に変えたばかりの最新機種だが、液晶の上部に表示された圏外の文字が恨めしい。  
最初は故障かとも思ったが、すぐに理由に思い当たった。  
この時代だと私の番号はまだ回線を開いていない状態なので、通話やメールが出来ないのは  
当然の事なのだ。  
 
無いよりはマシと言える程度のガイドブックと睨めっこを繰り返し、街を廻ること二時間。  
結論から言えば、自分の身に降りかかった現実という名の不幸を認識させられた。  
まず途中で立ち寄ったコンビニで、  
新聞の日付から此処は私が産まれるより以前の時代であることを知った。  
私の居た西暦と両親の年齢から考えると、この時代の二人は高校生の年齢ということになる。  
 
なんとかして助力を請いたいが、問題は私の方が年長ということだ。  
世間一般が大人として認識する年齢の自分が、親とはいえまだ高校生相手に助けを求めるのは  
正直気が引ける。  
しかし、今の私にとって頼れる人物が他に居ないのもまた事実だった。  
私の父は善人のお人好しで、困っている人を放っておけない、所謂正義の味方気質をしている。  
会って話をすれば、きっと力になってくれるだろうが、ここにも現実的問題がある。  
 
困ったことに、私はこの時代の両親の住まいや連絡先を知らない。  
イギリス清教に問い合わせればひょっとしたら、とも考えたが、私には連絡手段がなかった。  
昔に資料で読んだ公衆電話なるものを探してはみたものの、さすが携帯電話全盛の科学都市。  
化石のような代物を、簡単に見つけられるはずもなかった。  
付け加えれば仮に会えたとして「私はあなたの娘です。困っているので助けて頂けませんか?」  
と言っても、変なところで現実主義者な父が話を信じてくれるかは甚だ疑問ではあるが。  
 
他にも問題はある。  
今後の方針に行き詰まった私は、ジュースを飲んで気分を変えようとしたものの、  
センサーにマネーカードをかざしても自動販売機が反応しなかった。  
利便性はともかく、どのような情報のやり取りがあるのか仕組みについては判らないが、  
機械側が私の情報を存在しない架空のものとして認識したのかもしれない。  
この時代では文字通り、無一文、ということだ。  
これではホテルは勿論、食事を摂る事だって出来はしない。  
チャージ式のカードを持って来ればよかったのかも、と今更ながら後悔した。  
尤も、携帯電話同様に無駄だったかもしれないが。  
 
『さおりんもつくづく不幸だにゃー。  
 ひょっとすると、カミやんの不幸は幻想殺しのせいじゃなく、そういう体質かもしれんぜよ』  
 
以前聞いた土御門のおじさんの言葉が、やたらと真実味を帯びているように思える。  
 
「どうせ遺伝するならば、父さんが持つもう一つの体質を十分の一、  
 せめて百分の一でいいから受け継ぎたかったですね」  
 
それならきっと、男っ気が全く無い寂しい十代を過ごさずに済んだかもしれないし、  
未だ記録更新中の、彼氏いない歴=年齢を回避出来ていたかもしれない。  
尤も、父のように片っ端から立てて変な噂を流されるのも、それはそれで困るのだが。  
私は今日、何度目かの溜め息と共に、やはり何度目かのお決まりの台詞を口にした。  
 
「――――――不幸だ」  
 
現実はあまりにも厳しい、とはいえ、いつまでも現実逃避しているわけにはいかないのも事実。  
当ては無いが資金も無い為、悠長に構えていると本当に行き倒れそうだし。  
そうなったらさすがに、みっともないというか、合わせる顔が無いというか。  
とにかく、のんびりはしていられないわけで。  
周囲を警戒しつつ、学生の多そうな場所に移動した方が良さそうだ。  
学生のことは、やはり学生に訊いてみるのが一番だし。  
 
アンチスキルやジャッジメントに捕捉されるリスクなど、考慮に値しない。  
どういった監視方法をしているかは判らないが、先の自動販売機の件で、  
私が都市の運営側から不審人物として認識されているであろう事は、容易に推測できる。  
元の時代ならともかく、ここでは私の記録そのものが存在しないのだから。  
とはいえ、トラブルを起こせば記録にも残ってしまうわけで、戻れた時のことを考慮すれば  
可能な限りそれを避けたいのだが、どことなく既に手遅れのような気もする。  
 
「とりあえず、人の多い駅前に出てみた方が良さそうかな?」  
 
駅の方向を確認し、ガイドブックと照らし合わせて道順を覚えようとした私は  
偶然視線を奔らせたその先で、変わった服装の二人組を見つけてしまった。  
 
二人はすぐに建物の影に隠れてしまったが、行き先はすぐに判った。  
二人とも階段を使って、マンションのような建物を昇っていたからだ。  
ここからの距離は四百m弱といったところだろうか。  
私の視力でも、十分に判別できる距離だ。  
白地のTシャツの裾を、胸部を強調するかのようにお臍の上で縛り、  
ジーパンの左の裾を、脚の付け根の部分から切り落としている。  
見た目の年齢や体格こそ異なるものの、二人とも全く同じ服装。  
確かこれって、ペアルックというやつだっただろうか?  
 
「かなり、その、エロい格好――――――」  
 
似たような格好をしている自分のことを棚にあげて、そんな感想を抱いてしまう。  
なにしろ、私の場合は黒のニーソックスを履いている事と、  
Tシャツの上に黒地のシャツを羽織っている位の差である。  
魔術的要素もあるとはいえ、この格好でも正直恥ずかしい。  
そして最も特徴的なのは、まるでお侍さんのように後頭部で一つに結われた長い黒髪と、  
腰に巻いたウェスタンベルトに吊り下げられた長い棒状の代物。  
 
「あれって、七天七刀……だよね?ということは、あの女性が私の」  
 
私が顔を確認している間に目的の場所に着いたのだろう。  
先行していた小柄な少女が扉の前で止まり、程なくして部屋の中から一人の少年が姿を見せた。  
 
「若っ!父さん、若い」  
 
よくよく考えれば当たり前のことなのだが、そんな事などお構い無しに叫んでしまった。  
しかし、だ。  
娘の私が言うのもアレだが、母はとても美人である。  
そんな母が、どう見ても美男子に見えない、女性関係にだらしのない父に惚れたのだろうか?  
まあ、父の手当たり次第に手を出す性格上、惚れたのは仕方ないとして――――――  
問題は、何故そんな父と結婚できたのか、である。  
二十四年も二人の娘をやってきたが、私はこの疑問の答えに未だに辿り着けないでいる。  
 
「それにしても――――――」  
 
私は再び、父と会話する母の姿を観察する。  
流石に下も穿いてない、ということは無いと思う――穿いていると思いたい――が、  
上はどう見てもブラを着けている様には見えない。  
それでもその大きさと形の良さが見て取れる。  
私は無意識のうちに自分の胸と比較して、少なからず気落ちした。  
以前、堕天使エロメイドセットは土御門のおじさんに無理矢理贈りつけられた、と言っていたが  
本当は父と母の趣味なのでは?と思いたくなってしまう。  
悲しいことに、今の母の格好はそれを否定する要素が見当たらないからだ。  
まあ、私がそんな贈り物をされたら、相手ごと七閃で切り刻むのは間違いないだろうけど。  
 
「あっ、やばっ」  
 
父の部屋に入る直前、母は私の方を見ていた。  
恐らく、視線に気付いていたのだろう。  
慌ててしゃがみ込んだものの、物思いに耽っていた私は対応が遅れてしまったのだ。  
私の視力は母譲りだから、向こうにも私の姿が視認出来た筈である。  
しかし、これは僥倖と言えるかもしれない。  
父の居場所もわかったし、なにより私を認識したであろう母は父と共に居る。  
会うなら今こそ好機だ。  
他にも何人か女性が居たようだが、この際その事実は忘却の淵に沈めておこう。  
どのみち、私一人では状況を打開出来ないのだから。  
 
「そうと決まれば、行動あるのみ」  
 
目的のマンション――学生寮らしい――には、さほど苦もなく辿り着くことが出来た。  
身嗜み用の手鏡を使い、部屋の前で着衣と髪型に乱れが無いか確認。  
訳も判らず高鳴る鼓動を必死に押さえ込み、緊張に震える指先で呼び鈴を押す。  
部屋の中から微かに聞こえた電子音。  
待つこと数秒。ドアが開く。  
 
「はいはーい、どちらさまで――――――」  
 
緊張感の無い声で応対に出た父は、私を見た途端に固まった。  
 
「こ、こちらは、上条当麻さんの御宅、で、よ、宜しいでしょうか?」  
 
私は笑顔を浮かべて尋ねてみた。  
尤も、緊張のあまり声が裏返り、顔が引き攣ってしまったが。  
お互いに固まること数秒、ものすごい勢いでドアが閉ざされて私は唖然とする。  
そりゃあ、ドアを開けたら見知らぬ女性が立っていて驚いたのは理解出来るが、  
この過剰反応はなんなんだろう?  
私はもう一度呼び鈴を押してみた。  
 
『頼む、神裂!今度はお前が出てくれ』  
『何を言っているのです?上条当麻、ここは貴方の部屋でしょう』  
『二人で一緒に出てみては?と提案してみる』  
『私たちのように、父様の子供かもしれませんし』  
 
部屋の中から聞こえる声に私の緊張や興奮は急速に冷め、  
反比例するように怒りゲージが溜まっていくのを自覚してしまう。  
やはり、父に頼ろうとしたことは失敗だったのだろうか?  
だが他に当てなどなく、ドアを破壊したい衝動を抑えて三度呼び鈴を押す。  
 
カチャッ  
ゆっくりとノブが回る音がして、ようやくドアが開く。  
ひょこりと顔を覗かせたのは、薄い茶色の髪と大きな瞳を持つ五才位の小さな女の子だ。  
またしても父が出てくると思っていた私は、完全に不意を突かれた格好となる。  
 
「あ、えーと、その」  
「――――――おばちゃん、パパにご用?」  
 
竜王の殺息級の破壊力を秘めたその幼い言葉が、私の心にぐさりと刺さる。  
おばちゃん、って言われた。  
初体験は無論、キスどころか男性とお付き合いすらしたことないのに。  
そもそも色恋沙汰とは無縁な、空しい二十四年間だったというのに。  
 
「あ、うん。お姉さんはね、上条 砂織っていうの。  
 パパにご用があって来たの」  
 
限りなく0に近い所までHPを削り取られたものの、なんとか踏み止まれた私は、  
女の子の「おばちゃん」発言をさりげなく訂正しておく。  
きょとんとしていた女の子――かみじょーまなと名乗った――は、ドアを大きく開き、  
私を部屋の中へ迎えてくれた。  
同じ苗字ということは、やはりさっきの「パパ」発言は本気だったらしい。  
その一方で、リビングでは四人の男女が対応の押し付け合いを展開中である。  
このうち、二人は父の子供だとマナちゃんが教えてくれた。  
訊ねてきた娘――まだ名乗ってはいないが――をほったらかしにして、  
こんな不毛なことをやっていたのか。  
おばちゃん発言という挑発で減少していた怒りゲージが、再上昇を始める。  
 
私は傍らのマナちゃんに「危ないからここから動かないように」と言い含めると、  
そのままリビングの入り口へと移動した。  
 
「――――――訪問者に放置プレイをするのが趣味ですか?そうですか」  
 
努めて平静を装って出した声で、ようやく全員の視線が私に向いた。  
 
「ほ、ほら、神裂、お前の身内なんだろ?お前が対応してくれ」  
「貴方は何を聞いていたのですか?」  
「だったら、この女性は未来の神裂とか」  
「――――――言いたいことは、それだけか?腐れ外道が」  
 
元々私は、母よりも気が短い。  
いくらお互いの事情が判らないとはいえ、ここまで放置されて平気で居られるほど、  
私は人間が出来ていない。  
むしろ、よくここまで我慢した、と自分を褒めてやりたいくらいである。  
人を玄関先にほったらかしにした挙句、他にも娘が居ます、だと?  
ほんと、なんでこんなバカ――最早、父とは呼びたくない――を当てにしたのだろう。  
我ながら自分に腹が立つ。  
 
「あ、あ、あの、ですね。  
 何処のどなたか、存じませんが、まずは落ち着いて、話し合いませんか?」  
「全力で!お断りさせていただきます」  
 
にこやかな笑みを浮かべ、百分の一秒の早業で提案を退けると七天七刀に手をかけた。  
幸いなことに、私の怒りゲージはMAXで、ライフゲージは赤点滅状態。  
潜在必殺技の使用は無論のこと、超必殺技も撃ち放題だ。  
狙うは上条当麻、ただ一人。  
心中ではきっと「不幸だ」などと言っているのだろうが、そんなの知ったことじゃない。  
とはいえ他の三人が止めに入るかもしれないが、その時は聖人すら凌駕してみせる。  
まずは殺さない程度で徹底的に叩きのめして、娘を放置した報いをたっぷり受けて貰おう。  
他の娘の件も含めた、諸々の言い訳を聞くのはそれからだ。  
 
 
「天草式十字凄教所属、上条 砂織!  
 いざ尋常に、推して参る」  
 
 
さあお父様、  
お仕置きの時間です。  
覚悟はよろしいですね?  
 
 
 
 

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