「♯♪♪〜♪〜♪♪♪〜♪〜♪♪」  
「(……Zzz……Zzz……Zzz。…Zzz…zZ)」  
「♯♪♪〜♪〜―――――♪」  
「(………zZ。……んっ。うるさい……)」  
「♯♪♪〜……」  
 
着信メロディーを盛大に奏でる携帯を、布団の中から手探りで掴み取り耳に当ててみる。  
 
「ピッ♪」  
「…………………………。………………………」  
「おはよう。朝早くから申し訳ないんだけ……」  
「おはようございます。おやすみなさい」  
「ピッ♪」  
 
半分意識がない状態だったが、取り敢えず相手から挨拶されたみたいなのは分かったので、  
こちらも失礼がない様に挨拶をしてから通話を切る。……眠かったから。  
 
「♯♪♪〜♪〜―――――♪」  
「(……うっ。しつこい)」  
 
安眠を妨げる者には無視の刑罰を下したい所ではあるが、睡魔と闘いながらも何とかその誘惑を  
振り切り、眠くてよく開かない瞼をチョッピリ持ち上げて、時刻と相手の確認をしてみることにした。  
画面に表示されているのは、朝と言うにはいささか抵抗のある時刻の午前5時5分前。  
そして、こんな時間に電話して来たのは、10日程前に登録した人物の名前だった。  
 
「ピッ♪」  
「上条当麻君。彼の件で話があるんだけどね?」  
 
こちらと通話が繋がるや否や、即効で用件を切り出して来た。  
どうやら通話を切られた事で、自分に最もインパクトのある言葉を最初に持ってくる事にしたらしい。  
確かに効果は抜群で瞬時に眠気は吹き飛んだが、あの人の名前を聞くだけで反応してしまう自分が少し  
恥ずかしかった。そして、そんな自分を把握されている事実を突き付けられて情けなくもあった。  
『私って単純?』自己嫌悪の海に溺れそうになったが、今はそんな事より重要な事がある。  
 
「カエル先生。上条君。どうしたの?」  
「彼、またうちの病院に担ぎ込まれたんだけどね?  
 今回は少し手こずったから、入院が長引くかもしれないね?」  
「…………」  
 
私は、一昨日の光景を思い出していた。  
放課後の地下街。偶然見かけた、あの人は走っていた――――。  
普段は見せない、何度か見たことのある真剣な表情をして………。  
そして、昨日の光景を思い出していた。  
教室で、朝から空いたままの、あの人の席を見ながら――――。  
この後、高確率で展開するかもしれない出来事を予想していた………。  
「(……ふふっ。また事件。そして新たなるキャラの登場。私って報われない……)」  
 
「………聞いてるのかな?君、これから病院に来て欲しいんだけどね?」  
「………。どうして?」  
「彼が前回入院してた時話しただろ?今度入院した時は看病をお願いすると――」  
「えっと……。あれ。本気だったの?」  
 
私は、10日程前のお見舞いの時を思い出していた。  
 
 
その日、週末の休日であるにも関わらず、私は朝早くから一人で病院に来ていた。  
手にしているバックの中には、お見舞いの品である『お弁当』が入っている。  
中身の方も、学校のお昼休みにコツコツと集めたデータを基に厳選して作られている。  
以前、病院の食事に不満を漏らしていたのを聞いた事があるから喜んでくれるだろう。  
他の見舞い客(ライバル)がいる前で、『お弁当』を渡したりなんかしたら後々面倒な事になりそうな  
予感がするので、それは是非とも回避しておきたい。  
午前中の早い時間帯なら、他に見舞い客(ライバル)もやって来ないだろうからと目星を付けたが、  
少し早過ぎただろうか?普段学校へ行く時間とほとんど変わらない。  
まぁ、その分彼とゆっくりと話せる機会もつくれるから良しとしよう。  
教室で彼の周りにいる人は脳汁が溢れている様な人達(約2名)だから、私が口を挟む隙がなかなか  
訪れてくれない。普段話せない分、今回で一気に取り戻そう。  
そして、今日の何よりも重要なポイントは、彼を独占できること。  
その為の最大の障害も、出かけに小萌先生に確認を取ると朝の子供番組に夢中になっているらしい。  
胸の前で、グッと小さな拳を握り締めながら心の中で高らかに宣言する。  
「(今日。私が主役(ヒロイン)!)」  
 
 
「おはよう。上条君」  
「おっす――、姫神。……やけに早い登板だな」  
 
私がいつもの病室に入ると、彼は既に起きていて暇そうにしていた。  
今回の怪我は、どうやら背中の方が酷かったらしく俯けの姿勢で寝転んでいる。  
 
「君の方こそ早い。何かあった?」  
「う〜ん、特に何もないんだけどな。朝飯を作る時間だから自然に目が覚めちまった」  
「………。主夫」  
「ぶほっ!?」  
「正解?」  
「……いっ、いや違うんだ。…こ、これは、健康的な規則正しい生活を送ってる確たる証であって、  
 清々しい朝の空気を満喫しながらブレックファーストを楽しむのが上条さん的朝の様式美なので  
 あって………けっ、決して朝飯を作るのが遅れたから、腹を空かせた猛獣に頭を噛み砕かれそう  
 になった経験故の条件反射じゃなくて、それも何度も何度も経験して体に沁み着いた習慣じゃ―  
 ――って、止めろ!インデックス。止めてくれ!頭蓋骨が軋んでる!あ、頭の中に直接ゴリゴリ  
 ミシミシって音が、音が――――!!」  
「(パシ――ンッ!)」  
「はっ!?……って、あれ?」  
「戻った?」  
「……ひ、姫神?」  
「大丈夫?」  
「えっと……俺、一体……」  
「ふう。良かった」  
「…………………」  
「涙。零れてる」  
「…………………」  
「同情して良い?」  
 
上条は枕に顔を埋め、姫神が見せる人の優しさを噛み締めて肩を震わせ、そして食欲魔人が見せる  
七つの大罪を噛み締めて肩を怒りに震わせていた。  
姫神はそんな上条の頭を慰める様に愛しむ様にナデナデしていた。  
 
「(………。むっ。天然?)」  
手のひらで撫で付けても直ぐに元に戻るツンツン頭。  
踏まれても踏まれても元に戻る雑草を思いながら、面白いので暫くその感触を楽しんでいた。  
「(ナデナデ……ナデナデ……ナデナデ……)」  
十分堪能して気が済んだところで大事な用件を思い出す。  
「(そうだ。『お弁当』。渡さないと)」  
私はお見舞いの品が入った紙袋を差し出した。  
 
「はい」  
「おっと。また、唐突に差し出して来たけど、何だこれ?」  
「お見舞い」  
「お見舞い?」  
「そう」  
「……そっか、お見舞いか。気い使わせて悪いな」  
「気にしなくて良い。大した物じゃない」  
「お見舞いなんて久しぶりだな〜。ありがたく貰っとくよ」  
「久しぶり?」  
「あぁ、最初の内は皆も色々持って来てくれてたんだけどな――。  
 何度も入院してたら、何〜んも持って来てくれなくなっちまった」  
「納得」  
「ところで、これ見て良いか?」  
「うん。…………。起きて良いの?」  
「ん?……あぁ、急に動いたりしたら痛みが走るけど我慢出来ない程じゃないし、こんくらいなら、  
 ちょっと引きつってる感じがする程度だからな。  
 背中だから自分じゃ分かんないけど、明後日には退院だから大した怪我じゃないだろ」  
「明後日。良かった」  
「入院って言っても、いっつも3・4日くらいしか入院してないからな。……(ガサゴソ)……  
 おぉっ!?何か美味しそうな匂いが――?……(ゴクッ)  
 えぇっと。姫神様、姫神様。こちらから上条さんの食欲中枢を大変刺激して下さる香りが  
 漂って来てますが、中身は一体何なんざましょ?」  
「『お弁当』」  
「!!!!」  
「君の好きなおかず全部。+αいっぱい」  
「……(スッ)……」  
「どうしたの?手出して。(なんとなく、スッ)」  
「(ガシッ!ギュウ〜!ブンブンブンブンブン!!!)」  
「ち……。ちょ……。ちょっと。か上……。上条君…」  
「(ブンブンブンブンブン!!!!)」  
「(グラグラグラグラグラクラクラ)」  
「ありがとう〜姫神様!!愛してるよ―――ッ!!!」  
「(クラクラ。……ボッ)」  
 
「ちょっと、いいかな?盛り上がってる所で恐縮だけど――」  
「あれ?先生、何時の間に……」  
「君が、彼女の手をブン回してシェイクしてた頃からだね?」  
「おぉー、なるほど。『お弁当』に感動してて一切合体、微塵も気付かなかった」  
「なるほどね、男子の憧れ『彼女の手作り弁当』。そう言う事かい?」  
「何アホなこと言ってんスか」  
「う〜ん、もしかしなくても、お邪魔だったかな?」  
「邪魔って訳じゃないけど……何か、勘違いしてません?」  
「ところで、回診の時間なんだが。どうするね?後に回した方が良いかな?」  
「だ・か・ら、何か、勘違いしてません?変な勘ぐりしちゃ、姫神様に対して失礼ですよ!」  
「そうかい、残念だね?  
 『はい、あ〜ん』『あ〜ん』『(モグモグ)』『……どう?』『ぅんまぁ〜い!』  
 そんな青春の素敵イベントを生ライブで見れると思ったんだが、期待外れかな?」  
「アンタ、頭に何湧いてんだ?変な虫でも飼ってんのか?それと、気色悪い声色を使うな!  
 見ろっ!こんなに鳥肌が立っちまったじゃねえか!」  
「まぁ、本当は診察が終わらないと『彼女の手作り弁当』も食べられないから、イベント発生は、  
 その後のお楽しみになってしまうんだけどね?」  
「!……こっちの言う事はスルーですか……そうですか……って、何いっっ!?  
 診察終わんないと食えねえって、どういう事だよ!」  
「君、自分が入院患者だって忘れてないか?昨日も朝食前にやったろ?」  
「あっ!……そういや昨日も朝食前にやったっけ。正確なデータが要るからって……」  
「それじゃ、今からするか、後にするか、決めてくれないかな?」  
「当然!今すぐ、速攻で、光の速さでお願いします。私めには『お弁当』と言う尊い御方が、  
 一日千秋の思いでお待ち下さっているのですから!」  
「そんなに病院の食事は嫌いかい。あれは、患者に必要な栄養素は全て兼ね備えてるんだよ?」  
「あんな精進料理とサプリメントのハイブリッドなんて、豊かな食生活を求める高校生には、  
 いじめ以外の何者でもありません!いじめ反対!我々には食に対する権利がある!」  
「そんなに力一杯言わなくても……。食事担当のスタッフが聞いたら泣き崩れてしまうよ?」  
「時には現実を聞かせてやらないと。『患者は食を司る我に従え!』そんな理不尽でふざけた幻想、  
 このおさんどん高校生、割烹上条がぶち砕いてお茶漬けにしてやる!!」  
「それは勘弁してやって欲しいね?ほら、アメ玉あげるから」  
「わ〜い。ミルキーだあ〜」  
「うんうん。ところで彼女の方は放ったらかしだけど、良いのかな?」  
「へっ?(チラッ)」  
「……(ボ――――ッ)……」  
「彼女、放って置いていいのかい?」  
「………あれ?」  
「……(ボ――――ッ)……」  
「てっ!?おい、姫神!どうしたんだ?何か顔が真っ赤になってるぞ!」  
「はっ!?」  
「おい、どっか気分でも悪いのか?」  
「えっと……。大丈夫」  
「本当に大丈夫なのか?まさか、『お弁当』作んのに無理したって訳じゃ……?」  
「無理してない。本当」  
「……そうか、姫神がそう言うんなら良いんだけど」  
「どうやら、話がついたみたいだね?それじゃ診察を始めるとしようか。  
 あーっと、君は少し席を外しといてくれないか?」  
「私?」  
「そうだよ。他人のものとはいえ傷なんてあまり見たくないだろ?」  
「それなら平気」  
 
「あぁ、そういや、前に女の子の止血すんのに、髪の毛で傷口縫った事あったな。  
 先生、姫神なら大抵の怪我みても平気だと思う。あん時は俺の方がオロオロしてたくらいだしな」  
「髪の毛で傷口をかい?………そういえば、別の病院で、そんな患者を担当したって医者がいたな。  
 そうか、君が応急処置したのか。彼も凄く驚いてたけど、的確な処置に感心してたね?」  
「大した事してない。あの時。出来る事しただけ」  
「そうかい?自分に出来る事をする、言葉にすると簡単なんだけど、実際に実行出来る人は多くは  
 いないし、まして人の生死が係わる緊急時に、そういう人はなかなか居ないと思うよ?」  
「……………」  
「それでは始めるとしようかね?君もここで見てて良いから」   
「良いの?」  
「その代わり、後で感想聞かせてくれないか?」  
「わかった」  
 
姫神の見ている前で包帯が外され、背中を覆うしなやかで弾力のあるパッドが外される。  
台の上に置かれた外されたパッドを見てみると、微妙な色合いのジェルが内側に見て取れた。  
深い色合いと言うより濁った様な原色の色合い。  
シュールレアリズム、いや精神を病んだ人がキャンバスに顔料を塗りたくった油絵を連想させる。  
健康や清潔とかの概念に真っ向勝負を挑むでいるみたいで、非常に不快にさせる。  
こんなの貼り付けられたら、健康な部位でも腐って行きそうだった。  
ジェルのインパクトが強すぎて、上条の方を見るのが若干遅れたが、視線を戻して観察する。  
「(み。見えない)」  
丁度カエル医者の死角になって全然見えない。  
しょうがないから、横に回り込んで近付いてみる事にして……そして、上条の背中が見えた。  
「(…………。うそ。酷い傷。奥に見えるの。肩甲骨?)」  
上条の態度から楽観視していた姫神だったが、目に飛び込んで来た傷は軽いものではなかった。  
面積にすれば背中の半分ほどだろうか、赤黒い内出血で覆われ所々皮膚も剥がれたりして中の肉が  
覗いている。そして、幾つかの肉が抉れた箇所でも特に酷いのは右の肩甲骨の辺りで、最深部には  
白い物が見える。骨である。誰がどう見ても立派な重傷患者の出来上がりである。  
「(おかしい。普通。痛くて動けない。どうして?)」  
目を凝らして背中を観察しても、分かる事と言えば一つだけである。  
さっきの気味の悪いジェルから滲み出したとはとても信じられないが、何故か無色透明なジェルが  
薄く体表面を覆っている。それは骨が見える箇所も同様に覆っている、と言うより埋めている。  
「(やっぱりジェルが鍵。未知の成分?魔法のお薬?)」  
悩む姫神を置いてきぼりにして、何時からそこにいたのか?突っ込み所満載の看護師(ナース)が、  
手際良く検査機器を上条に貼り付けて、データ収集していく。  
必要なデータが集まったらしく、カエル医者と専門用語過多のやり取りをすると撤収作業に突入。  
一連の無駄の無い流れる様な作業を、興味深げに目で追う姫神。  
撤収作業が完了した看護師(ナース)は、姫神の方に向かって誰をも安心させる様な柔和な微笑みを  
浮かべると、軽く会釈しながら部屋から去って行った。  
「(うん。良いもの見れた)」  
ちなみに、珍しく上条は診察中に一言も喋っていないが、理由は寝ていたからである。  
真相は、前日の行いから看護師(ナース)が早々に眠らせた訳だが、姫神はもちろん、眠らされた  
本人も、それがどんな手段だったかは察知する事すら出来なかった。看護師(ナース)恐るべし。  
 
 
ここは、カエル先生の診察室。  
寝ている彼に戸惑っている私に、カエル先生が理由を話してくれた。  
どうも彼は昨日のお痛が過ぎて、お仕置きされたらしい。  
後30分は目が覚めないらしいから、『お茶でも飲みながら感想を聞かせてくれないか?』  
少し喉が渇いてた私は、その提案に乗ってみた。  
 
「お待たせ、日本茶で良かったかな?」  
「うん。ありがとう」  
「……(ズズッ)……」  
「……(ズズッ)……!」  
「どうだい、このお茶は?」  
「美味しい!」  
「ふふっ、そうだろう?君がお茶の違いの分かる人で嬉しいよ」  
「これ。どこで買ったの?」  
「う〜ん、残念だけど売り物じゃないんだよ。僕の友人が趣味で栽培してる物でね?」  
「…………。ずるい」  
「そんなに恨みがましい目で見ないでくれないか?それより、さっきの診察どう思ったかな?」  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
「……ふぅー、茶筒一缶進呈しよう。それで良いかね?」  
「うん」  
「それで、どう思ったかな?」  
「変」  
「ちなみに、どこらへんが変なんだい?」  
「全部」  
「ははっ―、全部と来たか。理由を教えてもらえるかな?」  
「明後日の退院無理。あの傷塞がるの2週間。退院一ヶ月。これが普通。  
 それに。動けないはず。痛み軽すぎ。だから。全部おかしい。」  
「うん、その通りだね?普通じゃ出来ない。それじゃ、どうすれば良いのかな?」  
「魔法のジェル」  
「そんな名称じゃないんだけどね?……そう、答えは簡単。普通でなくなれば良いだけだろ?」  
「あれ。何?」  
「そこは企業秘密だね?」  
「…………。けち」  
「待ちなさい。それが貴重な一缶を譲った人間に言うセリフかい?」  
「けちんぼ」  
「微妙にバージョンアップしてるじゃないか。いくら僕でも傷付いてしまうよ?」  
「……(プゥ――っ)……」  
「そんなに不満そうに頬を膨らますんじゃないよ。どうしても、知りたいかい?」  
「……(コクコクコク)……」  
「今度は首のシェイクかい?う〜ん、残念だけど教えて良いのはうちの病院の関係者だけなんだよ。  
 さっきも言った企業秘密絡みでね?」  
「……(ガ―――ン)……」  
「ありゃ、そんなに斜線濃くしてどんよりオーラ出さなくても――。  
 やれやれ、これもさっき言ったろ?普通じゃ無理なら、普通じゃなくなれば良いってね?」  
「……どうすれば良いの?」  
「簡単じゃないか。関係者になれば良いだけだろ?」  
「無理。私。学生。免許も取れない」  
「あぁ、それなら心配要らない。通常業務は普通のスタッフが担当するから色々免許も必要だけど、  
 それ以外の特殊な物は個人契約者が担当してるからね?裏技ってやつかな?」  
「よく分からないけど。病院がそんな事で良いの?」  
「構わないよ、患者の為になる事ならね。そうだね?契約しても、普通の患者は見れないから、  
 彼の担当にでもなってもらおうかな?」  
「彼って。上条君?」  
「そうだよ?実際問題、彼ほど頻繁に入院して来る人間なんていないんだよ。  
 おまけに、部屋で大人しくジッとしててくれないだろ?いつも出歩いて、あっちこっちでトラブル  
 を起こしてるからね?言わば監視役に近いかな?」  
「入院してても。やっぱり。上条君なんだ」  
「こっちも、困っててね?普通に歩いてるだけなのに、トラブルが起こるんだよ?  
 彼なら知り合いだし、君も大丈夫じゃないかな?で、どうするね?」  
 
「えっと……。どうしよう?」  
「スタッフになれば、入院中は彼を独占する事だって簡単にいくだろうね?  
 今なら、茶筒もう一缶サービスするけど?」  
「じゃあ。やる」  
「ふふっ、そうこなくっちゃね?ジェルに付いては、このファイルを見ればわかるよ。  
 善は急げだ。手続きに数日は係るけど、取り敢えずこっちの書類にサインしておこうか?  
 後、制服も色々取り揃えないといけないから、こっちにも記入しといてくれないかな?」  
 
 
 
 
私は、10日前の回想から戻って溜め息を吐いた。  
いい様に誘導された。猫にマタタビ。馬に人参。後の祭り。私の馬鹿。  
そんな幾つもの言葉が頭の中をグルグル回っていた。  
自己嫌悪のラビリンスを彷徨っていた思考を、なんとか現状認識に復帰させる。  
「(………………………………)」  
……よし。落ち込んでても仕方ない。それに、これは大きなチャンスだ。  
色々理由をこじ付けなくても、彼の側にいれるのだ。  
強敵(ライバル)は嫌になるくらい沢山いる。何時までも後塵を拝していては駄目だ。  
そして、お茶はとても美味しい。  
私は、覚悟を決めて決断を迫る相手に告げる事にした。  
 
「……どうするかは、君次第だよ?」  
「わかった。行く」  
 
姫神は素早く身支度を整えると、日の出前の暗い道を急ぎ病院を目指す。  
途中、新聞屋さんがスクーターに乗って走っているのを見かけたが、この学生の街で商売が成り立つ  
のか、と余計な心配をしてしまう。特別な補助金が出るのか、それとも愛好会でもあるのだろうか。  
そんな取り留めも無い事を考えている内に病院に到着する。  
玄関に立っていた守衛に何て言おうかと考えながら近付いて行く。  
カエル先生に呼ばれた、と説明しようかなと思ったが、その呼称は失礼かもしれないと思い至り、  
少し丁寧に言っても、カエル顔のお医者さん、くらいしか思い浮かばない。  
本人も名乗らなかったし、名札にはカエルのシールが貼ってあるだけで本名も分からない。  
結論が出ないまま、取り敢えず朝の挨拶をしてみた。  
 
「おはようございます」  
「おはよう。朝早くからご苦労様」  
「おはよう。先生は今は診察室に居るはずだよ」  
 
どうやら、事前に話しが通っているみたいだった。  
不審人物と間違われたり、事情を聞かれたらどうしようなどの考えは杞憂だったらしい。  
病院内に入ると真っ直ぐに診察室を目指す。  
 
「カエル先生。おはようございます」  
「朝早くからすまないね?そして、改めておはよう、姫神君。  
 今日から、うちのスタッフとして宜しく頼むよ?」  
「……それで。私。何をすれば良いの?」  
「うん。先ず君にやって貰いたい事は、基本中の基本であり、最重要な事でもあるね?」  
「…………。それ。何?」  
「もちろん、制服に着替える事だね?」  
「…………。帰って良い?」  
 
カエル医者は徐に椅子から立ち上がると、壁の一角へと歩いて行く。  
姫神の位置からはカエル医者の影になって良く見えないが、壁に向かって何かやっている様だった。  
影になる前に見た限りでは、何の変哲もない真っ平らの壁にしか見えなかったが………。  
微かな電子音とモーター音が耳に届くと、壁全体が奥に動いた後、横にスライドしていく。  
壁の向こうは明かりが点いてない為、暗くて良く分からない。  
 
「おおっ。隠し扉。隠し部屋。マニアな人?」  
「渡す物はこの部屋に置いてあるから、来てくれないか?  
 それと、誤解のない様に言っておくけど、この部屋は簡易シェルターなんだよ?  
 病院の地下には本格的なのがあるけど、何らかの事態で降りられない時を想定して、幾つか設置  
 されてる訳だね?」  
「ちゃんと分かるの。普通。でも。見ても分からなかった。やっぱり。マニアな人?」  
「そこはだね……、ほら男の遊び心というものだね?何時までも少年の心を失わない、アンチテーゼ  
 の表現の意味合いもあるんだよ?」  
「うん。わかった。そっち行けば良いの?マニアなカエル先生」  
「……ちょっと待ってくれないかな?やっぱり、僕が持って来るから………」  
 
何故か、慌ててるカエル医者の脇を通り部屋に入る。  
センサーライトが点いて明るくなった室内を見回して、姫神は確信する。  
 
「マニアなカエル先生。ここに。何着あるの?」  
「………………………………」  
 
気不味そうにして動かなくなったカエル医者。姫神は改めて部屋の中を仔細に観察し始めた。  
部屋は長方形で大きさは結構広い。隣接する診察室の倍はあるんじゃないかと思う。  
だけど、その広さがあまり感じられない。部屋の三方の壁に設置された天井までの高さのロッカー。  
上下二段のロッカーが壁を埋めており、その扉にはナンバリングされたプレートが掛かっている。  
いや、そんな事より、この部屋の異様さを醸し出している原因が他にあった。  
マネキン。  
30体程のマネキンがロッカーの前に立っている。……ナース服を着せられて……。  
手近の一体を良く見てみると、名札が付いていてそこにナンバーが書かれている。  
どう考えてもマネキンのナンバーはロッカーのプレートと対応しているとしか思えない。  
部屋の中心には簡素な机と椅子が置かれており、机の上にスーツケースが置かれている。  
うん、誰がどう見ても立派なコスプレ変態制服フェチ野郎の部屋だ。  
 
「すごい。妄執を感じる」  
「……君は何を言ってるんだい?  
 これはあくまでも、うちのスタッフ達には一人一人最適な制服を身に着けて欲しいと言う、  
 僕のささやかな美への手助けに過ぎないんだよ?そこを勘違いされてもらっちゃ困るね?  
 実際、うちのスタッフ達には大変好評を博してるんだからね?」  
「じゃあ。あれは」  
「ああっ、スリットの入ったやつかい?あれは、公開したら12人希望者がいてね?  
 サイズが重なった娘もいたから業者に再発注したくらいだね?」  
「じゃあ。これは」  
「ああっ、肩から胸元に掛けて更に大胆にも背中の方もカットしたやつかい?  
 あれは、公開したら5人希望者がいてね?サイズは重ならなかったけど在庫が切れたね?」  
「みんな。ここの事。知ってるの?」  
「もちろんだよ。ほら、扉の横にドアがあるだろ?あそこは更衣室になってて、おまけに撮影も  
 出来るんだ。うちのスタッフ達は勤務が終わったらよく利用してるね?」  
「………。みんな。変」  
「うちの関係者にはこれが普通なんだけどね?どうも、外部の人には奇異に映るらしい」  
「私。こんな服。ここで見てない」  
「通常スタッフは、あまり業務中は着てくれなくてね?」  
「それ。普通」  
「特別スタッフは、喜んで着てくれるんだけどね?」  
「………。やっぱり。帰って良い?」  
 
取り敢えず姫神の抗議を黙殺して、これから行う業務説明をするカエル医者。  
必要な知識や情報は携帯端末で検索すれば表示されるから心配いらないし、予め必要そうなのは、  
メニュウ画面で表示する様にして分かり易くしてくれたらしい。  
それに今回の彼は本当に動けない状態らしく、治療の世話より身の回りの世話を主に行うらしいが、  
食事に不満の彼の為にも、料理は私が作った方が良いだろうって事で後で調理室に案内するそうだ。  
 
「考えてごらん?古今東西、料理を美味しく作れる女性に、クラッと来るのは男の本能だ。  
 ここらで君の実力を、彼の体に刻み付けて置いても良いんじゃないかな?」  
「むむっ。餌付け」  
 
カエル医者は机の上にスーツケースを引き寄せると、中身を取り出して説明し始める。  
最初に見せたのは、鍵。古めかしい造形の大きな物だが、内部に色々な電子回路が透けて見える。  
何でもドアの開閉を、電子的な物から物理的な物に切り換える物だそうだ。  
これでロックしたら、この鍵以外に開閉させられなくなりドアを破壊するしか方法が無いらしい。   
姫神の脳裏にいつもビリビリしている中学生が浮かんだ。  
 
「でも。簡単に。壊されたら」  
「うん?それは、なかなか簡単には行かないと思うよ?あのドアはね、軍事関係の研究機関で開発  
 された物だから頑丈さは折り紙付きだし、もし破壊しようと思ったら、あの部屋だけじゃなくて  
 両隣にも被害が出るくらいやらないとね?もちろん部屋は跡形も無く吹き飛ぶだろうね?」  
 
次に取り出した物は、色々なドアに貼り付けるプレート。  
医療関係に縁が無い人でもテレビやらで誰もが知っている物である。  
 
「面会謝絶。検査中。清拭中。どうして?」  
「これらは、もちろん見舞い客除けだね?邪魔されたくない時に便利だろ?」  
「どういう事?」  
「………………」  
 
何故か沈黙しているカエル医者。彼に代わって、その心の声を代弁しよう。  
「(邪魔されたくない時なんて、もちろんエ○チしている時以外ないんじゃないかな?  
  ここまでお膳立てするんだから、退院迄に絶対決めてもらわないとね?)」  
諸兄達の脳裏には、こちらを振り向き満面の笑顔を浮かべ、親指を立てた握り拳を突き出している、  
カエル医者の姿が描かれている事だろう。そしてこう思うのだ、GJ(グッジョブ)!  
 
そして最後に取り出したのは、もちろん数種類のナース服だった。  
 
「今回選んでみたのは、一般向けなビギナークラスがメインで、後はミドルクラスくらいかな?  
 サイズはこの前記入してもらったから、たぶん大丈夫だと思うよ?  
 必要だったらこれら以外も用意するから、それで構わないかい?」  
「クラスって。一体何?」  
 
取り敢えず回診の時に一緒に付いていく事に決まり、時間が来るまでに着替えと料理とお勉強を  
する事にした。制服は全部チェックしてみて、一番大人しいのに即決した。  
料理を作るにしても、場所が分からない。カエル先生の案内で社員食堂と調理室に案内してもらう。  
社員食堂は広く、調理室は最新の調理機器が整然と並んでいる。病院だけあって清潔感が半端なく、  
何だか無機質的過ぎるくらいだ。そして、早朝にも関わらず調理担当のスタッフたちが働いていた。  
少し違和感を感じて、何なんだろうと眺めていると、その訳に気付いた。二分割されている。  
カエル先生に尋ねるとやっぱり思った通り、社員と患者は別メニューらしかった。  
次いでに、今の体調で出来る食事について尋ねると、あまり内蔵に負担の掛かる物は駄目らしい。  
以前お見舞いの際に一度、お昼の味見させってもらったら確かに不味い物だった。  
けれど、それらの原因は主に味付けが微妙だったからで、精進料理でも味付け次第で何とかなる。  
薬液を混ぜるなんて、私は間違ってもしないから。  
社員用の業務用冷蔵庫を見せて貰うと、予想を遥かに超える食材の充実振りだった。  
良し。これで材料の心配は消えた。後は何を作るかだけだ。  
朝食は回診の後だから、彼にリクエストを聞いて作っても大丈夫だ。  
心配事が消えた私は、回診の時間が来るまで携帯端末でお勉強するべく診察室に戻る事にした。  
携帯端末のモニターに表示される、彼の状態について真剣に見入る。  
知らない内に時間が過ぎていたのだろう、カエル先生が椅子から立ち上がり言った。  
 
「そろそろ行くとしよう、いいね?」  
「わかった」  
 
 
 
 
 
 
病室に入ると、『呼ぶまで、ここで待っててくれないかな?』とドアの付近で待たされる。  
カエル先生は、更に『少し、彼を驚かせてみたいしね?』そんな事も言っていた。  
ここからじゃ彼の姿も全然見えないが、携帯端末の情報からじゃ信じられない程、元気な雄叫びが  
聞こえてくる。あの惨状では命が助かっただけで奇跡、その後も植物人間になる確率が高い程だ。  
治ったとしても動ける迄に半年は掛かるし、リハビリで何ヶ月掛かってようやく退院の筈だ。  
それなのに、あの元気さは一体どう説明すれば良いのか。やはり、考えられる要因は一つだけ。  
「(恐るべし。魔法のジェルSP)」  
携帯端末の情報からでは、あの魔法のジェルを更に改良し、特殊機器に封入、擬似的に生体活動を  
行い、包み込んだ患部を治療するらしい。詳しい理論は解説を見てさえ分からない。  
まぁ、あの機器のお陰で、彼は生命の危機を脱し回復しているから良しとしよう。  
何度目かの雄叫びが響いた後、私は呼ばれる声を聞いた。  
 
「君、彼も同意してくれたから?こちらに来て、改めて自己紹介しなさい?」  
 
私は、ちょっと、いや、かなり緊張しながらベッドの方に近付いて行く。  
途中で進行方向のカエル先生にぶつかりそうになり、横に迂回して歩を進めた。  
緊張で足が上手く止まらなくて前に出過ぎたが、何とか気持ちを落ち着けて彼の方を見た。  
携帯端末の画像通りの格好をした彼がいた。何だか真剣な目付きでこっちを見ている。  
視線を合わせようとしたが、何だか合わない。やけに下の方に視線を感じる。  
ミニスカートじゃ普通くらいだと思うけど、やっぱりナース服じゃ可笑しいのかな。  
そう考えて自分のスカート見ていたが、気を取り直して彼に視線を戻した。  
あれ?さっきより少し目線が上がった様に感じた。それに、一層視線が鋭くなったみたいだ。  
「(………?何で。お腹が痛い)」  
お腹の辺りがなんだかチクチクと痛む感じがする。彼の視線もお腹辺りにあるけど関係あるのかな。  
今まで経験した事がない痛みに戸惑っていると、彼が突然叫び始めた。  
 
「お、おっ、おぉっ―――っ!スレンダーモデル体型でありながら美乳を持つナイスバディ!!  
 上条さん的に、高ポイント過ぎてGJ(グッジョブ)を捧げてしまいますよ―――っ!!!」  
 
「(えっ!?えっと…?ナイスバディ…?誰の事…?)」  
彼の口から飛び出したセリフは、私の思考を混乱の渦に放り込んだ。  
「(ナイスバディって。良い体って意味。うん。あってる)」  
大丈夫。私は正確に物を考えられる。他の単語も分析してみよう。  
「(スレンダーモデル体系でありながら美乳。うっ。長い)」  
何だか幾つもの要素が混じった造語だが、小分けにして頑張ってみる。  
「(スレンダー。細い。太いの反対。細っそりしてる。うん。あってる。  
  モデル体型。女の子の理想。男の人好み。少し足りない。うん。あってる。  
  美乳。ある程度の大きさ。C・E。形が整ってる。適乳。うん。あってる。)」  
以上の4つから考えられる事は、理想体型(ゴールデンカノン)に近い女性。  
「(高ポイント。GJ。上条君の好み。好み……)」  
私は、普段あまり考えた事がない、自分の体に付いて考えてみる。  
スレンダー。私の体重は標準体重より下だし、他の子にも細いって言われる。  
モデル体型。私の身長は平均身長より上だけど、モデルさんみたいに高くない。  
美乳。私の胸囲は平均程度。体が細いからかブラはCカップ。形はどうなんだろ悪くはないかな。  
何故かクラスメイトを思い浮かべる。同じ女の子から見ても凄い大きさで形が良い。  
私もあれくらいあれば良いのに、といつも思ってしまう。  
あ、いけない。えっと、結論を考えなくちゃいけなかった。  
背が高くて、細っそりしてて、Cカップ以上の形の良いバストを持った、ナイスバディさん。  
上条君の好みはそんな女性。ずいぶんハードルが高い。なんかムカムカしてきた。  
そんな女性いたら連れて来て欲しい。採点してあげるから。  
頭に血が昇ったまま、合ってなかった瞳の焦点も戻して彼を見た。  
「(あれ?何か。視線が合ってる。どうしたんだろ?)」  
知らない内に、目線が顔に来ていた。気分がソワソワして落ち着かない。  
真っ直ぐな瞳が私の顔を捕らえて離さない。私は視線を逸らす事が出来ない。  
そう言えば、さっきのセリフ突然叫んでたけど、どうしたんだろ。そんな人見付けたのかな。  
何も私の目の前で言わなくても良いのに。目の前には私しかいないのに。  
こんなに近くにいるのに。今もこんなに私を見てるのに。……あれっ!?  
そうだ。今、彼の目の前にいるのは私だ。カエル先生もいるけど、視界には入ってないはずだ。  
どう言うことだろ。さっきのセリフはそんな人を見付けた時のセリフ。見てるのは私。  
「(…………。えっと…。もしかして…。そんな人って…。私?)」  
そして見詰め合ったままの上条から、止めの一撃が放たれた。  
 
「……………綺麗だ………………」  
 
 
           
 
彼の言葉は、一瞬にして私の思考を粉々に打ち砕いた。  
 
「…………(ポッ)…………」  
 
「(あれっ?何か。頬。熱い)」  
意識しまいと思っても、彼の今迄言ったセリフが頭の中をグルグルと駆け回る。  
その度に顔の温度がドンドン上がって行くのが感じられた。  
これではいけない、と現実に戻ろうとした所で、耳に届く『美人さん』でリフレインしてしまう。  
「(私。ナイスバディ。綺麗。美人さん。美人…)」  
彼と初めて会った時、彼の友達(現在クラスメイト約2名)が『美人』と言ったのを思いだす。  
『美人』なんて唯の挨拶代わりと思ってた。彼だけ言ってなかった。あの時は何とも思わなかった。  
だけど、彼の事が気になり出してから、その事が気になった。彼は、私の事どう思ってるんだろう。  
彼の周りには個性的な人が沢山いる。ううん、違う。男女問わず、個性的な人だらけだ。  
そして、私から見たら羨ましいくらい魅力的な女の子達が彼に好意を寄せている。  
そんな人達に比べたら私の存在なんて、その他大勢の一人程度の価値しかないと思ってた。  
良いとこ友達止まり、女の子とは見られないのかなと半ば諦めかけてた。  
そんな時、カエル先生に誘われた。思いを奮い立たせて、彼の隣に立ちたいと思って引き受けた。  
そして今、彼が私に言った幾つか言葉は、私を女の子、一人の女性と見ていると告げていた。  
私の全身に嬉しさが満ち、彼への想いが溢れそうになる。もう、この想いを抑えるのは止めよう。  
隣に立ちたいなんて消極的な事じゃ駄目だ。もう、そんな事じゃ満足出来ない。私は決意した。  
彼の腕をガッチリ掴んで寄り添うことを………。  
 
心の中で覚悟を決めた事で、冷静さも戻ったみたいだった。視線を戻して彼を見やると、カエル先生  
との掛け合いを堪能しているみたいだった。暫く見てると、カエル先生がこっちを向いて言った。  
 
「君、彼の目を覚まさせてくれないかね?」  
「なっ!?……何に、美人さんに声をかけてんのよ!そんな恐れ多い事して…………って、あらっ!?」  
 
彼とは、ちゃんと話さないといけないから、目を覚まして貰おうかな。  
やっぱり目を覚まさせるには刺激を与えるのが一番。手加減が難しいが、これを使おう。  
私は、右手に持っていたバインダーを両手で握り、頭上に掲げながら近付いて行く。  
そして、十分な距離を詰め、彼の額目掛けて振り下ろした。  
 
「パコン」  
「!?……ぐ!――ぐっ!!おオオオオオッッ―――――――――――ッ!!!」  
 
「(……あれ?…て。手加減。失敗?)」  
目一杯加減したつもりだったが、慣性の法則は思ったより強大だったらしい。  
私は、心の中で『てへっ、ゴメンね』と謝って、『大丈夫かな〜』と心配しながら、様子を伺う為に、  
彼の顔の上からバインダーを引き上げ、自分の顔の右側にずらした状態で見詰める。  
彼は、両目をギュッと瞑り、痛みに耐えているみたいだ。暫くすると、瞼が開いた。  
涙を両目に一杯湛え、顔をクシャクシャにしているのを見て、私は思った。  
「(かわいい。子犬みたい。ナデナデしたい)」  
思わず実行しそうになったけど、何とか思い止まった。  
彼は、瞼を数回パチパチさせるとこちらに視線を合わせてきた。  
「(……あれ?何か。睨んでる?)」  
何だか睨まれてる気がしたから、怒ってるんだと思う。ちょっと悪い事したな。でもその顔は嫌い。  
さっきのかわいい顔が見たい。もう一度見せてくれないかな。私は、そんな期待感にバインダーを  
揺らしながら、彼に話しかけた。  
 
「目覚めた?」  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
「もう一本行っとく?」  
 
う〜ん、やっぱり駄目みたいだ。何だか、『プルプルプル』っと顔を横振動させて拒否してくる。  
あんまり、無理強いして嫌われちゃうのも馬鹿みたいだし、今回は諦めようかな。  
 
「そう。残念」  
 
さっきのかわいい顔に、チョッピリ未練を感じながら、私はベッドから離れる事にした。  
そんな私と入れ替わる様に、カエル先生が彼に話し掛けた。  
 
「やっと、こっち(現実)に戻って来た様だね?お帰り上条くん?」  
 
私は、彼の顔を見詰めながらこれからの事を考えていた。  
もちろん彼をこの機会に確実にゲットする方法に決まっている。  
彼の方もこっちを見ていた。以前なら少しして視線を逸らしていたけど、もう止めにした。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
彼には私をずっと見ていて欲しいから。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
彼には私しか見て欲しくないから。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
彼には私の側にずっといてほしいから。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
私は彼の側にずっといたいから。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
私は彼が欲しいから―――。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
私はその為なら何でもしよう。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
私は彼の為なら何でもしよう。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
私は彼が望むなら何でもしよう。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
彼が望む事って何だろう?  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
私がしてあげれる事って何だろう?  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
取り敢えず美味しい食事。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
看病でお世話を頑張る。  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
お世話。体を触る。上条君の体?  
そんな取り留めも無い事を考えていると、彼が話し掛けてきた。  
 
「え………えっと…姫神?」  
「うん。何?」  
 
 
 

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