「え………えっと…姫神?」  
「うん。何?」  
 
 
「なっ!?……『うん。何?』って、……何?って、何じゃねえだろぉおおお―――っ!!!  
 なんで?どうして?姫神がここに居んだよ!  
 なんで?どうして?巫女さんからジョブチェンジしてミニスカナースになってんだよ!  
 はっ!?……こいつか?この医者か?この狂えるナース好きの医者のせいか!?  
 こんの、ナースフェチ野郎!おのれは、姫神になんて格好させとんじゃぁあああ!!!」  
「僕のコレクションの一つ。少しだけ丈が短いナース服No.5、なんだけどね?」  
「5って!?……No.5って?少しだけ?少しだけって、……もしかして、これより短いのがあんのか?」  
「舐めてもらっちゃあ困るね?僕を誰だと思っているのかな?」  
「カエル医者改め、コスプレ変態制服フェチ野郎」  
「それは、ちょっと酷いんじゃないかな?ナースの名は、冠してくれないのかね?」  
「やっ、喧しい!何処までナースに拘りやがる!変態野郎に人権があると思ってんのか!!」  
「君は、法の基の平等、この精神を蔑ろにするのかな?絶対にナースは譲れない。僕の信念だからね?  
 僕も、僕の友人達も、其々の信念に基づいて人生を歩んでいるからね?」  
「はぁ〜っ!?アンタの他にも、ナースに拘ってんのが居んのか?」  
「君は、一体何を言ってるんだい。ナースは僕の専売特許に決まってるじゃないか。  
 僕の友人達、彼らには、彼らなりの信念があるんだよ。そんな事は、当たり前じゃないかな?  
 全く、近頃の若い者は、そんな事も分からないのかね?(フ〜っ)」  
「コラッ!そこっ!何、偉そうに溜め息吐いてんだ!む、ムカツク。こんなのに、バカにされやがった!  
 第一、敬われたかったら、赤ん坊から人生やり直して、真っ当な人間になってからほざきやがれ!  
 ……で、何だよ、その、彼らなりの信念って?」  
「う〜ん、彼らには悪いが、僕には、今一良く理解出来ないんだけどね?  
 OL、ウエイトレス、キャビンアテンダント、女子高生、スクミズ、だったかな?  
 彼らとは言わば、名を異にすれども、畢竟一誠なり、って、思ってるんだけどね?」  
「な、何っ、制服愛好家サークル創ってんだよ!そんな事、自慢げに語るんじゃねぇ!  
 だいたい、崇高そうな言い回しすりゃ、何でも許されるとでも思ってんのか!」  
「例え、どんなに道が険しくとも、その先にどんな苦難が待ち構えていようとも、己が信ずる道を進むの  
 が、人としての道理であり、真の道でもあるんだね?  
 僕は、ナースの道を選んだ。君は、ナースの意味を知っているのかな?」  
「何、人生とナースをミックスしてんだ!オイ!聞いてんのか!……なっ、何、遠い目になってんだ?」  
 
思わず頭を抱える(出来ないが)上条である。これ迄の人生で身に付けたスキル(突っ込み)が通用しない。  
一方のカエル医者は、成分不明の燃料にでも点火されたのか、異様な熱意を込めて演説し始めていた。  
「(はっ!?……ま、不味い!何か得体の知れないトンデモ理論が展開されようとしてる!)」  
 
「いいかな?そもそもナースと言う語源は、世間一般でナースの代名詞的に認識される、ナイチンゲール  
 なんてチャチな人物からじゃないんだよ。母が子供を看る。それは遥か古代インドの聖典リグベーダに  
 記されている、乳を与える人、が発祥とされているがそんなものじゃない。シャムシ・アダド1世時代 の古代アッシリア、栄養を与える人、この言葉の意味が、年月と数多の変遷を経て古代インドに―――  
 ――――――。そして、―――――――。ここ迄は簡単に理解できるね?更に、――――――――」  
「?…?…?…?…?…?…?…?…?…?…」  
 
スキル(突っ込み)が通用しない。それは己の人生(ボケと突っ込み)そのものを否定されるに等しい。  
不幸だらけの人生ではあるが、それに絶対に敗北しない、と己に誓った信念が揺らぎそうになる。  
最後のテリトリーであるアイデンティティすら奪われてしまうのか?  
いや、認めない。そんな事は、吉本喜劇をこよなく愛するお笑い高校生、通天閣上条は絶対に認めない。  
例え、このステージ(せかい)が、プロデューサー(アンタ)の作ったシナリオ(システム)の通りに動いてる  
ってんなら、まずは、そのお客さん(幻想)をボケ倒して爆笑の渦に叩き込む。  
己のリーゾンデートル(存在理由)証明の為、上条の現実(突っ込み)と幻想(ボケ)がシンクロした。  
暫し瞑目した後、カッ!とその眦(まなじり)を見開き、声高らかにお客さん(カエル医者)に宣誓する。  
 
「ウエェェェ――イトォォォ――――ッ!!!暫し待てぇぇぇ―――い!!!」  
 
「(おお〜っ。盛り上がってる)」  
目の前で展開される光景を、こちらは本物の観客である姫神が『ボ――ッ』っと暢気に眺めていた。  
最初は、上条の方が優勢に思われた戦い(漫才)も、徐々にカエル医者が押し始めたみたいだ。  
守勢に回った上条を、怒涛の斬撃(ボケ)で打ちのめすカエル医者。このままでは上条が負けてしまう。  
「(上条君。頑張って!)」  
思わず二人の戦士(漫才師)の片方を応援してしまう姫神。……相変わらず見た目は無表情のままだが。  
暫しの沈黙の後、上条の裂帛の気合の声が放たれると、戦い(漫才)もイーブンに持ち込まれた様だ。  
「(ふう〜っ。良かった)」  
二人の白熱した戦い(漫才)は、聖戦(グランプリ大会)の様相を帯び始め、この宇宙の真理・法則を超えて別次元の摂理の話しにまで進行してしまっている。  
もはや、お互い相手の姿など微塵も視界に入っておらず、唯、己の信念のみで戦場(ステージ)に立ち続けている。  
二人の聖騎士(漫才師)の激しい戦闘(掛け合い)は、いよいよ最終局面(勝ち残り)に突入したみたいだ。  
しかし、それは未だ終わりの見えない様相をも呈していた。……いい加減にしろ、おまいら。  
「(………。飽きちゃった。そろそろ起きないかな?)」  
姫神は、右手にあるバインダー(目覚まし、別名:ハリセン)を見た。先程、上条を呼び戻した物だ。  
それは、あたかも意志を持ったかの様に、自分に語り掛けているみたいに感じられた。  
「『この聖戦を止められるのは、貴女だけです。さあ、私(バインダー)を使いなさい』」  
「(うん。わかった)」  
姫神は、この聖戦に終止符を打つべく、両の手に神器(バインダー)を握り締めると、大上段に構える。  
二人の聖騎士の呼吸の隙を見計らい素早く移動すると、その偉大なる力を行使する事にした。  
もっとも、二人のバカ戦士共は自分の世界に入っていて、何も見えてない状態だったのだが……。  
そうして、部屋に2つの軽快な音が響いた。  
 
「パコン」「ペコン」  
 
 
 
 
「二人とも。目覚めた?」  
「ふあぁい……。グスッ……」  
「……まいったね?僕とした事が、柄にも無く熱くなってしまったみたいだ。済まなかったね?」  
「そう。良かった」  
 
パライソから無事帰還した二人は深く反省してるみたいだ。姫神は満足げにバインダーを揺らした。  
上条が『ビクッ』と体を振るわせる。どうやらバインダーがトラウマに為り掛けているらしい。  
そんな上条をチラッと横目で確認すると、カエル医者は満足気に姫神に話しかけた。  
 
「やっぱり、僕の目に狂いはなかったね?君なら、彼のお相手もバッチリ勤まると思うよ?  
 何と言っても、ナース服姿が、彼の好みに、ど真ん中の直球ストライク的に似合っているからね?」  
「オイ!何わけ分かんない事、姫神に言ってんだ?姫神も姫神で、何、『コクッ』って頷いてんだよ。」  
「何って、君が言った事を繰り返したんだけどね?君も、似合ってるって言ってたじゃないか。」  
「はあ〜っ?俺が、何時そんな事言ったんだよ?」  
「僕が、彼女の感想を聞いた時に、『上条さんトキメイテしまうくらい、ど真ん中の直球ストライク的に  
 似合ってますよ』って答えたじゃないか、覚えてないのかな?」  
「オイ!何だ、その劣化版上条さんみたいな口調は?気色悪い声色を使うな!って、チョッと待て!?  
 ……何で、そんな事知ってんだよ?俺は、そんな事一言も喋ってないぞ?考えてただけで……?  
 …………!?……そうか!まさかとは思ってたが、アンタ、能力者だったのか!」  
「君は、一体何を言ってるのかな?普通に喋ってたじゃないか。気付いてなかったのかな?」  
「喋ってた?俺が?何時から?」  
「突然叫び出したから驚いたけど、確か……、最初はこう叫んでいたかな?  
 『お、おっ、おぉっ―――っ!スレンダーモデル体型でありながら美乳を持つナイスバディ!!  
  上条さん的に、高ポイント過ぎてGJ(グッジョブ)を捧げてしまいますよ―――っ!!!』  
  その後は、普通に喋ってたね?」  
「だ・か・ら、気色悪い声色を使うなと言っとろうが!  
 アナタはあれですか、口真似をする程上条さんを好きになってしまわれたと仰りたいのですか?  
 あら、イヤだ。上条さんその様に好意を寄せられても、残念ながら殿方の想い応えてあげる事なんて、  
 これっぽっちも出来ませんわぁ〜。……ん?……はて?……な、何んですとぉ――っ!?」  
「おかしいな?そんなに似てないかな。結構自信があったんだけどね?うんんっ、あ―――、あ―――」  
「えっと……、そんな口真似なんて、ぶっちゃけどうでも良いんですが?  
 それよりも、あの時一体何を喋ったか、上条さんあまり覚えていないのですが?」  
「おや、そうだったのかい。それじゃあ、僕が教えてあげようかね?……あ―――、あ―――、  
 『……………綺麗だ………………』『上条さんと致しましては、美人さんが―――』  
 『そっ、それはいけませんの事よ。――』『そんな事は美人の味方、――』『―』『―』―――」  
「……!?……!?……!?……!?………」  
 
上条が口にしたセリフを、一言一句正確に再現するカエル医者。もちろん、劣化版上条さん口調で。  
それは、インデックスの完全記憶能力に比肩するのではないかと思われる程、正確無比であった。  
しかし、上条にとって、そんな事はどうでも良かったみたいだ。もっと重要な問題があったからである。  
カエル医者の口から紡がれるセリフ。それらには、確かに覚えがあった。  
曖昧だった記憶が、聴覚の刺激を呼び水に、どんどんと補完されて行く。  
 
「―――と、まあ、大体こんな感じだね?以前から思ってたんだが、君、かなり独り言が多いね?  
 脳内遊泳も良いけど、水が駄々漏れになってちゃあいけないと思うね?」  
「そ、それでは……、上条さんの恥ずかし語録は、こちらにおわす、ナース姫神にも?」  
「もちろん、バッチリ伝わってるね?」  
「!!!!!!!!!(チラッ)」  
「………(コクコクコク)………」  
「…………………………………」  
 
固まって動かない上条を満足気に眺め、カエル医者が勝利の演説を始める。  
 
「ふふっ、僕の口真似に恐れ入ったようだね?……でも、これしきの事で驚いてもらっちゃあ困るね?  
 昨年の忘年会で披露した、取って置きの隠し玉がまだあるからね?  
 見せて上げたかったよ、あの光景を。あの時の、関係者一同の顔をね?『ナース』を――――」  
 
『ナース』その言葉が、上条の時を再び動かした。  
再起動した事により、冷静な戦況分析が行える様になった脳細胞を、フル稼働させ対策を考える。  
このまま勢いで反応しても先程の二の舞である。そうだ、何かが自分には足りない。それは何だ?  
脳内の膨大な情報を検索。しかし、幾ら探しても見付からない。  
無限とも思える時間が過ぎ、諦めかけていたその時、奥深くに潜み、埋もれていた言葉がヒットした。  
そうだ、今のこの状態が鍵だったのだ。今のこの状態を、そのまま当て嵌めれば良いだけだったのだ。  
近くにあるからこそ気付かずに埋もれていた言葉。そう、その言葉こそ、『冷静』である。  
その言葉は、まるで天啓の様に感じられた。同時に、絶対の自信をも上条に与えていた。  
「(ふはははははっ、何時迄も、同じ轍を踏む上条さんじゃありませんよ〜。  
  ここは、リニューアル上条のお披露目タ〜イム!  
  さぁ〜、愚か者め。生まれ変わった我が力、特とその眼に焼き付けるが良い!)」  
そして、満を持して上条の口が開かれた。  
 
「第一の質問ですが、――――――」  
      ・  
      ・  
      ・   
そして、再び時は繰り返される。合掌。  
 
 
 
 
「やれやれ、本当にまいったね?さすがに、時間オーバーだ。僕は患者の回診に行かなきゃいけない。  
 詳しい事は彼女に聞いてくれないかな?済まないね?姫神君。そういう訳で後の事は頼めるかな?」  
「うん。まかせて」  
 
足早にカエル医者が退室すると、部屋に残るのは当然の如く二人きりである。  
上条はかつて経験した事が無い程の居心地の悪さを感じていた。  
「(ううっ、色々と聞きたい事があるけど、どうすりゃ良いんだ?)」  
脳内言語が姫神に把握されていたと判明した今、自分に残された手段は一体何があるのだろうか?  
取り敢えず、現状を知るのが大前提である。その為には会話が必要だが、どう切り出そうか?  
姫神は自分に話し掛けるでもなく、真っ直ぐに自分の事を『ジ――――っ』っと、見詰めているだけだ。  
やはり、自分が話し掛けるしかない。恥ずかしさで、どうにかなってしまいそうだが耐えるしかない。  
それに、カエル医者には通用しなかったが、冷静に質問すれば姫神なら大丈夫だろう。  
「(ここは、リニューアルされたジェントル上条の気品に賭けるしかない!)」  
上条は思い切って姫神に話し掛ける事にした。  
 
「うおっほん、そこに居られるマドモアゼル姫神、貴女に伺いたい事があるのですが宜しいでしょうか?  
 貴女が何故ここに居られるか、不肖な私めにお教え下さいませんか?」  
「………(ジ――――っ)………」  
「(あれれ?何か不味い事、言ったか?)」  
「違う。私。マドモアゼルじゃない」  
「えっ!?そ、そうなんだ……。それじゃあ、何と御呼びすれば宜しいのでしょうか?」  
「私。美人さん」  
「!!!」  
「私。ナイスバディさん」  
「!!!」  
「上条君。そう言った」  
「!!!」  
「それとも。違うの?」  
「ううっ……、あうっ……、そ、それは、その、……た、確かに言いました」  
「うれしい」  
 
「(初めて見た……。姫神って、こんな風に笑うんだな……)」  
いつも無表情で、感情を表に出さない姫神。  
クラスメイトの女の子でさえ、何を考えているのか分からないくらいだった。  
何故か視線が合う事が多く、繰り返す内に微妙な表情の変化が分かる様になってしまった。  
微かに綻ぶ口元、ほんの僅かに大きさを変える瞳、そこから感情の変化を読み取っていた。  
でも、今、自分の目の前で、姫神が見せる笑み。今まで、見せた事が無い、見た事が無い、微笑み。  
幼い少女が見せる様に無邪気に、清楚な少女が見せる様に透明に澄み渡り、  
そして、相手を安心させる様に、全てを暖かさで包み込む様な微笑み。  
姫神が、心から見せる笑み。それは、そんな微笑みだった。  
「(………………………………)」  
上条は時間が経つのも忘れ、その微笑みを見詰めていた。  
「(……この微笑みを、……何時までも、……ずっと、……そばで、見ていたい………)」  
自分の心の中の隅々にまで姫神の微笑みが広がり、そんな想いが溢れてくる。  
 
「……くん。……ょう君」  
「(………、…うっ、……何だ?……何か、聞こえる)」  
「……条君。ねぇ。上条君。」  
「(……えっ、……あれ、俺、一体どうして?)」  
「大丈夫?上条君。どこか痛むの?」  
「どうあ〜っ!?……ひ、姫神!」  
「どうしたの?上条君。何度呼んでも返事無かった」  
「い、いや、何でもない。何でもない。ちょっと、『ボ――ッ』っとしてただけだ」  
「それなら良いけど。どこか痛む?」  
「ど、どこも痛くない。痛くない」  
 
上条は、自分の胸を締め付ける痛みに戸惑いながら答えた。  
「(どうしちまったんだ?俺は。こんな痛み、経験無いぞ?)」  
怪我の痛みとは、明らかに違う。病気の痛みかとも思ったが、何か微妙に違う気がする。  
オマケに姫神が視界に入るだけで、その痛みが増し、心臓の鼓動が早くなる。  
 
「ねぇ。本当に大丈夫?」  
「あ、ああっ。本当に大丈夫だから。そんなに、心配しなくて大丈夫」  
 
絶対に心配させちゃいけない。絶対に悲しませちゃいけない。何があっても安心させなくちゃいけない。そして、何時でも、何時までも自分の側で笑っていて欲しい。  
何故だか、そんな強烈な想いが、心の奥底から自然に沸々と湧いてくる。  
未だかつて経験した事の無い強烈な感情の波状攻撃に、未知の恐怖を覚え、上条の防衛本能が発動した。  
「(こんな事に屈する上条さんじゃありませんの事よ!さあ、燃え上がれ我がコスモ!銀河の果て迄!)」  
しかし、お得意の領域にシフトしてさえ、一向に回復の兆しは見られなかった。  
「(何なんでしょうか?この痛みは?この想いは?上条さんのハートはどうしてしまわれたのでせうか?  
  誰か、この憐れな愛玩動物チワワ上条に救いの手を差し伸べて下さいませんでせうか?)」  
幻想に逃避してさえ、なお消えてくれない感覚に、途惑い、途方に暮れる上条。  
しかし、そこに救いの手は差し伸べられた。  
「(ナデナデ……ナデナデ……ナデナデ……)」  
 
姫神に頭を撫でられている。上条は自分でも驚く程、あっさりとその行為を受け入れていた。  
姫神の手が、愛しそうに自分の頭を往復する度に、先程まで感じていた様々な感情を癒し、暖かさに変え  
て行く。その心地良さに上条は素直に身を委ねていた。  
一方の姫神はと言うと、少し上条とは違った感想を抱いていた。  
「(やった。また。ナデナデできた)」  
良く分からないが、彼の様子がおかしかった。『ボ――ッ』っとして、自分の言う事に反応が遅れたり、  
どもって言葉を繰り返したりしていた。そして、迷子の様な表情。  
それは、強烈に自分の心を動かした。  
「(あっ。この表情もかわいい。ナデナデしたい。今日怒ってない。させてくれるかな?)」  
期待に目を輝かせ、心の赴くままに実行する。……手が頭に触れても、上条は何も言わない。  
少しずつ大胆になって行き、その内、思うがままに撫で始めていた。  
「(ナデナデ……ナデナデ……ナデナデ……)」  
すっかり気持ちが落ち着いてしまった上条は、撫で続ける姫神に普通に話し掛ける事が出来た。  
 
「なぁ、姫神。どうして病院にいるんだ?」  
「カエル先生に頼まれたから。上条君のお世話」  
「そりゃ、おかしいだろ?普通の学生なのに、病院で働くなんて。」  
「うん。でも現実。カエル先生言ってた。裏技って」  
「何だ?裏技って怪しさ100%の言葉は。それより学校は、欠席してんのか?」  
「違う。公欠扱い。小萌先生に電話したら。上の方から通知あったって」  
「上の方って、……あのナース医者、そんな事も出来んのか?」  
「良く分からないけど。聞いたら。いつものセリフ。言ってた」  
「……『僕を誰だと思っているのかな?』ってか。……あのナース医者、何者だ?」  
「マニアなカエル顔のお医者さん」  
「い、いや。その通りなんだが……。って、そうだ。マニアだ。姫神、そのナース服は?」  
「病院の制服」  
「だけど、それってミニスカナースだろ?普通の制服は?」  
「特別スタッフの制服。これ。一番大人しい」  
「なっ!?……それで、一番大人しいだと?」  
「もっと。凄いの。いっぱい」  
「あんのフェチ野郎!どこまで腐ってやがる!」  
「上条君。見たくないの?」  
「……はあっ!?」  
「上条君。見たいなら。頑張って着てみる」  
「……あ、あの?もしもし、姫神さん。貴女は、何を仰っていますか?」  
「ナース服。似合うって言った」  
「うっ!……は、はい、言いました」  
「だから。頑張る」  
「…………………」  
 
思わず頭を抱える(出来ないが)上条である。姫神の中の何かに火が点いてしまったみたいだった。  
もう、上条には受け入れるしかない。そして、姫神も姫神で大事な用事を思い出していた。  
「(そうだ!餌付けしないと)」  
 
「ねぇ?上条君」  
「……ん、んぁ?」  
「そろそろ。朝食の時間」  
「……あぁ、もう、そんな時間か。今朝はあんま食欲ねえな〜……」  
「えっ?……うそ」  
「やっぱ、怪我したばっかだし、何か腹減った感じしないんだよな〜……」  
「………(ガ―ン)………」  
「おい、どうした姫神!何か体から黒い靄が出てんぞ?」  
「(餌付け作戦。……しっ。失敗?)」  
「お〜い?何か知らんが。気をしっかり持て、姫神隊員。そんな事じゃ赤十字のみしるしが泣くぞ〜」  
「……う。うん。大丈夫。ちょっと挫けそうになっただけ。それで。何か食べたい物ある?」  
「そうだな……パンくらいは食えるかな?」  
「……パン!?」  
 
上条に輪を掛けて自炊派である姫神であったが、未だかつてパンを作った事は無かった。  
和・洋・中の一般的な家庭料理なら一通り作れる自信はあったが、パンだけは別だ。  
人生の荒波に負けそうになったが、上条の希望を叶える為、立ち向かう決意を固める。  
 
「……そ。それで。どんなパン食べたいの?」  
「どんな……って、病院のパンなんてコッペパンみたいな味気ないのしかないだろ?  
 全く、患者を蔑ろにすんのも大概にしろってんだ。体が動く様に為ったら調理担当とやらの所に特攻駆 
 けてやる!……って、あれ?もしかして、姫神が買って来てくれんのか?」  
「?……買う?買うって。それで良いの?」  
「マジですか?ありがとう姫神!上条さんは、木村屋のアンパンが食べたい。後はやっぱ牛乳だよな。  
 動けた時は、しょっちゅう買いに行ってたんだけど、今回はさすがに無理だからな。助かるわぁ〜。」  
 
 
「(私。役に立ってる。………。でも。うれしくない)」  
姫神は、自分が手に持っているビニール袋の中身に思いを馳せながら考えていた。  
あの後、近くのコンビニへお使いに行ったのだ。さすがは常識人の姫神、ちゃんと薄手の服を羽織って。  
ミニスカナースがコンビニでアンパン買ってる所なんかを見たい欲望に駆られたが、割愛させて頂く。  
「(………。餌付け。………。手料理。………。虜。………)」  
そんな事を考えながら、姫神は、病院に戻る事にした。  
 
「ただいま」  
「おう、お帰り。……ごほっ、ごほっ。いつも済まないねぇ。お前には苦労ばっかり掛けて……」  
「………。それは言わない約束でしょ?おとっつあん。これで良い?」  
「うん、合格だ。上条さんは大変嬉しゅうございます。思わず、目の幅涙が流れる程に……」  
 
相方を得て感涙に咽ぶ上条を眺めながら、一方の相方の姫神も、ささやかな感動を味わっていた。  
「(『ただいま』。『お帰り』。ふ、夫婦みたい……)」  
心の中でニヤケまくって、買い物の品を上条に食べさせる為に取り出す。  
 
「おお――っ!それは、プリンさんじゃありませんか。もしや、頂いても宜しいので?」  
「うん。ついでに。買って来た」  
「ほ〜っ。上条さん、その優しさにクラクラしてしまいます。食後のデザ〜トとして頂戴致します。」  
「わかった。はい。アンパン。あ〜ん」  
「えっ?……な、何ですか?……その『あ〜ん』って?」  
「……?上条君。食べられない。だから。あ〜ん」  
「(……こ、これは!一部の選ばれし民にしか許されない。あの伝説のイベントですかぁ〜?  
  確かに、上条さんは体が動かない状態ですので、享受するしかないのですが……)」  
「どうしたの?はい。あ〜ん」  
「……よっ、良し!あ〜ん。(パクッ。モグモグ。ゴク…クッ!?)…ゴホッ。ゲホッ」  
「だ…。大丈夫?はい。牛乳」  
「チュルゥゥ――ッ。(……ゴ、ゴクン)……はぁ、はぁ。思ってたより、寝転んだまま食べんのって、  
 難しいんだな。特に、飲み込む時、何かが……」  
「……あっ。そうだ。あれがあった」  
「……んっ?何だよ姫神。あれって……?」  
「うん。変形モード。コード:EXH-313。まかせて。直ぐに起動するから」  
「!?……ちょ、チョと待て姫神!待って下さい、姫神さま!もん凄くイヤな予感するから!!」  
 
そんな上条の制止の声も、『ちゃんと役に立つとこ見せなきゃ』との考えに囚われている姫神には届かない。 
携帯端末を操作して項目を選択すると、上条の居るベッドの方に向けて送信ボタンをポチッとする。  
ベッドの下部から微かな電子音とモーター音が伝わると、ベッド本体が音も無くゆっくり上昇して行く。  
1mを少し超えた辺りで停止すると、無数の何かがベッドの下から這い出て来て、天井迄も伸びて行く。  
それを目の当たりにした上条の脳裏に、とあるフレーズが自然と浮かんでいた。  
『そのもの青き衣をまといて金色の野に降りたつべし、  
 失われし大地との絆を結び、終に人々を青き清浄の血へ導かん』  
 
「なっ!?……王蟲(オーム)!?上条さんは、青き衣を纏いし人になっちゃうのですかぁ〜!?」  
 
もちろん、そんな事がある訳が無い。  
天井付近でゆらゆらと揺らめく無数の触手は、一路、上条目掛けて、雪崩を打つ様に襲い掛かって来た。  
 
「ひぃいいいい――――――っ!?」  
 
恐怖に身が竦む上条。この状態では防ぎ様がない。自分の人生は、ここで終わってしまうのか?  
ギュッと目を瞑り、脳裏に無数の触手によって穴だらけにされ絶命している自分の無惨な姿を思い描き、  
こんな事なら先にプリン食っときゃ良かった、と後悔した。  
走馬灯の様に自分の人生を思い返し、その不幸っぷりに落ち込んでいる事を繰り返していたが、やけに長  
く感じる。死んでも思考は継続したままなのか?と疑問に思い、意識を現実へと向けてみる事にした。  
「(あれ?俺って、まだ生きてんのか?目開くのか試してみよ……)」  
そっと、瞼を持ち上げると確かに見える。見えるのは、何時もの白い天井だった。  
天井を覆わんばかりにしていた触手が、今は綺麗さっぱりと無くなっていた。  
首を捻りながら(チョビットだが)、視線を下げて体の方を確認し、驚きに目を見開く。  
首から下を、ビッシリとあの触手が埋めている。  
自分の体をあの機器ごと覆うばかりか、どうやらベッドごと包み込んでいるみたいだった。  
驚愕している内に、そのままゆっくりとベッドごと直立して行き、丁度90度の角度で停止した。  
 
「な!?なっなな何なんですかぁ?……一体全体こりは、何なんですかぁ???」  
「うん。リクライニングベッド」  
「はぁ!?ベッド?リクライニング?……こっ、これのどこが、リクライニングベッドなんですか?」  
「患者に負担掛けない。ベッドごとリクライニング出来る。優れもの」  
「……こっ、この気味の悪い触手は?一体、何なんだよ?」  
「うん。固定金具」  
「……か、金具?こんな見た事も、聞いた事も無い、弾力あってウネウネ動く触手モドキが金具?」  
「新素材」  
「………………………」  
「組み合わせ次第。おまけ。テーブル。椅子。足場にもなる。優れもの」  
「あ、頭痛くなってきた。……しっかし、触手ねぇ。あんのナース医者!どこまで属性隠してやがる!」  
「はい。あ〜ん」  
「う、うえっ!?……あ、あ〜ん」  
 
青春の素敵イベント続行である。  
姫神に給仕されてアンパンを『モグモグ』食べながら、上条はカエル医者に付いて考えてみた。  
『医者』  
名医だとは思っていたが、よくよく考えてみるとおかしかった。  
自分が過去に負った怪我に付いて、もし、これが他の病院だったらと考えて照らし合わせてみると、明ら  
かに入院期間が短かった。  
当時は良く考えもせずに、単純に短いのを喜んでいたが、冷静になって考えてみると、現代医療技術を逸  
脱していると分かる。それは、この学園都市に置いてもだ。  
そこに持って来て、今回の怪我の惨状である。  
意識が失われる前に霞む目で自分の体を見た時、死ぬかもしれないとの恐怖や絶望は考えなかった。  
死は確定していた。  
ズタズタに為った自分の体を確認して思った事。  
それは、先に逝ってしまって済まない。誰も自分の事で悲しまないで欲しい。ただ、それだけだった。  
なのに、自分は生きている。おまけに、退院まで1週間ときた。もはや、医療の領域を超えている。  
『ナース』  
頭が痛いが、こちらも自分の理解の領域を超えている。  
クラスメイトの脳汁垂れ流しのバカ2人も痛い奴らだが、まだ妄想の領域に留まっている感じにしか思え 
なかったが、あのカエル医者は違う。妄想を昇華し、現実で実践している。  
さらに今回、新しく判明した事実がある。自分に匹敵する程の幻想(ボケ)の使い手である事。  
学園上層部にも影響を及ぼせる程の力を有している事。変形物好きの触手マニアである事である。  
ここまで己に忠実に生き、数々の偉業を成し遂げているカエル医者に、尊敬の念が頭を掠め瞼を閉じる。  
飄々としている等身大のカエル医者が描かれる。  
スッと背中を向けた途端、その姿は雲を突き抜け、成層圏に達する程、巨大な姿になる。  
その、圧倒的な存在感に思わず平伏してしまいそうになってしまう。  
「(……いんや、駄目だ。俺は、普通の幸せを掴むんだ)」  
そうだ、偉業も波乱万丈もいらない、平々凡々な生活と幸せな家庭を掴む事こそ、自分の目標だ。  
カエル医者に付いて考える事で、改めて自分の生き方を再確認した上条である。  
人は其々、己に合った生き方がある。これ程の目に遭っても、まだ自分が分かっていない上条であった。  
 
食事を召し上がって大変満足した上条さん。そんな彼に次なる困った試練が訪れました。  
「(う……、○んこしてぇぇぇ―――っ!!!)」  
食べた事により胃腸を刺激され、次のプロセスへと移行してしまったみたいだ。うむっ、人体の摂理だ。  
「(そ、そんなに強列じゃないから、暫く我慢出来そうだけど。我慢して解決出来る問題じゃねぇな)」  
何と言っても、達磨さん状態である。トイレに行く事も、自力で動く事さえ出来ない。  
そんな、上条の様子に気付いたのか気付かないのか、姫神が暢気に尋ねてきた。  
 
「どうしたの?上条君。顔。強張ってる」  
「……な、何でもない、何でもない」  
 
慌てて答えるが、何ともない訳がなかった。チラッと視界の隅に姫神を捕らえたまま考える。  
「(……えっと、この場合、上条さんの下の世話をするのは、当然、専属である姫神って事だよな。  
 だ、駄目だ。そんなスカトロ羞恥プレイ。風船の様に繊細で薄っぺらい上条ハートが破裂しちまう。  
 そっ、そうだ。さり気なく、この状態での排泄関係に付いて質問してみよう。あくまで、さり気なく。  
 その為には、ジェントル上条の……って、さっき失敗したな。ここはグレイ上条の出番か……?  
 いやいや、これもチョッと違うぞ。そうだ、チャイニーズ上条にしよう!)」  
 
「チョッと良いアルか。そこの美人サン。教え―――」  
「!……何?上条君」  
「うオォ――ッ!?」  
 
美人さんの言葉を聞くな否や即効で反応する姫神。しかも笑顔付きで。そんな姫神を見て上条は思う。  
「(……き、聞けない。嬉しそうな姫神を前に聞けない。とてもじゃないが聞けない。  
  『てへっ、ンコしたいんだけど。どうしよっか?』、なんて聞けない!)」  
顔を強張らせたまま苦悩する上条を、暫く『ジ―――っ』と眺めていた姫神が『ポンッ』と手を打った。  
 
「おお〜っ『ポンッ』。もしかして。トイレ?」  
「………(ビクッ)………」  
「そのままで大丈夫」  
「……へっ?」  
「大丈夫。それは。老廃物。排泄物。処理できる。だからそのまま」  
「……へぇ〜、そうなんだ。便利なんだな……、悩んでた俺って……」  
「遠慮しないで何でも聞いて。何でも答えてあげるから」  
「そっか、ありがとな。姫神」  
 
安心した上条は、思いつく限りの質問をし、おおよその機能に付いて把握する事が出来た。  
実は今も自分には軽い麻酔が掛かっているらしい。そうでもしないと、ジッとしていても激痛に転げ回る  
羽目になっているとの事だった。成る程なっと納得したが、メンテ中の事を思い出して青くなる。  
 
「大丈夫。その前。麻酔が弱から強になるから。メンテ中何も感じない」  
 
安堵した上条と、そのまま暫くの間お喋りを楽しんでいた姫神は、ふと時計を確認してみる。  
随分、話し込んで時間が経ったが、未だお昼には大分早い。  
しかし、朝食の雪辱とばかりに姫神はお昼のリクエストを聞いてみた。  
 
「上条君。何食べたい?私。作ってあげる」  
「えっ?良いのか、そんな事して?病人だから、あんま規定外の物ばっかりじゃ不味いんじゃねえか?」  
「ちゃんと許可もらってる。何食べたい?」  
「う〜ん、そうだな……」  
「(何でも作ってあげる。お勧め京懐石かな。上条君だから鍋料理言いそう)」  
「オムライス」  
「え?……ええっ!?オムライス?」  
「そう。オムライスが食べたい」  
「でも……。懐石料理……。蟹鍋……。食べたくない?」  
「う〜ん、そっちも興味あるけど、せっかく姫神が作ってくれるんだから、ここは、男のロマン。  
 定番の女の子の家庭料理を食べてみたい。今まで一度も食った事なかったからなぁ〜。  
 カレーだろ、ハンバーグだろ、後、肉じゃがに金平ゴボウだろ、それから――――――」  
「(そんな簡単なのじゃなくて。もっと凄いの)」  
「―――――なんかが食いたいんだけど、駄目か?」  
「……うっ。うん。わかった」  
「おお〜っ!サンキュ〜な、姫神。楽しみにしてるよ♪」  
 
何だか、予定と違っちゃたな〜。私は、トボトボと調理室に向かいながら少し落ち込んでいた。  
凄い料理を作って、彼が『スゲェェ―――ッ!』て驚いて感激してくれなきゃ意味無いのに……。  
それなのに、リクエストは誰でも簡単に作れる様な物ばかりだった。これじゃあ、アピール出来ない。  
餌付け。そう、せっかく彼を餌付けするチャンスなのに。……悔しくて、涙が出そうになる。  
『プルプルプル』何時までも落ち込んでてもしょうがない。何とか頑張るしかないから。  
定番の女の子の家庭料理でも、褒めてもらえるように頑張る。  
胸の前で小さな拳を『キュッ』っと握り締め、調理室の扉を開いた。  
 
 
「上条君。お待たせしました」  
「お待ち致しておりました。マイ・プリンセス」  
「…………………………]  
「……って、おい、姫神!?手が下がって来てる。落ちちゃう。料理が落ちちゃう!」  
「はっ!?……だ。大丈夫。うん。大丈夫。私。プリンセス。お姫様。お姫様……」  
「わ、悪かった!謝るから、目を覚ませ。おっ、落ちるぅぅ――ッ!」  
 
何とか、床への食事の施しを回避した上条は、ようやくオムライスにありつけた。  
未だに姫神は何やらブツブツ『白馬に乗っ――』言ってるが、気にしないで置いてあげよう。  
……とも思ったが、姫神がこっち(現実)に戻って来ないと、上条はお預け状態なので戻す事にしよう。  
そして、ようやく、姫神の運命(餌付け)を賭けたバトル(お昼)の始まりである。  
 
「はい。あ〜ん」  
「あ〜ん。(あれ?変わったソースがかかってんな。どれどれ……(パクッ。モグモグ。ゴクン)……)」  
「………(ドキドキ)………」  
「!?……ぅんまぁ〜い!!!何だよこれ、めっちゃんまぁ〜い!!!」  
「ほんと?」  
「あぁ、スゲェェ―――ッ!美味いなこれ。茄子としめじ、なんてソースに入ってるから、どんな味すん  
 のか見当付かなかったけど、甘いケチャプに合うんだな。んで、中もチキンライスっぽくないなこれ。  
 どっちかってぇと、ピラフっぽくないか?」  
「うん。美味しい?」  
「もう〜、最高〜っ!上条さん感激しちゃいました!!!」  
 
差し出すスプーンを、まさに食い千切らんばかりの勢いを見せる上条を見詰め、姫神は思った。  
「(やった!私。成功。ヴィクトリー!)」  
私の頭の中は、彼が言った言葉で占領されていた。  
『ぅんまぁ〜い』『めっちゃんまぁ〜い』『最高』『感激』。  
私が期待してた『スゲェェ―――ッ!』以外にも、たくさん褒めてくれた。  
私は、この後の展開を考えてみた。  
「(餌付け成功。お部屋に作りに行く。そして恋人。通い妻状態。同棲。結婚。結婚……!?)」  
結婚。……そうだ。結婚したら子供も出来るんだ。やっぱり、男の子と女の子一人づつは欲しいなぁ〜。  
庭付き一戸建てで、可愛いワンちゃんも飼って、庭で遊ぶ私達を上条君が穏やかに見守ってる……。  
子供かぁ〜。  
……あれっ?結婚しなくても子供は出来ちゃうし、できちゃった婚、って結婚する人達も居たよね。  
だったら、私に子供が出来たら、上条君と結婚するって事になるのかな?  
上条君だったら、子供が出来たら絶対知らない振り出来ないし、絶対に、その人と結婚しちゃう。  
えっと、こう言うのはもしかして、幸せへのショートカット、って呼ぶんじゃなかったかな?むむっ。  
子供が出来るには、妊娠しなくちゃ。妊娠するには、エ○チしなくちゃ。  
……上条君とエ○チ!?……そ、そっか。エ○チしなくちゃ、子供が出来ないんだった。  
あれっ?そう言えば、1回エ○チしたからって、確実に子供が出来る訳じゃなかったんだ。  
じゃあ、何回もやらなきゃ駄目なんだよね?むむっ。  
じゃあ、エ○チも頑張らなきゃ。上条君が喜んでくれる様に頑張る。その為には、お勉強しなきゃ。  
えっと、……お勉強ってどうすればいいのかな?う〜ん、う〜ん。ああっ!そうだ。あれがあった。  
前に、小萌先生のタンスの奥で見付けた、DISC。  
あれ、エ○チなのだった。あ〜、良かったぁ。あの時は、呆れちゃたけど、後で小萌先生に貸りよっと。  
ふふん、ダメだって言っても、弱みはこっちが握ってるから、絶対に貸りれるはず。  
……って、あれ?……私、何を考えてるんだろ?……は、恥ずかしい。  
……ううっ、ずっと上条君見てるから、知らない間に影響受けてるのかな?  
……あっ!これが、あの人達(バカ2人組)が言ってた、上条属性とかカミやん病なのかな?  
……い、良いんだもん。それで。病気でも、重症でも、手遅れでも、私はそう決めたから。  
 
色々褒められ舞い上がって天にも昇る気持ちで、壊れかけている姫神であった。  
そうして無事にお昼も終わり、2人で他愛もない話に興じていると、それを破る者が現れた。  
 
「盛り上がってる所、申し訳ないんだけどね?」  
「出たな。諸悪の根源。騒乱の元凶。一体何しに来やがった」  
「ちょっと待ってくれないかな?そんな言い方は酷いと思うよ。僕が一体何をしたって言うのかな?」  
「何処までも惚けやがって、……良いだろう。それじゃあ、新事実だけで勘弁してやる」  
「新事実かい。それは何を指しているのかな?」  
「アンタの目の前にあんだろうが!何だ、この一部マニアに絶賛支持されてる様なジャンルの具現化は!  
 触手だ?触手プレイだ?何時からこんな奇天烈な18禁作品を制作してやがった!」  
「やれやれ、曇った眼鏡には歪んだ像しか写らない様だね?  
 宜しい。そこまで聞きたいなら、教えてあげようかね?いいかな?」  
「あっ、やっぱ良いや。そんな話はノー・サンキューです。また、遠い目になっちまってるし」  
「何だい、人に話を振っておいて。こっちがその気になったらキャンセルかい。ふふっ。やるね?」  
「今度のは何だ?強敵と書いて友(ライバル)なんて仲間を得て喜んじゃう益荒男、みたいな目付きか!」  
「僕は嬉しいよ。君が更なる飛躍を遂げて、成長した姿を見せてくれたんだからね?」  
「やっぱ、このナース医者には言葉は通じんかったか。頼む、姫神」  
「うん。わかった。はい。カエル先生」  
「おや、何かくれるのかな?」  
「今朝のお返しの品だ。それで、正気に戻れ」  
「チロルチョコ、……だね?」  
「うむ。その通ーり。姫神が、次いでにコンビニで買って来てくれた中の一品だ」  
「おいしいよ。カエル先生」  
「あぁ、ありがとう。……僕は、どうすれば良いのかな?」  
「そうだな。アンタ、このベッドどうやって作った?」  
「僕一人じゃ無理だね?僕の友人達の協力があってこその作品だからね?」  
「やっぱり、サークル仲間が絡んでやがったか。あんま、聞きたくないけど、他にもあんのか?」  
「これを含めて5台あるね?今は計算上じゃ分からない、実際に使用しての耐久テスト段階だね?」  
「耐久テストだぁ?……これって、そんなに壊れ易い物なんかよ?」  
「バカ言っちゃいけないね?ベッドを毎分60回転させても、十分耐えられる様に設計しているからね?」  
「無駄な機能、ベッドに付けてんじゃあねェ!」  
「そうかな?あった方が、何かと便利だと思うんだけどね?」  
「どういう基準してんだ?それより、こんな所で油売ってる程、暇じゃねぇんだろ。さっさと診察しろ」  
「あぁ、それはもう済んだよ。様子見、しに来ただけだからね?それから、姫神君。頑張りなさい。」  
「うん。頑張る」  
「それじゃあ、僕は失礼しようかね?」  
 
 
上条はカエル医者が立ち去った後も、暫く文句を言っていたが、次第に眠くなって来た様だった。  
その様子に気付いて、姫神は上条に声を掛けた。  
 
「上条君。眠かったら。寝て良いよ」  
「あぁ……、悪いな。どうにも、気持ち良くなっちまって。少し寝させてもらうわ、………」  
「うん。見ててあげる」  
 
私が見守る中、静かな寝息を立てて眠る上条君。  
眩しくない様に少し閉めたカーテンを揺らし、心地良い風が吹いて来る。  
椅子に腰掛けジッとしてると、何だか私まで眠くなってしまう。  
「(あっ。そっか。今朝。早かった。から……)」  
見詰めていた彼の顔が、次第にぼやけて来て、……何時しか、私も、眠っていた。  
 
「(………。ここ。……どこ?)」  
私は、何処とも知れない白い空間に佇んでいた。地面との境界さえ曖昧な、唯、白一色の空間。  
周りを見回しても代わり映えがしないから、前だけを眺める事にした。と、そこに変化が生じた。  
豆粒ほどの、小さな眩しい金色の光。それは、見る間にその大きさを増し、直径1m位の大きさになる。  
私は興味を引かれ、一歩近付こうと足を動かそうとした。……そして、全く違う景色の中に佇んでいた。  
「(何処だろ……、ここ?何だか覚えてる……)」  
日差しこそ少し強いが、緩やかに吹き渡る風は肌に心地良い。眩しさに片目を眇めながら確認してみた。  
視線の先には柵がある。。煉瓦を幾層か重ねた上に、フェスタフェンスを張り巡らせた柵。  
視線を少し左右に動かすと、それ程高くない樹と色々な草花が、柵の手前を彩っているのが見て取れる。  
それの手前には、緑の芝生。柵の向こう、少し隔てた所には、違う仕様の柵が見える。  
「(ここ……。誰かのお家だよね。お庭の中……)」  
そう納得した私は、『コクッ』っと頷いてみる。……と、何か黒い物が視界を掠めた。  
確認しようと目線を足元に下げてみて、自分の足元に女の子が居るのに気が付いた。  
「(7歳?……ううん。もっと幼いかな?)」  
小学校1年生くらいの女の子。黒髪のおかっぱ頭、可愛らしい白いチュニックを着ている。  
その娘が私を見上げ、『ジ――――っ』っと、見詰めている。  
「(ど。どうして一点見詰めしてくるの?それに……。何だか知らないけど。親近感が湧いて来る……)」  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
「…………(ジ――――――っ)…………」  
「…………(にこっ)…………」  
「(……か。かわいい。ナデナデしたい。……あれっ?……この娘。前に見た事ある)」  
私が、その娘に話し掛け様とした時、右足に『ポスン』と軽い衝撃を感じた。  
見てみると、男の子が右足にしがみ付いていた。  
この子は5歳位かな。寝癖かな?短い髪の毛が上に跳ねている。なんだか嬉しそうに笑ってる。  
気付くと、小さな子犬が嬉しそうに尻尾を振りながら、私達の周りをグルグルと回っている。  
私は、それらの光景に、何故か……、幸せな気持ちが溢れてくるのを感じていた。  
暫し幸福感に浸っていた私の耳に、男の人の声が届いた。  
「『……秋沙……』」  
あれっ?私の名前を呼んでる。苗字じゃなくて、名前を呼ぶ人なんかいないのに……。誰だろ?  
声のした方に視線を巡らすと、男の人がいた。穏やかな優しそうな瞳が私を見詰めている。  
私はその瞳を見詰めた途端、無性に嬉しくなって、彼の方に近付こうと、一歩足を動かした。  
……そして、自分が白い空間の中に居るのに気付いた。  
「(えっと。最初に戻った。……かな?)」  
目の前にあった金色の光は無くなっていた。もう一度、さっきの景色が見たくて探してみる。  
金色の光は無かったけど、今度は黒い光を見付けた。この光も、見付けた途端に大きくなった。  
私は、何だか嫌な予感がして行きたく無かったけど、する事が無いので仕方なく行く事にした。  
「(幸福の後には不幸。予定調和。ただそれだけ。何があるんだろ?)」  
そこは、黒い地面と薄明かりに満たされた空間。そして、目の前の少し離れた所に、大きな階段がある。  
そこだけが白く照らされ、細部が分かった。大きさの割りに、段差がほんの少しなのが確認できた。  
私は、その階段の所に行こうかどうか迷った。悩んでいると、右手に誰かが何時の間にか立っている。  
私は右に視線を向け、少し見上げる。上条君だった。嬉しくて笑い掛けると、彼も笑い返してくれた。  
彼は笑顔を浮かべたまま、前に歩き出した。私も彼に続こう、と思いながらも考えていた。  
「(また戻るのかな?あの白い空間に……)」  
 
少し残念だけどしょうがないかな?そう思っていた私の予想は、あっさりと外れてしまった。  
……戻らなかった。白い空間に。そして、私の足は動かそうと思っても一歩も動かなかった。  
「(……えっ?これって。どうなってるの?上条君は……)」  
彼は階段の手前に佇んでいた。その顔からは笑顔が消え、見詰めている内に、悲しそうになっていった。  
「(待って!今行くから。悲しそうな顔しないで。動いて……)」  
だけど、私の足はやっぱり動かなかった。彼は悲しそうな顔のまま、階段へ向きを変えると昇り始めた。  
私は見詰める事しか出来ない。彼が離れて行ってしまうのを、見詰める事しか出来ない。  
「(待ってよ。行かないでよ。上条君……。……えっ?……あれ何?)」  
何時の間にか、彼の側に黒いシルエットが寄り添っている。形からして女の人。そして、彼は……?  
「(や。やだ。……そんなのヤダ!どうして?どうして笑ってるの?どうして笑い掛けてるの?)」  
彼がシルエットの女の人に笑い掛けている。嬉しそうに笑い掛けている。本当に嬉しそうに……。  
私は目の前の光景に、心が凍り付いてしまうかと思った。しかし、それさえも許されなかった……。  
「(……ううっ。……絶対イヤ。……上条君。……当麻君。………。……う。うそ……!?)」  
階段を登って行く上条君達。その周りに小さな靄が現れる。それは上条君達が進むにつれ大きくなる。  
そして、上条君の髪型も変わり、さっき見た男の人になる。小さな靄も、はっきりと形創られた。  
「(………。……子供?……さっきの人。……上条君。私……。さっきまで……。そこにいたよ……?)」  
上条君達が階段を登って行く。私との距離がドンドン遠くなって行く。私に出来る事は、ただ………。  
 
「待って!!!ヤダッ!!!」  
 
目の前には、白い壁。そして、窓からカーテンを微かに揺らしながら、風がそよそよと吹いていた。  
「(あっ!?……えっ。……あれ?……ここは?……。どうして私。叫んでたのかな?  
  あっ。上条君だ!良かった……。良かったって……?……どうして?どうしてそう思うの……?)」  
私は自分の声に驚いていた。今まで出した事が無い位の大声に……。そして、目の前の光景に安堵した。  
彼が居る。彼が目の前で眠って居る。気持ち良さそうに眠ってる。眠って……?私は、時計を確認した。  
午後3時。彼がお昼寝したのは、午後1時過ぎだったはず。むむっ?何だか、時間が合ってない……。  
『ポンッ』そっか!私も気持ち良くて寝ちゃってたんだ。あ〜、良かった。さっきのは、夢なんだ。  
ビックリしちゃった。あんな変な夢見るなんて。あんな変な……。んっ?何だか頬が変……?痒い……。  
あれ〜?何だか冷たいよ。えっと、濡れてる。手がいっぱい濡れてるよ。何だろこれ……?  
「(私……。泣いてた?いっぱい?……夢なのに。あんなの夢なのに。でも……。本当に夢なの?)」  
金色の光。あれは私の夢。未来に現実になるかもしれない、私の夢。  
黒い光。あれは誰か夢。未来に現実になるかもしれない、誰かの夢。私じゃない、誰かの夢。  
誰かの夢を見て、私は泣いてた。いっぱい、いっぱい泣いてた。いっぱい、いっぱい叫んでた。  
イヤだって。絶対にイヤだって。彼が、私じゃない誰かと遠くへ行っちゃうのがイヤだって。  
「(………………………)」  
私はフラフラと立ち上がって、ベッドの上条君の側に行った。  
 
「(……Zzz……Zzz……Zzz。…Zzz…zZ)」  
「………………………」  
 
私は、ベッドで気持ち良さそうに眠ってる上条君を眺めていた。  
私はこんなに近くにいるよ。『ペタッ』ほら、チョト手を伸ばせば簡単に頬を触れる位、近くにいるよ。  
あの夢みたいになれるよね。私に笑ってくれるよね。それとも違うの?笑ってくれないの?届かないの?  
……好きなのに。こんなに好きなのに。ねぇ、上条君。ねぇ、当麻君。私は、あなたが……。  
「(……好き。)」  
私は指先に触れていた彼の唇に、自分の唇を押し付け様とし、……て、気付いた。  
「(……私。言ってない。ちゃんと言ってない。一度も言ってなかった)」  
今まで気付かなかった。どうして私の気持ちが届かないんだろう?って思ってた。でも、違った。  
……届けてなかった。私の気持ちを彼に届けてなかった。ちゃんと伝えてなかった。  
届けたい……。彼に伝えたい……。ちゃんと……。彼に対する私の気持ちを。私の想いを……。  
 
『ピンッ』居眠りしていたせいだろうか……。背中の方で髪を纏めていた髪留めが、床に滑り落ちた。  
そして、その音の余韻が消える頃、長い黒髪が一房、上条の頬に落ちた。  
 
「……ん、んんっ!?」  
 
「(何だぁ……?頬っぺに、何か落ちたぞ?……何か、くすぐったいな。それに、良い香りがする……)」  
 
「(パチクリ)!?……!?……!!!」  
 
「(うぉ!?な、ななな何だぁぁぁ―――っ!?ひ、姫、姫神が目の前に……近っ、近過ぎる!!!)」  
目を覚ました自分の顔の前に姫神がいる。30cmも離れて無い所に姫神の顔がある。  
その事に、上条の心はパニックを起こした。  
「(どーして、目の前に居んだよ!?こんなに近かったら、また……、……ああっ、来ちまった!)」  
胸が、胸が締め付けられる。今朝、体験した痛みが再び襲って来ていた。そして、あの感情も―――。  
上条の心はざわつき、意識が乱れる。どうにかしたいが、自分には治める事は出来ない。原因は分かる。  
そして、治す方法も分かる。矛盾しているが治せるのは一人だけ。その唯一の人に声を掛けようとして、  
上条の時は止まった。  
「(……な、何だ、……姫神の目が赤い、目元も赤い、……頬も濡れてる、………)」  
上条は呆然と姫神の顔を眺めていた。  
「(これって一体何だ?何でこんな顔してんだ?こんな、こんな泣いた後みたいな顔。……泣いた!?)」  
姫神の顔に留まる痕跡。それが示している事は、姫神が泣いたと言う事実だけだった。  
その事を認識した時、上条の心の中でざわめいたまま静止していた水面が変化した。  
まるで、画面が切り替わった様に荒れ狂った。それを認識した刹那、大時化の海の様に荒れ狂っていた。  
「どうして泣いたんだ?何で泣いたんだ?悔しくてか?悲しくてか?どんな理由で泣いたんだ?)」  
上条は自分の心が分からなかった。様々な感情が表れ、それらが綯い交ぜと為って自分を翻弄する。  
「(何が!何が姫神を泣かせた!何処のどいつだ姫神を泣かせたのは!俺の……、俺の姫神を……)」  
あまりに激しい感情の奔流に、上条は流され、溺れそうになる。……そして、一つの顔が浮かんだ。  
「(あっ……)」  
この顔を心配で曇らせちゃいけない、この顔を悲しに染めちゃいけない、この顔を安心させて守らなくち  
ゃいけない。そして、何時でも、何時までも自分の側で浮かべていて欲しい……そう、思わせた顔が。  
上条はその顔に縋り付いた。自分の荒れ狂った心をどうにかして欲しくて、その顔に縋り付いた。  
 
「……姫神」  
「…………」  
 
上条が求めた顔は、そこには無かった。荒れ狂った心のまま、ただ、見詰める事しか出来ない。  
姫神も自分を見詰めていた。ただ、真っ直ぐに見詰めていた。そして、その唇が微かに震えていた。  
姫神の顔を見詰める事しか出来ない自分。  
見詰める瞳に変化が訪れる。瞳が微かに揺れ始めたみたいだ。  
もっと良く見ようと目を凝らした時、瞳から何かが零れ、自分の頬に落ちた。  
「(えっ!?……つ、めたい。……これっ、……涙)」  
涙が頬に零れ落ちた。上条の荒れ狂った心のうねりは、瞬間的に凍結されてしまった。  
何も考えられない。ただ、見詰める事しか出来なかった。姫神の顔を。震えている唇を。  
そして、震えている唇が開かれ、言葉が紡がれる……。  
それは……短い言葉。しかし、どんな言葉よりも、想いが篭った言葉だった。  
 
「好き」  
 
姫神の瞳から、更に一滴。涙が零れた。  
 
『好き』。暗く凍りついた上条の心のしじまに、その言葉が聞こえた。  
その言葉が届くと、暗く凍てついていた上条の心を一瞬で砕いていた。  
うねりも砕かれ、ざわめきも無く静寂が支配する薄暗い景色に、一筋の小さな光が零れ落ちてきた。  
それは頬に落ち、そのまま心にまで沁み込んで、零れ落ちて来た、涙。  
それは、小さな細い軌跡を引きながら心の水面に落ちると、砕け小さな波紋を広げた。  
今にも消えてしまいそうな程、小さな大きさだった波紋は、広がる度に大きさを増し勢いをつけて行く。  
水面を優しく穏やかにする為に……。そして、薄暗い心の中の空間に声が響いた。  
 
「私は当麻君が好き」  
 
響き渡る優しく暖かな声。それは、たゆたうように想いを空間へと満たして行く。  
何時の間にか、上条は暖かな優しい光に満たされた空間に佇んでいる事に気付いた。  
眼下に広がる青く澄んだ水面。その水面が淡く白い光に包まれる。  
そして、奥には小さな光が見えた。  
淡く白い水面に煌く小さな金色の光。その光が近付いてくる。水面を抜け自分の目の前まで……。  
上条は、眼下に広がる水面を眺める。元の青く澄んだ水面。そして、目の前の金色の光を眺める。  
何も言わない。目にした時に全てが理解できた。その光は自分の想い。心の奥底に隠れていた想い。  
今まで気付かなかった自分の想い。そして、姫神秋沙に対する自分の想い……。  
上条は、金色の光に両手を添えると胸に抱きしめた。そして、金色の光は胸に吸い込まれる様に消えた。  
伝えたい、この想いを……。彼女に、姫神秋沙に、この想いを伝えたい……。  
 
「ありがとう、姫神」  
 
私は微笑む彼に、自分の中の溢れる想いを伝えた。  
 
「当麻君が大好き」  
 
涙を瞳から溢れさせ、それでも真っ直ぐに見詰めている彼女に、俺は……、自分の想いを伝えた……。  
 
「俺も姫神が……、秋沙が……、好きだ」  
 
私は最初、彼が言った言葉を理解出来なかった。今まで何度も夢で聞いた言葉。待ち望んでいた言葉。  
何時もの夢かと思った。目が覚めると消えちゃう幸せな夢かと思った。私は頬を指でツネッテみた。  
「(……『ぎゅううううう!』……い。痛い。ものすごく痛い!)」  
……ううっー。い、痛かったよ〜。今も痛いよ〜。思いっ切りツネッチャタよ〜。私のバカ〜!  
あれれっ?これって……?何だろ?私は、ジンジンと痛む頬を『ナデナデ』しながら考えてみた。  
「(夢か確認。頬をツネル。痛かった。今も痛い。えっと。私起きてる。結果発表。パチパチ)」  
な〜んだ、夢じゃなかったんだ。良かった。うん。ちゃんと現実。名前呼んでくれたよ。ヤッタ〜。  
『俺も、秋沙が好きだ』って、言ってくれた。秋沙だって、照れちゃう。好きだって、言って……。  
「(……うそ。当麻君。私を好きだって言ってくれた。名前呼んでくれた)」  
私は現実に立ち戻り、彼の顔を見た。彼は笑顔を浮かべていた。私に向かって笑顔を浮かべていた。  
私は嬉しくて、彼の名前を叫びながら頭を抱き締めた。  
 
「当麻君!『ぎゅううううう!』」  
「ぅんぎゃあぁぁああああ―――ッ!!!!」  
 
病室に、上条の絶叫が響き渡った。  
 
「ごめんね。ごめんね。ごめんね」  
 
病室に、私の謝る声が木霊した。  
私は、彼の頭を『ナデナデ』しながら考えてた。  
「(うわぁ〜。落ちつくなぁ〜。ナデナデしてると……。ちっ。違う違う)」  
顔を見て条件反射してしまったんじゃないから。心配だったからナデナデしてるんだから。ホントだよ?  
……でも、これから何時でもナデナデ出来るんだ。何時でもナデナデして良いんだ。  
嬉しい……。う、ううっ、嬉しいよう……。『グスッ』。涙が……、涙が止まってくれないよう……。  
『好きだ』……って、言ってくれた。『秋沙』……って、呼んでくれた。  
嬉しくて、体が震えてる。……体が熱くなってくる。……胸が『キューッ』って締め付けられる。  
……どうしよう、息が苦しいよ。ちゃんと、息が出来ないよ。……し、深呼吸しなきゃ。  
『ス、ハー、スー、ハ』……ん、んうっ、唇が強張ってて上手く出来ないよ。『スーハー、スーハー』。  
ふう〜、やっと出来た。うん。少しは落ちついたね。えっと、何か忘れてる?……そうだ。唇だ。  
「(………。唇かぁ……。キスしたいな……)」  
私は、彼の唇を見詰めながら、そう思った。  
でも、……動けなかった。どう動けば良いのか、……分からなかったから。  
戸惑っている私の耳に、痛みが落ち着いた彼の声が届いた。  
 
「ふぅーっ。もちょっと、お手柔らかに頼むぜ。ひ……、えーっ、と、その、……秋沙」  
 
『……秋沙』、その言葉を聞いた私の体は、自然に動いていた。  
自分の唇を、彼の唇に重ねる為に……。  
「(あっ……。私……。キスしてる……。キスしちゃってる)」  
お互いの唇が、ただ触れ合うだけのキス。  
触れ合う唇から伝わる温もりに、私の心は満たされ、何時までもその温もりに浸っていた。  
 
「(き、きキス!?俺が、女の子と!?……し、しかも、ああ秋沙とキスしてるってかぁ――っ!?)」  
お、おおお落ち着け、マイハート。こ、こここれ、は、ゆめ夢夢じゃ、……ない……ないな。  
自分の唇が感じる感触と温もり。これは夢、何かじゃない。確かな現実だ。そう……、認めるしかない。  
暴れ回る心臓の鼓動を押さえ付け、自分の顔に覆い被さっている姫神の顔を観察する。  
「(あっ……)」  
上条は、その顔に見入っていた。目を閉じて自分の唇に唇を重ねている、姫神の顔を……。  
近過ぎて、全体の輪郭を視界に納める事は出来ないが、綺麗に整った眉毛や、目が閉じられ扇状に広がる  
長い睫毛、スッと通った鼻梁が自分の頬に触れている、ほんのりと赤く染まった頬などが見て取れた。  
彼女の長い黒髪の一部が、自分の頬に触れながら、顔の周りを取り巻く様に流れている。  
上条は、素直に綺麗だと思った。そして、それ以上に、自分の心を動かしている事があった。  
姫神が見せる表情、そこから伝わってくる一つの想いが……。  
彼女が、……幸せだと、自分は本当に幸せだと、心から感じている事が伝わってくる。  
抱き締めたい、彼女を……。抱き締めてあげたい、彼女を……。  
上条は、歯噛みした。動けない体に……。彼女を抱き締める事が出来ない、自分の体に……。  
胸の奥底から湧き上がる衝動に、自分の体が反応してくれないもどかしさに、歯噛みするしかなかった。  
そんな感情が唇を強張らせたのか、気付いた姫神が、慌てて上条の口から唇を離した。  
 
「……(パチクリ)……」  
「……(パチクリ)……」  
「……(ボッ)……」  
「……(ボッ)……」  
 
正気に戻った二人は、顔を真っ赤にして『アウアウ状態』である。  
「(!?……どどど、どうすりゃ良い?どうすりゃ良い?……い、いかん、何も思い付かん!?  
  オイ!バクバクと五月蝿いぞマイハート!停止しやがれ!  
  ……い、いや、ホントに止まっちゃうと困るんだが……。  
  こんな時に頼りになるのは、何上条だ?……頼む!NEW上条、降臨してくれ―っ!)」  
「(!?……キ。キキキキス。キスしちゃったよ!?  
  ……えっと。嬉しい!……んんっ?……そ、そうじゃない!  
  ……どうしよう?これからどうしよう?……う〜ん。う〜ん。……あっ。そうだ)」  
 
「……えっと。上条く……。じゃなくて。その。……と。当麻君。」  
「!?……な、WHAT?」  
「お夕飯。何食べたい?」  
「……お夕飯?」  
「うん。ちょっと早いけど。頑張って作ってくる。何食べたい?」  
「え……、えっと、そうだな。何でも、……じゃないな。そ、そうだ、ハンバーグが食いたい」  
「うん。わかった。待ってて。作って来るから」  
 
そう言うと、姫神は笑顔を残して病室を後にした。  
やはり、想っていた長い時間の分、立ち直りの早さは、姫神に軍配が上がったみたいだった。  
上条は、咄嗟に出たリクエストに、文句も言わずに答えてくれた姫神に感謝しつつ、去り際に見せてくれ  
た笑顔を思い出していた。  
姫神が立ち去った方を暫くジッと眺めていたが、やがて、その口から、言葉が自然と漏れ出ていた。  
 
「あの笑顔を守る為に……、俺も頑張んないとな……」  
 
 
 

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